05 炎天の邂逅

 ◆4



 サリーの月は、目に映る物全てが鮮やかに輝く。


 遮る物のない炎天の空に、子供たちのはしゃぐ声が抜けていく。

 子供たちを乗せて揺れるブランコの黄色。敷地の内と外を隔てる若木の緑。連なる屋根屋根の赤や青。

 枝の上で睦まじく身を寄せ合う小鳥たち。人に同伴されて歩く妖精たちのカラフルな羽や尾。この日、公園のベンチから眺めるのどかな情景は、スケッチをするのに格別の物であった。


 レンリ・クライブは、空想を好まない。ひたすら被写体を観察し、見たまま、あるがままをキャンバスに描き出す。それが彼の画家としてのモットーである。

 尤も、想像や空想を全否定するつもりもない。時にはそれらが助けとなり、よすがとなることを知っているからだ。


 とは言え、空想や創造に浸るのにも限度はある。その最たる事例が、先ほどから隣で騒ぎ立てる同僚である。


「ぐはっ! なっ、何だっ! この燦爛さんらんたる光は! おのれ、我を滅そうと言うのかー!」

「ガスパーさん。静かにしてもらえます?」

「ふっ。しかし、我は闇夜を統べるミッドナイトエンペラー。この程度の攻撃で我を倒そうなど、舐められたものよ」

「静かにできないなら離れてください。集中できないので」

「なぁなぁレンリー、レンリさんやーい。テニスやろうよー、テニスー。せっかくボールとラケット持ってきたんだからさぁ」

「今日は魔法絵の練習をしたいって言ったじゃないですか。それでもいいと言うから一緒にきたんですけど?」

「ちえー、レンリのケチー」

「少し静かにしていてもらえます? 気が散ります」

「ふえーい」


 何くれとなく話しかけてくるガスパーをいなしつつ、キャンバスに複雑な線を描いていく。

 この日の被写体は、カルパドールではしょっちゅう見かけるラビットツリー。兎の耳のようにぴんと伸びた長い葉が特徴的な低木だ。

 ミルキーからアリスの月に掛けて、ピンクの花と同じ色の綿毛に覆われるこの木は、植物に関心を持たない民衆からの人気も高い。

 けれど、花が散り、綿毛が落ちた後のラビットツリーは、途端に人々の関心の対象から外されてしまう。そうして見向きもされなくなった木々の姿は、ひねくれ者の治癒師の関心と共感を呼ぶのだ。



「こんなものですかね」


 キャンバスの上には、目前で風に揺られるラビットツリーの姿がありありと描写されていた。透かさず、隣から手を叩く音と大げさな賞賛が届く。


「すっげぇな! もうこれだけで立派な芸術作品じゃんか!」

「ガスパーさん、ちょっと集中したいので話しかけないでくださいね」

「見ててもいい?」

「構いませんけど、対しておもしろくはありませんよ」

「そなのー?」


 例え口の軽い男からのものだとしても、自分の絵を褒められれば嬉しいものは嬉しい。照れをごまかすように早口で捲し立てながら、バッグの中から一抱えの鉄製の箱を取り出した。

 ぴったりとはめ込まれた蓋を取る。この世の色彩を全て詰め込んだような華やかな世界が広がっていた。


「わーお! これって全部筆? 何本あるんだ?」

「話しかけないでと言ってるでしょう。これは全部魔法絵用の筆です。ここにある物だけで、軽く50は超えてますかね」

「へーえ、よく集めたなぁ」


 レンリが普段描いている絵と、これから描こうとしている魔法絵とでは、使う道具屋方法が全く異なる。

 魔法絵は、一色の色につき、専用の筆が一本必要となる。原理は魔法を打つ時に使う杖と対して変わらないらしい。

 魔法絵の最大の特徴は、筆と描き手の魔力のみで描かれるということ。染料はいらない。


 被写体と筆とを交互に吟味し、やがてレンリは筆の中の一本に手を伸ばした。筆を手に集中すると、下描きをしたキャンバスにごく淡い緑が落ちていく。

 しばらくその作業を続けてから、筆を持ち換えた。今度は先ほどよりも少しだけ濃い若葉色。黄緑、シアン、浅黄あさぎ深緑しんりょく。代わる代わる筆を持ち換えては、キャンバスの上に色彩を乗せていった。


