23 運命への誘い

 ◆23



 同じ頃、所変わって、魔法都市ベルベリア。

 磨き抜かれた硬質なフローリングに、二人分の靴音が木霊している。

 前を歩くのは、若草色のセミロングヘアをしっかりとカールさせた壮齢の女性。最高議会の第一席にして、総帥の補佐官でもあるミント・エドナントである。

 そして、彼女の後方に付き従うは、紺のスーツが板に付いたロングヘアの女。

 やがて、よく磨き上げられた厳めしい扉が現れると、前方の女が背後の女を振り向いた。


「こちらが総帥の執務室ですわ」


 ミントが2回ノックをすると、重々しい扉が内側から静かに開かれた。開いた扉の脇に立ち、客人が深々と一礼する。


「カザール・ハイエスタ総帥閣下。公認魔法師第707号、スカーレット・オリエンス。お呼び出しに応え、ここに参上いたしました」

「待っていたぞ。入りなさい」

「失礼いたします」


 絨毯の敷かれた室内へと足を踏み入れれば、焙煎したばかりのコーヒーの香りが漂ってくる。

 大きな執務机の向こう、上等な革張りのソファーに、体格の良い初老の男が腰掛けていた。彼こそが、世界各地に支部を置く魔法教会の最高権力者、カザール・ハイエスタである。

 彼がスカーレットと一頻りの礼を交わす間に、メイドの女が客人の飲み物を用意する。メイドが出て行き、部屋には総帥とミント、そしてスカーレットが残された。


「本日は、総帥より重要なお話をいただけると伺って参りました」

「貴公らが魔竜を打ち倒してから、今月でちょうど2年になるな」

「ええ。時の流れは速いものです」

「その後の勇者の活躍も聞き及んでいる。犯罪組織の協力者を暴き出したことと言い、カルパドールに現れた突然変異種の脅威を鎮圧したことと言い、貴公らの活躍は目覚ましいものがあるな。まさしく素晴らしいの一言に尽きる。魔法教会も鼻が高い」

「もったいないお言葉、まことにありがとうございます。どの功績も、社員あってのことでございます」

「魔法教会の最高議会が7つの椅子から成り立っていることは、貴公も存じておろう」

「ええ、もちろんです」


 背筋を伸ばし、少しの臆面もなく男を見据える彼女からは、外見年齢に不相応の風格が漂っている。

 この威風堂々たる態度を見て、彼女が涼しい顔で嘘をついているなどと、誰に想像できようか。


「先日、7番目の椅子に空きができた。現在は、総帥である私と、第一席から第六席までの7人で、最高議会を取り仕切っている。」

「ええ」

「そこでだ。いかがかな?」


 続く台詞を意味深な眼差しに含めて、男は客人の顔を見据えた。対する女は、言外に含まれた物に気が付く様子もない。


「ええ。良いのではないでしょうか」

「それは、返答として受け取って良いのかな?」

「ええ。例え7人が6人になったとしても、優秀な皆様方でしたら問題なく運営していかれると思います」

「いいや、そうではないのだ」


 二人分の露骨な苦笑を目の当たりにして、女は自らの思い違いを悟ったようであった。狼狽を押し隠そうとするその顔に、確かな赤味が差している。


「えっ、えーっと、出過ぎた意見を申し上げてしまいました」

「だから、そうではないと言っている」

「……はい? えーっと、申し訳ございません。閣下が何を仰りたいのか、私には図りかねるのですが……」

「まったくもう、分からないお人ですわね」


 あくまでも笑顔でしらを切り通す客人に、痺れを切らしたミントが口を出した。カザールは、動じる様子も見せず、目前の女を見定めている。


「スカーレット・オリエンス」

「はい」

「貴公には、第七席として最高議会に属してもらおうと考えている」

「第七席……。そのような役職、不肖者の私には到底務まりません」


 ほんの一瞬、彼女は困惑する様子を見せた。それをすぐさまポーカーフェイスで覆い隠して、謙虚な態度を装う。


「貴公以上の適任はこの世にいまいよ。これまでそのような話がなかったのが不思議なほどだ」


 手元のカップを口元に寄せ、冷めたコーヒーをゆったりと味わう。空になったカップをソーサーに置くと、言い含めるように語って聞かせた。


「第七席として最高議会に身を置くと言うのなら、教会内で知り得ている機密をなるだけ公開しよう。もちろん、御社にも便宜を図ろう。今よりもさらに勢力を拡大する機会となるだろう。カルパドールの市場を牛耳ることも、貴公が望めば、世界中の物流を支配することも不可能ではないやもしれん。決して悪いようにはせんと誓おう。いかがかな?」

