03 人命救助 in アドリアット鉱山

 ◆3



 ララの月も終わりに差し掛かり、カルパドールには茹だるような熱気が満ちていた。

 どの建物でも、涼を取るための機械が稼働を始めている。オリエンス商会のオフィスでは、機械技師のアンナリーゼが格安で譲り受けてきた旧時代式の送風機が、耳に悪そうな超音波を垂れ流しながら働いていた。

 魔竜討伐後、名声やら何やらも手伝って業績が青天井となったこの会社も、その一年後には急落し、今年に入りとうとう赤字へと転じた。経営陣の手腕でどうにか持ち直したのだが、業績は常に不安定だと言わざるを得ない。

 そのような中で、発売されたばかりの新型機械になど手を出せるはずもなく、耳障りな音と共存する道を選んでいる。何もないよりは遥かにましなので、誰も文句は言わないのだった。


「あっつー!」

「今年は一段と暑いねえ、お姉ちゃん」

「はあ、もううんざりよ」

「今年も去年も、気温は同じ。今年だけ特別ということはない」

「うっそー。こんなに暑いのに?」

「シャルネもシャルナも、いつも大げさ」

「アンナが落ち着きすぎなのよ。胸あるくせに涼しい顔しちゃって」

「お姉ちゃん、胸は関係ないよ」

「オフィスの中にさえいれば、言うほど暑くない」


 休憩時間の度に、似たような会話が交わされている。騒々しい女子社員たちを尻目に、レンリは黙々と書類に目を通していた。

 見積書、契約書、納品書。雑多に積まれたそれらをつぶさに査収し、不正な個所や不明な個所に付箋を張り付けていく。地味な作業ではあるが、後々のトラブルを防ぐ意味でも責任重大な仕事だ。

 休憩時間が始まろうと、一度火のついたレンリには関係のないことだ。デスクの上の書類が一山、また一山と片付いていく。

 持ち前の集中力を遺憾なく発揮し、真剣な顔つきで仕事に取り組むレンリに、気後れすることなく声を掛けられる者はそうはいない。



「レンリくん! ガスパーくん! ちょっときて、すぐにきて!」


 各々が仕事に専心する中、静謐さすら漂うオフィスに場違いな声が響いた。

 確かめるまでもない。この会社の社長、スカーレット・オリエンスである。

 傍らには、彼女に同行していたのであろう、ナナハネ・ハートリーの姿もある。


「ちょっと、何です? 今ちょうど書類を……」


 胡乱げなレンリの言葉に被せるように、スカーレットは早口で続けた。


「救援要請よ! 場所はアドリアット鉱山。冒険者らしい集団が、脅威の群れに襲われてるの」

「アドリアット鉱山ですか? なぜ僕等に……」






「カルパドールの暑さとは大違いですね」

「俺、カルパドールが涼しくなるまでここに住もうかな!」

「いいんじゃない?」

「どうぞご自由に」

「ナナハネー! レンリー! ちょっとは相手にしておくれよー!」


 冷え冷えとした空間に、4人の靴音が反響している。

 アドリアット鉱山は、螺旋構造を持つ巨大な山野地帯。高さもあるが、注目されるのは地下深くまで続いていることで、地上よりも効率よく鉱石を採取できると言われている。

 特に、最下層の地下5階は、湧き出るように鉱石が散らばる夢の場所として、一般市民にも知れ渡っていた。

 しかし、地下3階より下に降りることは基本的に禁じられている。湧き出ているのは鉱石だけではないからだ。


 この鉱山を管理する町の町長から、カルパドール市長に直接救援要請が入ったのがつい先刻のこと。

 何でも、地下3階への検問を突破して侵入した冒険者たちが、脅威の集団に襲われているので助けてほしいと通信端末ミミアで連絡をよこしてきたのだと言う。内一人は町長の血縁だったと言うから、救えないやら可笑しいやら。

