21 導かれた真実
◆21
「裏帳簿が見つかりました」
「ふーん、ちゃんと聞こえてたんだ。意外と精神力あるんだね」
鉛色の重たい空が、遠慮がちな熱気の中にこれでもかと湿気を押し込んでくるような、すっきりしない天気であった。
意外にもあっさり呼び出しに応じたミゼルは、開口一番に結果を報告したレンリに、あっけらかんとそう言った。
「なぜ知っていたんですか? あの場所に裏帳簿があることを」
「テッドが教えてくれたからだよ。悪魔には何でもお見通しなの」
「テッドさんに裏帳簿の場所を聞いたあなたは、それをロアさんに突き付けて多額の金銭を要求しましたよね」
「旦那が作った借金があったの。旦那とあたしの稼ぎだけじゃ到底返せない額だった。悪魔にお願いすれば、借金取りからあたしたちを守ってくれるんじゃないかって思ったの。テッドは、そんなあたしにチャンスをくれたの」
ミゼルの口調からは、後悔や反省といったものは一切読み取れない。それどころか、自らの境遇に陶酔しているようにさえ、レンリの目には映っていた。
「だからと言って、恐喝をするのは犯罪です。分かりますよね?」
「悪いことをしてる奴から金を取って何が悪いの? 確かにいいことじゃないかもしんないけど、因果応報でしょ?」
「あなたの言うように因果応報というシステムがこの世に存在するのなら、あなたにもいずれ結果が返ってくることになるでしょうね」
「裁けるもんなら裁いてみなよ。あたしにはテッドがついてるんだから」
「あっ、あの!」
今にも杖を構えようと手を伸ばす二人へ、慌てたようにナナハネが言葉を挟んだ。
「テッドさんとミゼルさんは、どうやって知り合ったんですか?」
「あたしが呼んだんだよ。闇の杖を置いて、決まった文言を言うの」
「その文言というのは?」
「それは……あれ?」
「ミゼルさん……?」
唐突だった。物静かな印象を湛えていた瞳が俄かに曇り、彼女はそのまま仰向けに倒れた。
「ミゼルさん! しっかりしてください! レンリさん、どうなってますか?」
レンリが彼女の傍らに膝をつき、蒼白な顔を間近で覗き込む。焦点の合わない瞳を虚空に泳がせて、彼女は言葉にならない呟きを繰り返していた。
「ふふふ……。テッド……あんただけよ……あはは」
「恐らく命には別条ないと思いますが……。これは、いったい……?」
レンリは大いに困惑していた。彼が知る限り、それは何らかの理由で心を病んだ者の姿だったのだ。直前まで淀みなく会話をしていた人間とは思えない変貌ぶりであった。
「小さいですが、すぐそこに病院があります」
「じゃあ、そこにミゼルさんを連れて行きましょう」
と、レンリは、ある可能性に思い当たった。
「いいえ、ちょっと待ってください。試してみる価値はあるかもしれません」
「何を試すんですか?」
腰のポーチからサザンフォレストを取り出す。杖先をミゼルに向け、強く念じながら詠唱した。
「フローレンス!」
すると、深い緑色の光の粒子がミゼルの胸に一つ落ちた。彼女が驚いたように目を見開く。
「あれっ? あたし……ここで何を……?」
「あなたも精神汚染を受けていたんですね」
「誰? あなたたち。あたし今まで何してたの……?」
瞳に光が戻ったことを確認し、ナナハネが安堵の吐息を漏らす。この時のミゼルは、挑発的なものではなく、誰かを嘲笑うようなものでもなく、心をどこかに置き忘れたような虚ろな表情をしていた。
「もしかして、ミゼルさんも、テッドっていう悪魔に?」
「テッド? あたしは……。あっ、ああっ……!」
何かを考え始めたと思うや否や、跳ね起きて両手で頭を押さえる。
「ミゼルさん! どうしたんですか!?」
「頭が痛い……! 助けて、誰か……!」
頭を抱え込み、痛みに悶えるミゼル。ナナハネは顔を青くしてレンリを見た。
「やっぱり病院ですか? 病院ですよね?」
「そうしましょう。精神汚染の影響が残っているのかもしれません。ナナハネさん、少し手伝っていただけますか?」
「はい。ミゼルさん、今病院に行きますからね」
結局、ひ弱なレンリに女を担ぐことはできず、病院の職員を呼んでミゼルを搬送させることになった。
てきぱきと担架で運ばれていくミゼルを見送りながら、レンリはひたすらテッドについて考えていた。
テッドは、精神汚染を操り、ミゼルを利用してロアを追い詰めていた。しかし、その目的はいったい何だと言うのだろうか。
届きそうで届かない。掴めそうで掴めない。真実は目前で揺らめく
待ち合わせの時刻まではまだ少し時間があった。立ち寄った商店で飲み物を買い、公園でしばしの休息を取る。
ナナハネが恋人の錬金師と話がしたいと言うので、レンリは整備されたベンチに座って待つことにした。
やがて、少し離れたところからナナハネの上機嫌な話声が届く。
レンリは、気まずいままの恋人との関係に思いを馳せて俯いた。こぼれるのは、すっかりお馴染みとなった溜息ばかり。しかし、この日のそれはいつにも増して深く、重い。
「はあ……。ん……?」
と。ミミアで時刻を確認したレンリの目に、点滅した見慣れないマークが飛び込んできた。
「これは、確か……」
数カ月前にミミアに搭載されたばかりの機能で、録音した音声を送ることができるものだ。初めてのマークに訝しみつつも、点滅するマークをタップした。
