第33話 嫌いなモノ

 鶫は倒れた少女――虎杖叶枝いたどりかなえと共に病院に行き、医者に事情を説明してから病院を後にした。

 搬送先が先日まで入院していた病院だったので、あまり時間は取られずに済んだのだが、鶫の担当だった医者から「今度はちゃんと救急車を呼べたんだね!」と、からかわれたことは若干納得がいかない。そんなに抜けているように見えるのだろうか。


 それはともかく、少女の病名は喘息を拗らせたことによる肺炎とのことだった。聞けば、年末の入院も風邪をこじらせて体調を崩したせいらしい。おそらく気管支が弱いのだろう。


 医者曰く、電話で連絡を取った少女の母親が、ぜひお礼をさせてくれと鶫に言っていたらしいのだが、丁重にお断りしてもらった。その代りに、少女の見舞いに訪れることを了承してもらったので、明日の帰りにでも彼女の様子を見に行く予定だ。

 できれば、動画の処理の方法も相談したい。あれをどう使うかは、彼女自身に任せるべきだろう。


「――で、帰ったらすぐにコレ・・か」


 家に帰ってからすぐにベルに連れ出されたのは、地方都市の郊外にある寂れた工業地帯だった。もちろん理由は言うまでもなく、魔獣と戦うためである。

 二週間も休んだのだからそろそろ頃合いだとは思っていたが、できれば事前に連絡が欲しかった。


 魔法少女の姿はがくれさくらに変身した鶫は、スカートの端を弄びながら小さく息を吐いた。久しぶりの戦闘は、やはり少し緊張する。


「相手はD級の魔獣だ。特に問題はないだろうが、油断はするなよ」


「了解。まずは体がどれくらい動くのか確かめないと」


 そう言って、鶫は腕をぐるりと回した。あの時【暴食】に食われた左手は、いつもと変わらずにしっかり動く。まるで怪我なんて最初からしていないかのように馴染んでいるが、激しい動きに付いていけるかどうかはまだ分からない。


 そんなことを話している間に、結界が展開された。どうやらもう魔獣が現れたらしい。

 鶫は揺らぐ空間を見つめながら、精神を集中させた。

――まずは魔獣の居場所を探らなくては。結界が完成した瞬間に襲い掛かられたら、流石にひとたまりもないからだ。


 幸いにも、魔獣の居場所はすぐに分かった。距離はここからおよそ三百メートル、場所は工場の屋根の上。形状は、……正直近づきたくない代物だった。


「体長四メートルくらいあるカマキリか……。うわ、口の開きかたが気持ち悪い」


 口元が六つに割れて、わきわきと動いている。じっと見ていると正気を失いそうだ。

……というよりも、鶫は虫そのものがあまり好きではない。そういった意味では、今回の魔獣はある意味ハズレ枠である。


――けれど、文句ばかりは言っていられない。


 巨大カマキリを確認した鶫は、たん、と地面を蹴った。まずは現段階の身体能力を調べなくてはならない。そう考えて走り出したのだが、思いのほか体が軽くて・・・・・驚く。


 ラドン戦の時の動きには劣るが、それでもかなり速い。体に流れる力を解析すると、その理由はすぐに分かった。

 ベルから注ぎ込まれている神力が全身を巡り、それが筋肉や神経をコーティングして、爆発的な力を生み出しているのだ。しかも以前よりも、神力の伝導率が上がっている。


「――ランクが高い魔法少女は、皆こんな感じなんだろうな」


 どうりで六華クラスの魔法少女は、普通の動作すら化け物じみた動きをしているわけだ。今まではスキルか元々の素養の差だとばかり思っていたが、このシステムなら、長く魔法少女を続ければどんな人間だって強くなれる可能性がある。


 本来であれば、鶫も時間をかけてそうなって・・・・・いく筈だった。だが、ラドン戦で無理やり力を引き出したため、途中の段階をすっ飛ばしてしまったのだ。だから急激に身体能力が上がったと感じるのだろう。


 それに、男の体の時との感覚のブレが無くなった気がする。魔法少女として動くうちに、効率的な体の動かし方を学んだお陰かもしれない。その応用で、男の姿の時の身体能力も心なしか上がっている気がする。今なら元の体のままでも、パルクールのような動きができるはずだ。


