初陣
「アーサー、次の仕事から参加してみない?」
僕が鎧と剣を手に入れた次の日。円卓の騎士での活動を終えて帰宅する車内の中で、有希は唐突にそう切り出した。
「いいよ。僕も準備万端だ」
僕は自信を込めてそう自負した。今日の活動で早速新しい鎧と剣を使ってみた僕は、その圧倒的な性能を存分に発揮させることができた。吸血鬼と闘ったときにこの鎧と剣があれば、もっと楽に撃退できたと思えるほどだ。
「流石アーサーね。じゃあ、ちょっと待ってて」
そう言って有希は目を閉じる。僕は有希にどういう意図があっての行動か読み取れず、目を閉じた有希を眺めていた。すると次第にその顔がキス待ち顔に見えてしまい、そのままキスをしてしまいたい衝動に駆られた。
しかし僕がウダウダしている間に有希は瞼を開いてしまった。そして、人形のような美しい澄ました顔で
「うん、大丈夫そう」
と安堵するように呟く。僕はその意味を測ることができない。
「ごめん前川。次の角を右に曲がった所で止めてくれる?」
有希は前川さんにお願いする。
「かしこまりました」
前川さんは有希の意図を察したのか、理由を聞くことなく従った。
僕たちが車から降りると前川さんは、葵さんを迎えに行くため学校の方へと戻っていった。
「こっち」
有希は僕の手を引いて路地を歩き出す。なんの気なしに繋がれた手に、僕は僅かばかりに照れくささを感じた。
有希に連れられて路地を曲がって裏路地に入っていく。始めに降ろされたのは駅近くの人通りの多い場所だったのに、入り込んむにつれて人気はなくなっていった。
僕は、何故ここに降りたのかを引っ張られながら考える。
まさか、ここでエッチなことをするとか!
なんてね。人気のないことから僕の脳内に桃色の妄想が広がったけど、もちろん、本気でそうだと思った訳ではない。
でも、少しぐらいならあり得ないかなと期待するぐらいには、人気のない場所に有希は入っていくのだ。
そして、有希はさらにいくつか路地を折れた所で、歩くのを止めた。
どうやらここが目的地らしい。僕は辺りを見回してみるも、分かるのは特に何かある訳でもない路地裏であるということだけだった。
僕がにここに来た理由はなんだろう? と答えの分からない問いに考えを巡らせていると
にゃー
かわいらしい猫の鳴き声が聞こえてきた。ちょうどこの近くの路地から出てきたようだ。出てきた猫は茶白の体毛とクリっとした茶色の瞳で僕をじっと眺める。確か、じっと眺めるのは警戒してるんだったかな?
そうして、僕と猫はしばらくお互いを見つめ合う。猫はこちらを警戒しているようだが、逃げる様子は見られなかった。
「アーサー。この猫拾って」
有希は猫を指さして言った。
「えっ? うん、わかった」
僕はそう言って猫に近づいていく。猫は最初は警戒している様子だったが、それ以上に僕たちに飼われるメリットに気づいたようだ。媚を売るように大人しく僕の腕の中で収まる。
僕は猫を抱きながら、しばらくその意図を読み取れずにいた。飼うことは別に構わないと思うけど、それが進人狩りの初仕事とどういう関係───
そこまで考えて、僕は
「もしかして、この猫が進人に?」
僕は自らの考えを確認するために有希に尋ねる。有希はコクンと首を縦に振り
「そう。なるのは一週間後だけど、今から隔離しておこうと思って」
といきなり予言じみたことを言ってきた。なぜ、有希はそうなることが分かるんだ? 既に進人になっているのならばまだしも、この猫は、まだなんの変化も起こしていないのに。
『進人とは、人間や動物に発生する病気『進化症候群』に発症した生物の総称だ。本来、生物学的に長い時間をかけて進化する生物が突然、大きく姿を変えることからこの名前がつけられている。
その症状の特徴は『人間は動物の特徴を、動物は人間の特徴を獲得し、いずれも強靭な肉体を得る』というもの。
しかし、その進化が完遂されることはない。過去に報告されたすべてにおいて進化は中断され、進化しかけた生物は錯乱状態に陥り凶暴化する。この状態から理性を保っていたケースは今まで報告がない。
僕が見た吸血鬼がその反例になるかもしれないけど、少なくとも現状では、それを証明する証拠にはならない。
