第8話 僕らは友達が少ない

「うーん、奇妙な満腹感がある……。かなり怖いんだけど……」


「特に問題はあるまい。かえって調子が良くなるのではないか?」


「本当にそうかなぁ……」


 けぷ、と小さく息を吐きだす。あの膨大な質量がこのお腹の中に入っている、……ということは流石にないだろうが、何らかのエネルギー体は摂取している気がする。でも魔獣なんか食べて、本当に人体への悪影響はないのだろうか。

 だが、ベルが「問題ない」と言うのだから、鶫としてはその言葉を信じるしかないのだろう。


「では、そろそろ戻るとするか。もうここには用がないからな」


 そう言って、ベルは結界を解いた。

 倒れていた木々達は蜃気楼のように形を変え、元の姿へ戻っていく。その光景はあまりにも幻想的で、鶫は思わず感嘆の声を漏らした。


 昨日までは知りもしなかった魔法の世界。素晴らしいことばかりじゃないとは分かっているけど、それでも今だけはこの夢の世界に浸っていたい。そう感じた。




◆ ◆ ◆




「――それにしても転移って本当に便利だよな。願うだけで好きな場所へ飛べるなんて、まさに魔法! って感じがする」


「貴様ら人間にとってはそうだろうな。本来転移のような移動手段は、高位の者か特殊な役割を持つ者しか使えない代物だ。そのスキルを手にした自らの幸運に咽び泣くといい」


 家に帰ってきて変身を解いた後、何となく転移の感想を言っただけのつもりだったのだが、ベルからナチュラルに上から目線の言葉を返された。

 鶫は別に気にしないからいいのだが、ベルは他の人間に対してもこんな感じなのだろうか。


「少し気になったんだけど、もし俺が転移のスキルを持っていなかったら、どうやって魔獣のところまで向かうつもりだったんだ?」


 それが、単純に疑問だった。

 そもそも転移といった特殊な力がないかぎり、五分以内に魔獣の出現区域に向かうなど、どう考えても不可能だろう。


「その時は我の力を使い、転移の門を貴様の部屋に設置していた。ただ、座標の設定が面倒な上に負荷もそれなりにあるため、多用には向かないがな」


「ちなみに負荷っていうのは?」


「ふむ。具体的に言うと、転移一度につき貴様の寿命が十日ほど減る」


「……俺、さっきも思ったけど、自分の固有スキルが転移で良かったよ。ほんとに」


 さらりと、とんでもないことを言われた気がする。ベルは人の寿命を一体なんだと思っているのだろうか。


 けれど、鶫の運が良かったのも事実である。これはベルが言うように、本当に一度咽び泣いて自身の幸運に感謝した方がいいのかもしれない。


 そう考えていた時、ピンポン、と家のチャイムが鳴り響いた。


「もしかして行貴のやつ、もう来たのか? まだ三時だぞ」


 言ってしまうと、今はまだ午後の授業時間である。

 こうして学校をサボって休んでいる鶫がいえることではないが、行貴の出席日数は大丈夫なのだろうか。まあ、あの狡猾な友人が単位を落とすような真似をするとは思わないけども。


「ベル様。友人が来たみたいだからちょっと出てくる。……ええと、できれば顔はださないで欲しいんだけど」


「馬鹿め。誰が人の前なんぞに顔を出すか。さっさと行ってこい」


 見られたら少し困ったことになりそうだ、と思っての発言だったが、そうなげやりに返された。

――確かに冷静になって考えてみれば、この気位の高い神様がわざわざ人に関わるわけがないか。……また呆れられてしまうかな。そんなこと思いながら、鶫は玄関へと向かった。



モニターで相手を確認し、ドアを開ける。

そこには、鶫が想像していた通りの人物が立っていた。


「やあ、鶫ちゃん。随分と元気そうだね」


 ひらひらと右手を小さく振りながら、行貴はそう言った。


「……まあ、ちょっとな。お前もどうしたんだよ、こんな早い時間に。また学校で何かあったのか?」


「いや、今日はただのサボり。鶫ちゃんもいないから放課後まで暇でしょうがなくてさ。クラスの連中もごちゃごちゃと鬱陶しいし」


 そう言って行貴は不満げに口を尖らせた。

 きっとクラスメイトに変な絡み方をされたのだろう。確かにあれは面倒だ。


「はい、これお願いされてた本。――人との約束を破った上に、この僕に使い走りまでさせるなんて、鶫ちゃんじゃなければ許してないからね。まったく、何をしてたか知らないけどこの借りは高くつくよ、高く」


「ああ、ありがとう。本当に助かった。……埋め合わせは後でちゃんとするよ」


 どうせ鶫が仮病なのは気づかれているだろうとは思っていたが、行貴はこういう時あまり理由を聞いてこないので、それはありがたかった。


 行貴から本の入った袋を受け取り、中身を確認する。確かに鶫が頼んでいた本だった。

 パラパラと軽く中身を見てみたが、特に目立った汚れや落丁もなく、品質としてはかなりいい方だろう。贈り物としては十分な代物だ。

 だがその本の最後に、何かが挟まっているのに気が付いた。


「ん? なんだこれ、封筒?」


 本のページの最後に、金色の縁取りをした小綺麗な封筒が挟まっている。一体これは何だろうか?

