第27話 久保田さん、久保田さん、久保田さん(2)
はじめて久保田さんを見つけたのは、ペンギンの給餌をしているときだった。課題の金属のストラップを作る参考にするために、咲名ちゃんを誘ってイルカを見にきたのだった。帰りにぶらっとはいった南極の展示室。久保田さんはペンギンに話しかけながら小魚を食べさせていた。人間の子供におやつを分けているみたいだった。なんだか目が離せなくて、キングペンギン、エンペラーペンギンにもエサをやって水槽からでていってしまっても観覧スペースにすわっていた。咲名ちゃんにもう帰ろうとつつかれるまで気づかなかった。帰りに年間パスポートを買った。
久保田さんに気づいてほしくて、金属彫刻の課題のテーマをペンギンに決めた。水族館でエンペラーペンギンをスケッチしているときに久保田さんが話しかけてくれた。人類にとっては小さな一歩だけど、沙莉にとっては大きな前進だった。一緒に食事をし、部屋に押しかけ、泊めてもらった。デートをしたし、ソファに寝ていた久保田さんを同じベッドで寝かせることにも成功した。けれど、そこからの進歩はない。足踏み状態。今度は憎らしくなってきた。
ペンスケ。恋のキューピッドになるはずのペンスケ。水槽の奥の陸地に立って、じっとしている。いつものことだ。ペンスケは久保田さんに卵のときから育てられている。久保田さんは子供のように思っているといっていた。
立ち上がって、水槽のアクリル板にへばりつくようにペンスケを見つめる。ペンスケが立っている陸地は沙莉が立っている床から二メートルくらいの高さにある。あいだには下の階までぶち抜きのプールがある。沙莉の顔の前はプールの水だ。
「ペンスケ。久保田さんどっかいっちゃったんだよ。どこ行ったか知らない?部屋からいなくなっちゃったの。水族館にもきてないし。ほかに久保田さんが行きそうなところ、わたし知らない」
ペンスケが顔を横に向ける。目がこちらを向いた。
「美作さんて知ってる?久保田さんと同期で、美人で、姉御肌なの。久保田さんに結婚申し込んだんだって。それ聞いたら、なんだろ、嫉妬?頭きちゃって、久保田さんに殴りかかっちゃって。水槽を叩き落として大惨事。久保田さんには帰れっていわれちゃって。気づいたらいなくなってるし。久保田さんに嫌われちゃった。聞いてる?ペンスケ」
ペンスケが嘆息して天を仰ぎ、歩き出した。そんなわけないけど、そう見えたのだ。のっそのっそと体を左右に振りながら歩く。陸地を歩いて水槽の端まで、そこはアクリルの壁まで陸が張りだしていて、プールをまわり込んでそのまま歩いてくる。沙莉はアクリルの壁に手をつけたまま横歩きして、すぐ頭の上にペンスケを見あげた。こんなにちかくにペンスケを見るのははじめてだ。動画で見ているように錯覚する。
「壮介のやつ、あっほやなあ。こないなベッピン泣かせよって」
目にたまった涙をぬぐう。水槽内の空調の音なのか、プールの水が循環する音なのか、ノイズがあふれている。ノイズに混ざって声が聞こえてくる。
「ペンスケ?」
ペンスケの瞼が下からあがってきてまばたきした。
「もうええわ、ペンスケで。壮介おらんくなったゆうたかて、部屋におったら夜には帰ってくるやろ。こんなとこまでこんと、部屋で大人しゅう待っとったらええ」
「でも、心臓がドキドキして、不安で、あの部屋でひとりでいるなんて、とてもできないよ」
ペンスケとはじめて話すのに、ずっとスケッチしていたからか、ヒナのころからの動画を見ていたせいか、はじめての気がしない。ずっと前から親しかったような気分だ。
「壮介が好きでたまらんのやなあ。わいも泣けてくるわ」
涙?ペンスケの目から液体が流れ出る。はげしく頭を左右に振って涙を飛ばす。
「ペンスケ、わたしのために泣いてくれるの?」
胸がいっぱいだ。
「そうやなあ、壮介が行くとしたら、堤防とちゃう?ぼんやり海を眺めるのが好きやっちゅうとった気がするで」
「堤防って、ああ、そこならわたしも一緒に歩いたことある」
まえ事件のあと、あずみさんが旅行から帰ってくるって聞いて、久保田さんの部屋に遊びに行ったときだ。堤防を歩きながら話をした。会えないと寂しいっていってくれた。あの場所だ。なんでもっと早く気づかなかったんだろう。最近だってステファニーの葬式をしたのだ。
「ハズレかもしれんけど、行ってみたらええんとちゃう?」
「ありがとう、ペンスケ」
ペンスケはちゃぽんとプールの水にはいった。すーっと目の前を通りすぎる。はじめてペンスケが泳ぐところを生で見た。涙が出て恥ずかしかったのかもしれない。下の階の方まで潜っていって姿が見えなくなってしまった。
水族館を出て、海沿いの道を速足で堤防に向かう。気がせいていた。本当に堤防に久保田さんがいるかはわからない。でも、いる気がする。ん?あれ?なんでペンスケがシャベったんだ?ペンギンが人間の言葉を話すのはおかしい。頭がおかしくなったのか。妄想の声が聞こえたのかもしれない。本当かな。
海の上の空の色はもううすい。急がないとすぐに暗くなってしまう。堤防が見えてきた。もうフラフラだけど、最後の力を振りしぼって走りだす。
堤防の上を走る。先の方に誰かすわっている。久保田さんだ!いた!