 カマキリの眼前までたどり着いた鶫は、足を止めてそのおぞましい顔を見上げた。生理的な嫌悪感に、思わず眉を顰める。

 すると鶫を前にしたカマキリは、口からよく分からない液体を垂れ流しながら、シャアア、と奇声をあげてその両手の鎌を振り下ろしてきた。


 至近距離から繰り出される斬撃を軽やかに避けながら、鶫は体に不具合がないか冷静に確認していた。


――手足、各関節ともに問題なし。以前に怪我をした部分も引き攣る感覚もないし順調だ。……いや、逆に調子が良くてかえって戸惑うくらいだ。


 少なくとも、ベルが危惧していたような後遺症は一切見受けられない。

 それだけ修復された部分が馴染んでいるということになるが、自身の大半が神力によって作り出されたものかと思うと、少しだけうすら寒いものがある。


 鶫は気を取り直すように頭を振ると、カマキリの体を駆け上った。そしてそのまま、背後から細い背中に鋭い蹴りを放つ。


「ギシャアア!!」


 カマキリは甲高い声を上げ、前方に勢いよく飛んでゴロゴロと転がった。


――本来鶫は肉弾戦をするタイプの魔法少女ではない。以前の鶫であれば、この蹴りだって精々相手をよろめかせるくらいの威力しか出せなかっただろう。だが身体能力が強化された今では、ここまでの力が出せるのだ。

 ランクが高い魔獣相手では使う機会はないだろうが、それでも手数は多い方が安心できる。


――では、【スキル】の方はどうだろうか?

 そう考え、鶫は自身に【透明化】のスキルを発動させた。ラドン戦では小休憩の時にしか使わなかったが、本来であればこのスキルは陽動、攪乱にも使える優れたスキルなのだ。転移や糸と違い、このスキルは結界内でしか使えないので、今のうちに試すことにしよう。


 カマキリは消えた鶫を探して、足を踏み鳴らしながら辺りを駆けまわっている。どうやら蹴られたことが相当腹に据えかねたらしい。緑色だった体が、ほんのりと紫に染まっている。こういうタイプの敵は、毒を吐き出したりするので注意しなくてはいけない。


 けれどそれは、こちらが見つからないかぎり・・・・・・・・・脅威にはならない。この透明化の凄いところは、気配まで・・・・消してくれることだ。この効果のおかげで、ラドン戦でも安全な場所を確保することができたのだ。


 鶫は透明化した糸を、そっとカマキリの足に絡めてみた。当たり前だが、カマキリがそれに気付いた様子はない。このまま糸を引けば簡単に倒せるだろうが、それでは少し物足りない。


 それに鶫には、以前から試してみたいことがあった。今までの戦いでは、そこまで余裕がなかったので試せなかったのだ。この際だから試してみるのもいいかもしれない。


「カマキリが走り回っている部分を中心に、ドーナツ状になるようにイメージして、……こうかな?」


 そう呟いて、鶫はついっと指を降ろした。それを合図に、カマキリがいる場所を残して地面がじわじわと丸く透明化・・・されていく。そして地中二十メートルまで透過されたその光景は、まるで深い落とし穴のように見える。どうやら以前に比べて、効果範囲がかなり広がっているようだ。


 カマキリはいきなり目の前に出現した穴に戸惑ったようで、その場でたたらを踏んでいる。実際は見掛け倒しのフェイクなのだが、それが初見のカマキリに分かるはずもない。


 鶫もまじまじと穴を見つめてみたが、どう見ても本物の落とし穴にしか見えない。おそるおそる地面に触れてみたが、手触りは普通のざらついた土のままだ。どういう原理で透明になっているのかは分からないが、見ていて不思議な気分になる。


「これを転移と組み合わせて、真偽・・を分からなくさせれば……うん、えげつない」


 転移の能力を使えば、この程度の落とし穴なら実際につくる・・・・・・ことは容易いだろう。一度フェイクであることを認識させておけば、次は確実に罠にかけることできる。

 あるいは、あらかじめ透明化させていた大きな壁を転移させ、不可視の障害物として扱うことも可能だ。

……だが、どうにも鶫のスキルは搦手からめてに特化しているように思える。何が影響しているのだろうか。


「まあ、確認はこのあたりでいいか」


 調べたかったことは大体分かったし、今は後遺症が無いことが分かっただけでも上々だ。


 ラドン戦の時に見えたについては、未だに詳細は分からないままだが、焦っても仕方がないだろう。確かに不死の者さえも殺せる能力があるのは心強いが、今は何故か身の丈に合っていないような気がするのだ。

 別に急いで習得する必要もないし、地道に実績を積み上げることが重要だろう。


 鶫は透明化を解除すると、すっとカマキリに背を向けた。そして地面が元に戻り自由に動けるようになったカマキリは、鶫を発見すると、殺気立ちながら両手を構えて襲い掛かってきた。鶫は振り向かないまま、ぽつりと呟いた。