 ふと、脳裏に過る物があり、レンリは筆を動かしていた手を止めた。

 今朝の朝刊の一面記事になっていた、魔法絵師の行方不明事件。魔法都市ベルベリアを拠点に活動していた魔法絵師、ロダン・クライシーが行方不明になっているという話だった。

 ロダン・クライシーは、世界的に著名な魔法絵の第一人者であり、当然レンリも彼の動向には関心を寄せていた。

 去年までは毎月新しい作品を公開し、年に数回ベルベリアで個展を開いていた彼は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。

 ところが、今年に入ってからは新作の公開も個展の開催もぱったりと途絶えており、やれスランプだ、やれ瞑想中だと密やかに噂されていた。だからこそ、予期せぬ形で朝刊の一面を飾ったことに、世間は大きな衝撃を受けたはずだった。



「へぇ。魔法絵かぁ」

「そだよー。クレヨンも絵の具も使わないで描くんだー」


 背後から聞こえた快活な声に、レンリの肩は大きく跳ねた。いつの間にやらガスパーが何者かと世間話を始めていたようだ。今の今までは全く気にならなかったことを考えると、レンリは相当この絵に集中していたらしかった。


「すごーい。魔法絵っておもしろいね。僕にも描けるかなぁ?」

「描ける描ける。筆を握って魔力を流せばだれでも描けるらしいからさ。俺はやったことないんだけどねー」


 いつもの呑気な台詞に、そんなに簡単な話ではないと、そう反論しようと口を開きかけて。

 ふと、相手の言葉に、レンリは強烈な既視感を覚えた。

 内容が自分の絵に関するものだったからではない。何か大切なことを見落としている気がしたのだ。

 突き動かされるように、首を捻り、視線を背後へ。真っ黒な瞳と目が合った。


「こんにちは。レンリ・クライブさん」

「っ!!」



 一瞬にして、体中を信号が駆け巡った。鼓動が急加速する。熱る手足とは裏腹に、背中に氷を入れられたような鋭い寒気に苛まれた。

 目前に、少年の姿があった。自分でも信じられない速さで立ち上がり、彼にサザンフォレストを突き付けていた。筆を入れていた箱が落ち、中身が音を立てて散らばる。


 そう。そこにいたのはマーシュ・クワイト。魔法書店でレンリたちを襲ってきた少年だったのである。


「スイーティ!」


 レンリが睡眠の魔法を放つ。だが、どこからともなく一人の子供が飛び出してきたかと思うや、魔法を受けてぱたりと倒れた。

 さっと血の気が引く。一般人を、それも小さな子供を巻き込んでしまった。


「ケイト!」


 母親と思しき女が、悲鳴じみた声を上げながら駆け寄ってくる。と、そのまま彼女は進路を変え、レンリへと飛び掛かってきた。


「うあっ! はっ、離して……!」

「やーだよ!」


 信じられない力でレンリの足にしがみ付きながら、女が笑う。その口調は軽薄で、まるで先刻の少年のよう。高速で巡る脳内を、『異形』という単語が過った。

 両足を強く掴んだままの女へ、苦し紛れの問いを投げる。


「あなた、のこのこと戻ってきて、どういうつもりですか」

「あの女の泣き顔が見たくなってさぁ」

「今度は何をしようと言うんです!?」

「教えなーい」

「次彼女に手を出したら!」

「僕に勝てるの? 傷を癒すしか能がない君が? 勇者様に守ってもらってばっかりの君が?」

「っ!! うるっさい!!」


 気がつくと、サザンフォレストを足元へと向けていた。その切っ先にいるのは無辜の市民。

 頭の片隅では怒りをぶつける相手ではないと分かっていたが、しかし、高まった感情の波を抑えることができない。


「レンリ!!」


 暗い思考に捕らわれかけたレンリを、心強い声が引き上げた。女による拘束が解かれる。


「ガスパーさん」


 転びそうになったところを大きな手に支えられる。乱れた感情を整えながら、少年の姿を探した。


「レンリ!! あっちだ!!」


 何の疑いも詮索もなく、金色の髪がマーシュを追って駆け出していった。

 追いかけるその前に、公園の景色を見回す。穏やかな日常の風景は一変していた。倒れている親子に、遠巻きに見ながら震える子供たち。スケッチブックも散らばった筆もそのままだ。


