第143話 美しいあくま
「――それで貴女が代わりに来たってわけね。まったく、雪野さんにも困ったものだわ」
次の日の午後。会議室の中で優雅に紅茶を飲んでいた遠野は、指定の時間より少し早めに現れた鶫――葉隠桜の説明を聞いて大きくため息を吐いた。……緋衣に無茶ぶりをしたのは自分だというのにこの言い草である。
「でも、一概に雪野さんだけが悪いとは思いませんけど」
「あら、何か言ったかしら」
「……いえ、何でもないです」
棘のある遠野の言葉に対し、鶫は疲れたような笑みを浮かべながら目を逸らした。緋衣の弁護はしてあげたいが、自分が何も悪くないのに流れ弾に当たるのは遠慮したい。
それにしても、と思いながら手元の資料を見やる。遠野を除く関係各所には連絡済みだと今朝方緋衣から電話が来たが、鶫本人としてはまだ少し実感が湧かない。――まさか、自分が外国へ行くことになるなんて思ってもいなかったのだ。
そう、結局鶫は緋衣の懇願を断り切れず、イギリス行きを了承してしまったのだ。
いや、最初はきちんと断ろうとしたのだ。けれど二十代半ば――教師の涼音と同年代の大人の駄々は、まだ高校生の鶫には捌ききれなかった。
単純に緋衣のことが可哀そうになったのと、あの手この手を使ったお願いにこちらが折れるしかなかったのだ。
……そして説得の最中に緋衣にすがるようにしがみつかれた時は、中身が男だと分かっているのに少しドギマギしてしまったことが悔しい。
そんな形振り構わない姿に思わずプライドは無いのかと叫んだら、「ヒラヒラしたスカートを穿いて戦っている時点でそんなモノは捨てた」と真面目くさった顔で言われた。……その返しはこちらにも効くのでやめて頂きたい。
そんな事情もあり、渋々外国行きを了承した鶫は、緋衣からある程度の説明を受けた上で此処にやってきたのだ。
……けれど此処に来るにあたって、最大の問題は千鳥に対する説明だった。急な外泊程度ならいつもの事なのだが、運が悪いことにこの日は千鳥と出かける約束をしていたのだ。流石にこのタイミングのドタキャンは不自然である。
緋衣と別れた後、千鳥にどう説明をしたものかと頭を悩ませながら帰った鶫だったが、偶然なことに千鳥も政府から急な仕事を任されたらしく、二日ほど家を空けることになったらしい。
ホッとした……と言うには少しアレだが、誤魔化す必要がなくなったのはありがたい。
「――それにしても、イギリスのロンドンに出没する魔獣の
そう言って、鶫は手元の書類を見た。
イギリスから依頼を受ける形で実現した魔法少女の海外派遣――その先駆けに選ばれたのが、遠野と雪野だったのだ。まあ、雪野はそれを鶫に押し付けたわけだが。
「私も詳しくは聞いていないけれど、あちらから再三の打診があったそうよ。最初はイギリス軍が相手にしていたみたいだけれど、どうやら手に負えなくなったみたい」
そう言って遠野は憂いを含んだため息を吐きながら話し始めた。
――報告によると、ふた月ほど前からロンドンで週に一回のペースで、同じ場所に同じ魔獣が現れるようになったらしい。
その魔獣は最初からB級程度の力を有しており、毎回現れるたびに時間経過による消滅まで軍が対応に当たっていたが、魔獣は現れるたびに力を増していき、現在は都市が半壊する事態に陥ってしまっているそうだ。
魔法少女もおらず、修復の結界すら使えないイギリスにとっては頭の痛い事態だろう。
最初は日本の政府も魔法少女の派遣を渋っていたが、色々な政治的背景や裏取引があり、今回の派遣が決定したらしい。
……魔法少女にとっては完全に厄介事でしかない。回りまわって国の為になると思えば多少は耐えられるが、それでも気は重い。
鶫は小さく溜め息を吐きながら頭を振ると、話題を変えるように話し始めた。
「でも、同じ場所に同じ魔獣が出てくるなんて珍しいですね。イギリスでは魔獣の出現の仕方が違うんですか?」
日本の場合、そんなケースは滅多にみられない。場所も出てくる魔獣も基本的には全てがランダムなのが普通だ。イギリス特有のイレギュラーなのかと思ってそう問いかけると、遠野は軽く指を口に当てながら考え込む様に言った。