「おわあ」
カッコ悪いけど、久保田さんを股に挟むように後ろから背中に飛びついた。
「久保田さん、久保田さん、久保田さん」
「なにするんですか。突き落とす気ですか」
久保田さんは堤防から落ちかかって、テトラポットに足を踏ん張っている。顔を背中に押しつける。
「好きです、好きです、大好きです」
堤防から先は海と空しかない。波音だけが聞こえる。
「まだ帰ってなかったんですか。どこ行ってたんですか。元気ないですかっていうか、泣いてました?」
「ごめんなさい。わたし嫉妬してわけわからなくなっちゃって」
「相内さんは悪くないですよ」
「嫌いになった?」
「ズルいです」
「なにが?」
「そんなにかわいくすることです」
「こういうのが好みですか?」
「そういう風にしなくて済むようにしたいですね」
「だったら恋人にしたらいいじゃないですか」
「うーん、ほとんどそんな感じだと思いますけど」
「ほとんどってことはちがうってことです」
「そうですね。告白されましたからね。態度を決めないといけないですよね」
「え?ええっ?わたし告白しました?」
「ちがいましたか。気のせいだったみたいですね。そうか、相内さんに抱きつかれているから、そんな妄想をしてしまったようです。そろそろ離してください。足を踏ん張ってるのに疲れました」
ふくれてとなりにすわりなおす。告白か。告白だな。うん、告白だ。久保田さんにとうとう告白したんだ。でも、答えを聞くのは怖い。ああ、寒気がするほど怖い。どうしよう、なにかいい案は。久保田さんを見つめる。珍しく見つめ返された。ああん、もう。困る。
「わたしは久保田さんが好きです。でも、まだ学生です。時間はあります。久保田さんがわたしのこと好きになったら、言ってください。それまでは答えいりません」
「相内さんの嫌いな玉虫色の解決じゃないですか」
「だって、若い人と付き合った方がいいっていつもいうから」
やっぱり久保田さんに抱きつく。
「久保田さんどこに消えてたんですか。ずっとここにいました?」
水族館に向かっているときからいたんだろうか。前を通ったのに気づかなかっただけなのか?
「え?相内さん聞いてなかったんですか?」
「なにをですか」
「下の部屋の人に、床に水撒いちゃったから漏れるかもしれないって話しにいったんですけど」
「まったく耳にはいってないですね」
「そうでしたか。まあ、そのまま捕まっちゃって、いろいろ用事をいいつけられてしまったんですけどね。やっと解放されてもどったら相内さんいなかったから、太田に帰ったんだと思ってました」
「うう、そんなこと。わたしは愛想つかされて逃げられたんだと思ったんですよ?」
久保田さんにからめた腕をほどいて、ティッシュを取り出す。
「愛想なんてつかしませんよ。もとはといえば、おれが悪いんだし」
鼻をかむ。ちーん。鼻がとおった。
「そうです。結婚の申し込みなんてされるからです」
「不可抗力ですけどね」
「それで、うまくやっていけそうで、どうなったんですか。その話は」
「断ろうとしたんですけどね」
「ですけど?なんでハッキリ断らないんですか。久保田さんらしくないじゃないですか」
まだ炎がくすぶっている。拳を握る。
「いや、わかってるからって言われちゃって。答えさせてもらえなかったんです」
いまの状況とかわらないではないか。美作さんめ、似たところがあるのかもしれない。
「じゃあ、わたしと同じ立場ってことですか」
「いやー、どうなんでしょう」
いい加減にしろ。後頭部を平手で叩いた。もう暗くなり始めている。
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