08 狙う影

 ◆8



 レンリが魔法書店で頭を悩ませていた頃、スカーレットは、顎髭をたっぷりと貯えた初老の男と商談に望んでいた。相手は、カルパドールで最も名のある杖の店、サントーア商店の店主である。

 目抜き通りから一本折れた小道に建つ、知る人ぞ知る小洒落た雰囲気の喫茶店。昼食時を過ぎていることもあり、客の姿は疎らだ。


「市販品の方の売れ行きはいかがですか?」

「最近は、とにかく軽くて小さい杖が流行ってましてね」

「そのようですね。当社では、これまで通り使用者の安全を何よりも優先して商品開発を進めて参る所存です」

「それは素晴らしい。ところで、今日はナナハネちゃんはいないんですかい?」

「ええ。あの子には別の案件を任せておりまして」

「おおっ、とうとう箱入り娘も独り立ちですかい? ずいぶん目を掛けておられましたからねえ。寂しいでしょう」


 この店主、ナナハネとは、彼女が現役でサーカス団員をしていた頃からの知り合いであった。ナナハネと話す時の彼は、宛ら彼女の保護者で、実の父親よりも父親らしいと、全うな両親の元に生まれなかったスカーレットは思うのだった。


「彼女が私の手を離れるのは、もう少し先の話です。まだまだ寂しくはありませんよ」

「君がナナハネちゃんをスカウトしたって聞いたときゃ、みんなして目ん玉飛び出しやしたが、しかしほっとしたもんですよ。あの子が悪い貴族に売られちまうんじゃねえかって、町中で噂になってましたからねえ」

「ナナハネちゃんはカルパドールの大スターですものね。あの子がきてくれてからというもの、当社は一段と明るくなりました」


 そう言うと、スカーレットは窓の外を見やり、過去を懐かしむように目を細めるのだった。



「では、来期の商品価格はこれで決まりですね」

「ええ。来期もぜひよろしくお願いいたします」


 机上に並んだ数枚の書類を挟んで、二人は互いに頷き合った。提案と交渉とを繰り返し、ようやく落としどころを探り当てたところである。

 市場に流通している杖には、大量生産で作られた市販品と、注文者に合わせて作る受注品がある。オリエンス商会は、サントーア商店が受けた受注品の錬金を委託されていた。

 市販品に比べるとかなり値は張るものの、魔法の威力を底上げする構造や、長期間の使用に耐えうる耐久性、接近を許した際の防衛機能に、万一破損した場合のサポートなど、市販品にはない機能がセールスポイントとなっている。

 治癒師や自警団員は言わずもがな、危険な戦いに備えて、あるいは一生物の杖を求めて、受注品を買い求める客はコンスタントにやってくるのだ。


「それでは、本日はこれで」


 机上の書類を片付け始めたスカーレットへ、店主が声を掛けた。


「そういやあ、別の店から苦情がきやしてね」

「ええ」

「材料も手順もちゃんと守ってるのに、お宅のようなのが作れないってんですよ。お宅が肝心なところを隠してるからじゃねえかって言われちまって、面倒だのなんの」


 そう言うと、店主は大げさな困り顔をこしらえた。その言葉に隠されているのは興味か、疑惑か。

 束ねた書類を封筒にしまいながら、スカーレットは僅かに口角を下げた。


「いつもご面倒をおかけして申し訳ありません。当社の商品は、どれも一般に公開されている方法で錬金しているのですけれど」

「しかしですねえ、お宅の杖の性能がいいのは間違いありやせんからねえ。なんか特別な加工でもしてあるんですかい? ん?」


 愛想の良い顔の奥に裏の感情を忍ばせて、店主はスカーレットを見下ろす。彼の魂胆に気づいているのかいないのか、目前の女はどこ吹く風で追及を躱した。


「そこは企業秘密でお願いいたします。少なくとも、カルパドールこの街の法を侵すようなことはしておりませんので、その点はご安心いただければと」

「そこんとこははなから疑っちゃあいやせんよ。俺も半端な商売をしてるつもりはさらさらないんでね」


 スカーレットが薄く微笑むと、店主も釣られて口角を上げた。


「君は他の国に移ろうとは思わないんですかい? お宅ほどの技術なら、こんなに安くしなくても、ベルベリアの杖市場なんかを支配するのは簡単でしょう」


 少し遅れて自分の書類を薄っぺらな肩掛けバッグに差し込みながら、店主はさらに問いを重ねた。恐らくは間を持たせるための社交辞令であろうその質問に、スカーレットは無難な回答を返す。


