第13話 運命の赤い糸

【本文】

――運命。いかにも女性が好きそうなフレーズである。


 人が奇跡、もしくは運命と呼ぶほとんどは偶然の産物に過ぎないだろうが、鶫としてはそういう流れうんめいというモノは存在していると思っている。というよりも、そう考えた方がしっくりくる・・・・・・、というべきか。


……だが鶫は、信じる、信じないの前に涼音に言っておかなければならないことがあるのだ。


「――宗教の話なら遠慮願いたいのですが」


 今の鶫が信仰する神様は、ベル一択である。残念だが宗教勧誘だったなら会話は受け入れられない。

 鶫が真面目な顔でそういうと、涼音は少し怒ったように声をあげた。


「もう! 違うわよ!」


「そうですか。それは良かった」


 ほっと息を吐く。まあ、そんな話ではないと思っていたが、一応確認は必要だ。


「――運命ねえ。あったらいいな、とは思いますけど」


 運命の本来の意味は、人の意思とは関係なく降りかかる禍福かふくのことである。まさに鶫の最近の現状を表しているような気もする。


 鶫がそう答えると、涼音は少し安心したように微笑んだ。


「そう。――少し長い話になるんだけど、大丈夫かしら」


 鶫はちらり、と時計を見た。昼休みはあと二十分ほど。どれくらいの話になるのか分からないが、恐らく次の授業には間に合わないだろう。

 だが次の授業は奇しくも祈更が担当する数学だ。多少は遅れたとしても理解はしてくれるはずだ。


「はい、大丈夫です」


「良かった……! そうね、あれは私が十歳の頃の話なんだけど――」



◆ ◆ ◆



「――私が十歳の時、ちょっとした事故に遭ってしまって、頭を強く打ったの。それ自体は大した怪我じゃなかったのだけれど、今でも少し頭に傷跡は残っているわ。


 それでね、退院した後から時々変なものが視えるようになったの。赤黒い、靄みたいな光。

 病院の先生に念のため相談したけれど、目立った異常は無かったみたい。

 

 それから暫くして、隣の家のお兄さんと家の前でばったり会って、私とてもびっくりしたの。なんでだと思う? 


――そのお兄さんの体に、絡みつくような赤い糸が視えたのよ。


 私、てっきりそれが『運命の赤い糸』だと思ったの。ほら、十歳ってそろそろ恋愛に興味が出てくる頃でしょう?

 隣のお兄さんは私よりも八歳は上だったけど、とても優しかったし、この人が運命の人なんだ! ってその時は舞い上がってしまって。その場で私はお兄さんに言ったわ。「結婚してください!」って。


……まあ、その場は笑って流されてしまったけどね。当たり前のことだけど、その時は結構ショックだったわ。初めての失恋だもの。


 家に帰って一人で泣いていたのだけれど、暫くして何だか家が騒がしくなったことに気づいて、私はお母さんに聞いたわ。「どうかしたの?」って。


 お母さんは、悲しそうな顔をして言ったの。



――隣のお兄さんが、事故に遭って亡くなったって」




◆ ◆ ◆


 鶫は、ごくりとつばを飲み込んだ。涼音の語り口は柔らかな物なのに、どこかうすら寒い。


「手足と頭がズタズタになっていて、お葬式で顔を見せてもらうことはできなかった。それを聞いた時、私は大変なことに気付いてしまったの」


「……それは」


「赤い糸が、お兄さんの何処に絡んでいたと思う? ――そう、手足と首・・・・よ」


 そう言って、涼音は微笑んだ。いつもは見ていると微笑ましく思えるその笑みが、今はどこか恐ろしい。


 涼音は話を続ける。


「最初は気のせいだと思っていたけれど、似たようなことが何度かあったわ。そうなれば、嫌でも自覚するしかない。――私は、人の死の運命・・・・を視ているんだって」


 そこまで説明されれば、嫌でも涼音が言いたいことに気づく。鶫は複雑な気もちになって、唇を噛んだ。


「……あの日、俺にもそのが視えたんですね」


「ええ。貴方の顔も見えないくらい、雁字搦めに絡んでいたわ」


 普通であれば、荒唐無稽な法螺話だと笑い飛ばすだろう。けれど、鶫はもう彼女の話を笑えない。

――あの日、ベルと出会えなければ鶫は死んでいた。それこそ、涼音の予見の通りに。


「七瀬君に渡したお守りは、私の親戚がいる神社で貰ったものなの。……その人にこんなふうに言われたわ――『時々いるんだよね、視界のチャンネルが変な方向に繋がっちゃう子が。――でもね、君が視ているのは、紛れもない現実・・だ。可哀想だけど、一生付き合っていくしかないよ』って。酷い話よね。……こんな力、私は欲しくなんてなかったのに」