 即刻現地に派遣できる戦闘部隊ということで、オリエンス商会に白羽の矢が立ったというわけだ。


「そうだわ。ついでだから、鉱石でも持って帰りましょうか。通行の許可はもらってるわけだし、交通費もただではないでしょ? 収穫はあるに越したことないもの」

「でも、鉱石を取るのにも別に許可が要りますよ。税も掛けられるし」

「平気平気。言わなきゃばれないわ。あそこにどれだけの鉱石が眠ってるかなんて、町長だって把握してないんだから。書面上のことなんてどうにでもなるしね」

「わーお! 出ました! ボスの闇人格!」

「スカーレット社長? そんな、堂々と」

「それ、他人に聞かれると不味い話なのでは?」

「ん? 安心して。2割くらいは冗談よ」

「ほとんど本気じゃないですか! あなたって、ちゃっかりしているんだか何なんだか」


 先頭を歩く社長は、遊びにでも行くような軽々しさでそんなことを言う。

 今日の彼女は、濃紺の半袖ジャケットに白のタイトスカートという、非常にシックな装いだ。無論、どちらも耐魔服である。

 その手に握られているのは、フォースラビリンス。別名竜殺しの杖と呼ばれる伝説の杖は、魔竜討伐に際し、4人で極寒の地へ赴いて回収した唯一無二の武器である。

 通常の杖は一つの属性にしか力を発揮しないが、フォースラビリンスだけは、魔竜の弱点となっていた氷と光の二属性に対応している。まさに、魔竜討伐のための切り札だった。


「まあ、せっかくですし、その冒険者たちからもしっかり絞り取りましょう。町長の血縁者なら、金払いもいいでしょうしね」

「ヒュー! 懐が潤いますなあ!」

「ほどほどにしてあげてくださいね。の前に、みんなを助けないと」

「そうですね。命がないことには、取れる物も取れませんからね」



 誰からともなく、足が止まる。漂ってくる異形の気配を、それぞれの感覚で以て感じ取っていた。


「ふん、現れたようだな」

「思ったよりいる。あれって、宿破り?」

「黄金トカゲもいるよ」


 かさかさ、かさかさ。何かをこすり合わせるような音が、辺り一帯を覆い尽くしている。足元に目をやれば、犇めく数10匹の脅威の群れ。

 背中に金色の線が目立つ大きなトカゲ。背中を固そうな殻で守り、長く鋭利な触角を生やした昆虫。

 レンリは、過去の戦闘データを脳内で素早く検索し、透かさず3人に呼びかけた。


「宿破りは、貫通性のある触覚で足元を狙い、出血性の毒を注入してきます。侵されれば2時間ほどで地獄行きですよ。それから、黄金トカゲは雷を使いますが、厄介なのは超音波です。ただ、超音波は範囲が非常に狭いので、危ないと思ったらとにかく横に避けてください」


 脅威たちの間合いに踏み込まないよう注意しながら解説をし、さらに、岩陰で折り重なるように倒れる人の姿を確認していた。

 恐らく宿破りの毒に侵されているのだろう。皆が皆、鼻や口から血を流し、目は虚ろ。あまり上等とは言えない耐魔服は至るところが破損し、あるいは真っ赤に染まっている。


「僕はあの人たちの治療をします。一刻を争うようなので。みなさん、ただの脅威だからと言って油断しないでくださいね」

「了解です!」

脅威奴等は俺たちに任せろい!」

「行きましょう。先手必勝!」


 スカーレットが杖を高く掲げると、脅威たちが一斉に進軍を開始した。



 最初に飛び出したのは、オレンジ色の髪。


「エクリス!」


 間合いぎりぎりの一匹に狙いを定め、稲妻を打ち込む。そのまま敵陣に踏み入り、若草色のワンピースをはためかせ、くるりと一回転。


「ほーらほーら、こっちにおいでー」


 安い挑発だが、脅威にはそれで十分。単純な脅威たちは、声の主へと一斉に敵意を向けた。無数の牙が、触角が、彼女を強襲せんと狙っている。

 とは言え、ここは大小様々な岩石の犇めき合う鉱山の最下層。広さだけはあるものの、光源もなければ足元も悪い。下に注意を払いながらの遊撃は、集中力を激しく消耗する。

 起伏の激しい地形では、満足に固有魔法も使えない。


「行っくよー!」


 ただし、ナナハネは並みの遊撃手ではない。10年以上にわたるサーカス団での実践と、身軽さとバランス感覚を活かした戦闘経験が、不安定な地形での大胆な遊撃を可能にする。