「私はこの町の海がとても好きなので」


 頷き合い、揃って座席を立つ。それぞれに会計を済ませながらも、二人の世間話は続いた。


「へえ、海がお好きだったとは。俺は専ら泳ぐ専門なんですがね。海を眺める女性というのもなかなか粋なもんですよ」

「眺めるのももちろんいいのですけれど。私が好きなのは潜る方なんです」

「ほう。それは意外だ。そんなに真っ白な肌をしていたら、日に焼けてしまうでしょう」

「一時間おきに日焼け防止クリームを全身に塗っています。髪にはオイルタイプの物を、同じく一時間おきに」

「美しい女性は大変ですね」

「いいえ。塗り忘れた方がもっと大変なので」

「はっはっはっ!」


 隣で真剣に熱弁する女の白肌が真っ黒に焼けた様を想像して、店主は思わず笑い声を上げた。


「どうぞ、お先に」

「恐縮です」


 そうこうしているうちに、二人の前には木目調の扉が現れた。店主が取っ手を引き、背後の女を先へと促す。仕事で男性と関わることの多いスカーレットは、こうして気遣われることに慣れていた。





 ところで。


 スカーレットには、機動力や打たれ強さと言った物は一切備わってはいない。

 足運びは並みの戦闘員とさして変わらないか、むしろ劣る程度。普段は動きにくいという理由で耐魔服を好まない彼女の肉体は脆弱で、一度でも被弾しようものなら、出血もすれば魔法の精度も落ちる。