「さあ? でも専門家が言うには、倒しきれなかった魔獣の残留思念が残っていて、それを核に同じような魔獣が出現しているのではないかと言っていたわね。まあ元々イギリスは比較的魔術要素が強い地域だから魔獣が下りてきやすいのよ。日本と違うことが起こってもそんなに不思議ではないわ」
遠野はそう言うと、ばさりと雑に資料を机の上に放り投げた。……どうやら遠野もそこまで今回の討伐に乗り気なわけではないらしい。
そして遠野は鶫の方に向き直ると、首を傾げながら口を開いた。
「それにしても、よく契約神の許可が取れたわね。葉隠さんの神様は海外派遣に反対していたはずでしょう?」
「あくまでもキリスト教圏は、ですけどね。……今回はその、雪野さんの手回しが上手くいったので」
そう言って、鶫は困ったように頬をかいた。
幸い……というよりも用意周到なことに、緋衣は鶫を説得している段階ですでにベルに交渉して許可をもぎ取っていたらしい。
だが、あのベルが無条件でこんなことを許可するはずがない。ベルと緋衣の契約神との間に何らかの取引があったのだろうが、ベルが話してくれない限りはそれが何なのか分からない。まあ、神様同士で話が出来ているならば鶫としても文句はないが。
――イギリスの魔獣が現れるのは、明日の早朝。予定としては今日の午後に説明会を開き、夜に集団転移でイギリス政府指定の場所に飛び、向こうで一泊し時差の調整をして魔獣を迎え撃つ予定だったらしい。
ちなみに本来外国へ入るときに必要なビザなどは緊急時ということで免除されるそうだ。まあその辺は管轄外なので割とどうでもいいのだが。
「今さらで申し訳ないのですが、今回雪野さんの代役は私――葉隠桜で良かったんですか? あえて雪野さんを選んだということは、何かその、あの人の頭脳を借りるようなことがあったのでは?」
――代役を引き受けた後、よくよく考えてみたが本当に自分が代わってしまってもよかったのだろうかと不安になった。きっと緋衣ならば何ヶ国語くらいなら簡単に話してみせるだろうし、現地とのコミュニケーションだって問題はなかっただろう。そういった意味で緋衣が呼ばれていたならば、鶫の出る余地はない。
……それに恐らくは通訳の人が付いてきてくれるだろうが、英語なんてほとんど分からないんだけど大丈夫なんだろうか。
そもそも鎖国の体制を貫いているこの国では、第二言語の習得はあまり推奨されていない。かつては必修科目で英語があったらしいが、今ではその教科は神話伝承関係に変わってしまっている。
千鳥のように外国の文学が好きだったり、興味を持ったりしない限りは外国語を学ぶ機会が無いのだ。
鶫が不安に思ってそう問いかけると、遠野は小さく笑いながら口を開いた。
「まあ、出来ればパートナーは雪野さんの方が良かったわね。でもそれは、ただ単純にあの子の方が
「はあ、それは別に気にしてませんけど。雪野さんは序列二位な訳ですし」
葉隠桜が十華の中で一番下なのは事実だ。別に怒る理由はない。
鶫が不思議そうな顔をしていると、遠野は「そういう意味じゃないのよ」と言って話し始めた。
「十華だとか、序列とかは関係ないわ。私が思うに、結界の外で雪野さんに敵う魔法少女は一人もいないのよ。――私も含めてね」
「雪野さんがですか?」
鶫はそう言って首を傾げた。確かに空気を操作する能力は強力かもしれないが、一番かと言われると断言できない。
そんな怪訝そうな鶫を見て、遠野は小さく首を振った。
「そういえば葉隠さんが雪野さんの力を直接見たのは、柩さんの事件の時だったわね。あの時の雪野さんは苦戦していたようだけど、もし柩さんの命を度外視していたら一瞬で片が付いていたと思うわ。――だってあの子、対人戦なら敵はいないもの」
そう言って、遠野は資料の裏にペンで何かを書き出した。円グラフのようにも見える。
「大気に含まれる酸素は21%、窒素は78%――雪野さんはこの濃度すら簡単に操れる。知ってる? 人は酸素が6%以下の空気を吸うと一瞬で昏倒するのよ。初見ならまず勝てないわ。まあ、肺に魔獣が巣くっていた柩さんにこれを使っていたらそれこそ命が危なかったでしょうけど。最悪の事態にならなくて良かったわね」
