第11話 クラゲ、魂の彫刻(2)

 洗濯は、月と木の週に二回することにしている。それ以上はメンドクサくて無理。洗濯機をまわしているあいだに掃除する。机やらオーディオやらを雑巾で拭き、キッチンの床も雑巾がけし、あとはお掃除シートをつけたワイパーで床を軽くなでまわせば終わりだ。天気がいいときは布団も干す。

 一番メンドクサイのは洗ったものを干す作業。人間がこの作業から解放されるまではテクノロジーの進歩なんて大したことないというべきだ。洗濯機をエアコンのように壁際に設置して、洗ったものがベランダに移動してそのまま物干し竿に並ばなければならない。乾いたら洗濯機にもどっていって、種類ごとに重なっていなければならない。ハンガーにかかっているものは、そのままクローゼットに移動してくれてもいい。人間はもう何千年洗濯、乾燥、折り畳みという原始的作業をつづけてきたのだろう。まったく進歩していないじゃないか。いや、洗濯部分は、電気で洗濯槽をまわすくらいの進歩をしているか。

 なにも考えずに家事をするのは時間がもったいない。脳みそは暇をしているのだ。家事の間にだって考えることはできる。クラゲ、クラゲ。昨日はステファニーの葬式をした。クラゲを破裂させたり、しぼませたりして死を表現するのはどうだろう。そんな仕掛けを作るのは大変だ。却下。いいアイデアは浮かばなかった。

 家事のあとはお茶をいれてお菓子を食べ、自分にご褒美をあげなければならない。

 久保田さんの帰りは遅かった。昨日の夜、金子さんからメールがあったのだ。赤ちゃんが生まれると。夜のうちに分娩室にはいり、金子さんは出産に立ち会った。今日から三日間休むことになった。金子さん休暇中の作業を久保田さんが引き継ぐことになっていたから、その分帰りが遅かったのだ。

「赤ちゃんが生まれてから職場に電話があったんだけど、金子さん泣いてるんです。本人はバッカやろう泣くわけねえだろ、泣いてるのは赤ん坊だなんていってんですけどね。もう、いってることわかんないと思いました」

「男の人は痛くないから感動で済みますよね。女は死ぬほど大変なんですよ。叫び、悶え、そんな姿を人にさらし。誰のおかげで感動できるのか、よっくしみじみ感じてもらいたいものです」

「ごめんなさい」

「そしたら、月末か十月はじめくらいにお見舞いに行きますか」

「そんなに日をあけたほうがいいんですか?」

「久保田さん奥さんとも仲良いんですか?」

「うーん、本人に会ったことないと思う」

「入院中でパジャマ姿のところに知らない男の人きても迷惑なだけです」

「たしかに」

「一週間もすれば退院してると思いますけど、いろんなことに慣れるまでに一週間くらいみて、落ち着くのが出産のあと二週間くらいじゃないですか」

「なるほど」

「銀のスプーンの出番ですね」

「あと、なにかフルーツでももっていきましょう」

「出勤してきたら金子さんにリサーチかけておいてください。好み」

「そうですね」

「久保田さんもほしくなりました?赤ちゃん」

 ソファにならんだ久保田さんに寄りかかって体重をあずける。

「エンペラーペンギンのヒナみたいにかわいくて、いつまでもヒナのままならいいんですけどね」

「成長を楽しまないんですか」

「自分の成長を考えたり、ペンスケの成長を考えたりすると、あまり好ましいこととは思えないんですよね」

「子供のころは天使だったんですか」

「もちろんです。歩きだす前の話ですけど」

「ずいぶん短かったですね」

「残念なことです」

 翌朝、何度目かの天啓を得た。久保田さんのいないベッドの中で、クラゲの彫刻のことを考えていた。夜の海、空には月。大量の小さなクラゲ。赤ちゃんの誕生。そういったものが潜在意識の中で、混交、接着、融合したのだろう。さらにイメージが固まった。あとはどうやって実現するか。