「えいっ、それっ、よいしょ、っと!」


 手近な岩場を足場にして跳躍、離れた大岩に飛び移る。点在する大岩の上を身軽な動きで渡り、最も大きな岩壁の上へ。

 脅威たちは、攻撃する隙さえ与えられず、彼女の動きに翻弄されている。一部、近くの人間へとターゲットを移した者もいたが、彼等の刃が届くことはなかった。


「イグニス!」

「アイシス!」


 と、ナナハネの背後から忍び寄る宿破りがいた。

 細く長い触覚に貫かれれば、忽ち猛毒に身体を蝕まれることになる。野生を生き抜く脅威は、生物の背後が死角であることを教えられずとも知っている。


「イグニス!」


 脅威を追い立てるべく駆けずり回っていたガスパーが、ナナハネに迫っていた脅威へと火球を放つ。小さな策士は忽ち炎に飲まれて灰となった。

 宿破りも黄金トカゲも、厄介な状態異常こそ持つが、防御面は並みの脅威と変わらないのだ。


「大事な姫君は俺が守る!」


 気を抜いたのはほんの一瞬。だが、その一瞬で、ガスパーの背後には黄金トカゲが迫っていた。

 金色の細い瞳がガスパーを捕える。

 直後、頭に鳴り響く不快な音。


「イエーイ! 俺を見ろー!」

「ガスパーくん!」


 黄金トカゲの超音波は、聞いた者の精神を狂わせ、混乱させる。

 真正面からそれを受けたガスパーの思考は瞬間的に拡販され、あろうことか、身につけていたマントを乱暴に脱ぎ捨てた。

 ナナハネは、雨あられのように立て続けに襲い来る稲妻を必死で躱している。


「フローゼン! ガスパーくん下がって!」

「あっ! 俺!」


 精神安定の上級魔法を掛けたのは、スカーレットだ。水色の淡い光がガスパーの体内へと消えると、彼ははっとしたように目を見開いた。

 黄金トカゲの牙が、深々と足に突き刺さっていた。


「いっ、て……。やったなー!?」


 ガスパーは、滲み出る赤を一瞥し、負傷した足をひょいと持ち上げた。自然、振り落とされた黄金トカゲへ、特大の火炎球を見舞う。


「イグニッション!」


 脅威の群れは、着実に数を減らしていた。



 3人が脅威を沈めているその裏では、レンリが瀕死の冒険者たちの治療を行っていた。

 まずは、意識のある者に問診を行う。


「治療をします。みなさん、属性拡張剤は打っていますか?」

「ああ。みんな、打ってる」


 答えが否だと面倒なことになるのだが、幸いそうはならなかった。

 混乱している者には精神安定の魔法を掛けていく。混乱の解除が済めば、あとは全員にまとめて治癒魔法を掛けるだけだ。


「フラワー・フィールド!」


 レンリの詠唱に呼応して、彼の周囲に可憐な花畑が現れた。

 桃色、藤色、山吹色。優しい色の花々が、死の縁を彷徨う者たちに祝福の光を運んでいく。

 どこからか鳥たちの囀りが心地よく響き渡り、冒険者たちは大地の齎す大いなる安らぎに心を委ねた。

 身体を蝕んでいた毒が消え、傷が癒え、心が凪いでいく。消えかけた命の灯火に薪をくべたように、彼等は皆、生気を取り戻した。



「避難、完了しました!」

「こっちも準備万端!」

「社長!」

「はーい!」


 レンリが呼びかけると、足場にしていた岩壁から、ナナハネがふわりと飛び降りた。彼女はそのまま一陣の疾風となって、スカーレットたちの下へと駆け戻る。

 脅威たちは、突然のターゲットの疾走に、まるで対応できない。

 否、対応できたとしても遅い。彼等の前ではすでに、氷の女神が微笑んでいるのだから。


「スノー・エクストリーム!」


 辺りの空気を支配する、凛として清涼な声。

 無風だった空間を、肌を刺す冷気が駆け抜けた。風が暴れ、雪が舞い、辺り一帯を白のノイズが覆い去る。

 それは、端で見守る人間たちを綺麗に避け、ナナハネやガスパーの誘導で一カ所に集められた脅威の群れを、跡形もなく飲み込んだ。


 吹雪が止むと、周囲の景色は一変していた。水分を多く含んだ雪が、この階層の中央に一つの大山を作り出していた。

 そこは、ナナハネたちが脅威を追い詰めた場所。雪山の下には、彼等の死骸が死屍累々と積み重なっているに違いない。


「相変わらず馬鹿げた威力ですね」

「うふふ。やっぱりトカゲには氷でしょ。っくしゅっ!」


 得意げに笑って、大きなくしゃみを一つ。氷使いではあるが、寒さには滅法弱いスカーレットである。


 その隣には、未だに出血の続く右足を投げ出して座るガスパーがいた。冷静に振舞おうとするも、顔の筋肉がこれでもかと強張っている。


