第89話 目隠しと疑念

 緋衣から渡されたファイルには、大火災についての詳細な情報が記されていた。

 被害規模から始まり、最終的な死亡人数。そして火災原因として推測されるモノ。――結論から言うと、政府はあの大火災を一種の人災だと断定していた。


 火災の発生源となったのは、とある宗教施設――『黎明の星』という、当時十四歳だった少女を教主に抱いた団体の活動拠点だった。


 黎明の星は梔尸沙昏が五歳の頃に彼女の親が立ち上げた新興宗教で、その創立理由は『魔獣による犠牲者の苦しみを、神の声が聞こえる巫女の祈りによって和らげる』という、人の心の隙間につけ込むような何とも胡散臭いものだった。


 その信者の多くは、魔獣の襲撃によって家族や親しい人が命を落としてしまった人が主だったが、とくに悪質な被害は確認されていない。怪しい創設理由とは異なり、活動自体はただ真摯に祈るだけで、過剰な金品の要求などはなく、宗教としては比較的真っ当なものだった。


 だがその健全な運営の一方で、裏では一部の信者が奇妙な動きをしていたという記録がある。


 信者の中にはオカルト関係の研究者や、心を病んで辞めた政府の元職員など、際物の人材が少なからず揃っていた。書類の途中に手書きで書き込んであった緋衣の所見としては、それらの人々が教主だった少女を上手く操って組織ぐるみで魔獣の研究をしていた可能性があるらしい。


 当時の生存者がほとんどいない――信者達の多くが大火災で亡くなっており、運よく難を逃れた者も、わずか数か月の間に原因不明の病によって命を落としているため、黎明の星の実態は掴めていないが、たった一つだけ確かなことがあった。偶然燃えずに残っていた信者の手記から、とんでもない事実が発見されたのだ。


――彼らは、人の手によって魔獣を制御・・・・・しようとしていたのだ。


『ついに我々は次元の裂け目を支配できる方法を見つけた。後は巫女様の指示通り、神を迎える準備をするだけだ。――ああ、ようやく人は魔獣に打ち勝つことが出来る。これ以上私の妻の様な被害者を出さないために、この儀式は必ず成功させなくてはならない。そう、絶対に』


 そんな不穏な表記を最後に、手記は途切れている。


 信者たちの一部は、巫女・・のお告げとやらを通じて何らかの【神】を召喚しようとしていた。


――以前にベルが推測していたことは、やはり正しかった。彼らは『神降ろし』をしようとしていたのだ。少なからずとも神と関わっている鶫には、それがどんなに無謀なのかがよく分かる。――元より人間風情が、神を操れる訳が無いのだ。


 彼らが研究していた『魔獣の制御』とは、一体どんな事だったのだろうか。気にはなるが、これ以上の情報はファイルには記されていない。


 そうして鶫が難しい顔をしてファイルを捲っていると、ベルが納得した様に頷きながら口を開いた。


「成る程な。通りであの辺りは臭い・・のか」


「え、何が?」


 鶫がそう聞き返すと、ベルは不快そうに話し始めた。


「あまりも忌々しかったので話すのを忘れていたのだが、以前に貴様の話を聞いた後、興味を惹かれて例の閉鎖地域へ行ってみた。だが其処はそれはもう酷い臭いでな。堕ちた神・・・・があの場に降りたのであればあの臭いも納得だ。それにあの規模の災厄たたりがみであれば、街の一つや二つ飲み込んでも何らおかしくはない。そいつらも馬鹿なことをしたものだ」


 苛立ったようにそう告げたベルに対し、鶫は困ったように口を開いた。


「……でも、彼らの気持ちは分かるよ。魔獣の出現を人間が完全に管理できれば、人が受ける被害はかなり減少できる。まるで夢のような話だ。……結局は、失敗したみたいだけど」


――少なくとも彼ら自身は成功を確信していたのだろう。けれどその結果はあまりにも非情だった。彼らが無責任に神に手を伸ばした結果、多くの人の命が失われ、土地は死に絶えた。


