第38話 囚われし者達

――鶫が次に目を開けた時、あれほど大勢いた人々は、一人残らずその場から姿を消していた。いや、鶫たちの方が移動した・・・・のだろう。

 周りを見渡すと、建物の配置や、看板の文字が反転しているのが見えた。――魔法少女の結界内は、現実世界の鏡写しになっている。つまりここは、もう既に魔獣の闊歩する危険地帯なのだ。


 鶫は舌打ちをすると、警戒しながら気配や物音を探った。もしこんなところで襲われたら、今の鶫ではひとたまりもない。


 以前に、魔法少女だけがアクセスできる政府公式の情報サイトを見て知ったことだが、魔法少女の結界に人間が巻き込まれるケースは、確認できるだけで年間三十件ほど起こっているらしい。鶫のように発覚していない分も含めれば、もっと多くなるだろう。

 巻き込まれる人間は揃って若い女性で、その誰しもが魔法少女として高い適性を有している。例外なんて、それこそ鶫くらいだろう。


……千鳥が魔法少女の適性を持っているのは、鶫も何となく察していた。

 というよりも、男である鶫に適性があるのに、双子である千鳥に適性が無いなんて普通はありえないだろう。


――けれど、まさかこんな事態になるなんて思っていなかった。

 結界内に一緒に着いて来れたのは幸運だったが、はっきり言ってここで鶫にできることは少ない。この中では、鶫は魔法少女としての力を使うことは出来ない・・・・のだから。


 千鳥に見えない様に、糸を出そうと指先に力を込めたが、やはり何も起こらない。……ベルからあらかじめ聞いていたが、どうやら本当に力を封じられているらしい。


――そもそも結界とは、魔法少女と契約した神が作り上げた一種の神域・・である。そんな場所に他の神と契約している魔法少女みこが入り込めば、体の中の神力が反発し、まともに能力を使えなくなるのは当然のことである。


 けれどベルが言うには、糸や転移といった通常スキルは使えなくなるが、結界の中のみで使える透明化、暴食のスキルは、無理をすれば使えないこともないらしい。

 人によってその副作用は異なるらしいが、想像を絶する苦痛を味わうことになることくらいは覚悟した方がいいだろう。

……この話をした時は「また巻き込まれるなんて、そんなのあるわけないだろう」と笑いとばしたけれど、今となってはもっと真剣に聞いておけばよかったと後悔している。


 それに鶫の場合、結界内で透明化などの能力を使うためには、一度女性に変身しなければいけないので二重の意味で負荷が大きい。

 けれど、どちらのスキルも攻撃向きの能力ではないので、はっきり言ってあまり役に立つとは思えない。……隠れている間に、正規の魔法少女が魔獣を倒してくれることを祈るしかないだろう。


 鶫がそう考えていると、巻き込まれた衝撃で意識を失っていた千鳥が、ゆっくりと目を開けた。


「ここは一体何なの……? 他の人達はどこに?」


 そう言って、千鳥は辛そうに額を手で押さえながら周りを見渡した。まだ移動の際の違和感が残っているのかもしれない。……鶫が以前に結界に巻き込まれた時は、違和感もなく、いつの間にか結界の中にいたのだが、恐らく個人差があるのだろう。


「――ここは、魔法少女の結界の中だよ。俺達は巻き込まれたんだ。……取りあえず移動しよう。この場に留まるのは危険だ」


 鶫は混乱している千鳥の手を引きながら、建物のある方を目指して歩き出した。このまま道の真ん中にいれば、魔獣に見つかる可能性が高くなってしまう。呑気にこの場で説明をしている暇はない。


「どうして鶫はそんなことが分かるの? ――まるで、以前にも巻き込まれたことがあるみたい」


 暫くの間、千鳥は戸惑いながらも鶫の後をついて歩いていたのだが、やがて耐え切れなくなったのか、そんな疑問をぶつけてきた。

 鶫はどう答えるべきか少し迷ったが、下手な嘘をついたところで千鳥にはバレてしまう可能性が高い。ならば、真実を織り交ぜて話をするしかない。


「……千鳥には心配をかけたくなくて話していなかったけど、前に一度だけこんなふうに結界に巻き込まれたことがあるんだ。その時に、詳しい人から話を聞いたんだけど――」

 

