07 不審な美術館 1/2

 ◆6



転移装置トランスゲートを出たレンリたちを待っていたのは、錆びれた街の光景であった。

 小石と土とが混じり合った地面は、しとしとと落ちる雫を吸ってしっとりと柔らかい。そこから立ち上る熱を含んだ蒸気が、辺り一帯を胸やけするような雨の匂いで満たしていた。


「うへー、雨降ってるじゃーん。うんで、ここどこ?」


 のほほんとした同僚の声。それには特に答えをよこさず、レンリは忙しなく周囲を見回した。

 道とも呼べない道の両脇に、古ぼけた屋根屋根が並んでいる。ほとんどの家は扉や窓がきっちりと閉められ、上に鼠色の埃を乗せて、黙ってそこに鎮座している。

 窓を開け放った家もあるにはあるが、中は吹き晒しで、住居の役割は果たしていないようであった。

 物音はない。風もない。気配もない。耳を澄ませば喧騒を拾うことができるが、しかし、遠い。

 レンリは、現時点で知り得たことを隣の男にも教えておくことにした。


「ここは自由都市レニス。エリーシア大陸の最南端の国ですね。僕が住んでいたベルベリアの南側に位置しています」

「ほうほう」

「あれがレニス城。あっちにあるのが市場です。市場を超えた南には港があって、貨物船や漁船が多く出入りしているんですよ」


 レンリの指が遠くに聳える白亜の城を指差した。すぐにその手はくるりと回り、喧騒の広がる南部の一角をすっとなぞる。


「さっきの子は?」

「そんなに遠くには行っていないはずです。この家のどこかに隠れている可能性もありますが、探すのは途方もないですね。普通にこの道を逃げているとしたら、もう追い付けはしないでしょうし……」


 言葉の最後が溜息に変わる。

 公認魔法師に知らされている追跡コマンドを使用し、転移装置トランスゲートの直前の行先を突き止め、同じナンバーのゲートに転移したまではよかった。しかし、レンリたちがもたついていた時間は、少年が逃げおおせるには十分すぎる長さだっただろう。


「せっかくここまできたのに収穫なしなんて……。そんなこと、僕のプライドが許さないんですよ」

「んじゃあ、もうちょい調べてみようよ。あの子がここにきたっていうのは間違いないわけじゃん。この辺になんか怪しい物があるかもしんないよ? 世界の真実か、新たなる権能けんのうか、はたまた古きあだの眠る場所か」