「……そうですね」
鶫は静かに頷いた。あの時、雪野が柩を助ける為に動いてくれて本当に良かったと思う。
「それに雪野さんは、やろうと思えば結界の中じゃなくても気体の爆発で街の一つくらい簡単に吹き飛ばせるのよ。……そもそも私たちとは立っている土台が違うのよね。他の魔法少女は地道にがんばって強くなっているのに、あの子だけ化学の実験をしているんだもの。味方だと思えば頼もしいけど、敵になったらと思うと恐ろしいわ」
遠野はそう言うと、クルクルとペンを回した。どうやら説明はこれで終わりらしい。
「雪野さんが思っていた以上にヤバめなことは分かりました……。確かに雪野さんがいれば討伐も楽に済んだでしょうね」
「本人が来れないと言ってるんだから仕方ないわ。その分、葉隠さんには働いてもらう予定ではいるけれど」
そう告げて遠野は開いた資料を指さした。そこには、今回の戦いでの注意事項が書かれている。特筆すべきはこの二つだろうか。
・天照様の権能の範囲外により、結界は使用不可
・能力の底上げの為に、魔核の増強剤を支給する
……何とも不安になる内容だ。
鶫が無言でそれを見つめていると、遠野が補足をするように話し始めた。
「今回のケースでは天照様の結界は機能しないの。結界内スキルは封じられ、基本スキルのみでの戦いとなる。つまり例の遊園地とは逆のパターンね。共闘を前提とした戦いになるわ。ふふ、初めての共同作業がんばりましょうね」
「遠野さん、この増強剤というのは何でしょうか」
遠野のからかう様な台詞は完全にスルーし、鶫はそう問いかけた。すると遠野は不満そうに口を尖らせ、拗ねた様に言った。
「もう、意地悪なんだから。少しくらい冗談に付き合ってくれてもいいじゃない」
「遠野さんの冗談はちょっと心臓に悪いので……。そういうのはお友達相手にやって下さいよ」
この会話が外に漏れたら遠野の
――そうして、遠野はとんでもないことを口にした。
「――友達なんて一人もいないわ」
「えっ」
「つまり私は、冗談の一つも言ってはいけないのね。とっても悲しいわ、泣いてしまいそう」
遠野は悲し気に目を伏せると、情感たっぷりにそう告げた。
「葉隠さんのことはよく
「あの、えっ、は?」
何故か鶫が責められる流れになり混乱していると、遠野はつつ、と鶫の手の甲を妖しく指でなぞりながら赤い唇を開いた。
「葉隠さんは、私と仲良くするのは嫌?」
「い、嫌ではないです……」
「じゃあ私とお友達になってくれる?」
「いやでもそれとこれは……」
「なぁに? 聞こえなかったわ。もう一度私の目を見てしっかりと言って?」
そう言って、遠野はじっと鶫のことを熱っぽい目で見つめてくる。
なんだこの状況は、と鶫は心の中で誰かに助けを求めたが、この会議室には遠野と鶫の二人きりしかいない。実質的な詰みである。
そして一分ほど見つめ合った後、鶫は耐え切れずにそっと目を逸らしながら小さな声で「ハイ」と答えてしまった。
十華ナンバーワン、美しさの暴力に鶫はあっさりと陥落したのである。いくら得体が知れない人とはいえ、色っぽいお姉さんの誘惑に敵う男の子なんていないのだ。
すると遠野はパッと嬉しそうな笑顔を浮かべ「じゃあ早速連絡先を交換しましょうか。私たちはお友達だものね!」と携帯を取り出し始めた。
――今度は何を企んでるんだろうなぁ。面倒事じゃないといいんだけど。
そう諦めた様に考えながら、鶫は請われるがままに自分の携帯を取り出した。……最近、自分の周りに押しが強い人が多い気がする。
別にそこまで意志が弱いつもりはないが、相手が仲間――それも格上の人間だと頼み事も断りにくい。なんだかなぁ、と思いつつ連絡先を交換しているとガチャリと会議室のドアが開いた。
そうして会議室の中に入ってきたのは、思いもよらない人物だった。
それを見た鶫は、呆然としながらその人物を見つめた。
「――こんにちは。イギリスでの通訳として呼ばれたんですが、部屋はここで合っていますか?」
金色の髪に、エメラルドのような緑の瞳。キリスト教の平服を身に纏った
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