 救いになることと言えば、本人が痛みに強いことぐらいか。

 ただし、ただ一点だけ、守備面において彼女を勇者たらしめる最大の要素が存在する。500年に渡り、彼女の命をこの世界に繋ぎ留めてきた所以、それは。





「アイシス!」

「は……!?」


 店主は、目前で何が起きたのか分からなかった。彼が認識したのは、左手に杖を構えたスカーレットの姿と、何か堅い物がぶつかり合うような硬質な音だけだった。


「なっ、何だ!?」


 混乱する男に、前を見据えたままのスカーレットが言った。


「あなたは急いでこの場を離れてください。自警団への連絡も不要です。あなたの退路は私が保証しますから、早く」

「とは言っても、君一人じゃ……」

「さては店主さん、私が誰かお忘れですね? 私は、世界でたった一人の勇者ですよ」


 力強く宣言する女の背で、アイスブルーの長髪が揺れる。その凛々しい立ち姿に、芯の通った声に、店主は彼女の勇者たる所以を見出していた。





 襲撃者は、一般人を狙うような無粋な真似をするつもりはないようだった。通りを挟んだ向かいの店舗、その2階の窓から、フードを目深に被った男がこちらを見下ろしていた。

 魔法が届くすれすれの間合い。高所を取られ、間合いぎりぎりからの奇襲も、初手を防いでしまえば恐れることはない。


「どちら様でしょうか?」


 警戒も露わに問いかけるが、返答はない。元より期待もしていない。奇襲を掛けてくる人間と言うのは、得てして答えを持ち合わせないものだ。

 スカーレットが一歩後退する。男の魔法の射程県外へ。


「もう一度お尋ねします。あなたにお仕事を依頼したのはどなたですか?」


 無論と言うべきか、返答は得られない。

 しかし、奇妙だ。頭上の男からは、この手の人間が必ず纏う殺気という物がまるで感じられないのだ。


 何にせよ、不毛な質問は終わりだ。一撃浴びせて戦意を奪ってから、再度雇い主について尋問する。

 スカーレットが間合いを詰めようとしたその刹那、背後に鋭い視線を感じた。振り返ることはしない。否、必要ない。


「アイシス!」


 一歩踏み出し、素早く詠唱。放った氷塊は背後の魔法に命中し、風の刃が霧散する。

 しかし、彼女が前に出たことで、前後どちらの間合いにも入る結果となる。


「エアル!」


 頭上と背後、同時に聞こえる無機質な詠唱。前後と上下、2方向からの襲撃が、絶妙な動線で彼女へと迫る。

 左右どちらに避けてもどちらかに当たる。避けなければどちらにも当たる。しゃがめば初手は回避できるが、追撃がくれば辛い。


「ティアベール!」


 刹那の思考の末、彼女が選んだのは結界魔法であった。突っ立ったままのスカーレットに巻き付くように、光のカーテンが顕現する。薄ぼんやりと光るそれが、すんでのところで迫る魔法を相殺した。


「えっ……!?」


 呆けた声が上がる。頭上の男が出し抜けに窓から身を投げ出したのだ。

 そのまま受け身を取るでもなく、鈍い音とともにスカーレットの目前に墜落する。

 刹那、一瞬だけフードが捲れ上がり、スカーレットは彼の顔をはっきりと見ることになった。見覚えのない相貌にあったのは、確かな恐れの感情。


「……」


 スカーレットが振り返る。いつしかもう一人の影は消えていた。


「大丈夫ですか?」

「何があったんだ?」

「たっ、大変! はっ、早く自警団に!」


 消えた襲撃者の代わりに、好奇と不安の眼差しを宿した市民たちが集まってくる。喫茶店の前には遠巻きに人だかりができていた。

 観衆が騒然とする中、スカーレットは平時のポーカーフェイスを携えて、野次馬たちに毅然と言い放った。


「お騒がせして申し訳ありません。ここは私が責任を持って処理いたしますので、手出しのほどはご遠慮いただきたく。どうかよろしくお願いいたします」

「ほ、ほんとに大丈夫ですか?」

「もしや、あんた勇者か?」


 それでも引き下がらずお節介を焼こうとする者たちに背を向け、スカーレットは襲撃者に歩み寄る。


「少し見せてくださいね」


 四肢の関節があらぬ方角を向いている。再び被さったフードに手を掛け、遠慮がちにそれを取り去れば、見るも無残な傷口が目に飛び込んでくる。

 眩暈がするほどの鮮明な赤に、立ち込める濃厚な血の匂い。


「きゃあっ!」

「うおっ!」


 背後で複数の悲鳴が上がった。大きく開いた傷口からは、心臓の鼓動に合わせて未だ出血が続いている。

 の命は急速に、そして着実に終焉へと向かっていた。生と死を分かつのに、もう一刻の猶予もない。


「少し動かしますね」


 スカーレットは、真っ白な手が汚れるのも構わず、意識のない男の上体を横向きに寝かせた。続いて、手足を移動させて関節の位置を整える。

 仕上げに、フォースラビリンスを男へ向けて一振り。


「ヒールフル! 間に合って。あなたには聞きたいことがあるの」


 男の身体が淡い光に包まれた。出血を続けていた頭部の傷が、見る間に修復されていく。失った血液が戻るわけではないが、一刻を争う事態は脱したようだ。


「さすがは勇者様だわ」

「治癒師いらずだな」


 スカーレットが背後の虚ろな話に意識を向けていると、俄かに男の瞳が見開かれた。

 彼の目に映ったのは、何の感情も感じさせない凍えきった女の顔であった。


「違うんだ……」

「え?」


 男の口がぎこちなく動く。絞り出すような声だった。


「俺じゃ、ないんだ……! 俺じゃない……本当なんだ……!」

「どういうこと?」

「信じてくれ……! 俺じゃない……!」


 男はひたすらに同じ台詞を繰り返す。なおも独白を続ける男に表情のない瞳を向けた後、スカーレットは徐に立ち上がった。


「何が起きてるの?」


 近付いてくる仰々しい足音を遠く聞きながら、スカーレットは空を仰いだ。

 街を覆う鈍色の雲が、恐怖に凍りつく男の瞳が、これから何かが起こることを暗示しているようであった。

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