君といる夜は、めまいを感じる。第三夜、
君といる夜は、めまいを感じる。
第三夜、
今日も学校に着くなり、授業が始まるまで机に突っ伏して、腕の中に溺れるよう顔を押し込んだ。相変わらず、頭の中を駆け回るあいつを捕まえる事ができない。それなのに、ヨルの白い影と話した事、少し掠れた声だけは鮮明に残っている。きみの声が鼓膜だけではなく、頭の中でも鳴っているからくすぐったくて仕方がないんだ。
昨夜、ぼくのどうしようもなく無意味な生き方を象徴している高校というものを「辞める事にした」とヨルに話した。理由は、やはり、どう考えても時間の無駄だからだ。きみに人生の有限を訴え「時間の投資に対して、学びが重要だと思えない」と無価値さを訴えたのだが、きみは「ふふっ、そうか」と小さく笑うのみ。しばらく、ぼくの熱弁を聞き「辞めたとしても勉学だけは続けろよ、少年」という言葉が最大の返事だった。しばらくして、何となく気不味い雰囲気が続いていた時にきみが口を開く。
「“知識”は、より多くの“気付き”を身に付けさせる」
「何……それ?」
ぼくが眠れぬ夜に聴き始めた歌の歌詞が、何故、分かったのかと聞かれ「英語だったから」と答えたのが、きみが大好きな言葉でなぶる行為に火をつけてしまった。
「教えられる事が普通過ぎて、学べる価値すら知らないとは、平和。実に想像力と思考の浅はかさ、人生の経験が足りない」
「なんだよ」
それからヨルが淡々とその少し乾いた声で説いたのは『教わる幸せ』というものだ。眠らない、食べない、という選択が出来るくらいに安定した生活が送れる上に、学ぶという事も与えられる。それが、いかに尊い事なのか考えてみた事はあるのかと問われ、言葉に詰まってしまった。きみが言った通りに、ぼくが高校を辞めた後、独りで勉強を続けた先には、必ず、躓くぼくがいると断言した。
「若さが自信を過大評価し、裏付けの無い自尊心が過ちを過小評価させる。そして、責任転嫁の癖が付く」
左右非対称の歪んだ微笑みは、ぼくの目の奥を見ていた。その目から逃げようと思っても逃げられない。とても魅力的だと思っているからだ。きみは勉学を独学でした先にある躓きに、どう対処するのか?と投げかけ、ぼくが答える隙なんか与えずに言葉を加えていく。本に穴が空くまで睨めっこしていれば解けるようになるのか?それとも、何ヶ月もかけて地道に学び、解こうとするだけの粘り強さを持ち合わせているのか?その強さがあるなら、それを持ってして高校に行き、教えられ、楽をして余った時間を“その大層立派な人生”に投資した方が有益ではないのか?と畳みかけ、意地悪に口を歪ませた。
「結局、きみも学校に行けって言いたいのか……」
「いいや」
「遠回しに、そう言っているじゃないか」
実に少年は正統派のひねくれ方をしていると頭を小さな手で撫でられ、聞き分けのない子どもに言い聞かせるように、ゆっくりと『教わる事の大切さ』を言葉にした。学び続ける事を見守り、躓いた時に隣で支え、導いてくれる人がいるという事は幸せな事なんだ、と。
「先に学び、得た知識を後に続く者に伝えていく」
家まで続く“年度末に大人たちが騒ぐくらい暗い道”を歩きながら『学ぶ』という事について考えてみた。ヨルは『まなぶ』とは『まねる』が語源とされていて、『まなぶ』とは先人の持つ良いものを真似て盗み、身に付ける事なのだと言った。でも、ぼくの周りにいる大人に真似たいと思う大人や模範になる大人なんているか?子どもの頃に憧れた大人は誰だった?……父さんか?
