ロボットな僕と君~感情が無い君に

糸毛糸

第n項の違和感

1話 不快


 人は何で作られているだろうか?

 血と骨と肉?プライド?感情?

 答え方は人それぞれだろう。僕の本心での回答は骨肉血と答えるだろう。


 何故なら僕にはほとんど感情というものが無いからだ。少し誇張表現になってしまったが正確に言うと、ロボットのように全く無いわけではない。ただ、普通の人よりも感情の起伏が著しく少ないというだけなのだ。


 世間一般では高校というものは青春というものに満ち溢れた空間であるという認識がある。しかし、ただなんとなく授業を聞き、勉強をし、クラスメイトと時々喋り、部活があれば部活をする。たったこれだけのことだ。世の人々はその行為に理想を抱きすぎなのだ。


 もちろん,その行為を通して恋人を作ったり友達と楽しむ人は多くいるだろう。しかし、そういう人々は高校が例え無くとも何らかの場所で同じことができるであろう。



 桜は完全に散ってしまい、徐々に灼熱の夏に近づき始めている今日。

 

 教室に埋め込まれているスピーカーから今までに数百と聞いたチャイムが鳴る、

 その音を皮切りに眠りの世界から起きる者、集中の糸が切れる者、学校からの解放を感じる者など多様な生徒が高校には集まる。


「ここのsin,cos,tanθはこれからも出てくるから復習を怠らないように、それじゃ授業は終わりで」

 

「起立、気を付け、礼、」

「「「ありがとうございました」」」


 2年生が始まって約1ヶ月。最初は新しい先生も多く増え、やや課題や予習のルールに慣れない部分もあったが、今となっては完全に慣れたものだ。


「何してんだよ、たかし!早く部活行かないと監督に怒られるぞ」

「ちょっと待てって」

 クラスの野球部2人が大きな声を出しながら教室を飛び出して行った。

 野球部の監督は校内でも怖いことで有名だ。僕でも少しだけビビってしまったことがある。


「小川くんは今日は部活?」

「今日は部活がオフだから図書館に行く」

「そうなんだ」

 僕に話しかけてきたのは隣の席の奥川という男子生徒だ。奥川くんとは僕とクラスで話す数少ない生徒だ。授業内でペアワークだったりで少しだけ喋るようになった。しかし、友達と言えるような関係ではない。

 

「奥川くんはバレー部だっけ?」

「そうそう、うちの学校バレーだけは強いから練習がきついんだよね」

「そっか、大変だね。じゃあ僕は行くよ」

「あ、うん」


 僕はそう言って教室から図書館の奥にある部屋に向かう。

 この学校の図書館の奥には殆どの生徒が存在にも気づいていない隠れ自習室が存在する。この自習室は図書館の奥にあるため、図書館以上に静かな環境が整っている。

 僕がここを見つけたのは去年の冬ごろだ。その頃から出来る限り毎日通っているがここに人がいたことは殆ど無い。去年、受験直前期の受験生がたまにいたぐらいだろう。ここは僕にとっての隠れ家のようなものなのだ。


