11 ある仮説

 ◆14




「はあ……。もう疲れました。もう嫌です。一刻も早く夢の世界に旅立ちたいです……!」


 社長室に飛び込むなりがっくりと項垂れるレンリに、セレンがデスクの上から気遣わしげな眼差しを送っている。


「お疲れさん。魔法教会からまた無茶振りされたんだって? 君も苦労するね」

「本当ですよ。なぜ僕が、敵地に一人で乗り込まなければいけないんですか? ただでさえ、連日の調査で肉体も精神もボロボロなんですよ。案の定、自警団どもには邪険にされるし。妖精園でも収穫はゼロですし。もうやってられません……」


 この世も終わりとばかりに繰り言を垂れ流す社員を見て、セレンが俄かに座席を立った。


「座って。コーヒーを入れよう。少しは気が紛れるよ」

「いえ、お構いなく。飲みたくなったら自分で入れますので」

「俺の入れたコーヒーは飲めないかい? スカーレットの方がいいものな」

「そっ、そういうことでは!」


 変化の乏しい相貌には、愉快そうな笑みが乗っている。諦めたように目の前の簡素な椅子に腰を下ろす。実のところ、レンリはセレンの入れるコーヒーが好きだった。

 さほど間を置かずして、香ばしい香りが部屋中に広がる。その方向を胸いっぱいに吸い込めば、鬱々とした心が少しずつ溶け出していくようである。


「君、最近疲れているな。あまり無理をするなよ」

「すみません。お気を使わせてしまって」

「気にしなくていいよ」


「ふえー……。ああ、疲れたー……。師匠、錬金のことになると途端に厳しくなるんだよなあ」


 気の抜けた声とともにノックもなく入ってきたのは、片手に小さな麻袋を抱えたガスパーであった。


「お疲れさん。君もコーヒーを飲むかい?」

「いいんですかー? やったー!」

「ミルクと砂糖は多めでいいんだよな?」

「はいっ!」


 手を上げて元気よく返事をすると、レンリの隣の椅子に悠然と腰を下ろした。袋の中からカラフルな装飾品を取り出して、二人の前に並べて見せる。


「見て見てー。今日の俺の仕事の成果を!」


 興奮対策の、冷静の蝶ネクタイ。恐怖対策の、香り玉のブレスレット。2年前、ベテランの錬金師が作った物と遜色ない出来栄えに、レンリは思わず感嘆の声を上げていた。


「これ、あなたが作ったんですか? 立った一日で?」

「そだよー。素晴らしいだろう? 我の錬金術を存分に賛美するがよい!」


 自画自賛の同僚をよそに、麻袋の中を覗き込む。耐魔アクセサリーが二つと、様々な大きさの小瓶が入っていた。その中から美しいターコイズブルーのブレスレットを取り出す。


「これは?」

「レンリさーん? 話聞いてくださいよー。それは師匠が作ってくれたんだよ。理性の腕輪だっけ? こっちは喝采のネックレス。魅了も沈黙もかかると大変だからってさ」

「こっちは治癒促進剤ポーション魔力回復促進剤エーテルですか。それにしても、相変わらず見事ですね、リーエンさんの錬金は」

「ちょいちょい! 俺にはー?」


 二人でできたばかりの耐魔アクセサリーを品評していると、二人分のコーヒーをトレーに乗せたセレンが戻ってきた。


「どうぞ」

「ありがとうございます」

「いっただっきまーす!」


 入れたてのコーヒーを一口含み、ゆったりと長い息を吐く。

 セレンが天井の照明の光を強めた。視線を外へ向ければ、すでに陽は沈み、名残り惜しむような残光が寂しげな光を残すのみである。



 レンリがひと時の安らぎに心を委ねていると、来訪者を告げる音が軽やかに鳴り響いた。

 扉を開けて入ってきたのは、アイスブルーの髪。

 肩に担いでいた大きなビジネスバッグを部屋の端に投げ落とすと、セレンの座る二人掛けのソファーに腰を下ろした。仕事熱心な秘書は、隣に座した社長に一瞥を送ることもなく、書類に細かな文字を書き込んでいる。


「お疲れさん。何か飲むかい? 作るよ」

「セレンもお疲れ様。取引先の方と軽く食べてきたから、今は何もいらないわ」

「そうか」


「レンリくん、ガスパーくん。何か進展はあった?」

「いいえ。僕の方は何も……」

「勝利の星となり得る物をいくつか作りましたぜ。化け蜘蛛の呪われし力に対抗できるやもしれん」


 嘆息混じりに首を振るレンリ。得意顔で机上の物を指し示すガスパー。二人を交互に見やった後、スカーレットは、突然デスクの上に大きく身を乗り出した。隣で仕事に専心していた秘書は、唐突な彼女の行動に驚いて身を引いた。


「レンリくん、ガスパーくん。お願い! 早くこのよく分からない異変をどうにかして! みんな仕事に集中できなくて困ってるの」

「みんな? あなたがの間違いでしょう」


 スカーレットは控えめに伸びをして、起伏の少ない半身を大きなソファーに深く沈めた。


「ナナハネちゃんは、サーカス団のテントを出たらファンが何人か待ってたことがあるって言ってたじゃない? 私はアイドルじゃないわ。どうして行く先々で待ち伏せをされなきゃいけないの?」