 そうして歩きながら現状を説明し終えると、千鳥は顔を青くしながら口を開いた。


「つまり私たちは、魔法少女が魔獣を倒さない限りここから出られないのね……」


――魔獣と同じ空間にいる。それは千鳥にとって、今まで経験したことのない恐怖なのだろう。鶫は労わるように千鳥の背を支えると、元気づけるように明るい声で言った。


「大丈夫。D級の魔獣なんてきっとすぐに魔法少女が倒してくれるさ。――取りあえず、戦いに巻き込まれない様に何処かに隠れていよう。な?」


 D級の魔獣は、普通の魔法少女にとってはそこまで難易度の高い相手ではない。だが、たとえ魔法少女にとっては容易い相手だとしても、対抗手段のない普通の人間には十分な脅威となる。かつて、同じD級のガーゴイルに鶫が殺されかけた時のように。


「それにしても、あれだけの人が居たのに、どうして私たちだけが巻き込まれたのかしら」

 

 そう言って、千鳥は不思議そうに首を傾げた。

……先ほどの説明では、魔法少女の適性の話はあえてしなかった。かえって混乱を招くと思ったからだ。魔法少女の適性がある人間が必ずしも結界に巻き込まれるわけではないし、そもそも適性がある人間の絶対数が少ないのだ。今回の件は、どう考えてもレアケースでしかない。


 それに、男である鶫に魔法少女の適性があるとはあまり思われたくない。些細な疑問から、葉隠桜と結び付けられる可能性だってなくはないのだ。


「さあな。噂では死にかけた経験がある人とか、魔法少女の適性がある人とかが巻き込まれやすいらしいぞ。でも実際はどうなんだろうな? 俺がここにいるくらいだし、案外適当なのかもしれない、け、ど……」


 そこまで言って、鶫は思わず手で口を押えた。とても大事なことを思い出したからだ。


――どうしてこんなに大事なことを忘れていたんだ・・・・・・・

 魔法少女としての適性。この遊園地に来ているはずの虎杖・・は、あの病室で何と言っていた?


――『学校始まって以来の魔法少女適性』だと言っていたじゃないか!!


 むしろそんなに高い適性を持つ子供が、巻き込まれていないと考える方が不自然だ。


 その事実に気づき、鶫は唇を噛んだ。

――助けに行くべきだ。心はそう訴えるが、理性がそれを邪魔する。鶫一人ならばなんとかなったかもしれないが、ここには千鳥・・がいる。下手な行動とれない。


――千鳥の安全を一番に考えるべきか、それとも虎杖との約束を守るべきか。


……遊園地は広い。魔法少女がきちんと魔獣の相手をしていれば、どこかに隠れている内にすべてが終わるだろう。けれど、もし不測の事態があったら? 虎杖が一人きりの時に、魔獣が襲ってきたら?


 鶫は一度、虎杖の手を取っている。それなのに、今度は都合が悪いからと見捨てるのか? だがそんな不義理を、鶫は許すことができない・・・・・・・・・


 けれど、鶫は千鳥の側を離れるわけにはいかない。それだけは、どうしてもできなかった。


 そう頭を悩ませていると、何か温かいものが鶫の頬に触れた。――千鳥の手だった。

 千鳥は何か確信をもった目で鶫を見ると、仕方ないなぁ、とでも言いたげに苦笑した。


「――何か気づいたことがあるんでしょう? 私のことは気にしなくていいから、ちゃんと話して。大丈夫。私だって普段はちゃんと鍛えているんだから、もしもの時は迷惑はかけないわ。……だから、そんな辛そうな顔で悩まないで」


 その千鳥の言葉に、鶫は目を見開いた。千鳥は、なにも詳しいことは知らないはずだ。それなのに、まるで覚悟を決めたかのようにジッと鶫の答えを待っている。


「俺達だけじゃ、ないかもしれない」


 鶫は何かを迷うかのように目を伏せると、千鳥の手を握り、許しを請うかのように口を開いた。 


「――千鳥。相談・・があるんだ」




◆ ◆ ◆




――何かがおかしい。


 この天麻遊園地に結界を張った魔法少女――高崎くるみは、胸に渦巻く違和感に戸惑っていた。


 当初の予定よりも早く現れた魔獣は、三メートル程の大きさで、赤い鬼の様な形状をしていた。高崎は混乱しながらも戦いを開始したのだが、その鬼はD級にしてはあまりにも手ごたえがなかったのだ。


