第12話 鬼教師

 鶫は生徒指導室の扉の前で、小さなため息を吐いた。


 朝の呼び出しのことは理不尽に感じたが、よくよく考えてみれば鶫にだって心当たりは沢山ある。もしかしたら、今まで仕出かした事の何かが露呈しただけなのかもしれない。そう考えると、この後の展開が憂鬱だった。でも、逃げでもしたらそれこそ一発で停学処置だ。


「失礼します……」


 鶫はそう断って、嫌々ながらも指導室の扉を開いた。


「ああ、来たか。取りあえずそこの椅子に座れ」


「はい」


 部屋の中で待ち構えていた祈更に、彼と対面して座る席を指さされた。特に文句はないので、大人しく指示に従う。


「細かい説明は省くが――お前の胸ポケットに入っているソレ・・を、ここに出してもらおうか」


「……は?」


 いきなりの言葉に、思考が停止する。胸ポケットに何か変なものを入れていただろうか? はっきり言って、鶫には全く心当たりがない。


 ぼけっとしている鶫に苛立ったのか、祈更は「さっさとしろ」と強い口調で急かしてくる。


 鶫は不思議に思いながらも、自身の胸ポケットを漁った。するとざらりとした触感の物にふれ、その瞬間にそれが何かを思い出した。


――涼音先生から貰ったお守りだ。


 そう言えば、ここに入れっぱなしにしていたのを忘れていた。あらためて考えてみると、命がギリギリのところで助かったのは、これの加護のおかげもあったのかもしれない。


 鶫はそんなことを考えながら、お守りを机の上に出した。先生からの貰い物なわけだし、特に問題があることはないだろう。そう思ったのだ。

 だが、その甘い考えは、机の上を見て霧散した。


――あ、やばいかも。


「これ、は。――お前、一体何をしたんだ」


 祈更は驚いたような顔をして、机の上のお守りを見つめている。それもそうだろう。そのお守りは、見てすぐに分かるくらい、血で染まって・・・・・・いたのだから。元々が黒地なのでそこまで目立たないが、金の刺繍や白い紐などは無残にも赤黒く変色している。


 十中八九、鶫が殺されかけた時に付いたものだろう。制服が完全に修復されていたので、油断していた。まさかこれだけがあの時のままだなんて、鶫は思いもしなかったのだ。


……どう見てもこれは犯罪臭があるよなぁ。血染めのお守りからは、人ひとりは死んでそうな気配すら感じる。


 ただこれは鶫の血だから、事件性はない、と言い張っても祈更が信じてくれるかは微妙である。なら、取れる手は一つだけだ。


「特に変なことは何もしていません。飲み物でも零してしまったのかもしれないですね。ああ、これは涼音先生から頂いた物なので、汚してしてしまったことはちゃんと謝りますから」

 

 鶫は、できるだけ申し訳なさそうに見えるように努めた。だって、いくら突っ込まれたとしても話せることが無いのだ。いくらこれが鶫の血とは言え、今は怪我すらしていないのに説明なんてできるはずがない。誤魔化す以外の道はなかった。


「へえ? そんな言い訳が通るとでも思うのか?」


 だが、やはりそれでは納得してもらえなかったらしい。祈更は、不機嫌そうに鶫の言葉を鼻で笑った。


――やっぱり無理があるよなぁ。それは鶫も分かっている。けれど、本当のことは言えない。


「言い訳も何もないですよ。そもそも、俺が流血沙汰になるようなことを何かしたとでも言いたいんですか? 疑うのならこれを警察にでも持ち込んだらいいですよ。そうすれば、俺が誰か・・を傷つけたりなんてしていない、って分かりますから」


 まあ、付いているのは鶫の血である。問題にはなるかもしれないが、怪我の事実がないかぎり事件性は認められないだろう。だからこその、強気の対応である。


 祈更と鶫のにらみ合いは続く。先に折れたのは、祈更の方だった。


「……まあいい。元々、の用事は確認だけだったからな」


 その言葉に、鶫はほっと胸を撫で下ろした。これで一先ずは安心だ。


「後は涼音の奴と話すといい。――朝にお前を呼び出すように俺に言ったのは、あいつだ。……念のため言っておくが、変なことをしようとはするなよ」


「俺が教師相手に何をするっていうんですか……」


 かなり真剣なトーンでの忠告だった。心配しなくてもそんなことをするわけがない。

 でも、どういうことだろうか。鶫を呼び出したのが涼音の指示だとすると、この前の帰りのやりとり以外の理由が見当たらない。何やら鶫のことを心配していたようだったし、安否確認を含めているのだろうか?