レンリの耳に届いたのは、耳慣れた女の声であった。
「レンリ。あなたが魔法書店に行く前に、どうかこのメッセージを聞いてください。本当は、その、直接伝えたかったんだけど……。私たちが魔法書店の調査を始めてから、私に何度も奇襲を掛けてくる人がいるの。まずはえっと、何から説明したらいいか……」
ざわつく鼓動を押さえつけて、レンリは耳を澄ませた。戻ってきたナナハネに、しばし待つよう合図を送る。
「とにかく、時間がないから簡潔に言うわ。私を襲ってきたのはマーシュ・クワイトよ」
その名前に、はっきりと血の気が引いた。
「本当は私も同行したかったんだけど、どうしても行かなきゃいけないところができて、だから、せめて……」
平坦な声に乗って、信じ難い言葉が届く。
「あの子の主属性は、闇。精神汚染を得意にしてるみたい。その上、私と互角化それ以上の力を持ってる可能性が高いの」
ディスプレイの向こうで、見知らぬ女の声がする。スカーレットはそれに余所行きの声で応じてから、再びディスプレイに言葉を流した。
「レンリ。どうか、気をつけて……!」
通信は、そこで途切れていた。彼女が最後に残した声は、祈るようで、絞り出すようで。
その言葉はレンリの胸を強く、優しく揺さぶり、そして、新たな事実を思い出させた。
「そうです。あれが本物の悪魔なはずがないんです」
その記憶が最後のピースとなり、ついにレンリは一つの真実を手にする。
「レンリさん?」
「ナナハネさん、急ぎましょう!」
「え? どうしたんですか?」
「盗難事件の犯人ですが、命が危ないかもしれません!」
「えっ……!?」
常習的に行われていた違法販売。それをきっかけとして繰り返されていた恐喝行為。
開いていた外の鍵、壊されていた本棚。メモ書きを残した者と、その目的。謎の悪魔、テッドの正体。
それらは全て、一つの大きな真実へと繋がっていたのだ。
カルパドールに雨が降り始めた。
初めのうちは疎らだった雨粒は、みるみる激しさを増していき、終いには足元を見るのも困難なほどとなった。元よりレインコートとブーツを見に着けていた二人は、臆することなく魔法書店へと急いだ。
道中、レンリは、社長室で闇属性について話した時の記憶を思い起こしていた。
あれは魔竜を討伐して間もない頃、レンリがスカーレットへの思いを自覚し始めた頃のことだ。きっかけは、ガスパーが主属性選択制度についての不平を漏らしたことだった。
「聞いておくれよー。俺さあ、主属性の第一希望、闇って書いたんだよー。呪われし暗黒の力を、今こそ我の手に! って」
「ガスパーさんらしいね」
「闇なんてただ暗いだけじゃないですか。何がいいのか全く理解できませんね」
「でもさあ、結局魔法教会の手違いで、俺の主属性は第二希望の炎になっちゃったわけだよ。いやー、細かいこととかあんまし気にしない俺だけど、あの時ばっかりはしばらく尾を引いたなー」
「えっ!? 手違いなんて、そんなのあっていいの? 一回決めたらもう一生替えられないのに?」
「そう言えば、主属性が闇なんて、聞いたことありませんよね」
この時、訝しむ3人に、スカーレットはこともなげにこう言い放ったのだ。
「ガスパーくん。それは手違いなんかじゃないわ」
「えっ!? ボスー、どういうことですかー?」
説明を求める面々を順繰りに見回し、彼女はこんな話をした。
「闇属性は、精神汚染を扱う魔法が多い属性なの。闇属性の波動を浴びただけでも、心の弱い人間は簡単に凶刃になってしまうわ。魔法教会でも、安易に闇属性を選ばないように、多少の操作は行ってきたと言ってたわ。例えば、そう、別の属性に替えさせたりとかね」
「わーお! それって俺のことじゃーん!」
「そうね。だから、今って闇属性を主属性に持つ人間は見たことないでしょ?」
「要するに、闇属性を使えるのは世界中であなた一人ということですか」
「あれ? そんじゃあ、何で未だに闇属性の魔法書を売ってたり、闇の杖が裏社会に出回ってたりするんですかー?」
ガスパーの疑問は尤もだった。闇属性の人間がいないのなら、闇属性そのものを市場からなくしてしまえばいいのではないか。
しかし、スカーレットは意味深に微笑んでこう応えた。
「需要のないところに供給はなし。未だになくなっていないということは、つまりはそういうことよ」
「そういうことってどういうこと?」
「もしかして……」
「どこかで暗躍しているかもしれないんですね。闇の魔法師が」
レンリが結論を言葉にすると、彼女は無言で肯定の意を示した。
「私はこの身体になってから闇属性をほとんど受け付けなくなったから、例え出会ったとしても問題はないわ。だけど、あなたたちはそうではない。特に、レンリくん。あなたは闇属性の影響をまともに受けてしまうから、例え運良く命を拾ったとしても、正気ではいられなくなるかもしれないわ」
呼吸をする、僅かな間。いつしか、彼女の眼差しはレンリだけに向けられていた。
「これから先、もしもあなたが彼等に出会うことがあったら……」
「あったら……?」
あの時、彼女は何と言ったのだったか。真剣な眼差しに見つめられたことだけは、この身体が十全に覚えている。
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