第117話 生きた天災

 それから数時間の待機の後、鶫はふと空が揺らぐ気配を感じた。


――A級の魔獣の顕現だ。


 それと同時に職員の指示を受け、魔法少女――白木が黒く歪んだ空の下へと駆けだしていく。そして瞬く間に結界を張り、鏡合わせの世界へと消えていった。


 鶫と風車はそれを確認すると、魔獣との戦闘が見られる写し鏡の前へと移動した。大きな鏡を覗き込みながら、風車は目を細めてぽつりと呟くように言った。


「これは、黄土色の蛇?」


「いえ、蛇ではないですね。――全長はおよそ五百メートル。空を悠然と泳ぐ姿。大きな角に足の様な物から生える鉤爪。この魔獣はアジア方面の伝承でよくみられる『龍』の姿に酷似しています」


 風車の言葉に、写し鏡を観測している職員がパソコンを叩きながらそう答えた。


「龍ですか。そうするとやはり暴風を操ったり、雷を落したりするのでしょうか」


 鶫がそう問いかけると、職員は難しい顔をしながら口を開いた。


「伝承通りならそうでしょうが、これに関しては戦ってみなければ分かりませんね。……伝承の様に弱点――逆鱗が存在しているなら楽なんですが、相手はA級の魔獣ですからね。色々と異なる部分が出てくるかもしれません」


 その言葉に、鶫はなるほどと頷いた。確かにA級の魔獣は伝承や神話を元にした魔獣が出てくることが多いが、その特性までが伝承と一致しているとは限らない。


 かつて鶫がシミュレーションで戦ったミノタウロスの迷宮などがいい例だろう。あの迷宮は神話では天井が無い吹き抜けで、決して暗闇の迷宮などではなかった。

 それに加え、あまり多くの例は確認されていないが、全く異なる伝承の生物が合わさった魔獣が出てくるケースもある。警戒は必要だろう。


「白木の能力は、確か『槍』と『土』。空飛ぶ魔獣とは相性が悪い。――まあ、何らかの対策はあるかもだけど」


「はい。彼女はその辺りの弱点は改善済みです。そうでなければ、A級戦の許可なんて下りませんから」


 ほら、と言う職員の声に釣られて、写し鏡を見る。するとそこには、操った土を踏み台にして空に向かって駆け上がる白木の姿が映し出されていた。


 白木は軽快な足取りで龍が旋回する空中にたどり着き、身の丈を優に超える大きな槍を振り回している。それに対し、龍は緩慢な動きで生み出した風と雷を駆使して反撃をしているようだった。どうやら能力は鶫の予想した通り伝承そのもので合っているらしい。


――だが、想定していたよりも龍の攻撃の威力が低い。最初は嵐の様な暴風を想定していたが、どうやら天候を変えるほどの威力は無いようだった。まあA級の魔獣の中でも力のばらつきはあると聞いているので、この魔獣はそこまで強い方ではないのかもしれない。


 それから数分の間、鶫は黙ってその光景を見つめていたが、今のところ戦況は白木が有利なように見える。この調子ならば、龍の逆鱗――もしくは魔核そのものを貫くのもそう遠くないかもしれない。


「うんうん。この調子なら私と葉隠桜の出る幕はない。よし、撤収の準備をしよう」


「まだ早いですよ風車さん。でも、本当に良かったですね。何事もなく終わりそうで」


 鶫は微笑んでそう答えた。指令を受けた当初はA級の魔獣と戦ってみたい欲が少しあったが、誰も死なないで済むならそれに越したことはない。それにこの戦いが終わればA級の魔法少女が一人増えることになる。戦力のことを考えればそれは十分に喜ばしいことだった。


「そういえば、風車さんには苦手なタイプの魔獣はいますか?」


 写し鏡を見つつ、少しだけ気を抜いた鶫は風車にそんな問い掛けをした。戦況が切迫してるならともかく、今の状態ならば世間話くらいは許されるだろうと踏んだからだ。


 風車は急な問いにきょとんとした顔をすると、肩を竦めて話し始めた。


「増殖型や倒すのに変な条件がある魔獣はちょっと苦手。私の能力――『煙』と『光』はかく乱と一点突破が売り。あ、あと虫は嫌い」


「なるほど。私も増殖型は苦手ですね。ラドンで嫌というほど厄介さを味わいましたから。ふふ、それにしても意外ですね。虫がお嫌いなんですか?」


 鶫がそう揶揄う様に告げると、風車は不貞腐れたように口を尖らせながら小さな声で言った。


「……魔獣みたいな巨大化した奴はまだ平気。石の下のダンゴムシの群れとか、草にくっついた大量の油虫とか、孵ったばかりのカマキリの卵とか、うじゃうじゃ群れてるのは無理。生理的に受け付けない。鳥肌が立つ」