 何よりも救えないのは、彼らに悪意は一切無かったことだ。彼らはあくまでも善意で魔獣を制御しようとしていたはずだ。――これ以上魔獣によって、自分たちの様な悲しい思いをする被害者を出さないために。


――だが、鶫にとって真の問題はそこではない。この資料が全て正しいとするならば、『さくらお姉ちゃん』はとんでもない大罪人ということになる。つまりその弟であるはずの鶫は――加害者側の人間なのだ。


……緋衣がショックを受けると言っていたのは、むしろこの事だったのかもしれない。

 知らない方が良かった、と思わないと言えば嘘になる。けれど、何時までも過去から逃げ続けるわけにもいかない。これが真実だというのなら、黙って受け入れるしかないのだ。


 鶫が眉を寄せて考え込んでいると、ベルは鶫の考えを見透かしたように笑った。


「ふん、貴様も随分と厄介な星の下に生まれたようだな。関係者はほぼ死んでいるとはいえ、貴様のことを知っている奴がいないとも限らない。精々闇討ちには気を付けた方がいいぞ」


「……そうだな。気を付けるよ」


 鶫はげんなりしながらそう返すと、大きなため息を吐いた。


 鶫の事情はともかくとして、問題は千鳥の方だ。ファイルの中の資料を見た限りでは、黎明の星の中で千鳥に似た少女の姿は確認されていない。より大切に隠されていたのか――それとも最初からいなかった・・・・・のか。その二択の答えを知るのが、鶫は恐ろしくて仕方がなかった。


「それにしても、貴様の姉――白兎の契約者の方はやはり確認されなかったか。あの場にいた痕跡も無ければ、写真も証言も見つからない。そろそろ認めてしまったらどうだ? 貴様だって本当は分かって――」


「黙ってくれ。それ以上はいくらベル様でも許せない。……頼むよ、何も言わないでくれ」


 感情を押し殺した声でそう言い放ち、鶫は震える手で胸を押さえた。爪を立てながら痛みを感じることで動揺を抑える。


 鶫は、七瀬千鳥が自分の姉であることを疑ってはいない。けれど、積み重なる証拠がその考えを否定していく。まるで、鶫の甘い考えをあざ笑うかのように。


――答えを出したくないと考えてしまうのは、やはり逃げなのだろうか。

 双子とはいえ、別々の人間である以上、何時か別れがくることは分かっていた。でもそれは決してこんな形ではなかった。


 だから鶫は、明確な証拠が出ない内は気づかないふりをする。目を隠し、耳を塞ぎ、考える事を放棄する。――そうでもしないと心の柔らかい部分が壊れてしまうから。


 そんな鶫をベルは面倒なモノを見る目で見つめると、心底呆れたようにため息を吐いた。


「人という生物は本当に不可解だな。問題を先送りにしたところで結果は何も変わらないというのに」


「人間はベル様と違って弱いんだよ。俺だって例外じゃない。……ただもう少しだけ、時間が欲しいんだ」


――魔獣に挑むよりも、政府のお偉方の前に出るよりも、千鳥に嫌われる方がずっと怖い。だって鶫の世界の中心は、いつだって千鳥という少女なのだから。


 そうして鶫が何かを耐える様に目を伏せていると、チリンと鈴が鳴るような音が響いた。――政府から支給されている端末の呼び出し音だ。


「緊急連絡? 何かあったのか?」


「今日は非番だろう。無視しろ。あまり優しくするとすぐに付け上がるぞ、奴らは」


「そういう訳にもいかないだろ。ええと、通話は……」


 鶫は嫌そうな顔をするベルを宥めながら、鳴り続ける端末を手に取り、きちんと変身をしてから通話を始めた。


「はい、葉隠です」


「ああ、良かった出てくれて。魔獣対策室の因幡です。休日にすみません、葉隠さん」


「それは別に構いませんけど、何かあったんですか?」


 鶫がそう聞き返すと、電話越しの空気に緊張が走ったような気がした。落ち着いた静かな声で、因幡が切り出す。


「今から一時間後に、広島の厳島にてB級相当のイレギュラーの出現が予測されました。――魔獣対策室の室長として要請します。どうか、葉隠さん。厳島に向かってくれませんか」

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