また、進人は殺すことが一筋縄ではいかないことも認知されている。進人は先にも言った通り強靭な肉体を有しているため、倒すためには強力な殺傷能力が必要なのだ。警察が持っているような拳銃では満足に傷をつけることすらできない。最低でも、戦車の砲撃程度の殺傷能力が無ければ太刀打ちできないのだ。
しかも進人は突発的に、いつどこであっても出現する可能性がある。それは砲撃のできる開けた場所などという親切はなく、人通りの多い場所や住宅街の真ん中であっても当然に起こる。
だからこそ、突発的に現れて被害を出す進人に対して、素早く、完全な個人で倒すことができる『進人狩り』の存在は貴重なのだ。現在、この仕事は『世界で最も難しい仕事』として従事するものは10人もいない。
これが僕の『進人』、および『進化症候群』の知識である。
つまり、それだけいきなり発症する病気なのだ。なる可能性のある存在を特定することは、ほとんど不可能に近い。
なのに、有希はそれを平然と実行した。僕にとって有希の言動は常識を遥かに常軌したものだった。
「どうしてなるって分かるの?」
僕は有希に聞かずにいられなかった。まるで預言者のような有希の言葉の真意が知りたかった。
「う〜んなんて言うのかな。私には見えるのよ、未来が。で、その力を使ってこの猫の未来を観測したわけ」
有希は自分の眼を指さしながら、なんでもないような顔でとんでもないことを言い放った。
「み、未来が見える……?」
僕は突拍子もない有希の発言に面食らう。
「ははっ、まさかそんな冗談……」
「冗談じゃないよ。この猫はこれから1週間後に発症する」
有希は断定口調で言った。この口調は昨日の有希との戦いでも見られたものだ。確か、あの後に僕はすぐに力尽きてしまった。もしかしてあれも……?
まさか、本当に可能なのか?
「昨日の闘いで僕の動きを予測したり、僕が力尽きるのを知ってたような口振りって……」
「そうよ。ついでに言えば、アナタと椿が私の部屋に突撃してくるのも未来視で視たの」
僕の確認に有希はあっさりと首肯した。僕はあまりの衝撃に言葉を失う。有希から提示されたいくつかの証拠が、僕の常識を次々に駆逐していった。
「じゃ、じゃあ発症しない可能性は見えなかったの?」
「私が見た限りでは、この猫の発症は避けられない」
有希は猫に対してどこか憐れんだ目を向ける。無理もないことだ。進人になるということは死亡宣告に等しい。
「どう? できる?」
有希はやや不安げに僕の様子を伺う。その不安そうな目つきは断られるのを想定しているのだろう。
「……正直に言うとやりたくないかな。せめて、この猫が進人になってからならまだ良かったんだけど」
僕は素直な気持ちを伝える。今はまだ、可愛らしいだけの仔猫を殺すことに躊躇いが無いわけがなかった。だけど
「だからこそ、この猫は僕が責任を持ってお世話するよ」
「え?」
有希は僕の言葉に驚く。
「なんで? どうせ殺すことになる以上、あまり甲斐甲斐しくお世話するのはオススメできない。きっと殺すのがツラくなるから。あくまで隔離だと思った方が良い」
「だからこそだよ。もしこの子を殺すにしても、作業として処理するんじゃなくて、愛情を持って送り出してあげたいんだ。それに、もしかしたら愛情を持って育てたら進人にならずに済むかもしれない」
「……どうしてそう思うの?」
「だって……」
僕はそこで一呼吸置いて
「なにごとも、愛さえあれば乗り越えられるから」
と自らの経験から得た信念を表明した。吸血鬼に襲われたときだって、有希のことを想ったから切り抜けることができたのだ。この子にも、ペットとして同じように愛を注いであげれば奇跡が起こせるかもしれない。
有希は眉を寄せて苦々しい顔をする。ここまでロマンチックな理由とは想定していなかったのだろう。
でも、僕とてロマンチストだから言っている訳ではなかった。これは賭けだ。僕はこの子を殺したくはない。それが作業のようになってしまうのなら尚のことだ。もし殺すにしても、そこに愛情があったことを知っていてほしい。
「頼むよ。進人になったときは、僕が責任を持ってこの子を倒すから」
