07 盗まれた魔法書

 ◆7



 壊された本棚を丹念に調べていく。中には何も納まっていない。扉は無惨に破壊され、木製の枠組みだけが綺麗に原型を留めている。


「リナリーさん。この扉の硝子はまだありますか?」

「ありますよ。見ますか?」


 リナリーがカウンターの奥から大きな麻袋を重そうに引き摺ってくると、レンリの前にそれを置いた


「気をつけてください。ロアもこれで手を切ったんです」

「それはいけません。ロアさんの主属性は何ですか?」

「雷です。でも、ジンさんが治癒促進剤ポーションをくれたんで、2、3日で治ると思います」

「それはよかったです」


 会話を交わしながら、麻袋の中を覗き込む。大きな硝子片がぎっしりと詰め込まれていた。一つ一つの大きさは両手で抱えられる程度で、まるでパズルのピースのようだ。

 レンリは、手元のメモ用紙に一行だけ書き込むと、袋をリナリーへと返した。


「ありがとうございました」

「いえいえ。あの、犯人は捕まりそうですか?」

「今の段階ではまだ何とも言えませんね。もう少し調べさせてください」

「分かりました。何か分かったら、私も教えますね」


 前のめりに聞いてくるリナリーに、思わず苦笑が漏れる。レンリがこの店にきてから、まだ幾許も経っていないのだ。それどころか、手掛かりはほとんど得られていないのが現状である。

 『魔法痕がない』ではなく、『魔法痕が見えない』と、スカーレットがそう表現したことが無性に気に掛かっていた。

 わけもなくそのような言い回しをすることはないはずで、彼女がそう言ったということは、その二つには明確な差異があるはずなのだ。めったに見られない彼女の困惑顔とともに、このことはレンリの胸の深い場所へと記憶されていた。



 それからレンリは、犯人への糸口を求めて書店の中を調べ回った。

 出入口、異常なし。カウンター、異常なし。試し読みスペース、異常なし。手洗い、異常なし。一列目の本棚、異常なし。

 手元のメモには、同じ文言が繰り返されていく。ここまではあくまで確認作業。本番はこれからだ。


「あの、どうですか? 何か分かりました?」

「いえ。まだ何も」


 しかし、レンリの神経を疲弊させることが一つあった。彼が場所を移す度に、リナリーが進捗状況を確かめにくることである。

 離れている間も、カウンターからちらちらとこちらの様子を伺っているのだ。その視線から逃れるために手洗いに入れば、入り口付近で待ち伏せている始末だった。


「リナリーさん。何をしているんですか?」

「本を整理してたんです」


 目を泳がせながら、彼女は釈明した。この頃になると、彼女はあからさまに落ち着きを失くして、いっそ哀れなほどであった。

 レンリは、彼女の分かりやすい監視にうんざりしながらも、それを態度に出したり追及したりすることはしなかった。感情的な人間が傍にいると、かえって冷静になるものだ。



「ところで、他の方はどちらへ行かれたんですか?」


 カウンターに戻ってみると、店員のジン・モビーズが一人で本の仕分け作業をしていた。レンリの質問に、ジンは言葉少なに応える。


「店長は休憩。マーシュは帰らせたぜ」

「今日は店もやってないですし、仕事がなかったんで」


 横からリナリーが付け加える。


「あなたとマーシュさんは、いつもどれぐらい店に出ているんですか?」

「俺は週6で9時間。マーシュは週5で3時間だ」

「マーシュさんは学生に見えますけど、アカデミーには通っていないんですか?」

「詳しくは知らない。ただ、孤児院の中の民営アカデミーに通ってるって聞いたぜ」

「なるほど」

「あの子、2年ぐらい前にロアが拾ってきたんです。働き口を探してるからうちで面倒見ることにしたって。天涯孤独でかわいそうだからって」

「ロアさんはお優しい方なんですね」


 無難な感想を述べたつもりだったが、リナリーは急に押し黙ってしまった。3人の間に気まずい沈黙が流れる。


「あのう……」

「あっ、すいません。何でもないんです」


 慌てて表情を取り繕い、リナリーは続けた。如才のない営業スマイルとは裏腹に、頻りに右手で髪の毛を弄んでいる。


「ここだけの話、マーシュは口下手だけど、お客さんからの評判は悪くないんです。可愛い顔してるし、サービス精神もまあまああって。常連客には笑顔を見せてくれたりもするんですよ」


