第76話 未知との邂逅
次から次へと鶫の下へやってくる人々の質問や誘いを受け流しながら、会場の様子を観察する。会場の雰囲気は比較的落ち着いていて、揉め事が起こりそうな気配は無かった。
……それにしても、何故彼らはあんなにも葉隠桜と話したがるのだろか?
葉隠桜は十華に属してはいるが、元々が政府ではなく在野の所属なので、そこまで強い権力は無い。別に仲良くなっても、特に旨みは無いはずなのに。
そして話をしようとやってくる人々の中には、異国情緒溢れる外国の人間も何人かいた。中には熱心な様子で「私の国に遊びに来ないか」と誘ってくる者もいたが、やんわりとお断りしておいた。
魔法少女を自国に取り込みたい気持ちは理解できるが、もっと他にもやり方はあるだろうに。そう独り言ち、鶫はため息を吐いた。
……この間、鶫本人は全く気に留めていなかったが、パーティー会場の中で『葉隠桜』はちょっとした話題の的になっていた。一番は彼女が身に纏っている着物の話題だが、何よりもみんな彼女の出自のことが気に掛かっていたのだ。
――あれだけの質の着物が世に出れば、富裕層の界隈では絶対に話題になるはずだ。だが彼らのなじみの呉服屋は、あんな淡く光る着物があるなんて一言も話していなかった。
という事はつまり、あの着物は最近作られたものではないことになる。となると、葉隠桜は実は旧家の出なのだろうか――。そんな憶測が、参加者の中に広まっていたのだ。
その話題の着物が、契約神でもない神様からの贈り物だなんて、誰にも想像できるはずがない。鶫の普段の猫かぶりも相まって、その勘違いは加速を辿る一方だった。
そんなことを知りもしない鶫は、人の波を何とか捌き切ると、一息付くために気配を殺して壁の方へと向かった。その途中でボーイから飲み物を受け取り、酒ではないことを確認してから口を付けた。喉を通る爽やかなリンゴの酸味が心地よい。
「ふう。やっぱり華やかな場は少し気遅れするな……」
そう小さな声で愚痴をこぼし、鶫が静かに周りを観察していると、一際目を惹く二人組の男性が目に入った。
一人は壮年の男性、もう一人は鶫と同じくらいの少年に見える。特筆すべきは、その服装だろうか。詰襟の、くるぶしまでの長さがあるコートの様な服に、長い帯のような物を首元から垂れ下がるようにかけている。そう、その服装はまるで、本で見たキリスト教の平服によく似ていた。
鶫が物珍しそうにそちらを見ていると、ふと壮年の方の男性と目が合った。無視するのも気が引けたので、鶫は笑みを浮かべて会釈をしたのだが、男性は驚いた様な顔をしてその場に立ちすくんでしまった。
そして上から下まで確認するように鶫のことを見て、化け物でも見たかのような反応をしながら、ずりずり後退りをし始めた。
……訳が分からない。知らない間に、何か変なことでもしてしまったのだろうか?