「すみません!」


 心底からの謝罪を残して、レンリは今度こそ駆け出した。



「こっちだ!!」


 マーシュの姿はもはや見えない。遠くなっていく金糸を追い、無我夢中で小道を駆ける。

 曲がり角に差し掛かったガスパーが、不意にこちらを振り返った。その手には、バーニングハートが握られている。


「アクセル・バーン!」


 素早さを上昇させる彼の固有魔法だ。突然身体が軽くなり、レンリは軒下に積まれた木材の山に突っ込んだ。


「うぅ……」


 手や顔がひりひりと痛むが、そんなことに構っている暇はない。覚束ない足を懸命に動かして、気が付けばガスパーに追い付いていた。


「ちょっとー! 僕、これで動いたことないんですけどー?」

「でも、今逃がすとまずいんだろ?」


 それを言われては、意地でも追い付くよりない。


「アクセル・バーン! 追いかけっこなら俺の二番煎じだ!」


 ガスパーが前方へと離れていく。

 少し走っては段差に足を取られ、また走っては曲がりきれずに外壁に衝突。ともすれば空気を取り込むのを忘れ、転んだり飛び起きたり咳き込んだりとせわしない。レンリはとにかく無我夢中だった。


 やがて、前方に金髪が見えてきた。小さな路地や曲がり角を駆使してひたすら走っていく。妨害を受けないところを見るに、さすがのマーシュも、全速力で走りながらでは異形を使うことはできないのだろう。


「待てーーーっ!! ねぇ待っておくれーーー!! 待ってってばーーー!!」


 前方から緊張感のない声が流れてくる。ずいぶんと余裕に見えるが、レンリにはそんなことを心に留め置く暇さえ惜しかった。


 やがて行く手に赤レンガの建物が現れ、ガスパーがその中に飛び込んでいった。転移装置トランスゲートだ。

 数秒遅れてレンリも仲へ。至るところに微細な傷を負いながらも、この程度の差で追い付けたのは、ひとえにガスパーの固有魔法の優秀さが故であろう。

 転移装置トランスゲートの中には、金髪の錬金師がぽつねんと立ち尽くしていた。

 内側にある扉を睨み据えている。一度人が入って内扉を閉めると、転移が完了するか中から開けない限りは開くことはできない。

 マーシュ・クワイトは、今まさに扉一枚を隔てた場所で、無能な追跡者たちをあざ笑っているに違いなかった。


「畜生! 開けろー! 開けてくださいお願いしますー!」

「はぁ、はぁ……。や、ら、れた……!」


 扉を叩きながら泣きを入れるガスパー。レンリは、全身から脱力して崩れ落ちた。


「レンリ!? だいじょぶか!?」

「はぁ、はぁ……。だっ、ダメ、です……」

「レンリー!」


「お待たせいたしました」


 そこで無機質なアナウンスが鳴った。ロックが解除されたらしい。すぐさまガスパーが扉を引き、中へと飛び込んだ。


「まっ、待って、ください……!」


 未だ息の整わない身体をどうにかこうにか起こし、レンリも這いずるようにして扉を潜った。

 目の前には赤い木製の扉。無論、そこに人の気配はない。ガスパーが大仰に天井を仰いだ。


「よもやこれまでか!」

「いいえ、まだです」

「ふえ?」


 彼の泣き言を力強く跳ね返し、レンリは扉の脇へと手を伸ばした。壁にはめ込まれたパネルの中に、数字の羅列が姿を現す。通常は、ここで転移先のゲートナンバーを入力しなければならない。


「ナンバー分かるのー?」


 訝しんで尋ねるガスパー。ちらりと振り向いたレンリの漆黒の瞳は、挑発的な光を宿していた。


「ガスパーさん。貴重な休日を無駄にする覚悟はできていますか?」

「レンリこそいいのか? 公園にいろいろ置いてきたまんまで」

「画材のことはとっくに諦めました。けっこう高かったんですけどね。ですが、それよりも」


 目裏に蘇るは、黒の少年。勇者襲撃事件の犯人。大切な者の仇。

 レンリの瞳に闘志がみなぎる。そして、その攻撃的な光は、隣の男の瞳にも。


「ここまできて、引き下がれると思います?」

「だよな!」

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