 涼音はそっと目を伏せ、何かを悼む様に両手を組んだ。


――死の運命を、糸として可視化する魔眼。世が世なら神子として祭り上げられてもおかしくはない能力だろう。けれど、まったく羨ましいとは思えなかった。


 彼女は、今までどれだけのうんめいをみてきたのだろう。考えるだけで、心が痛い。


「――私に視ることができるのは『死の運命』だけ。どれだけ頑張っても、誰一人その運命から逃れることはできなかった」


 そこで、涼音はじっと真顔で鶫を見つめた。抜け落ちたような表情が、鶫の焦燥を煽る。


「どうして。――どうして七瀬君は生きてるの・・・・・?」


――それはあまりにも純粋で、残酷な問いかけだった。


 彼女の目は雄弁に、『鶫の生存』を疑っている。


……きっと、朝に涼音が倒れたのは鶫のせいだ。

 涼音に今の鶫はどんな風に見えるのだろう。死んだとばかり思っていたのに、何食わぬ顔で学校に通う男――そんな奴をみてしまったら、今朝のように体調が悪くなってもおかしくない。


――ああ、本当に、今自分がこうして息をしているのは奇跡の賜物なんだな。そう思うと、じわり、と言葉にできない感情が胸に溢れる。


「……未練があったんです。絶対に死ねないと思えるほどの、未練が」


――生きていたいと思った。死ねないと思った。何よりも、千鳥に泣いて欲しくなかった。理由なんて、それだけだ。


「俺は運が良かっただけです。俺の運命は、奇跡によって覆された。本来ならきっと先生が視た通りの結末を迎えていたと思います」


 あの日、もしベルと出会えていなかったら、今の鶫はきっと存在しない。それを奇跡と呼ばず、なんと呼べばいいのだろうか。


「何が起こったのかまでは、話す気はないのね?」


 その涼音の問いに、鶫は小さく首を振った。


「はい。――それは言えないんです。でも、今は怪我もなく元気ですから心配しないでください。……すみません、我儘なことばかり言って」


 鶫はそう言って、涼音に頭を下げた。涼音はきちんと自分のことを語ったのに、鶫は何も言わない。それはとてもフェアとは言えない。けれど、鶫が口に出せるのはここまでなのだ。


 でも少し勘が良ければ、魔法少女関連の出来事に巻き込まれたのだろうと予想はつくはずだ。在野の魔法少女と出会って救われた、と勘違いしてもらえるのが一番いい。流石に鶫が魔法少女になった、とまでは思いはしないだろう。


「はあ……。分かったわ。先生はこれ以上事情は聞きません。知らない方がいいことは、世の中にはたくさんあるからね。――七瀬君も、あんまり私の力のことは人に話さないで頂戴ね。まあ、話しても信じてもらえないとは思うけど」


「誰にも言いません、絶対に。――本当に、心配をかけてすみませんでした」


「いいのよ。でも、何か困ったことがあったら先生たちに遠慮なく頼ってね? これでも私と祈更先生は、【六華りっか】に知り合いがいるんだから」


「――あの【六華】に?」


六華りっか】とは年に一度、A級討伐者の中から国民投票で選出された六名の魔法少女のことである。下手な国会議員よりも高い権力をもち、有事の際には国家戦力として扱われる魔法少女の精鋭。


――そんな凄い人達と、先生たちが知り合い?