鶫が内心で首を傾げていると、隣に立っていた少年が壮年の男性を後ろに隠すように下がらせ、鶫に対し、ニコリと人好きする顔で微笑みかけてきた。それに釣られるように、鶫も笑顔を返す。
そして金色の髪にエメラルドの様な緑の目をした少年は、軽く鶫に手を振って、壮年の男を引き連れて会場の奥へと歩いて行ってしまった。よく似た配色の人を知っているせいか、初対面ながらもどこか親近感を持ってしまう。
……でもさっきの男の人の反応は、一体何だったのだろうか。考えてもさっぱり分からないが、どうせもう会うこともないだろうし、気にしても仕方がないだろう。
そんなことを考えながらも、ついっと手元のグラスを傾け、中身を飲み干す。十分に休憩もしたので、そろそろ仕事に戻らなければ。
「……さて。行こうかな」
そう小さな声で呟き、鶫は二人組の男性が向かった方と反対の方向へと歩き出した。
◆ ◆ ◆
「な、何なんだアレは……! どうしてあんな物を身に纏って平然としていられる!!」
パーティー会場の端にある展望デッキで、カソックを着た壮年の男は絞り出すような声でそう叫んだ。その顔色はひどく蒼く、手は小刻みに震えている。
「まあまあ。落ち着いてくださいよ、
「……アザレア
ワインを受け取りながら苦々しげにそう言った壮年の男――司教の言葉に対し、アザレア司祭と呼ばれた少年は、のほほんとした笑みを浮かべながら答えた。
「そうですねぇ。ざっと見た限りですが、我々が大事に仕舞い込んでいる聖遺物クラスの代物ですよ、あの服は。すれ違った他の子達の中にも、何人か神秘を感じる装飾を身につけている子もいましたが、あのレベルの物を全身に着けるなんてかなり肝が据わってますね、あの子。――普通あれだけ膨大な神威に身を晒したら、いつ気が狂っても可笑しくないのに」
「そうだな。私は近づくことすら恐ろしかったぞ。恐らくだが、あの小娘がああも平然としているのは、きっと贈り主である異端の神の加護があるからだろう。……いくら異端だとはいえ、その力だけは本物だと認めねばなるまい」
「おやおや。司教殿ともあろう者がそんなことを言ってもよろしいのですか? ――教会への背信になってしまいますよ」
からかう様にそう告げたアザレア司祭に対し、司教は鼻で笑って言った。
「ふん。貴殿にだけは言われなくないわ。
「あはは。――みんな頭が固いんですよ。ここ数年の間、ついにヨーロッパにも魔獣が現れ始めました。現段階で我らの神が信徒をお救いにならない以上、あの化物どもを倒す術を持っている国を遠ざけるのは悪手でしかない。異端だのなんだのと言っている間に人類が亡んだら本末転倒なんですよ? そんな時に人が後から勝手に増やした教義がどうのと争うのは、馬鹿らしいじゃないですか」
ゆったりとした口調でそう言い放ったアザレア司祭は、手に持っていた赤ワインを一気に飲み干した。
「別に私は、この件で教会から破門されたって構わないのです。私が一番怖いのは、信徒たちが神を恨んで死んでいくことなのですから。もしそうなれば、きっと彼らは死後の平穏すら得られない。――それはあまりにも哀れでしょう。だからこそ、誰かが泥を被ってでも打開策を探さなくてはならない。犠牲になる人間なんて、出来るだけ少ない方がいいですからね」
穏やかな表情でそう告げたアザレア司祭は、祈るように右手を左胸に当てた。その姿は信仰の厚い聖職者にしか見えない。
「貴殿は言動さえ大人しければ敬虔な神の
大仰にため息を吐きながら、壮年の司教は手渡されたワインを呷った。そして司教は、感心した様子でワイングラスを眺めると、丁寧な手つきでグラスをテーブルの上に置いた。
「ふむ。ここのワインも中々だな。……それに料理も旨いし、この国で関わった人々はみな余裕があって穏やかだった。そのくせ女子供の戦う姿に歓声を上げる暴力性と、邪神をも許容する寛容さを併せ持っている。本当にこの国は訳が分からん魔境だな。……まったく。こんな荒唐無稽な話を枢機卿たちにどう説明すればいいのだ」
頭を抱えた司教を慰めるように背を叩きながら、アザレア司祭は飄々と言った。
「はっきりとそのまま言ってあげたらよろしいのでは? 今回の我々の目的は『日本という国の監査』なのですから。まあ、報告を聞いてこの国の異端認定を取り消すも消さないも上の自由ですが、余程の馬鹿ではなければ賢明な判断ができるでしょうし」
「私はそれが面倒だと言っているのだ……。はあ、貴殿と関わってしまったのが私の運の尽きだな。出会ってから碌なことがない」
「諦めて下さい、
そう言って、アザレア司祭はうっそりしたと笑みを浮かべた。
「再び神の御威光が輝く時代が現れた。今はまだ我らの主は現世に降りてはいないようですが、それも時間の問題でしょう。それまでに、我らは基盤を整えておかねばなりません。――かの御方の降臨の手助けができるのであれば、私は本望ですから」
ほう、と熱に浮かされたように息を吐くその姿は、恋に焦がれる少年のようにも見えた。だがその目の奥は笑っておらず、爛々とした危険な輝きが灯っている。それはどう見ても、紛れもない狂信者の姿だった。
引いた目で彼を見つめる司教を尻目に、アザレア司祭は楽し気に口を開いた。
「さて。根回しが済んだら、この国に移住したという遠縁と連絡を取ってみましょうか。――ああ、忙しくなりますね」
項垂れる壮年の司教と、浮かれた様子の年若い司祭。そんな対象的な二人の姿を隠すかのように、夜空は分厚い雲に覆われていった。船の上に、月明りはもう見えない。
◆ ◆ ◆
――場面は、鶫へと戻る。
休憩を終えた鶫がフラフラと会場内を歩いていると、人気が少ないテーブルの付近で一人佇む少女を見つけた。後ろ姿しか見えないが、身長があまり高くないので、恐らくは小学生くらいの年齢だろう。
最初は派遣された他の魔法少女かと思ったのだが、あまり年齢が低い子は就業時間の関係上、今回の警護には参加していない。それに加え、船の前で顔を合わせた魔法少女の中には、彼女と同じドレスを着ていた子はいなかった気がする。
もしかしたら親とはぐれて迷子になっているのかもしれない。そう思い、少女のことをこっそりと観察していると、反対側から赤ら顔の男がのっそりと近づいてきた。
――もしかして、父親が迎えに来たのだろうか?