「ガスパー! 大丈夫!?」

「な、何。この程度、造作もない。いててて。いってーやっぱ無理ー!」

「騒がないでください。深くやられましたね。レアローズ!」


 骨まで達した傷を回復するため、レンリが選んだのは上級の治癒魔法。

 傷口が大方目立たなくなると、ガスパーは意気揚々と立ち上がった。ナナハネに手渡されたマントを羽織り、腕を広げてポーズを決める。


「生き返る生き返るー。さっすがはレンリ! もう何ともないぜ!」

「ガスパーさん、学習してくださいよ。見た目には塞がっていますけど、中まで治っているわけじゃないんですよ。まあ、全治2日と言ったところですかね」

「そっ、そうだったー! いてて」


 レンリの視線はガスパーから外れ、岩陰で座ったまま気まずそうに身を寄せ合う人間たちへと移った。その瞳から温かさが消え、糾弾の意思がはっきりと宿る。


「ところで、みなさん。この鉱山の地下3階より下が立ち入り禁止区域になっていること、知らないとは言いませんよね?」

「……」

「看板にも書いてありますし、親切にロープまで引いてあるんですから、気がつかないわけがありませんよねえ?」

「……」

「何か言ったらどうですか?」

「す、すまなかった」


 レンリの剣幕に、年嵩の男がぼそぼそと応える。それが彼の怒りを煽ることを知っている3人は、遠巻きに眺めながら嘆息した。


「こりゃあ長くなるなあ」

「まあ、悪いのはあの人たちだし、しょうがないよね」

「私は報酬の話がしたいんだけど」


 順調にタスクを片付けていたところに水を差されたレンリの鬱憤は、その原因である冒険者たちへと向けられていた。

 彼の説教が続きそうなので、3人は手近な鉱石を集めることにした。


「ガスパーって、混乱するといっつも服を脱ぎ出すよね。今日は社長が助けてくれたから長引かなくてよかったけど」

「いやあ、なんか、かっこつけたくなってさあ」

「どゆことー?」


 精神汚染一つで、戦況は容易にひっくり返される。これまでに数多の修羅場を掻い潜ってきた4人は、その恐ろしさを痛切に感じているのだった。


「混乱も結構厄介よね。判断力を奪い、連携を狂わせる。私もよくみんなに迷惑かけたっけ?」

「社長ってば、混乱したら手当たり次第に初級魔法を打って周るんだもん。あっ、ミスリルみーっけ」

「何だかそうしなきゃいけない気がしちゃってね。ナナハネちゃんだって、道具袋の中身を全部地面にばら撒いちゃうじゃない。足を取られそうになるし、拾い集めるのに一苦労だし」

「えへへ。何をしていいか分かんなくなっちゃって」


 談話に興じながらも、3人は鉱石を探すのに余念がない。同じ空間で、レンリの説教は未だに続いている。


「でも、混乱した時一番怖いのって、やっぱりレンリさんですよね」

「あの絶望感ね」

「せっかく無力化した脅威を軒並み元気にしちゃうんだもんなあ。大地の祝福を受けるはずの我々が、まさか死へといざなわれるとは誰も思うまい」

「あなたの治療、金輪際やりませんよ。あと、報酬はこちらの言い値で構わないそうです」

「ふふっ、レンリくん、よくやったわ」


 ようやく話に一区切りがついたレンリが、透かさず鋭い視線をガスパーへと送った。その態度とは裏腹に、漆黒の瞳は楽しげに揺れている。それが親しき者にのみ見せる好意的な表情であることを、3人の仲間は分かっている。


「何で俺だけー!? やっぱ、誰かに掛けてもらう治癒魔法って最高だよなあ。来たれ、断罪の光よ! 汚れたこの身に聖なる鉄槌を! あんれ? 誰も聞いていないだと!?」


 ガスパーが大仰な手振りで子芝居を演じているその横で、レンリはしおしおと項垂れる冒険者を先導し、ナナハネはその中の一人と談笑し、スカーレットはディスプレイを耳に当てて会話をしていた。


「ああ、リーゼちゃん? 私よ。鉱石の在庫を調べてほしいの。ええ、そう。金、銀、ミスリル、アダマンタイト、そのくらいかしら?」

「ボス! オリハルコンも取れそうだよー!」

「ちょっと待って。オリハルコンも……」


 日常と何ら変わらない面々を見回し、レンリは苦笑混じりに呟いた。


「一応ここ、アドリアット大陸では最難関と言われるダンジョンのはずなんですけどね」

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