「それならいいけど……」
有希は渋々と言った形で折れる。だが、あまり納得が行っていないことは明白だった。
有希ははあ……とため息をつく。そんな有希を見た僕は咄嗟に
「ごめんね有希。こんなワガママ言っちゃって」
と申し訳なさそうに言った。
僕たちは、猫を抱えたまま飼育グッズを買いに、近くにある大型ショッピングモールへと足を運んだ。しかし、ペット禁止だったので有希に買い物を任せて僕は猫と入り口の前で待つことになった。
僕に抱えられた猫は、暴れることなく抱き心地のよいクッションになっていた。モフモフとした感触が気持ちいい。
そして、有希が買い物から戻ってくると、近くを通っていた前川さんの車で家へと帰った。
「というわけで、今日からこの猫を飼わせてほしいんです」
家へ帰ると僕はお義母さんに事情を説明しに行った。
「わかったわ。けど、もし進人になったらアーサーくんがしっかりと処理してね。それが飼うことの条件よ」
「はい。最後まで責任を持って面倒みます」
改めて宣言する僕にお義母さんはニコリと笑った。そう、これは僕の賭け。その結果を有希に負わせることはしない。
猫は、家に着くとだだっ広い敷地を縦横無尽に歩き回っていた。この家の広さは、猫にとっていい探検になるのだろう。
しかし、しばらくするとお腹が減ったのか僕の下に戻ってきて、スリスリと僕の脚に頬を擦りつけていた。かわいい。
「今日から一週間。しっかり面倒みてやるからな」
僕はスリスリしている猫を抱きかかえると三度の目の宣言をした。
「ほら、たらふくお食べ」
僕は猫に餌を上げながら何気なく話しかける。猫はその餌を美味しそうに食べていた。
「ほら、猫じゃらしだぞ」
そして、ご飯を食べ終わった後は猫じゃらしで遊んでやる。猫はその猫じゃらしに興味深々らしく猫パンチを放ってきた。猫がこういうのが好きなのは知っていたが、実際に遊んでいる仕草を見ると中々に癒されてしまう。
「そうだ、名前をつけてやらないとな」
少なくとも一週間はペットとして飼うのだ。愛情を注ぐという意味でも名前はあったほうがいい。そう考えた僕は猫の名前を考えることにした。といっても、パッと浮かぶほど僕はクリエイティビティに溢れていないので、すぐには思い浮かばない。
しばらくの間、ウンウンと唸りながらこの猫に相応しい名前を考える。
そうして色々と考えた結果、『ケイコ』という名前を付けることにした。この猫の品種はスコティッシュフォールド。この品種の、明るい茶色の毛並みから連想したのだ。
ちなみに、ケイコという名前からもわかる通り彼女はメスだ。流石にオスの猫に女性の名前をつけることはしない。
そうして、ケイコのペットとしての生活が始まった。僕は毎日のようにケイコに餌をやり、遊んでやる。もちろん躾も。
僕だけじゃない。武藤家の住人全員がケイコをペットとして可愛がり、飼育を手伝ってくれた。有希も最初はよそよそしい態度をしていたが、徐々にケイコと打ち解けていった。
ケイコを飼っていて感じたこは気位が高いということだった。猫でありながら、動きの節々に上品さを感じることができる。
しかし、それでいてたまに抱きかかえてやると途端に甘えん坊になる。どうやら抱えられるのが気に入ったようで、日が経つに連れて自分から抱えられるのをせがむほどだった。
それから、猫でありながら人間のようにきれい好きなのも特徴だ。普通の猫なら嫌がるお風呂や爪切りなんかをケイコはあっさりと受け入れてくれた。知能が高い故なのか、人間がどうして自分の爪を切ったり、お風呂に入れたりしてくるのか分かるみたいだ。
「お前は抱えられるのが好きなんだな」
僕はケイコを抱きかかえながら語りかける。彼女を飼い始めて既に6日が経過していた。
「お前を飼い始めてもうすぐ一週間。やっぱりまったく進人になる気がしないなあ」
僕はこの一週間でどんどん愛着が湧いていくケイコに、寂しさを混じえながら言った。
にゃ〜お
ケイコはそんなことなど露知らず、リラックスしたように緩やかな鳴き声を上げた。
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