「少々、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「もちろん構わない」


 女はゆっくりと目を閉じ、自らを落ち着かせるように深く長い呼吸を繰り返した。

 今頃は、彼女の脳内でいくつもの想定と試行が繰り返されているのだろう。その明晰な頭脳が一つの答えを導き出すのを、総帥の男は辛抱強く待った。


 実際のところ、スカーレットは何も思案してなどいない。彼の話を聞いたその瞬間から、返答はとうに決まっているのだ。

 それでも軽々しく即答せず、このような茶番を演じるのは、その方がこれから述べる言葉に説得力を与えられるからに過ぎず、いわば一種の処世術であった。



「大変恐れながら、私には過ぎたお役目でございます。ご期待に沿えず、まことに申し訳ございません」


 その口が紡ぎ出したのは、確かな拒絶の意思である。その返答を口にした者にも、向かいでそれを聞き届けた二人にも、表情の変化は全く見られない。


「謙遜などせずとも良いぞ。もしそうでないと言うのであれば、貴公の真意を申してみよ」

「それでは、恐れながら、虚飾を排してお伝えいたします。今回の件、正直に申し上げて煩わしいと思っております」

「オリエンス様!」


 思わずたしなめようとする補佐官を、総帥が軽く手を上げて制した。


「構わん。無礼、無作法は私の好むところではないが、物怖じしない人間は私の好む者だ。しかし、とは言ってもだ。妥協も譲歩もせねばならぬのが、我々大人の社会だ。違うかな?」