 戦闘経験が少ない高崎にとっては、D級の魔獣はまだまだ強敵の部類に入る。以前に一度だけ相対したことのあるD級の魔獣は、もっと体が大きく、感じるプレッシャーも段違いだった。

 それなのに、この目の前にいる鬼は単調な攻撃を繰り返すばかりで、E級の魔物に毛が生えたくらいの実力差しかない。敵が強いよりは、弱い方が助かるのは確かだが、これでは拍子抜けである。


――もしかしたら、時間を早めて出現したことによる副作用なのかもしれない。

 高崎はそう考えたが、確証はなかった。こういう時に契約神に色々と質問出来たら助かるのだが、それは期待できない。


 高崎の契約神は他者に姿を見られることや、声を聴かれるのをひどく嫌っている。契約している高崎ですら連絡事項以外の会話をしたことが無いのだ。


――葉隠桜が羨ましいなぁ。

 高崎は、心からそう思った。彼女はきっと、自分の契約神と良好な関係を築いているのだろう。テレビに映る映像からも、普段から仲良くしていることがよく分かる。同じ時期に魔法少女を始めた高崎とは大違いだった。


 今日だって、急に「ここに魔獣が来るから、今から行け」と言われ、半強制的にこの遊園地に飛ばされたのだ。けれど高崎にとって、契約神は命を救ってもらった恩のある相手だ。文句を言える立場ではないが、こうも他と待遇が違うと嫌になってくる。


――こんなこと、さっさと終わらせて帰ろう。

 不幸中の幸いか、契約神はお金に興味がないのか、報奨金はすべて高崎の手に渡る。在野の魔法少女が貰えるD級の報奨金は三百五十万。E級の五倍である。……奇妙な違和感は残るが、相手が弱くてラッキーだったと思えばいいだろう。

 

 高崎はそう考え、目の前でがむしゃらに棍棒を振り続ける鬼に、畳みかけるように攻撃を加えた。場所が遊園地ということもあり、戦いを長引かせない方が得策だと思ったからだ。魔獣が倒されるのを待っている人々に、あまり迷惑をかけるわけにはいかない。


 その攻撃で首に深い切り傷を負った赤鬼は、大量の血を吹き出しながら地面へと倒れていく。高崎はその姿を見つめながら、ほう、と息を吐いた。取りあえずはこれで一段落である。


――さあ、結界を解除しよう。


 そうして高崎が、契約神に結界を解除するように大声で呼び掛けようとしたその時、体を大きな物で殴られた・・・・かのような衝撃を受けた。

 それと同時に、全身が砕けるような痛みと、弾き飛ばされるような浮遊感を感じた。


 痛みと共に軽く意識が飛び、視界が真っ暗になる。そして高崎が気が付いた時には、自身の体から大量の血を流しながら地面に転がっていたのだ。


――い、一体何が!?


 痛みをこらえ、動揺する心を押さえつけながら、高崎は必死に顔を上げた。――そこには、こちらを見てニタニタ笑う青い鬼が立っていた。赤鬼の死骸はまだ遠くに転がっている。つまり高崎の目の前に立っているのは、二体目の魔獣だ。


「なん、で? だって魔獣は、一度に一体だけ・・・・・・・の筈じゃ――!!」


 高崎が言葉を最後まで言い終わる前に、青い鬼は黒い金棒をまっすぐに振り下ろした。一回、二回、三回。致命傷は与えずに、手足だけを砕くように青鬼は攻撃を繰り返す。

 そしてうめき声を吐き出すだけの、動けない人形になった高崎を一瞥すると、興味を失ったかのようにその場から動き出したのだ。


 返り血を浴びた青鬼が向かうのは、南口と書かれている看板がある方向――結界に巻き込まれた他の被害者たち・・・・・・・が隠れ潜む場所である。

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