第142話 雪華の懇願

 ふふん、と薄い胸を張る緋衣――雪野雫に対し、鶫は混乱しながらも大声を出さないように手で口を塞いだ。


 驚愕の事実を目にしたことへの衝撃もあるが――それなりに仲良くしていた女の子の中身が、顔見知りの男だったことが割とショックだった。正直、目の前で変身を目にしてもまだ信じがたい。


「なんだ、思っていたよりも薄い反応だな」


 緋衣は鶫の反応がつまらなかったのかぼやく様にそう呟くと、雪野の姿のまま椅子に座った。どうやらまだ変身を解くつもりはないらしい。……服が肩からずり落ちそうなのだが気にはならないのだろうか。


「いや、衝撃があまりにも強すぎて。そっか、緋衣さんが……それは、うん……」


 そう答えながら、鶫は言葉を濁した。正直に言うとドン引きした気持ちを吐き出したいのは山々だが、自分も似たような物なので言葉に出すのは自重する。


 そうしてやや気持ちが落ち着いてきた鶫は、緋衣の姿をまじまじと見つめた。

 自分という前例があり、女の子に変身しても顔はそんなに変わらないという先入観があったのは確かだ。けれど緋衣と雪野は顔は少し似ているが、鶫と葉隠桜のようにそっくりというわけではない。


 でもまさか雪野の中身が緋衣だとは思わなかった。……何かもっとこう、たとえ男だったとしても中身はきっと可愛らしい感じの男の子だと思っていたのに。そちらの方が精神的なダメージはまだ少なかった。


 そして鶫は、雪野とも親しく接している日向のことをふと思い出し、少しだけしょっぱい気持ちになった。

 日向とは柩の事件以降、雪野も含めて十華の中ではそれなりに仲が良い方なのだが、その内の二人が男だと知ったら日向はどう思うだろうか。


……火が付いたように怒り出す姿が目に浮かぶ。これはもうバレたら罵倒だけじゃすまない気がする。


 そんなことを思いつつも、鶫は気を取り直すように口を開いた。


「ええと、その、緋衣さんはどうして魔法少女になったんですか? まさか自分を実験台にするつもりで……?」


 緋衣――雪野雫は元々在野の魔法少女だった。それはつまり神様から魔法少女になることを持ち掛けられ、緋衣がそれを受けたことになる。


 だが、緋衣が何故その申し出を受けたのかは全く分からない。

 緋衣は有能な研究者だ。地位も権力もお金だって全部持っているはずだ。だからこそ、そんな彼が魔法少女になるなんて研究以外の理由が見当たらなかった。


……もしそうだとすれば、なんという学者根性だろうか。とてもじゃないが真似はしたくない。


 鶫がそんなことを考えながら問いかけると、緋衣は分かりやすく嫌そうな顔をして首を横に振った。


「そんな訳ないだろう。僕はそこまで自分の体を張るつもりはない。契約したのはただの成り行きだ」


「成り行き?」


 鶫がそう聞き返すと、緋衣は憮然とした顔で頷いた。


「徹夜明けで意識が朦朧としていた時に、幻聴相手に適当な返事をしたら契約したことになっていた。……まさかあの時は自分に神が話しかけてくるなんて思いもしなかったからな。油断していた。……おい、そんな可哀そうな物を見る目で僕を見るな」


……想像以上に下らない理由だったので、何と答えていいか分からなかった。少なくとも魔法少女に夢を抱いている子供たちにはとても聞かせられない。


「それはその、お気の毒ですね」


 鶫が目を逸らしながらそう告げると、緋衣は不満そうに腕を組みながら口を開いた。


「ふん、僕だって間抜けなことをしたのは分かっているとも。だがそんな事をいまさら言ってもしょうがないだろう。報奨金で研究費が潤沢になったのは唯一の救いだがな。……まあ、判断力が鈍っている時に行動するべきじゃないというのは嫌というほど学習したさ」


 そう言って緋衣は小さくあくびをした。……対面で話している鶫としては、今の緋衣も相当判断力が鈍っている状態に見えるのだが。本当に大丈夫なんだろうか。


「それで、君は何故魔法少女になったんだ?」


「え?」


「僕が話したんだから、次は君の番だろう。それともなんだ、ここまできてまだ惚けるつもりなのか?」


 そう呆れたような顔をして話す緋衣に、鶫は諦めたように小さく息を吐いた。

――相手がここまで腹を割って話してくれているのだ。向き合わないのは流石に不誠実だろう。そう思いながら、鶫は重い口を開いた。


「俺が魔法少女になったのは――」


 そうして鶫の事情を一通り聞いた緋衣は「そうか。在野にはありがちな理由だな。それでも僕よりはマシだが」と零した。


 緋衣曰く、鶫のように死にかけるまではいかないが、結界事故に巻き込まれてなし崩しで契約を受けてしまう例は多いらしい。

……きっと神様側も、自分が優位に立てるタイミングを狙って声を掛けているのだろう。ずるいなぁ、とは思うが、神様だって慈善事業をしているわけではないので仕方がない。


 政府としても結界事故が起こらないように対策はしているらしいが、適正持ちは一人ひとり勝手が違うため中々根絶は難しいそうだ。


「ふむ。君が魔法少女になったのは何らかの意図・・・・・・が働いた結果だと思っていたが、その様子だとどうやら偶然のようだな。話を聞くに、君の契約神は腹芸が出来るタイプだとは思えない。残念だな、何か進展があると思ったんだが」