ぼくがこの先、大人になるとして、どんな大人になりたいんだろうか。公園で言葉に詰まったぼくに、ヨルがいやらしくニヤけながら「間違っても大人になったフリはするなよ。まだ酒は飲むな、煙草も吸うな。これらは未成熟な身体になお悪い」と言って、公園の灯りの下まで歩き、くるっ、と回ってみせて、ワンピースのスカートで真っ白な花を咲かせる。ぼくくらいの年齢の少年少女たちに芽吹く大人への憧れは『反抗』や『選択した自由』の象徴だとして、お酒や煙草を摂取し、法を犯す事で満たされる罪悪感に『自由を錯覚』するヤツがいるのだと、真っ白なきみを照らす灯りの下でスカートの両端をつまみ上げ、お辞儀をした。
「法を犯す事や、それら嗜好品の影響も知らずに摂取し、大人になった気分になる。悪い事をした気で満たされ、それを『反抗』や『自由』などと言い将来を考えず、自分の身体すら守れないとは、実に子どもだ」
きみは反抗というものを勘違いする子どもにはなるな、と、きみを浮かび上がらせていた灯りの下から、こちらの世界にゆっくり戻ってきて、ぼくの右頬に手を添えたから少し頬を擦り寄せたんだ。すん、と、鼻を鳴らし、もう一度、頬を預けるときみの匂いがした。きみは首を少し傾げ、差異を持って目を開き「いい子だ」と微笑む。
「目眩がするだろう?」
「うん」
「地球が回っている事に気が付いたんだ」
「うん」
「なあに、その内に慣れる。安心しろ」
「……うん」
手を添える反対側の頬に、膨よかな唇で触れるくらいのキスを……してくれた。
「わたしに恋をし、口説けるだなんて自惚れるな、子どもが」
なんだ、きみには全部見透かされているね。
今日の駅も人で溢れ返り、人の吐いた温い二酸化炭素で咽せる。みんな同じような色の服を着て、みんな同じような髪型。みんな同じ物を持っていて個性なんてものは無いように見える。駅やインターネット、コンビニの本棚に見る『このアイテムが個性的』や『反抗の象徴である基本』という定義があり、系統、分類分けがされ、注文を受け付けている時点で、個性は量産的で、反抗は飼い慣らされているというのに、どうして、みんな気付かず、こぞって買い求めるのだろう。
「なんだかなー……」
人々は人生の集合体の中にいて、小さく丸まるように群れる。お酒や煙草、人によっては違法薬物に手を出す事で社会に反抗する条件を揃え、辛い現実から逃れようとする。そんな事をしても社会の大多数を占める“大人たち”に、このもどかしい思いが届く事なく、無視をされ続け、たまに現れる非情に弱る者に、また他者が群がり、叩き、遊び、四肢が動かなくなって、抵抗出来なくなるまで目に見えない暴力が続く。そんな非情に周りの“大人たち”は、自分は手を出していないから、見ていただけだからと無関心で避け続け、弱った虫に群がっていた虫たちは、また次の非情を行使する為だけに涎を垂らしながら弱者を探し回る。そんな“大人たち”は自分自身の言い分すら聞く事が出来ず理解も出来ないんだから、ぼくらの言い分なんか聞いてくれるはずがない。
「なんだ……よく見たら人の流れなんて」
歩くのも、並ぶのも、その間隔も一緒。誰に言われた訳ではないし、注意書きがある訳でもないのに、一緒だ。
「そりゃ、行き場のない思いが溢れて、間違えば自分すら殺めるよな」
ルールを破り反抗する事だけが大人に対する抵抗ではないが、反抗をするなら規律の範囲でやるといいと、きみは言った。だから、このホームの混雑の中を速足で抜ける。誰も叱らない、叱れない。ルールの中で、誰の迷惑にもなっていないからだ。この速足によって、世界を逆転させる事は出来そうにないが、頭の中にある爆弾が起爆しないようにするのには役に立った。
『遊びも、抵抗も、決められたルールの中でやるから、意味があり、楽しいんだよ』
きみの声が聞こえる。ああ、早く、早く夜にならないのか………。
相変わらず、学校は意味もなく、楽しい訳でも、辛くもない時間がダラダラと続き、意味は分かっていても使い道が分からない知識ばかりが詰め込まれていく。学校にいる大人をよく観察してみたが、教師という国家資格を持った先人たちの中に、憧れたり、真似たりしたいと思う大人はいなかった。
購買でおにぎり二個とお茶を買って、それを昼食とする。先月まではお茶ではなく牛乳を飲んでいたのだが、何となく“健康そうだから”という理由で選んでいた事に購入するのが躊躇われるようになった。昼食を食べ終わると耳にイヤホンを詰め込んで、今日もきみの少し掠れた声に溺れる。実際に溺れた事はないけれど、沈んでいくっていうのは、こういう感覚なんだろう。窓から差し込む陽で照らされた明るい現実から少しずつ沈んでいき、光を失っていく。水圧が高くなっていき、肺の中から空気を追い出していくから、今日も上手に溺れてい………、
「何?何か用?」
心地よく溺れようとするのを邪魔するライフジャケットのような存在が気になって、水面に顔を上げた。そこには、四月、五月、六月、恐らく今月も学年成績トップ10位以内に名前を載せるであろう女子が立っていた。