 そんな思いからか、つい胡乱気な目で涼音のことを見てしまう。


「あ、その顔は疑っているわね。でも、別に信じなくてもいいのよ。でも心の隅にでも置いておいてね」


「……はい」


――涼音先生は、本当に優しい人だと思う。


 鶫がどうにもならない状況になった時のことを考えて、ちゃんと逃げ道を用意してくれたのだろう。

 いつもは少し頼りない印象があるが、肝心な時にはとても頼りになる大人――そんな人は、本の中ぐらいにしかいないと思っていた。


「先生は、強いですね」


「あら、そんなこと初めて言われたわ」


 ふふ、と涼音は楽しげに微笑んだ。その笑顔に、先ほどの悲愴さは見えない。


「そういえば、涼音先生は祈更先生と親しいんですか? これも誰にも言わないんで、ちょっと教えてくれません?」


 鶫は、そう軽く聞いた。自身に身近なことのせいか、やはり気になるのだ。それに祈更の弱みを握っておきたいというちょっとした打算もある。

 そんな鶫の質問に、涼音は何でもないことのように話してくれた。


「祈更先生とは、昔からの幼馴染なの。もちろん私の力のことも知っているわ」


「ああ、だからあんなに心配そうだったんですね……」


……これは少しまずいかもしれない。そんな関係なら、涼音はきっと鶫の状態を祈更に話しているだろう。この会話もほぼ筒抜けになると考えていい。

 祈更は本人も言うように鼻が利く・・・・。頭も良いので、何かきっかけがあれば、最悪鶫の事情が露呈する可能性が出てくる。あの祈更という男は、それくらい侮ってはいけない人間だ。

 探られて痛い腹がある鶫のような人間には、あまり親しくしたくない相手である。


「そんなに心配しなくても、祈更先生はああ見えて優しい人よ?」


「悪い人ではないと思います。でも、祈更先生は厳しい人ですから」


「そうかしら? あら、もうこんな時間。授業が始まってしまったわね……」


「まあ、今の授業は祈更先生の授業なので事情は分かってるだろうから、多分大丈夫ですよ」


 鶫はそう言って、立ち上がった。気は進まないが、授業に出ないわけにはいかないだろう。

 そんな鶫を、涼音が呼び止めた。


「待って。――これも持っていきなさい」


「お守り、ですか」


 机に置いたままだった血塗れのお守りを、そっと差し出された。こんなになってしまったけれど、まだ自分が持っていてもいいのだろうか。


 受け取るのを少し躊躇ったが、涼音に右手を取られ、そのままお守りを握らされる。

鶫は驚いて涼音を見つめた。


「まだ貴方が持っていた方がいいと思うの。……お願い」


 まるで懇願をするかのように、涼音は言った。

……その涼音の様子を見て、鶫は背筋に悪寒を覚えた。


――嫌な予感がする。できれば外れてほしいが、恐らくは鶫の予想通りだろう。


「……もしかして、今も視えて・・・・・ますか?」


 控えめに発した鶫の問いに、涼音は小さく頷いた。当たりである。


「この前と違って量は少なくなっているけど、今は七瀬君の周りに揺蕩たゆたうように絡んでいるわ。そんな様子は今まで見たことがないけど、あまり良いモノとはどうしても思えないから……」


「そう、ですか」


 涼音の説明を聞きながら、鶫は一つの仮説を思い浮かべていた。


――涼音は糸のことを、赤い糸・・・だと言った。それと同じようなものを、鶫はすでに知っている・・・・・


 なるほど。――【糸】のスキルの原点はじまりここ・・にあったのか。

 もしもこの考えがあっているのなら、涼音が視ている【糸】は鶫にとってはもう無害だ。運命に巻き取られたのは、鶫ではなく赤い糸・・・の方なのだから。


「七瀬君? 大丈夫?」


 黙り込んだ鶫を心配して、涼音が肩を揺さぶってきた。ハッとして涼音を見つめる。少し自分の思考に入り込み過ぎていたようだ。


 鶫は誤魔化すように笑みを浮かべて、そっと涼音の両手を握った。涼音が驚いたように顔をあげ、鶫を見た。心なしか、頬が赤い。


 鶫は朗らかな笑みを浮かべながら、口を開いた。


「涼音先生」


「な、なにかしら。あの、手を……」


「俺、運命って絶対にあると思います。先生と話して確信しました。ありがとうございます」


「え、え、急にそんなこと言われても――!」


 急に赤面した涼音のことを不思議に思いながら、鶫は手を放して、お守りを無造作にポケットに入れた。ああ、今回の呼び出しは期待以上の収穫があった。


 鶫は晴れ晴れとした気持ちで、扉に向かって歩き出した。


「それじゃ、俺は授業に行ってきますね! 失礼します」


「な、七瀬君、ちょっと待っ――」


 ガラガラと生徒指導室の扉を閉める。涼音が何か言っていたような気がしたが、多分気のせいだろう。

 でも少し顔が赤かったのは少し心配だ。もしかしたら今朝の体調不良がぶり返したのかもしれない。



――その後遅れて教室に入ったら、鶫だけ課題を山ほど出された。なんだかちょっと解せない。

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