第135話 黄金の女神

「――よきかな。わらべの幼気な愛もまた美しい」


 虎杖の頭の中に響くその声は、どこか感心したような声音でそう言った。真っ暗な部屋の中で、キラキラと輝く黄金色が視界の端を掠める。


「だ、誰……?」


 虎杖は怯えたような声を上げた。何故か先ほどまでいた大人たちの姿はどこにも見えず、声も聞こえない。一体何が起こっているのだろうと震えていると、謎の声が虎杖に優しく語り掛けるように告げた。


「妾は愛と死と豊穣を司る神なりや。そう、此処では『ヴォルヴァ』とでも名乗っておこうか」


 そしてヴォルヴァと名乗った何かは、黄金の球体のような形で虎杖の前へと姿を現した。ふわふわとした野球ボールほどの大きさの綿毛のようなそれは、ゆらりと揺れながら言葉を紡ぐ。


「ぬしらの願い、この妾が叶えてやろう。なあに遠慮はいらぬ。今の妾はとても機嫌が良いのでな」


「本当ですか!?」


 いかにも怪しいその提案に、食いつくように虎杖が声を上げた。黄金の神は縦に揺れながら「ああ」と答えた。


「ただし条件がある」


「条件、ですか?」


「――そうさね、お前たちには一つだけ妾の願いを聞いてもらおう。ふふ、気負わずともいい。幼子にも出来る簡単なことしか頼まぬとも」


 そう殊更優しく告げる声に対し、虎杖は少しだけ怪しいと思ったがこの神の提案はそれ以上に魅力的だった。

 だが、それも無理はない。藁にでもすがりたい時に手を差し出されたら、誰だって掴んでしまう。――その手がどんなに汚れたモノだったとしても。


……もしこの時柩や鶫が一緒にいたとしたならば、あまりの怪しさに今にも契約を結ぼうとする虎杖を必死で止めたことだろう。だがそんなもしもを語ったところで、今さらどうしようもない。だって――彼女は選んでしまったのだから。


「……本当に撫子ちゃんを助けてくれるの? 傷もみんな治してくれる?」


「ああ勿論だとも。さあ、こちらに手を伸ばすといい」


 そう言って黄金はふわりと虎杖に近づいた。


――撫子ちゃんが助かる。大事な友達が死ななくて済む。それさえ保証してくれるなら、自分はどんなに苦しくても何だってできる。だってそれくらいの覚悟は、もうとっくに出来ていたから。


 虎杖は少しだけ迷う様に目を伏せ、夢路の白い手をぎゅっと握った。そして何かを決意した様に顔を上げると、ゆっくりと自身の右手を黄金に向かって伸ばした。今にも光に触れようとした瞬間、虎杖は叫ぶように言った。


「条件を呑みます!! だからっ、だから撫子ちゃんを助けてください!!」


「ああ、約束しよう。――互いにな・・・・


 じわじわと燻るような不安は消えないが、それでも後悔はしていない。自分自身納得しての決断だった。けれど何故だろうか――口なんて無いはずのその球体が、哂っているような気がした。


――そして虎杖の宣言と時を同じくするように、夢路も黄金の神の手を取った。どんな無理難題を言われたとしても、死ぬよりはマシだと自分を納得させながら。


 かくして此処に契約は結ばれた。

 まだ生きていたいと願ってしまった少女と、何を犠牲にしても友を救いたかった少女。その純粋で切なる想いは確かに届いた。――けれど何かを得るためには、対価が必要だ。それが奇跡・・の代償ならばなおのこと。