「ああ、確かにそれはちょっと気持ちが悪いですよね。私も子供の頃は平気で触ってましたけど、今はそこまで触りたいとは思わないですし」


 鶫がしみじみとそう答えると、風車は引いたような顔で一歩後ずさると、両手で自分をひしと抱きしめぶるぶると首を振った。


「今、確実に心の距離が開いた。葉隠桜は皆の想像よりもやんちゃだった。解釈違いで泣きそう」


「そんな大げさな……。あ、白木さんが竜の後ろ足を切り落としましたよ」


 風車と子供の様な掛け合いをしつつ鏡を見ていると、白木が竜の後ろ足を切り落としているシーンが映った。龍の胴体から離れた足が真っ逆さまに地面に落ちていく。その光景を見て、鶫は微かな違和感を抱いた。


――あの龍は、血を流さないのか。それに、足を失っても身じろぎもしない。痛覚が無いのか?


 鶫がいままで戦ってきた魔獣の多くは切れば血を流したし、体の一部を切ればそれなりの痛みを感じている様子だった。だが、あの龍にはそれがない。

 そういう体構造の生物だと言ってしまえばそれまでなのだが、鶫にはどうしてもそれが気になった。


 そうしている間にも白木の猛攻は続き、ついに彼女の持つ槍の刃先が龍の首――魔獣の力を強く感じる部位を切り裂いた。首の半分を切り裂かれた龍は、力尽きたかのようにゆっくりと地上に落ちていく。


 その際、鶫は龍の頭に集中していた力がばらけるのを感じとった。どうやら首を切った際に魔核が砕けたらしい。――魔核を砕かれた魔獣は、もう戦うことは出来ない。つまりこの戦いは、白木の勝利だ。


 その光景を見ていた職員たちが、安心した様に呟いた。


「良かった……。これで今回の昇級試験も無事に終わりそうですね」


「そうですねぇ。最近は良いニュースが少なかったので、今回のことはみんな喜ぶでしょうね。白木さんにもお祝いの言葉を送らなくては」


 だが、そう言って朗らかに笑う職員たちを尻目に、鶫は食い入る様に写し鏡の画面を見つめていた。そこには、地上に降りた白木が嬉しそうにガッツポーズをしている姿と、地に落ちた龍の姿が写っている。


 龍は完全に動きを止め、ピクリとも動こうとしない。――だが、この胸騒ぎは何なのだろうか。


 鶫が真剣な顔で鏡を見つめていると、風車が不思議そうな顔をして声を掛けてきた


「何か変なものでもあった?」


「いえ……、刃先が直撃したわけでもないのに、魔核が砕けたことが不思議で」


「確かにA級にしてはちょっと脆かった。でも、魔核が砕けた以上勝ちは勝ち。気にしてもしょうがない」


「まあ、それはそうなんですけど」


 風車にそう諭され、鶫は帰り支度をするために写し鏡から目を離そうとした。


――その時、鏡の端の方で小さな虫のような物が動くのが見えた。見えてしまった・・・・・・・。思わず動きを止めた鶫は、鏡をジッと見つめた。


 それは雑草に埋もれてしまうほどの、小さな虫だった。横たわる龍によく似た黄土色に、黒い模様が混じった羽の生えたイキモノ。そう、それはまるで飛蝗バッタのような――。


 鶫がその考えにたどり着いた時、全身の血が冷えるのを感じた。龍の残骸は白木を囲む様に落ちていて、白木はその中心部にいる。もし、この予想が当たっているならば――白木は決して逃げられない・・・・・・