「いや?いつも何聴いてるのかな、って?」
何だよ…………。そんな事で睡眠の邪魔したのか?少し不機嫌に「タイトルもアーティストの名前も知らない」と言うのだが「ふーん?」と、ぼくの答えに満足していない様子だ。どうして、こうなった……面倒臭くなり「たまたま見つけて気に入ったんだ」とイヤホンを渡す。少し肩にかかった髪をかき上げ、躊躇いなくイヤホンを耳に入れる成績トップ10位以内女子。よくもまあ何の疑いもなく、他人が使っているイヤホンを入れられるよな、とも思ったが、なんだか少し………。
「知ってる?」
「んんー……?まあ、古いロックだね。どっかで聴いたよう、な?………あっ」
「なんだよ」
「ふふっ、兄ちゃんがバンドでやってた曲だ」
ベースを弾くという兄が趣味でやっているバンドでコピーしていたという、この曲。成績トップ10以内女子が「タイトルとかアーティストの名前とか聞いておこうか?」と言うから「いや……いい。なんだか、知らない方がいいと思う」と断った。すると「そっか」と、少しうつむき「きみがそれでいいなら」と微笑んだのだ。その健康的な肌の色と夏服の軽さ、潤いのある声は、ヨルと正反対の美しさだなと不覚にも思ってしまった。チャイムが鳴り「じゃ、またね」と離れた直後「なあ!なんなの?仲良いの?」と、前の席から前のめりに聞かれ「は?今、初めて話したよ」と不機嫌に言うものの、何故か………少し優越感を感じているのは、どうしてだよ。
「その女子は男女問わず人気があんだってさ」
ほう、と興味があるような、社交辞令のような相槌をするヨル。ぼくの隣に座ると「その少女の事が頭から離れないだろ?可愛らしいのか?身体付きはどうだった?」と揶揄ってくる。こういうの………苦手だ。そうやって、すぐに性や色恋沙汰にして話の種にする。みんな自分の事でなければ単純に考え、話の種にし、楽しむけれど、そんなに単純な事じゃないんだよ。
「真面目に思春期を楽しんでいるか、少年」
「どういう事?」
「相変わらず考えない頭だな」
きみはいやらしく上目遣いで、ぼくの目を覗き「性の事について考え、悶々とした夜を過ごした事はあるかと聞いている」と言う。つまり、性の目覚めを言いたいらしい。きみに嘘を言っても見透かされるので、正直、そんな感情が湧いても、そういうの……行為とかに向き合う程の余裕がなかったと打ち明けた。
「不健全少年」
「仕方がない。勉強とか、疲れとかで一杯一杯だったんだ」
それと同時に、今まで何度か告白された事もあったが、彼女という存在に興味が持てず断ってきたという事も伝える。昨日まで意識もしていなかった人間を、今日から意識しなければいけない人間になって、明日には“そういう事が出来る対象”になるかもしれないというのが短絡的すぎて、よく分からなかったのだ。『付き合ってください』と『よろしくお願いします』で成立して、それだけで………あんな事とか変だ。
「性交渉が怖いのか?」
「怖いというより気持ち悪い。嫌なんだ」
それなのにクラスメイトや友達に恋人が出来ると、何故か焦りを感じていた。分からないのに焦りを感じるっていう事が、さらに感情を分からなくさせていたのだ。今思うと『置いてきぼり』になると感じていただけだったんだと思う。
「それで今、そんな感情に苛まれているのか。不健全少年」
「ぼくくらいの歳で分からなくても、いやらしい感情が無い方がおかしいだろ」
「わたしにすら欲情しているもんな?」
欲情って………いや、でも、このもやもやは何だろう。これがいやらしい事というか、その先、性行為とか………何か期待しているのか?何だかぼくは汚らしくて、気持ち悪い。すごく、自分が嫌になる。それなのにまた、きみがそんな表情で見つめるから、喉がきゅっと締められる。嘲笑うように左右非対称に開かれた目と歪み笑う、成績トップ10位以内女子とは正反対の存在。
「きみはきれいだよ」
「なかなか気の利いた言葉を言う」
ぼくが、こんな事を言ってもきみは動揺すらしないと知っているのに、つい……言葉が出てしまった。ぼくは、このつい出てしまった言葉に動揺しているというのに「わたしは、みんなの為にいるのだから調子に乗るな、不健全少年」と、いつもの格好良さで笑ったから動揺を誤魔化す為に「かっこいーねー」と冷やかした。
「ふふっ、もっと冷やかせ。そのうち出来なくなる。わたしは誰のモノにもならない。それがわたしである所以」
きみは誰のモノにもならない、誰も手に出来ない。だけど、きみは誰をも相手にして、誰をも手の中で転がす。それが、きみがきみであるという事なんだろう?
本当に、かっこいいね。
本当に、きみはきれい。
君を想う夜は、めまいを感じる。
第三夜、終わり。
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