 黄金の球体――ヴォルヴァはくるくると虎杖たちの周囲を回りながら、金色の粉を落しはじめた。

すると止まり始めていた夢路の呼吸が、ゆっくりと通常の状態へと戻っていく。そして青褪めていた顔に赤みが差し、健康的な色へと変わっていった。


「撫子ちゃん?」


 虎杖がそっと夢路の手首を触ると、脈が力強く打っているのが良く分かった。


「よかった……。本当によかったッ……!!」


――ああ、ちゃんと生きている。

 すうすうと穏やかに眠る夢路を見て、虎杖は心底安堵した様に息を吐いた。気が緩んだのか、全身からどっと疲れが襲ってくる。

 虎杖がぐったりとベッドにもたれかかっていると、ヴォルヴァがふわりと顔のすぐ側に近づいてきた。


「そう案ぜずともよい。この娘も明日には目を覚ます。――して、妾の願いの件だが」


「は、はい。あの、私は何をしたらいいんでしょうか……?」


――神様の願い事。一体どんなことを言われるのだろうか。そう考え虎杖が身構えた瞬間、金縛りにあったように突如として体が動かなくなった。


 はくはくと口を開けて声を出そうとしても、微かな空気が出るばかりで音が出せない。虎杖が助けを求めるようにヴォルヴァを見上げると――黄金の球体はおかしそうに笑みを浮かべていた。


 球体に真一文字の溝が現れ、それが口のように両端を吊り上げて笑っている。まるで、愚かな虫けらを嘲笑うかのように。


 ヴォルヴァはぐいっと虎杖に近づき、囁くような声で言った。


「なに、簡単なことだとも。――その体、妾に貸して・・・おくれ」


 そう言うとヴォルヴァはその身をビー玉ほどの大きさに縮め、虎杖の口の中に飛び込んできた。


「――ッん、あっ!?」


 避けることも出来ず、黄金の球体を飲み込む。するりと虎杖の中に入り込んだ球体はじわじわと熱を持ち――やがて虎杖の意識を刈り取った。


 それと同時に部屋の電気が復旧し、立ったまま意識を失っていた医師達が動き始めた。どうやら停電している間の記憶はないらしい。急な意識の空白にぼんやりとしていた医師達は、すっかり回復している夢路を見て、なんだ、これはどうなっている、と俄かに騒ぎ始めた。


 医師達が困惑している中、気絶するようにベッドに倒れ込んでいた虎杖は、無言のままゆらりと体を起こした。

 そして自分の両手を目の前に掲げ、両手を開いたり閉じたりといった行動を何度か繰り返しながら、ぽつりと呟くように言った。


「ふむ。――悪くはないな」


 そう言って、虎杖――その中に入り込んだ神はニヤリと笑った。

 幼子を騙すような真似は少々心が痛むが、最初に契約内容をきちんと確認しない方が悪い。まあ、悪い様にはしないさと神はほくそ笑んだ。


「器の強度を考えると、行動時間は一日三時間程度が限界だろうが致し方ない。しかしながら、これは長く楽しめそうであるなぁ」


――都合のいい人質もいることだし天照も下手には動けんだろうな、と眠る夢路を見ながら神は囁くように言葉を続けた。

 虎杖には身体を、そして夢路には命を対価とさせた。規定違反で天照が神――ヴォルヴァと名乗っている存在を排除しようとすれば、ヴォルヴァによって死の運命を捻じ曲げられた夢路も命を落とす。表向きには清廉潔白を気取るおぼこい女神には荷が重いだろうよ、と神は笑った。


奴ら・・との契約が終わるまではと我慢していたが、これ以上はもう潮時であろうな。最低限の義理は果たしたのだから、妾は先に抜けさせてもらうとしよう。――それに、これ以上はただの無粋だ。ふふ、一体誰の『愛』が勝つのやら。肉の体でしっかりと見届けるとしよう」


 そして気まぐれな神が、折角だから何か現世の食べ物でも食べに行くかと立ち上がった瞬間、誰かが部屋の中に駆けこんできた。どうやら部屋に充満する異様な空気を感じ取ったらしい。その駆けこんできた人物――柩藍莉は虎杖の姿をしたモノを睨み付け、叫ぶように言った。