 10脚の椅子と向かい合う2つの長机によって構成されているこの自習室で、僕は窓に最も近い奥の席にいつも座っている。

 着席するなりすぐに先程まで授業でやっていた数学の教科書と問題集を広げる。その後は黙々とただ進めていく。


 2年生になり、難易度も1年の頃よりも難しくなっている。他の教科を削って数学の勉強に充てる必要があるかも知れないな・・・。


 そんな風にいつも通り、本当にただ勉強をしていると・・・。


 木が軋む音に加えて、少し重い扉が開く音が集中状態であった僕の静寂空間を最も簡単に破壊した。


「あれ?凪くん?」


 僕は声の主にすぐに目を向ける。


「七瀬さん・・・」


 その生徒は僕と同じクラスの七瀬咲ななせさきという生徒であった。


「図書館の奥にこんな部屋があったんだね」


 そう言いながら七瀬さんが一歩一歩進むごとにリュックに付いている沢山のストラップたちがガチャガチャと鳴き声を発する。


「何しに来たの?」

「そりゃ、勉強しに来た決まってるでしょ。凪くんだって現に今勉強してるし」

「勉強なら職員室の隣の自習室の方が空調とか整ってて勉強しやすいと思うけど」

「じゃあ、なんで凪くんはそっちじゃなくてここで勉強してるの?」


 僕は少しだけ考える。


「静かだからだけど」

「静かさなら別に職員室の方と大差ないでしょ」

「・・・」


 なんでかと言われたら、説明するには難しい。ただ、ここが勉強するのに心地が良い以外に理由なんて無い。


「私がこっちの自習室に来た理由分かってくれた?」

「・・・とりあえずな」

「よかった」

 

 七瀬さんは僕の反対側、つまり僕から見て右前の席に座り、英語の単語帳を開いた。


 そこから僕と七瀬さんは黙々と30分ほど勉強していると・・・。


「凪くんってさ、表情とか一切変えないよね。ロボットみたい。感情とか無いの?」


 いきなり、失礼なことを言ってくる。


「感情は別にあるよ」

「へー、笑ってる所とか怒ってるところとか見たことないや」

「表情に出ないだけさ」

「表情だけじゃなくてさ、声色とか態度出るじゃん?でも、凪くんはずっとそれこそ凪みたいな感じだよね笑」


 凪・・・別にこの名前は嫌いでは無いし、むしろ気に入っている。しかし、こんな風に揶揄されるのは本望では無い。


「僕は感情の起伏が少ししか無いんだ。だから、怒りとか楽しいとかも全く分からないわけではない理解は出来るけど……分からないんだ」


 僕はなんで急に七瀬さんにこんなことを言い出したのか分からない。まるで彼女の魔法でも使われたかのように吐いてしまった。


「ふーん、P波みたいな感じだ」

「それはちょっと違うんじゃない」

「あ、そう」

「僕のことはほっといてくれ。勉強しに来てるの喋るのはルール違反だ」

「そうだね、ごめん」


 七瀬さんは素直に謝って、再び問題集を開き始める。しかし、またすぐに口を開く。


「じゃあさ」

「なんだよ」

 少し強い声色で発した。


「私が君にってのを教えてあげるよ」


「何を言ってんだよ、君がどうやって僕に感情を教えるって言うんだ?僕は勉強をしたいんだ静かにしてくれ」

 

 僕がそう突き放すように言うと七瀬は怯むどころか不敵に笑って言葉を放つ。


「どうやってって、今まさに凪くんに『イラつく』っていう大事な大事な感情を教えてあげてる真っ最中なんだけどなぁー」


 僕はなんだろうか、会心の一撃のような衝撃を受けたかのように感じた。確かに、僕は今イラついている。七瀬咲に対して不快感を感じている。それも声色に出るほどにだ。もしかしたら、表情にも出ていたのかもしれない。これこそが僕には無いと思っていた正しく《感情》だ。


「ごめんごめん、ちょっとからかいすぎちゃった。もう、黙るから。勉強の邪魔しちゃってごめん」


 僕が急にペンを止めた状況を見て、やりすぎたと思ったのか頭を少し下げて謝罪をしてきた。その後は気まずそうに英語の問題集を再度開き勉強し始めた。

 

 10分、20分、30分と沈黙の時間が続いた。


「七瀬さん」

「はい?!」


 急に名前を呼んだので七瀬さんは思わず目を見開き丸くした。


「さっきの話」

「本当にごめんなさい。殆ど話した事ないのに馴れ馴れしすぎたよね」

「いや、そうじゃなくて。七瀬さんが僕に感情をその・・・教えるって話」

「あー、え?」

 

 七瀬さんは眉間に眉を寄せ理解できていないような表情を見せる。


「だから、僕にって言うのを教えてくれよ」


 七瀬さんは時でも止められたかのように僕を見つめる。


「どうして急に?」

「どうしてだろうな」

「なにそれ」

 

 そう言って七瀬さんは少し微笑む。


「じゃあさ、毎週月曜日にここに集まろうよ」

「・・・わかった」


 この時、何か僕の中で凝り固まっていた歯車が僅かに、されど確実に動き出す音が聞こえた。


 



 


 

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