「ごめんね。――もう用は無いんだ・・・・・・・・


 たん、と右足を踏み鳴らす。すると、周りに仕掛けてあった不可視の糸が空間を切り裂くようにカマキリの体を一瞬で切り刻んだ。重力に従って、バラバラとカマキリの部品が落ちていく。どうやら今日の切れ味も抜群のようだ。

 

――この調子なら、A級はともかくB級ならば相手取れそうだな。鶫はそう考えて、ふわりと笑みを浮かべた。別に戦いに依存しているつもりはないが、強くなるのは素直に嬉しい。それに男の子なら、皆同じように考えるだろう。


「随分と楽しく遊んでいたようだな」


 すると、ベルがからかう様にそう言ってきた。どうやら笑っているところを見られたらしい。鶫は肩を竦めながら、口を開いた。


「こういう風に言うと傲慢に聞こえるけど、D級相手だとまるで弱い者いじめみたいになるね」


「相手にならないのは当たり前だ。むしろ、この程度で手間取られたほうが困るぞ」


 ベルは腕を組んで不遜に言った。ベルとしては、A級の魔獣を倒した契約者はがくれさくらが、今さらD級相手に苦戦していたら恥ずかしいのかもしれない。


 そしていつものように【暴食】に魔獣の体を喰わせたのだが、鶫は獣の口を見て首を傾げた。


「……何か大きくなってる気がする」


 具体的にいうと、二倍くらいに。特に負荷は感じないので問題は無いのだろうが、このスキルはもうあまり弄らないほうがいい気がする。

 なにせこの獣はもうにんげんを知ってしまっているのだ。暴食は結界内でしか使えないスキルなので、うっかり人を食べる、なんてことは心配しなくていいだろうが、一応気を付けるに越したことはないだろう。鶫の例もあるし、結界に迷い込む人間がいないとは限らないのだから。


 鶫がそんなことを考えていると、ベルがピクリと耳を動かして、背後の方向を見つめた。


「ベル様、どうかした?」


「いや……外に厄介なモノ・・・・・があってな」


 外ということは、結界の外のことだろうか。ベルの曖昧な言い方が気にかかったが、ベルがこういう言い方をする時は、あまり詳細を話したくないということだろう。もしかしたら、嫌いな顔なじみの神様が外にいるのかもしれない。


「ふうん? じゃあ結界が解けたら急いで転移した方がいいのかな」


 鶫がそう言うと、ベルは少し考えた後、首を振った。


「この際だ。少し相手をしてやれ。――どうせこれからも追いかけられる・・・・・・だろうからな。ああ、一応言っておくが、いきなり攻撃だけはするなよ」


「えーと、よく分かんないけど、ベル様がそう言うならがんばるよ」


「だが、余計なことは話すな。それが貴様の為だ」


 そんな意味深な言葉に困惑しながらも、鶫はしっかりと頷いた。ベルがやれ、と言うならやるしかない。


 結界の解除と共に、鏡面世界がぼやけるように現実の世界に同期していく。このぐにゃぐにゃした感覚はいつまで経っても慣れそうにない。


 そして閉じていた目を開くと、眩い光が鶫に向かって降り注いできた。思わず、腕で顔を隠し、光を遮断する。


――ここは寂れた工場地帯の筈なのに、一体何が起こったんだ?


 カシャカシャと断続的に響く奇妙な音。鶫が恐る恐る前を見ると、そこに居たのは幾人もの人間達・・・だった。


「……は?」


 鶫は思わず、ぽかんと口をあけてそう呟いた。見えているはずのものが、いまいち情報として頭に入ってこない。

 そうして呆然としていると、一番前にいた女性がマイクを鶫の前に突き出し、大きな声で話しかけてきた。


「葉隠桜さん! インタビューお願いします!」


 その一言を皮切りに、周りにいた他の大人たちも、鶫に詰め寄って次々に質問を投げかけてくる。


「六華にエントリーされた今の心境はいかがですか?」


「ラドン戦を経ての、これからの意気込みをお聞かせください!」


「在野の魔法少女とのことですが、今後政府に属する予定はありますか?」


「復帰戦で相手にD級を選ばれた理由は? また、その手ごたえはどうでしたか?」


「ラドン戦で相当無理をなされたとのことですが、後遺症等は無いのでしょうか? よろしければ教えて下さい!」


 段々長くなっていく質問に、鶫は混乱した。聖徳太子でもあるまいし、一度にそんなことを言われても答えられるわけがない。


 鶫は心底困った顔をして、ベルのいる場所を見つめたが、ベルはさっさと何とかしろとでも言わんばかりに顎をしゃくった。どうやら助けは期待できないらしい。


――こんなのどうしろって言うんだ……。


 鶫は死んだ目をして穏やかに微笑んだ。こうなったら、なんとかやりきるしか道はないだろう。


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