「こんな場所に何かあるとは思えませんけど?」

「だったら余計だよ。何にもないのにこんなとこにくるわけないって。とりあえず手掛かりだけでも持って帰れるかもしんないよ?」


 いつも楽天的な同僚は、投げやりになったレンリの肩をぽんと叩いた。彼の言うことは尤もだったが、生来の後ろ向きな性格が気持ちの浮上を邪魔している。


「そうですね」


 沈んだ思考を遮断し、レンリは顔を上げた。上がり切らない雨が、物寂しい街にぽつぽつと降りてくる。


「この辺りに何があるのか調べてみましょう」

「おーう!」





 変わり映えのなさそうな通りを巡り始めて間もなくのことだ。小さなテントが目に留まった。

 艶のある簡素な木の枠組みに、新品の赤い布がぴったりと張られている。セピア色の光景に、そのテントだけが異質な存在感を放っていた。

 食べ物などを売る屋台といった風体だが、乱雑に積まれていたのは杖であった。


「んん……?」

「あんれ?」


 視線を走らせてみるが、店主の姿は見当たらない。


「杖の露店なんて、ずいぶん不用心じゃないですか?」

「こんな売り方じゃあ、あっという間に盗まれちゃいそうだけどなぁ。……ありゃ?」


 並ぶ品々を眺め回していたガスパーが、ふと素っ頓狂な声を上げた。漆黒の杖を手に持っている。レンリは目を疑った。


「それ、まさか……」


 それは、ガスパーが一度も錬金したことのない杖。使用者がいないことから市場しじょうには出回っていないはずの杖であった。


「これ、闇の杖だ」

「つまり、ここって……」


 レンリの背中を冷たい物が伝う。何の因果か、とんでもない店を見つけ出してしまったようであった。


「こんな辺鄙な場所にお客さんとは珍しい。杖をご所望ですかい?」


 いつの間にそこに立っていたのか、腰の曲がった老人が落ち窪んだ目から不気味な眼光をこちらに向けていた。

 まるで初めからいたかのような現れ方と、常人とは思えぬ気迫に、レンリは思わず後退りそうになる。ガスパーが慌てて闇の杖を戻す様を、目の前の男は目端でしっかりと確認しているようであった。


「すんません。こんなとこ……」

「どうもこんにちは。レニスの観光にきたのですが、転移する場所を間違えてしまいまして。せっかくですからこの辺りで散歩で元思ったのですが、散策できそうな場所をどこかご存知ありませんか?」


 余計なことを口走りそうなガスパーを遮り、柄にもない愛想笑いで口から出任せの言葉を並べた。

 適当に雑談をして時間を稼ぎ、会社に戻ってこの闇商店の詳細を報告しなくてはならない。公認魔法師としての使命感か、はたまた犯罪者を取り逃がしたことへの埋め合わせのつもりか。レンリの頭の中には、この店を告発するための道筋がはっきりと示されていた。


「そんなら美術館がいいでしょう。この店の裏手に回ればすぐです」

「美術館ですか」


 老人の口からするりと回答が聞かれたこと、さらに、その内容が無視し難いものだったことで、流れるような思考は中断を余儀なくされた。反射的に聞き返すレンリに、老人は口元から少なくなった歯を覗かせて答える。


「はい。ついこないだ完成したばっかりなんですよ。何でも、魔竜記念美術館と言うそうなんですがね。たいそうな名前でしょう」

「ふえっ!?」


 声を上げそうになった口を手で押さえたが、隣の男の反応を見て無意味だったことを悟った。目の前にある不気味な瞳に全てを見透かされているように思えてならない。

 早まる鼓動を意識しないよう努め、レンリは言葉を紡いだ。


「魔竜の名前の入った美術館があるなんて、聞いたこともないのですが。またなぜこんな……っ!?」


 辺鄙な場所に。そう続けようとしたレンリの声は、息を飲む音に変わった。

 何者かに服の袖を引かれていた。小さな手を辿った先には、年端のいかない少女が立っていた。


「そいつに案内させましょう。どうぞ」

「いや、まだ行くとは……」

「ちょっ、ちょっと待ってー!」

「こっちこっち」


 片手でレンリ、片手でガスパーの服を握り締め、少女が急かす。いとけない相貌に浮かんでいるのは、必死さを多分に含んだ笑顔だった。

 無下にすることもできず、袖を引かれるままに足を進める。首を回して背後の様子を探れば、先ほどの店主が怪しく微笑んでいるように見えた。


「道中、お気をつけて」


 誰にも聞こえないよう、ガスパーに耳打ちする。


「たぶんこの子、客を決まった店に案内する仕事をしているんでしょう。ここはひとまずこの子のためについて行って、軽く中を見回ってから帰ることにしましょう」

「オッケー。レンリ、やっさしー」

「あなた、僕を何だと思ってるんですか」

智謀ちぼうの堕天使! 深緑しんりょくの要塞! 花の貴公子!」

「あなた、よくそんな意味不明な単語がすらすらと出てきますよね。あと、声、大きいです」

「いっしっしー」


 そう。この時はまだ、引き返す道もあったのだ。疑問に思う機会は幾度となく用意されていたのだから。それが実行できたかは別の話だったとしても。

 しかし、レンリはそれを選ばなかった。この瞬間に、二人の運命は決していたのかもしれない。



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