 鶫が不思議そうに封筒を取り出すと、悪戯を成功させたかのような顔をして、行貴が楽し気に口を開いた。


「ああ、それは僕から鶫ちゃんへのプレゼント。開けてみたら?」


「ふうん? 中身は、――え、温泉旅行のツアー? しかも二泊三日。いいのか? こんな高そうなもの貰って」


「いいよ別に。だってそれ、僕も貰ったやつだから実質お金はかかってないし」


 そのツアーチケットには『箱根バスツアー、豪華温泉観光の旅!』と書かれている。

 出発日は三ヵ月後の十二月の後半。ちょうど学校が冬休みにはいった頃だ。


「へぇ、しかもペアチケット。これなら千鳥と一緒に行ける、な? あれ、これって……」


「どうかした?」


 行貴がきょとん、とした顔をして首を傾げる。鶫はそっとチケットを差し出し、下に小さく書かれている一文を指差した。それを行貴が読み上げる。


「えーとなになに? 『これは女性限定のペアチケットになります! 当日に身分証を確認致しますので、お忘れのないようにお願います』 ……あー、えっと、じゃあこれは千鳥ちゃんへのプレゼントってことで! お友達を誘って出かけてもらってね!」


 えへ、と誤魔化すように行貴は笑った。正直、かなり苦しい。


「いや、別に文句とかは全然無いんだけど、行貴がどういう経緯でこれを貰ったのかが気になるんだが……」


 この女性限定のチケットを行貴に譲った人は、何を考えていたのだろうか。行貴がその人から遠回りな嫌がらせでも受けているんじゃないかと、ちょっと心配になってくる。


「いや、僕も知り合いから『いらないからあげる』って言われて貰っただけなんだよね。箱根旅行のところしか見てなかったけど、そういう理由があったんだー。なんかごめんね?」


 流石に少し鶫に悪いと考えたのか、行貴はらしくもなく殊勝な態度で頭を軽く下げた。


「その祝ってくれようとする気持ちだけで、俺は十分嬉しいよ。ありがとう、行貴。千鳥には後でちゃんとお礼をいうように言っておくから」


 そう言って、鶫は笑った。

 行貴ほどではないが、鶫自身もあまり友人は多い方ではない。その中でもこうしてわざわざ家に顔を出して祝ってくれようとするのは、きっとこの友人くらいだろう。何だかんだと不満を言いあうことはあるが、やっぱり行貴は鶫にとっても大事な友人なのだ。


「そっか。じゃあ千鳥ちゃんよろしく伝えといてね。――今日はもうおいとまするよ。ちょっと寄りたいところがあるからさ」


「ああ、色々と助かったよ。気を付けてな。――じゃあまた、来週学校で」


「うん、じゃあね」


 そう言って、行貴は去っていった。

 鶫は遠くなるその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。自然と顔に笑みが零れる。


――今日は良い日だったな。ああ、昨日死ななくてすんで・・・・・・・・本当によかった。


『生きている』というのは、本当に素晴らしい。一度死の淵を経験したからこそ、強くそう思う。



 鶫は本の入った袋を大事そうに胸に抱え、ベルがいる部屋へと戻っていった。


「戻ったよ、ベル様」


「ああ。……なんだその顔は。だらしなく頬を緩ませおって」


 まるで奇妙なものを見たかのように、ベルは眉をひそめてそんなことを言った。


……そんなに変だったのだろうか。鶫としてはそこまでひどい顔をしていたつもりはないのだけれど。


「あの、相談なんだけどさ。明日の午後からだけは自由にしてもいいかな。どうしても譲れない用事があるんだ」


 ベルは鶫が通常の生活を送れるように考慮してくれると約束してくれた。けれど鶫としては、出来る限りはベルの希望に沿った行動をとりたいと思っている。それが、鶫にできる唯一の恩返しだからだ。


 だが、明日の午後だけは話が別だ。明日だけはベルの下僕ではなく、七瀬千鳥の家族として過ごしたかった。


「別に構わんぞ。毎日魔獣を狩るわけにもいかないからな。だが、そこまで言うからにはさぞや大事な用件なのだろうな?」


「……俺と、姉――千鳥の誕生日なんだ。この歳になって『お誕生会』なんてベル様にとっては馬鹿らしいことかもしれないけど、俺にとって姉はたった一人の家族だから。できる限りのことはしてやりたいんだ」


「誕生日? ふん、昔の人間どもは新年の初めにまとめて祝ったと聞くが、今は個別に祝うのだな。おい、貴様の生まれた日も明日なのか?」


「一応そういうことになってるけど、俺と姉は災害事故で記憶があやふやだから、もしかしたら正確じゃないかもしれない。でも今の戸籍上はそう言うことになってるから、明日ってことでいいんだと思う」


「そこまでは聞いていない。まったく、返事もまともにできないのか貴様は」


 相手は神様だから、きちんと本当のことを告げた方がいいだろう。そう思っての説明だったのだが、ベルはそこまで興味があった訳ではないようだ。まあ、普通はそうか。


「ふむ。だが我が契約者を労ってやるのも上に立つ者の務めか。――おい」


 ベルは思案気に手に顎を乗せ考え込むと、鶫に声をかけた。


「なにかな?」


「明日の午後は空けてやる。だが、午前中は我に付き合え」


 その言葉に、鶫は胸を撫で下ろした。これで一先ずは安心である。

……ただ、いったい午前中は何をするのだろうか。


「それは大丈夫だけど、明日は魔獣を倒しには行かないんだろう? なら、一体どこに行く予定なんだ?」


 鶫がそう聞くと、ベルはニヤリと笑って見せた。



「なに、――ただの『デート』だ」

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