 久保田さんは水族館に展示用生物を納入している業者から購入したといって、クラゲを三匹連れて帰ってきた。あせり気味で、固まってきたアイデアを話した。

「クラゲを補充したし、アイデアは固まったし、作れますか」

「作りはじめるのはもう少し先です。どうやって実際につくるか決まってないんで」

「完成したら動画に撮らないとですね」

 動画!思ってもみなかった。

「動くものにするってことは、どこかに飾っておくってわけにいかないってことでしょ」

 動画を撮っておいて、普段はクラゲやなんかをしぼませておけば、展示したいときにヘリウムいれればいい。久保田さん天才。

「エンジニアになった知り合いなんかはみんな、プライベートで動くものつくったら動画撮ってユーチューブにあげてますよ」

「ユーチューブですか。芸大生としては、それなりのものを作らないといけないですね」

「音楽は笹井さんの友達の、鯨井さんと彼氏に演奏してもらったらいいんじゃないですか。笹井さんはパソコンが得意なら動画編集なんかもできるかもしれませんね」

「久保田さん引き出しいっぱいですね」

「相内さんよりはだいぶ長く生きてるんで」

「それより、どうやってクラゲを実現するかがむづかしいんです」

「透明で薄い素材でつくらないとですよね。ヘリウムをいれたときに形を保ってくれて。ラテックスじゃないか。それを自作するんですか」

「たぶん」

「たしかに、むづかしそうですね」

「ガンバって九月中に作ります」

「お願いします」

「なにをですか」

「完成を」

「それだけですか?」

「ほかになにかありましたっけ」

「あるはずないですね」

 久保田さんは悲し気な顔をしている。

「わたしの夏休み九月いっぱいですけど、久保田さんの夏休みはどうなったんですか」

「そんなものもありましたっけ」

「とぼけてますね」

「まさか。ありますよ?最大で六日間」

「六日。いつですか」

「決まってません。七月から九月の間で好きなときにとるんです。三日は休まないといけないんですよ」

「休んでないですよね」

「そうなんです。芸大祭の一日だけで。ちょうど今日課長に言われしまって。困ったことです」

「なにも困りません。十月に夏休みをもちこすってできないんですか」

「都合が悪ければ申請して十月にもちこせます」

「その休み、わたしがもらいました」

「え」

「なんですか。その嫌そうな顔は」

「うちでノンビリ勉強するのもいいかと」

「アホですね、久保田さん」

「あほ?」

「そうです。頭使ってください。ここにかわいい女の子がいます」

「はい」

「九月いっぱい休みです」

「学生はいいですね」

「だったらさっさと休み取ればよかったじゃないですか。それはさておき」

「はあ、おいときますか」

「十月に一緒に大阪に行きます。六日もあるならもっといろいろいけますね」

「一日使ったんで、のこり五日です。でも、五日連続で休みませんよ?動物の飼育というのは大変なんです。一週間ちかくも出勤しないなんてわけにはいきません」

「なんだー。つまらない。じゃあ、何日ならいいんですか」

「二日三日というところです」

「それは週休の水曜日とくっつけていいんですよね。そうすると最大四日。それ、普通の人が土日とくっつけて二日休んだだけじゃないですか」

「それがなにか」

「勤務条件悪くないですか。国立水族館」

「国はお金がないんでしょうね。それでも、科学研究や教育や育児なんかにお金を使うようになったから、独立前よりお金の使い方に納得してる人が多いはずです」

「ああ、昔のハコモノ行政ってやつですね」

「国をつぶす悪政です」

「休みの話にもどっていいですか」

「おぼえてましたか」

「首絞めますよ」

「大阪ですね」

「そうです。大阪芸大に高校時代の友達がいるんです。この間の芸祭にきてくれました。こんどはわたしが大阪にいく番です。久保田さんも一緒に行くことにしました」

「相内さんが決めたんですね。逆らえない」

「そうです。日程は後程連絡します」


 乳白色のツルンとした月。

 海面を、静かに照らす。

 ぽつんとクラゲ。

 ゆらゆら木漏れ日の道をゆく。

 深くからやってきた。

 ぽつんぽつん。

 クラゲの点線。

 深く深くつづいて。

 クラゲの島。

 浮きあがる。

 青い深くから。

 かたまり、もつれ、ほどける。

 海面をやぶって

 月へ。

 ひとつになる。


 芸大の撮影スタジオ。ノートパソコンを見つめ、撮影した動画をチェックしている。沙莉は満足した。むづかしい顔で顎を指でつまんだ久保田さんが前かがみの姿勢でとなりに立っている。顔がちかい。キスしてやろうか。ぱっと姿勢を正して顔が遠くへいってしまった。読まれたか。

「いいんじゃないですか?よく撮れてる」

「だっしょ?タイミング完璧」

 凛ちゃんは、ブルーのセロファンを帯状にして表現した海面を波打たせ、バラす係だった。クラゲが海面にたまってきて盛り上がったところでパッと固定を外し、帯が落ちて海面がなくなる。クラゲが空に浮き上がる最後の場面だ。

 沙莉はクラゲを浮かせる係だった。ひとつクラゲを放流し、つぎつぎに放流、最後は網でとめておいたクラゲをバサッと網をはいで一気に浮き上がらせた。クラゲは風船になっていて、ヘリウムガスの量で浮力を調整していた。ブラックライトで発光する塗料で、クラゲの姿に光るようにした。撮影中はブラックライトを当てて白く光らせた。月は乳白色で球形にふくらむバルーンを買ってきて、これまた買ってきたバルーン用エルイーディー電球を内側に取りつけた。

 一番苦労したのは、もちろんクラゲ制作だ。透明蒸着フィルムというのを入手した。型をつくって、抜き打ちという作業をする。パーツを希望どおりの形に切り抜くというもの。工作室にある、地震体験の部屋みたいな機械にかけて、真空成型という技術でクラゲの傘を加工した。クラゲの傘の丸みのある部分だ。機械にかければ、木型を使ってバンバン成形できる。パーツどうしは熱溶着という技で接着した。コーヒーの豆を量り売りで買ったときに袋の封をしてくれるあれだ。一度空気で膨らませて空気漏れを確認するとともに、油性のブラックライトインクでクラゲの模様をつける。乾いたら空気を抜いて完成だ。本番のときにヘリウムガスをいれればよい。

 面積比は二乗で大きくなるけど、体積比は三乗。つまり大きい風船ほど浮力の面で有利なのだ。小さすぎると浮くことができない。クラゲ風船は、空気と釣り合うよりすこしだけ軽い状態が希望だったから、小さくても問題がなかった。月の大きさに限界があるから、クラゲはできるだけ小さいほうがよいくらいだ。

 どうにか、動画の素材が撮れたみたいだから、あとは編集と音入れ、クレジットの制作が残った。一応立ち会うけど、ほとんど咲名ちゃんに丸投げだ。演奏と録音は鯨井さんたち。どんどん進んで形になるのが楽しい。協力してくれているみんなも楽しんでいるみたいだし。

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