 きっぱりと断じる総帥の瞳には、有無を言わせぬ気迫が込められている。しかし、それを真正面で受けているというのに、スカーレットには臆した様子も見られない。

 それどころか、彼女は毅然と反駁してみせた。


「初めてお会いした際にお伝えしたはずです。あくまでも、私の本席はオリエンス商会であると」

「そうか。貴公はぶれないな。では、少し話題を変えよう」


 メイドを呼び、新たに用意させたコーヒーに口をつけながら、男は話を始めた。


「我が教会では、公認魔法師となった者に、その者の主属性や身体能力に応じた固有魔法の魔法書を提供することになっている。そのことは貴公も存じておろう」

「ええ。その節は、当社の社員も大変お世話になりました。私どもが魔竜を討伐できましたのも、偏に固有魔法のおかげでございます」

「しかし、貴公に魔法書は必要なかった」

「ええ」

「貴公が魔法書によらずに固有魔法を使用できるのは何故なにゆえか。私なりに仮説を立ててみたのだが、聞いてみないか?」

「はい」

「貴公はこの時代の人間ではない」

「……」


 予期せぬカザールの言葉に、女の端正な相貌が僅かに揺らいだ。


「旧時代の人間は、生まれながらに固有魔法を使うことができたというのは、あまりにも有名な話。さすがに過ぎた妄想だったかな?」

「そうですね。少し……いいえ、ずいぶん突拍子のないお話だと」

「スカーレットよ。聞くところによると、貴公は、15年以上も姿が変わっていないようだな」


 口を開きかけたスカーレットを遮るように、透かさずミントが割って入った。


「総帥は、あなたの実年齢を知りたがっておいでなのです。ここだけの話として、一つお教えいただけませんかしら?」

「恐れながら、お教えすることはできません」


 再び紡がれた、拒絶の言葉。青の瞳に明確な意思を宿して、スカーレットはカザールを見る。カザールもまた、軽率な発言を許さぬ圧倒的な眼光をスカーレットに向けていた。


「魔法教会の命令でもか?」

「ええ」

「それは、安に自分が普通の人間ではないと認めることになるが、構わぬのか?」

「ええ。今後とも年齢不詳のままで、どうかお願いいたします」

「良かろう」


 その返答を聞くと、カザールは満足げに首肯した。互いに視線が反らされ、張り詰めていた糸が解ける。


「では、こちらも腹を割って話すとしよう」

「第七席の方を失ったことについてでしょうか?」

「そこは察しが良いのだな。第七席は、調法師ちょうほうしを統括する部門の代表者であった」

「その、調法師というのは?」

「魔法書を作成するお仕事のことですわよ」


 耳慣れない言葉に戸惑っていると、透かさず補佐官が補足を加える。そこで徐にカップを煽った総帥は、声のトーンを数段低めて続けた。


「先月末に、奴は死んだ。殺されたのだ。同じ調法師にな」

「カロン・ブラック。それが、咎人の名ですわ」

「カロン・ブラック……?」


 スカーレットの表情が俄かに揺れ動いた。


「そうだ。貴公の部下にも魔法書を調法した男だ。奴は、同朋であり上司である第七席を殺害し、逃亡した。未だに身柄は見つかっていない」

「犯罪者に行われる、魔力剥奪の処置は?」

「まことに遺憾ながら、まだ行われてはいなかった」

「そうですか。彼が殺人を……」


 返答とも独り言とも取れるその言葉には、少なくない感慨が含まれているようであった。


「自警団とも連携を取り、血眼になって探しましたのよ。けれど、彼の痕跡を掴むことはできていませんわ」


 苦々しい表情で語気も荒くそう言うと、補佐官の女は机上の書類を指先で叩いた。


「奴を野放しにしておいてはならん。例え藁に縋っても、我々は奴を止めねばならぬのだ」


 渋面を乗せた総帥に、スカーレットは型ばかりの相槌を打った。

「ご心痛、お察しいたします」

「そこで、改めて貴公に頼みたい。カロン・ブラックの逮捕に力を貸してもらえないだろうか?」


 空になったカップに目を落とし、思案する素振りを見せるスカーレット。


「貴公は、所持品を見ることでその者の魔力のおおよその性質が分かるのであったな」

「ええ」

「これが教会側で回収したカロン・ブラックの所持品だ。貴公の能力で、早急に調査を願いたい」


 カザールが言うと、傍らのミントが机上に革袋を置いた。スカーレットはそれを一瞥したものの、薄い笑みを浮かべたまま、沈黙を貫いている。

 カザールが続けた。


「カロン・ブラックは非常に危険な能力を秘めている。我々も第七席の後を追うことになりかねないほどの、強力な力だ」

「恐れながら申し上げますが、以前お会いした際、彼個人に魔法教会を混乱に陥れるほどの突出した力は感じられませんでした」

「確かに、魔力は大したことがない。異形さえなければ、だが」


 そこで、一度言葉が途切れる。無風のはずの空間に不穏な風が巻き起こるのを、スカーレットは確かに肌で感じた。


「カロン・ブラックは、『逆理ぎゃくり』」の『異形者』だ。自分に触れた魔法を全て打ち消すことができる」

「逆理……。異形者……」


 心に刻みつけるように、その名を繰り返す。

 スカーレットは確信した。再び、大きな運命の波が迫っていることを。



 


「良かったですわね。ひとまず勇者を引き入れることに成功しましたわ」


 客人のいなくなった執務室で、総帥と第一席が話している。二人が見つめる先には、『魔法教会最高議会議席表』と書かれた一枚の書類。

 総帥は、鋭利な相貌に厳粛な表情を乗せて応じた。


「どうだかな」

「総帥は勇者の何を恐れていらっしゃるのですか? 魔竜が倒された今、あれが魔法教会の手にある限り、わたくしたちは安泰なのではないですか?」

「あの刃が我々に向けられることはないと、言い切ることができるか? 500年前、迷える人間を導くことで知られていたフェイデルが、突如として魔竜に身を落としたと言われているように。ワンラインが何の前触れもなく我々の手を離れたように。何より……」


 議席表を手元に引き寄せると、第七席の人物の上に二重線を引き、その下に新たな氏名を書き加える。


「奴は一度、。確かな物、不変な物など、この世には存在しないのだよ」

「ともかく、速いところカロンの行方を探さなくては。勇者は保険ですわ。わたくしの『広域探知』で、必ずや突き止めてみせますわよ」


 表情を引き締めるミントの胸元で、黄金のバッジが光を反射して輝いた。


「もちろん、君の異形にも大いに期待をしている。しかし、こういうのはどうだろう? 勇者とワンラインで同士討ちを狙うのは」

「同士討ちですか。なるほど、それは妙案かもしれませんわね」

「我々はそうなるように仕向けるだけでいい。さすれば、どちらかがどちらかを勝手に滅ぼしてくれる。そうでなかったとしても、ワンラインの勢力の大部分を削ぐことができるだろう」

「あらあら、総帥もお人が悪い」


 また一つ、彼女たちの知らぬところで悪意が蠢く。


「しかし、決して知られてはならんぞ。ワンラインの真実はな」

「ええ、もちろんですわ。カザール様」


 黒い魂胆を隠すことなく、二人の男女は冷たい微笑みを突き合わせるのだった。

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