第3話 過去(葵視点)

 パパは私が5歳の頃に突然失踪した。


『パパ? どこ行くの?』

『ん? ちょっとお仕事にな…』

『こんな夜にそんな荷物持って?』

『あぁ…ママには内緒だぞ? 心配しちゃうからな』


 そう言ってパパは一生帰って来なかった。


 不倫だった。


 その時の私はよく分からなかったが、パパがママを深く傷つけたのはよく分かった。


 私がいない所でこっそり泣き、赤く目を腫らし、それをバレないように化粧を濃くして隠す。


 いつも私の為には笑顔を絶やさず、泣いている所は見せない。


 私に心配をかけないように。


 悲しみを与えないように。


 最高のママだ。


 尊敬する。


 私もこんな女性になりたいと心から思った。




 そして、


 中学3年の合格発表が終わった、その日の夜ご飯の時…。


『葵……大事な話があるの』

『ママ? どうしたの?』

『少し言いづらいんだけど……ママ、再婚しようと思ってるの』


 神妙な顔でママは言った。


 突然だった。


 私がママの目をジッと見つめると、母が本気だと言う事が分かった。


 数分、沈黙が続く。


 そして、そんなママの発言に対し私は、


『…いいんじゃない?』


 色々考えたが、私はこれまで苦しんできたママに否定する事なんて出来る筈が無かった。


 私がそう答えると、ママが項垂れるようにして机に突っ伏した。


『はぁ〜〜〜! …断られると思ってた。ありがとう…葵』


 大きな溜息を吐き、笑顔になるママの姿を見て私も笑顔になる。


 よかった。


 その一言に尽きる。


 これまでママには苦労ばかりさせて来た。


 私に不自由ない学校生活を送らせる為に、パートを増やした。家でも内職をしていた。


 その分、私は学校の帰りに買い物に行き、料理も少しばかり手伝った。それでも精神的にキツかっただろう。


 …苦しんできた以上の幸せを、ママには掴んで欲しい。


 そんなママにも、少しの幸福が訪れても良い。


 そう思った。


『ママ、我慢しなくて良いからね?』


 私がそう言うと、ママは突っ伏していた顔を凄い速さで上げ、目を見開く。


 そして、立ち上がると私の隣に来て


『うん…うん…ありがとうね。葵』


 ママが優しく、私と抱擁を交わす。


 私の肩に透明な温かい雫が流れ落ちた。




 数分後。


『グスッ…』

『マ、ママ? 大丈夫?』

『うん…』


 私はママとの抱擁を終える。ママは隠そうともせずに目をゴシゴシと服で拭っている。


 小さな頃の私には見せなかった姿。


 今となって、見せても良いとママの中で思ったのだろうか。


 私はそれを見て、ママに認められたと思い、少し嬉しかった。


 そして泣き続けるママの泣きっぷりに気を遣って、私は話を変える。


『あのさ、再婚相手の人ってどんな人なの?』


 そう聞くと、母はそうだったと言わんばかりに急いでティッシュで鼻をかみ、涙を拭く。


『凄い人なの! 葵も会ってみたら驚くと思う!』


 ママは元気を取り戻す。


『凄い人?』

『そう! 明日予定が空いてるみたいだから、会いに行きましょう!』

『え! 随分急だね?』

『忙しい人なの。面白い人だから葵も気にいると思うわ』


 そこからママの惚気話が1時間程続いた。


 嬉しそうに照れながら話すママに、思わず笑みが零れ落ちる。


 こんな幸せそうで…本当によかった。その人と会ってみない事には分からないが、ママの話を聞く限り良い人みたいだ。


 私も早くその人に会って…ママに相応しい人なのかどうか、裏切らない人なのか、ちゃんと確かめなきゃ。


 そう思った。


 しかし、そんな心配もすぐに無くなった。






『この子があかねさんの娘さん? 茜さんに似て可愛いね!』


 翌日、家に来たのは陽気なおじさん。髪はパーマを当て、オシャレに7対3で分けている。おじさんと言っても結構若く、恐らくママと同じ30代ぐらい。


『初めまして、神原かんばら さとしと言います』


 聡さんが此方に手を差し伸べる。


『は、初めまして。葵です』


 私は握手をする。


『あ、勿論可愛いと言っても茜さんには負けるよ?』

『や、やめてよ! 娘の前で!!』


 ママが聡さんを肘で小突いている。


 ……凄いラブラブっぷりだ。こんなママ初めて見たかも。


 私が2人を見つめていると、2人はそれに気づいて恥ずかしそうに咳払いをする。


 こんなに…心配ないかな。まぁ、今の所は。


『葵、聡さんって有名な画家さんなのよ。知ってた?』


 え? そう言えばテレビで見た事があるような…


『私、昔からファンで…聡さんの儚げだけど元気づけられるような…そんな画風に惹かれて…それで偶々道端で会って…それで』

『俺から茜さんをデートに誘わせて貰ったんだ。一目惚れで、話をして行くうちにどんどん茜さんに惹かれて…』


 2人とも顔を赤らめている。


 そして目を合わせては離してを繰り返している。


 ラブラブ過ぎはしないか?


 葵は呆れるように大きく息を吐くと、2人を見て、優しく微笑んだ。


 これから幸せな生活が始まる、そう思っていた。




「サプラー……イズ?」

「え?」

「え?」




 まさか聡さんにも子供が居たなんて、私は1ミリも想像してなかった。

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