 会話の内容よりも、彼女のおどおどした態度の方がよほど気になっていたが、レンリはやはり気づかぬふりを押し通した。



 カウンターを挟んで入り口側にレンリとリナリー、向こう側にロアとジン。

 レンリが魔法書店を訪れてから一時間、ようやく本格的な聞き込みが開始された。


「確認したい事項がいくつかあります。奥の棚の魔法書以外になくなった物はありませんか? 例えばそう、現金など」

「ありません。売上金も手つかずでした」

「ロアさんが鍵を閉める時、店内に誰かが残っていた可能性はありますか?」

「それはあり得ません。いや、その……さすがに気づくと思うんです」

「本棚は壊されていましたが、出入口の方は傷つけられた形跡はありませんでした。鍵を無理矢理開けたりしていれば、必ず痕跡が残るはずなんですよね。つまり、犯人は、出入口以外の場所から侵入して、犯行後に鍵を開けて出て行ったか、何らかの方法で事前に鍵を手に入れたかのどちらかということになるのですが」


 そこでレンリは、改めて店内をぐるりと見回した。

 床に、壁に、天井に、多数の照明で明るく保たれているために気がつかなかったが、この店の窓は極端に少ない。彼の意図に気づいたらしいリナリーが、透かさず解説を入れる。


「うちは貴重な商品をたくさん扱ってるんで、防犯のために扉も窓も最小限に作られてるんです」


 何にせよ、鉄格子の如く厳重に組まれた窓枠を目にして、潜入経路にと考える者は皆無だろう。


「では、この店の鍵を持っている方は?」

「私と妻だけです」

「見せていただけますか?」

「はい」


 ロアがもぞもぞと右手を後ろに回し、小さな鍵束をカウンターの上に置いた。

 大きな鍵が一つに、小さな鍵がいくつか。どれもごく一般的な物で、何か特別な加工がされているようには見えない。レンリが手に取って確かめてみても、その印象が裏返ることはなかった。

 こういった単純な構造の鍵は、その手のプロに依頼すれば数分で複製できると言うが、果たしてその可能性はあるのだろうか。

 そこで、ふと思い出して、レンリは視線を背後へと向けた。


「一つ、大事なことを聞き忘れるところでした。あの棚には、どういった魔法書が並んでいたんですか?」

「そ、それは……」


 気まずそうに目線を落とし、カウンターを見つめるロア。彼の代わりに質問に答えたのは、やはり妻のリナリーであった。


「エアレイド、ハイドロアス、イグニッション、アルバード、アイスバーン、エクレール、レイガント、ミッドナイト。それに、治癒魔法、補助魔法、結界魔法もありました」

「それは、つまり」

「はい。全部、上級魔法の魔法書です」



「初級魔法の魔法書は、15歳になれば誰でも購入することができます。ですが、中級魔法と上級魔法の魔法書の購入は、一般の人間には許されてないんです」


 淀みのないリナリーの説明に、ロアの言葉が続く。


「許されているのは、高位の治癒魔法を扱う治癒師、脅威と戦うことの多い自警団や国家騎士団、その他必要性を認められた職業の者と、あと……」

「魔法教会が認めた公認魔法師ですね。僕等のような」


 レンリがシャツの左襟を持ち上げると、誰もが知る銀のバッジが姿を現した。伸びやかな一対の羽が描かれ、その下に『708』という数字が刻まれている。

 それを目にした3人は、それぞれに驚愕の反応を見せた。


「クライブさんは公認魔法師だったんですか?」

「も、もしかして、噂になってる勇者様の婚約者って……」

「ああ、はい。一応、僕のことかと」

「えっ!?」

「そうだったんですか?」

「へえ」


 本の品出しをしていたジンまでもが、信じられないという表情でレンリを見た。やはり、勇者とその仲間とでは、知名度が天と地ほども違うらしい。





 魔法書店を背にして歩きながら、レンリはポケットから小さく折り畳まれた一枚の紙を取り出した。壊れた本棚の下に滑り込んでいた物だった。

 そこには、乱れた字で、こう走り書きがされていた。


『悪魔の囁きが聞こえる』

『罪人には厳正なる処罰を』

『許されたい、楽になりたい』

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