「あ、そうだ。祈更先生は、何でこれ・・が胸ポケットに入っているって分かったんですか?」


 鶫ですら存在を忘れていたくらいだ。特にポケットが不自然に膨れていたわけでもないし、煙草と勘違いされたわけでもないだろう。


 その鶫の問いに、祈更は仏頂面をすると、小さく舌打ちをした。

……この男、生活指導を名乗っているくせに中々態度が悪い。まだ若くて顔が良いせいか女子生徒には人気があるのだが、男子生徒には基本的に好かれていない。

 そういうところは行貴と似かよっている――と鶫は思うのだが、これを祈更本人に言ったら激怒すること間違いないだろう。


そこ・・から鉄錆の匂いがした。俺は人より鼻が利くからな。それだけだ」


「……そうですか」


 この場にいるのが鶫じゃなくて、行貴や秋山だったら「先生はまるで犬みたいですね!」と悪気無く発言していただろうが、鶫はそこまで馬鹿じゃない。


 くん、と試しに鶫も匂いを嗅いでみたが、特にそんな匂いはしない。人によって匂いなどが過敏に感じられる体質があるというが、祈更もそういった体質なのかもしれない。


 そんなことを考えていると、隣の部屋の扉に人影が見えた。


「――ああ、よかった。七瀬君、来てくれたんだね」


 カラカラ、と控えめな音を立てて、隣接した準備室の扉が開いた。ほっとしたような表情を浮かべながら、涼音が生徒指導室へと入ってくる。


「涼音。もう体調は大丈夫か?」


 祈更が心なしか心配そうな声音で、涼音にそう問いかけた。


「ええ。もうすっかり元気よ。ゆかり兄さんも心配かけてごめんなさい」


 ゆかり兄さん――。

 鶫はぽかんとした顔をして祈更を見た。確か、祈更の下の名前は紫だった。けれど、その女っぽい名前をからかう生徒が多かったため、色々あって今では名前を呼ぶことがタブーのようになっている。それをあんなに親し気に?

……この二人は、一体どういう関係なのだろうか。


 そんな思いで祈更を見つめていると、祈更はばつが悪そうに咳ばらいをした。

 

「おい、学校では名前で呼ぶなと言っただろう」


「あ、ごめんなさい。つい……」


 涼音はハッとして、すぐに落ち込んだ顔をした。その様子を見ていると、なんだか祈更の方が悪いことをしているように見えてくる。

 そんな教師二人の様子を見ていると、祈更が振り返って鶫に言った。


「――七瀬。今あったことは忘れろ。いいな」


「もし、言いふらしたらどうなりますか?」


「お前の数学の成績が1の評価になる」


「そんな横暴な! ……いえ、別に言いませんけど。ちょっと聞いてみたかっただけです」


 酷い教師がいたものだ。公私混同にも程がある。

 鶫は憤りを感じたが、流石に成績の件は祈更なりの冗談だろう。……そう思いたい。


 でも、この調子だと関係性を聞いてもきっと答えてはくれないだろう。後でこっそり涼音に聞いた方が早いかもしれない。


「ふん。俺は席を外すが、後で鍵はちゃんと返しに来るように。涼音先生もそれでいいか?」


「はい。ありがとうございます、祈更先生」


 祈更はそう言って指導室から去っていった。祈更が退いた席に、しずしずと涼音が座る。――そして、机の上に置いたままになっているお守りを見て、悲しげに眉を下げた。


「七瀬君は、私に何か聞きたいことはない?」


 涼音は唐突に鶫にそう言った。

 涼音に聞きたいこと。――それ自体は、いくつかある。何故あの日このお守りを渡したのか。今朝倒れた理由は何か。祈更との関係は、など様々だ。けれど、あえて挙げるとすれば、これ・・しかないだろう。


「涼音先生は、――あの日、俺がどうなる・・・・と思ったんですか?」


 今にして考えれば、その時の涼音の対応はあまりにもおかしい。まるで、鶫が殺されかける未来が見えていた・・・・・ような反応だった。そうでなければ、あんな風に必死でお守りを持たせようとはしないだろう。

 もしあの結界事故は涼音の仕込みだと言われたら、納得してしまいそうなくらいのタイミングだったのだ。


 鶫がジッと涼音を見つめると、涼音は何かを決意したように口を開いた。


「――七瀬君は、運命・・って信じる?」


 そう言って、涼音はにこりと笑った。

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