「……駄目だ、逃げろ」


「んん? 何の話?」


 風車がいぶかしむ様に声を掛けたが、鶫の耳には入らなかった。


 そして鶫は顔を蒼白に染め、白木にこの声が届かないと理解しながらも、鏡に向かって叫ぶように言った。


「そいつは龍なんかじゃない!! 早く逃げないと喰い殺されるぞ!!」







◆ ◆ ◆







 白木蓮は、A級の魔獣――自分が倒した龍の死骸に囲まれながら嬉しそうに笑っていた。


 無理もないだろう。苦節五年、ようやく夢に一歩近づくことができたのだ。


――A級になれば政府からも様々な支援があり、世間からの知名度だって格段に増える。そうすれば、きっと十華にだって手が届くだろう。


「ずっとずっと夢だったの……!! 私も、これで少しは朔良さんに近づけたかな」


 そう言って白木は、うっとりと頬を染めながら空を見上げた。


 白木が魔法少女を志したのは、『朔良紅音さくらあかね』を尊敬していたからだ。

 白木の母親は幼いころに魔獣に襲われ、危ないところを朔良紅音に助けられたことがあると、事あるごとに幼い白木に話して聞かせていた。そんな白木が、刷り込みの様に魔法少女を志すのは必然だったとも言える。


 白木は浮かれていた。――だから気づかなかった。


 黄土色に黒い斑点が混じった龍の体が、ぼろぼろと崩れていく。そして地面に広がったその龍の体――否、龍の体を構成していた飛蝗バッタは羽音を立てて一斉に飛び上がった。


「――え?」


 白木は呆けたように顔を上げたが、その視界は一瞬にして黒に塗りつぶされた。悲鳴を上げる暇もなく、口の中に固い何かが飛び込んでくる。体の外と内側から肉を抉られる痛みを感じながら、白木は思った。


――どうして? 私は、勝ったはずなのに。


 痛みと共に意識が飲まれていく。それは奇しくも――眠りにつく前の感覚に似ていた。






◆ ◆ ◆






「――っく、次の結界の準備をします! 職員の皆さんは配置について! 戦いはまだ終わっていない!!」


 一瞬にして黄土色の塊になってしまった白木を厳しい顔で見つめながら、鶫はそう声を上げた。


「な、何だあれは。バッタの群れ? イレギュラーでもない限り、魔獣は一体のみなんじゃなかったのか?」


 呆然とそんな声を上げた職員に、鶫は冷静な声で答えた。


「どうでしょうね。アレ・・は、あくまでも群体であることに意味があるモノ。こういった形で表れてもおかしくはないのかもしれません」


――群にして個。個にして群。ありとあらゆる食物を喰い尽くし、絶望と恐怖を振りまく生きた災害。悪魔の使いとして何の罪もない神様にその行いの罪を押し付けた、憎むべき敵。


蝗害・・。――自然が生み出した、悍ましい悪魔ですよ」


 鶫は、はき捨てる様にそう告げた。

 あれが龍の形を取って現れたのは、きっと元の存在のままではA級としての格が足りなかったのかもしれない。それを補う様に、龍の特性が追加されたのだろう。本来のバッタは肉は食べない筈だが、あくまでもあれはバッタの形をした魔獣だ。度を越えた悪食でもそこまで違和感はない。


 そして白木の攻撃によって核が砕けたように見えたのは、恐らくフェイクだ。奴らは核をいくつかの個体に優先的に振り分け、その個体を攻撃の瞬間に動かすことによって魔核が砕けたと偽装した。随分と悪知恵がきくようだ。


――いや、そんな考察はどうでもいい。大事なのは、いかにあの害虫どもを殺すかだ。


 そう考えながら、鶫が風車の方へと顔を向けると、風車はキュッと唇を噤みながら真っ青な顔で写し鏡を見つめていた。


……虫が心底嫌いな風車に、このバッタの群れと戦えと言うのは酷かもしれない。仮にも十華である風車がそんな個人的感情で動きが鈍るとは思わないが、ここは鶫が出る方が無難だろう。


「風車さん。今回は私が出ます」


「……ごめん、迷惑かける」


 そう言って申し訳なさそうに頭を下げた風車に、鶫はわざと明るく聞こえる様に言った。


「その代り、無事に帰ってきたら美味しいご飯を食べに連れて行ってくださいね。――約束ですよ」


 鶫がそう告げると、風車は困ったように微笑み、小さく頷いた。


「分かった。凄く高いところを予約しておく。……頑張って」


 その声援に鶫はしっかりと頷くと、職員に声を掛けて外へと飛び出した。結界は既に歪みが生じており、今にも解けてしまいそうな状態だった。


 鶫はほんの少しだけ悼む様に目を伏せると、右手を空に突き出した。その瞬間、鶫の姿が揺らぐように消えていく。


「結界、再展開。――『暴食』の紛い物風情に、でかい顔はさせない」



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