「……緋衣さんはベル様のことを疑ってたんですか」


 鶫がムッとしながらそう言うと、緋衣は苦笑しながら答えた。


「正直に言うと今も少し疑っている。ああ、そんなに怖い顔をしないでくれ。君との話で疑念は大分なくなったが、実際に君の契約神と話さないことには答えは出せない。――悪いがこれは性分でね。僕は自分で見聞きしたもの以外は簡単に判断しない様にしているんだ。情報は人を挟むと変化してしまうからな」


 緋衣はそう言って肩をすくめた。……そんな風に言われてしまうと、こちらは反論のしようがない。鶫は小さくため息を吐いて目を伏せた。


「まあ別にそこまで気にしてませんけど。ベル様はともかく、俺の場合は色々と疑われても仕方ないですから」


 鶫が魔法少女になってしまったのはただの偶然だが、鶫の場合後ろ暗い過去が多すぎるので疑われても文句はいえない。むしろ鶫の過去を知っている者からすれば「今度は何を仕出かすつもりだ」と思う方が正しい。


 きっと相手が緋衣だからこの程度の軽い疑いで済んでいるのだろう。もしこれが別の人――疑わしきは罰せよ、といった考えの人間だったらと思うとゾッとする。


「君の生い立ちははっきり言って異常だからな。しっかり自分で調べて疑いを晴らすといいさ。ああ、引継ぎの手続きは僕がちゃんとやっておくから気にしなくていいぞ」


「あ、それはもう決定事項なんですね……」


「当たり前だろう。君は僕を過労死させるつもりか? もしそんな事になれば人類の損失になるぞ」


 そんな軽口を叩きながらも、緋衣は時折眠そうにしながら目を擦っている。流暢に話しているように見えるが、眠気はそろそろ限界なのかもしれない。


「あの、俺が言うのもなんですけど、緋衣さんはもっとちゃんと休んだ方が良いのでは? 大学で研究もして、十華のシフトにも出てるんでしょう? 仕事のしすぎですよ」


 今回の件といい、この人は睡眠が足りてないと色んな意味で碌なことにならない気がする。生活をサポートしてくれる人材を雇った方が良いんじゃないだろうか。


 鶫が気遣うようにそう言うと、緋衣は苦虫を噛み潰したような顔で話し始めた。


「そんな事ができるならとっくにそうしている。これも、僕がどれだけ多忙か知っているくせにガンガン仕事を振ってくる政府と遠野が悪い。――正直僕はもう今すぐにでも魔法少女を引退したいんだが、今は政府に所属しているとはいえ、契約したのは在野の時だったからな。腹立たしいことに契約神の許可が下りないと辞められないんだ」


 そう言って、緋衣は苛立たしげにドンと強く机を叩いた。相当腹に据えかねているらしい。


 鶫が「もしかして日々の愚痴を聞かせるために呼ばれたのかな?」と疑い始めたその時、緋衣はちらりと鶫を見上げて静かな声で言った。


「――さて、これで僕がいかに多忙か分かってもらえたと思うんだが、どうだろうか」


「いや、どうだろうかと言われても……」


 質問の意味が分からず、鶫は困ったように首を傾げた。……何だか嫌な予感がする。


「君はさっき僕に『仕事のしすぎ』だと言ったな。僕だって本当にそう思っている」


 そして緋衣は、白衣のポケットから強い力で握りつぶされたかの様にグシャグシャになった白い封筒を取り出した。


「何ですかこれ。手紙ですか?」


「今朝方、君に連絡をする前に遠野が【雪野雫】に持ってきた指令書・・・だ。そう――この僕が必死で政府の案件をこなしている時に、あの女は追加で厄介事を押し付けてきたんだ」


 あまりにも深い怒りと怨嗟の念が籠った声音でそう言いながら、緋衣は封筒をトントンと指で叩いた。


 それを聞いた鶫は、やっぱり遠野さんってヤバい人なんだな、と思いながら「うわぁ……」と引いた声を出した。


 すると緋衣は無言で鶫のことをジッと見つめ、ニコリと綺麗に笑った。そしてするりと自然な動作で鶫の手を取りながら縋るような目で鶫のことを見つめると、憐れを誘うか細い声で話し出した。


「僕のことを少しでも可哀想だと思ったか? ああそうだろうとも。普通の神経をしているのであれば、こんな哀れな僕のことを見捨てるなんて出来るわけがない」


「は、いやあの、何で手を」


「葉隠桜には明日予定が無かっただろう? ――七瀬くん。君を同志、いや友と見込んで頼みがあるんだ」


「あ、嫌です。聞きたくないです。――くっそ、全然離さないなこの人!! まさかそれが本題か!!」


 面倒事の気配を察知した鶫は手を振りほどこうとしたが、思った以上に強い力で掴まれていて全く振りほどけない。まるで、獲物を逃がさんとする獣のようにしがみ付いてくる。


 そうして緋衣は、死を告げる天使のような厳かな声で言った。


「頼む。明日の十二時、――僕の代わりに遠野とイギリス・・・・に飛んでくれ」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る