「さすがはボス! まさに魔性の女! その美しさは、人ならざる者をも惹きつけてしまうのか!」

「外を歩く時は杖を使い徹しよ。後ろを振り返ったら、必ず何匹かこっちを見てるの。いい加減、驚くのにも飽きちゃったわ」

「うっへえ、それは確かに怖いですねえ」

「でしょう?」


 大仰な手振りで語り、わざとらしく肩を竦めて見せる。冗談めかしてはいるが、その顔からは確かな疲労の色が見て取れた。社員の前でそれを隠しきれていないということは、レンリが思うよりもずっと、彼女は参っているのだろう。スカーレットはそういう人間だ。


「あなた、無害な蜘蛛を相手に、今日だけで何回殺生したんです? 死んだら地獄に落ちますよ」


 この日だけで10数匹の蜘蛛をあの世に送り出したレンリに言えたことではないが、彼女の返答は飄々としたものだ。


「ふふっ。平気よ。それ以上に善行をたくさん積んでるから、きっと許してもらえると思うの」

「それを自分で言います?」

「ふふふ」

「白き女神の浄化の力は、暗き牢獄に一筋の光明を齎した。闇に覆われようとしていた世界に暁光が差し、然る後には……」


 唐突に始まるガスパーの口上を、まともに聞く者は今やナナハネぐらいのものだ。



 と、その時。凪いだ湖面に水が爆ぜるように、ひと滴の違和感がレンリの中に波紋を生んだ。


「ちょっと……待ってください。杖を使いっぱなしと言うのは、いくら何でも大げさじゃないですか?」

「え? そうかしら?」

「僕等も奴等には割合遭遇していますが、あなたの言い方では、常に奴等に纏わりつかれていたみたいじゃないですか」

「だって、実際そうだったもの。移動中も、商談の間も、私たちの周りにはあの小さい蜘蛛がたくさんいたのよ。もううんざりするくらい。お昼だってまともに食べられなかったんだから」


 考えてみると。

 小蜘蛛の大群は、街全体に満遍なく点在していると言うよりも、ある場所の周囲に集まっているように思える。そう、例えばそれは、ここ、オリエンス商会。この会社の周りだけ、異様に蜘蛛の密度が濃くはなかったか。


「そう言えば、エイミーガーデンも……」

「ん? なになにー?」


 ウィルトンは気に留めていなかったが、エイミーガーデンにも同じ蜘蛛の姿が目立っていた。今朝のガイガーの言を思い返す。雌の産卵の時期になると、生物を襲って体内に魔力を蓄える。


 そこで、レンリはある仮説を閃いた。


「確かに」

「うえ? どしたのー?」

「スカーレットさん。確かに、あの蜘蛛の群れは、あなたに引き寄せられているのかもしれません」

「えっと……どうして?」

「僕等が路地裏で見た大きな蜘蛛は、あの大量の小さな蜘蛛を使って魔力を集めているのではないでしょうか」

「魔力を、集める?」

「ナナハネさん、ガスパーさん、スカーレットさん。この会社には、魔力の豊富な人間が多い。だから、奴等が拠点にしているとは考えられませんか? そして、その中でも、スカーレットさん。あなたは特に、魔力の量も質も規格外です。奴等が付き纏っていたのは、あなたの魔力を搾取するためだったのではないでしょうか」

「え? んん……。魔力を奪われる感覚なんて感じなかったけど」


 人差し指でこめかみを抑えながら、スカーレット。


「だけど、そう言われてみたら、今日は妙に疲れやすかった気がするわね。初級魔法しか打ってないのに、呼吸が苦しくなったり眩暈がしたり」

「あなた、それですよ!」

「え?」


 知らず、レンリは上半身を机上に乗り出していた。スカーレットがきょとんとした顔を向けてくる。


「おかしいじゃないですか。ほとんど無限に近い魔力を持つあなたが、初級魔法ごときで支障を来すなんて」

「支障を来すって、そんな大げさなものじゃないわよ」

「そういやあ、俺も今日はやけに腹が減ってさあ。何回もキッチンに行って、終いにはガルオン氏に目を丸くされたっけー。いくら何でも食べすぎだって。うっはははは!」


「ちょっと、ちょっと二人とも! それ、立派な魔力不足のサインじゃないですか!」

「えー? そなのー? 何でー?」

「道理で。蜘蛛に気を取られてて全然気がつかなかったわ」


 間延びした声を出すガスパーに、他人事のように感心するスカーレット。

 毎度緊張感のない二人に、レンリは再三口にしていることをもう一度言い聞かせた。


「あなたたち、ぼんやりしすぎなんですよ。今は異常事態の最中なんですから、もう少し危機感を持ってください。いいですか? 危機感を持って行動してくださいね」

「へーい」

「はーい」


 気の抜けた返事がステレオで返る。似た者同士の二人であった。

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