「叶枝ちゃん!? ――お前、一体彼女たちに何をしたの!!」


「……やれやれ、面倒ごとが増えた」


 今にもこちらに掴みかかりそうな柩を見て、どうやら遊びに行くのはまだ先になりそうだ、とヴォルヴァは大きな溜め息を吐いた。


「まあ落ち着きやれ、夜叉の巫女。妾は別にこの童らを害するつもりはない。それとも説明が必要かえ?」


「貴女が一方的に告げる言葉を信じろとでも? 笑わせないで」


「ならばこの話は終いだ。とっとと去ね。力を失った巫女に凄まれたところで痛くも痒くもないわ」


「くっ、それは……」


 そう言って興味を失ったように柩を見るナニカに、柩はどうするべきかとたじろいだ。

――ここが病院でさえなければその場で政府に連絡を入れることが出来たのだが、電源を切ってしまっていたのでそれも出来ない。


 この場で電源を入れ、多少の危険を冒してでも政府に連絡を取った方がいいのは分かっているが、油断した隙に目の前の何かが虎杖の体をもって逃げ出す可能性も捨てきれない。そう考えた柩は、迷いながらも渋々といった形で近くにあった椅子に腰かけた。


 そんな複雑な表情をした柩を鼻で笑いながら、ヴォルヴァは朗々と話し始めた。



「さて、何から話すとするか――」





◆ ◆ ◆





 そうしてヴォルヴァは淡々と柩に経緯を説明してみせた。


 夢路が力尽きて死にかけていたこと。嘆く虎杖を見てヴォルヴァが善意・・をもって二人と契約を結んだこと。奇跡の対価に釣り合うものを貰わなければならなかったことなど、平気で嘘を織り交ぜつつ自分に都合がいい説明した。別に本当のことを語る必要もないと思ったからだ。


 だがそんなことを知らない柩は、ヴォルヴァの言葉を疑いつつも、健康そうに眠っている夢路を見て「もしかしてこの人の言うことは本当なんじゃないか」と信じ始めていた。


そしていくつかのやり取りとした後、柩は難しい顔をして「……少し頭を冷やしてきます。貴女のことは信用できませんが、誠意があることは理解できました。処遇が決定するまで、絶対にここから動かないで下さいね」と告げて部屋から出ていった。おそらくこの件が自分の裁量を超えていることを悟り、政府に伺いを立てに行ったのだろう。


 その背中を見送りつつ、「やれ、飼い犬は大変よなぁ」と呆れたように呟きながらヴォルヴァは面倒そうに上を見上げた。


「――興が削がれた。あの雛鳥・・が来るまで休むとするか」


 ヴォルヴァはそう呟くと、目を閉じて力を抜いた。――この契約がある以上、いつでも干渉することは出来る。そう考えたヴォルヴァは虎杖の精神の奥深くに潜り、溶けるようにして消えた。


 すると肉体の主導権を取り戻した虎杖が目を開け、寝ぼけたように周りを見渡した。


「あれ、わたし何をしていたんだろう……。確か神様が……」


 そう言ってぼんやりとした頭を押さえながら、虎杖は辛そうに呻いた。――金色の光が目の前に迫ってきた時からの記憶が思い出せない。神様、と問いかけるように声を掛けても何も反応がなく、気配も感じ取れない。


 不思議に思いながらも、虎杖はそっと目の前にある夢路の手に触れた。


「……あったかい」


 その温度に安堵を覚えながら、虎杖はゆっくりとベッドに頭を預けた。何故かは分からないが、どうしようもなく体が疲れ切っていたからだ。静かに目を閉じ、小さく息を吐きだす。


――夢、だったのかな。でも撫子ちゃんが無事なら何でもいいや。


 そんなことをうつらうつらと考えながら、虎杖は眠りについた。――柩に詳細を聞き、息を切らした鶫が病室に駆け込んでくるまであと数十分。ささやかな安寧の時間の始まりだった。


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