鶫はそう考えたのだが、無造作に手を伸ばした男性に対し、少女が怯えたような仕草を見せたので、鶫は慌てて少女の下へ近寄った。
「――何をしているんですか? 貴方、この子の知り合いですか?」
少女の肩を支えるように持ち、鶫が男を睨み付けてそう告げると、男はもごもごと小さな声で言い訳をしながら、足早に去って行ってしまった。……随分とあっけなかったが、十華を前に威張り散らせる人間の方が稀だろう。権力様様である。
……まあ直接的な被害は無かったが、流石にあれは質が悪いので後で警備の人達に告げておこう。
男が走って去っていくと、強張っていた少女の肩から力が抜けるのが分かった。どうやら、とても怖い思いをしたらしい。
「大丈夫ですか?」
そっと肩から手を放し、少女の前に回って視線を合わせる。そして安心させるように笑顔を浮かべたのだが、その少女の顔を見て、鶫は心の中で首を傾げた。
――この子の顏、どこかで見た気がする。しかも、割と最近かもしれない。鶫が考え込んでいると、少女がおずおずと口を開いた。
「あ、あの。ありがとうございました。私、お父様と一緒に来たんですけど、はぐれてしまったんです。一人で困ってたらあの男の人が近寄ってきて……」
そう言って、少女は不安げに自分のドレスの裾をぎゅっと握った。目に涙が滲んでおり、今にも雫が零れそうだ。けれど、その声と不安そうな表情を見て、鶫は目の前の少女が誰だったかを思い出した。
――でも、どうして彼女がこんなところに?
そう考えるも、答えは出ない。鶫はどうするか悩んだが、ここに一人で放っておくわけにもいかないので、話を聞くついでに一緒に連れていくことにした。
「それは災難でしたね。――もしよかったら、貴女のお父様が見つかるまでお姉さんと一緒にお話しませんか?」
穏やかな笑みを浮かべながら、鶫は少女にそんな提案をした。少女はその申し出にホッとした笑みを浮かべると、小さく頷いた。
「はい、喜んで! 葉隠さんとお話しできるなんて嬉しいです!」
「ふふ、ありがとうございます。貴女のお名前を伺ってもいいですか?」
鶫がそう問いかけると、少女は恥ずかしそうな様子で自分の名前を口にした。――その名は、鶫が予想していた通りのものだった。
「――私の名前は、
――ああ、
そんな言葉を飲み込みながら、鶫はそっと夢路の手を握った。
――夢路は魔法少女関連のいざこざのせいで、ここ数か月は父親と険悪だったはずだ。少なくとも、鶫は虎杖からそう聞いているし、虎杖を通して間接的に夢路から相談だって受けていた。
それなのに夢路は、険悪だったはずの父親と一緒にこのパーティーに参加している。何か裏があるとしか思えなかった。
鶫は心の中に浮かんだ疑念を押し殺しながら、夢路の手を引き、先を導くように歩き出した。まずは、落ち着いて話せるところに移動したほうがいいだろう。
――でも、こんな場所で知り合いに会うとは思わなかった。本当に世間は狭い。
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