ロスト村1

 結局私はこの親切なおじいさんに拾われて、そして連れて行かれたのは、ロスト村にあるというロスト教会という名の寂れた小さな教会だった。そして私を拾ってくれたこのおじいさんが、この教会の神父様ということだった。

 教会ありがたい。身寄りのない人の駆け込み寺だ。ありがとう神様。ありがとう神父様。


 そしてどうやらこの場所は、定期的に戦場になるようないわゆる最前線にも近い場所にあるらしい。

 お陰でここの教会の神父として、隣国と戦いがある度に負傷者の対応と埋葬でてんてこ舞いになるそうだ。だから私の血まみれ姿にも動じなかったのだろう。


「またそのうちに戦いになるじゃろうから、覚悟しておくといいよ」

 そう静かに語るこの神父の名はオースティン神父。

 神父ではあるが片足は膝から先が無いし、顔にも大きな傷跡があり、そしてその他体のあちこちにガタがきている様子が視えるご老人だった。


 どうやらかつて戦争に参加して、その時に負傷したらしい。

 一体いつからやっているんだろうね、この戦争。それとも別の戦争なのかな?


 それでも右も左もわからない私を拾ってくれて、一通りこの教会で暮らせるように手助けをしてくれたことにはとても感謝している。

 なにしろ元の世界とは全てが勝手の違う、戸惑うことばかりだったから。

 

 なんと元の世界の知識だけでは、私は食事さえもままならなかったのだ。この世界では、一番簡単であろう目玉焼き一つ作れなかった。

 まず火の着け方がわからない。

 そもそも水道もガスも電気も何にもない。

 

 しかし一通りは衣食住が用意されていた王宮を放り出されたからには、まずはこの生活に慣れないといけなかった。

 井戸から水をくみ、魔石で火を熾して料理をする生活。服はオースティン神父が古着をもらってきてくれて、ベッドもどこからか調達してくれた。本当にありがたい。


 そんな最初は慣れなかった生活も、毎日回していればだんだんと慣れてきた……かな。

 辺境の暮らしなんて、まあこんなものだろうと思う。夜には清潔なベッドで眠れて、卵や肉もなんとか少しは食べられる生活がありがたい。

 戦場に近いとは言えまだ小さな村として、ここはなんとか機能しているからどうにかなった。さすがに本格的な野営とかは無理です。

 

 そしていろいろな魔術が使える世界らしく、慣れてみれば実は最初に覚悟していた程には不便ではなかった。

 火を熾したり、洗濯や掃除、そういったものは全て魔術の込められた石や道具が使えるのだ。

 いや楽ですね。これはいい。私も道具さえあれば、あっという間にプロの主婦のような働きが出来る。


 それでもしばらくは新しい生活に慣れる必要もあったから大人しくして、本来の人見知りをいかんなく発揮していた私だったけれど、一ヶ月もしないうちにだんだん周りにも馴染み、様子がわかってきたのだった。


 まずこの神父様、一見満身創痍でよぼよぼなのに、実はのほほんとしつつも働き者で、片足義足なのにホイホイ何処へでも行っては人々と交流するまめな人だった。それに村の人達も、こんなに戦場に近いのに残っているだけあって、みんな肝が据わっていい人が多い。

 なにしろ身寄りのない正体不明の私にも差別なく普通に接してくれたのだから。


 私はオースティン神父が拾ってきた、身寄りのない記憶喪失の人間として村の人達には紹介されていた。

 なぜなら私は過去を何も語らなかったから。

 召喚のことも聖女のことも、そして名前さえも。

 理由は簡単、私が生きていることを王宮に知られては困る。


 まあ全身血まみれで立っていた、というインパクトには誰も勝てないのだ。

 きっとショックなことがあって忘れちゃったんだね、可哀想にという対応があたたかい。


 だからそんな私にオースティン神父が最初にしてくれたのは、私に新しい名前をつけることだった。


「じゃあとりあえずはアニスと呼ぼうかね。ほら、この植物の名じゃよ」

 彼はちょうど目の前にあった草、いやハーブを指さして、そう私に言ったのだった。

 

 そうして私はアニスになった。

 アニス・ログフォル。


 名字は神父様の名字をもらった。

 私はこの名で生きていく。



 ちょっと善良な神父様を騙しているようで申し訳なかったけれど、神父様からも「なにか事情があるのじゃろう」と言って、あまり詳しく聞かれなかった。さすが神父様、大人というか人生の先輩というか。懐が深い。

 

 私は大人しく炊事洗濯は、あ、いや洗濯と掃除は頑張りました。同居人がいて楽になったと思ってもらえたらいいと思って。

 でも料理は……うん、なにしろ料理のレパートリーがね……ないからね……。

 

 食材も知らない物があるし、調味料も塩とハーブなこの場所で、塩はまだしもハーブなんて知っているのは数種類だけで、あとは最初は全部草にしか見えなかったから。それに普通はご当地で食べられている伝統的な料理がきっと気候的にもコストパフォーマンス的にも一番なんだろうけれど、まあ知らないからね。


 むしろ私が神父様から教わりました。

 オースティン神父はとても手際よく美味しいお料理を作る。

 お陰で私も少々ご当地のお料理を覚えることができました。嬉しい。

 基本は雑穀と卵、肉が少々。お野菜もつけられる。

 流通があまり発達していなくても、鮮度を保つ魔術というものが大活躍の世界だったのでこんな内陸でも新鮮な食材があるのが嬉しい驚きだった。

 

 とにかく今は、生きていかねばならない。異世界の片鱗も見せずにまずは溶け込む術を身につける。

 そう思ってひたすら生活に慣れることを、村に馴染むことを目標にして暮らしたのだった。

 そして私は運を味方につけて、新しい人生を始めることにどうやら成功したらしかった。

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