10 後日談
◆17
ラディー・バイクス逮捕の知らせがスカーレットのミミアに届いたのは、それから3日後の、夜が更けてからのことであった。
罪人一人を逮捕するのにここまで時間を要することは、取り立てて珍しくもない。魔法教会と自警団の間でどのような駆け引きが行われたかなど、しがない交易会社の社員であるレンリの知るところではないが、込み入ったやり取りが繰り返されたことは確かだ。
何せ、そのいざこざに多少巻き込まれたのであろうこの会社の女社長が、他人の前では弱みを見せない彼女らしくもなく、「難儀よねえ」などと珍しくため息などついているのだった。
バイクスの部屋から殺人に関連する魔法痕は見つからなかった。
しかし、シャルロッテ・オーウェンの私物が多数見つかったこと、ミミアの通話記録で最後にオーウェンと話していたことに加え、彼女になりすまして書類や手紙を書いたこと、彼女が生活しているかのように偽装していたことが証明され、中級物質魔法による殺人罪が確定したのであった。
本人は概ね事実関係を認めていると言う。
また、犯罪組織ワンラインとの関連を疑わせる発言を繰り返したが、かの組織との関連性は認められず、バイクスの釈明は聞き届けられなかったようだ。
レンリは、オーウェンの自宅にバイクスとワンラインの繋がりを示す物が残っていると読んでいたのだが、少なくとも、それが明るみに出ることはなかったということになる。
「あの人が殺人に使ったのって、『イグニス』だったんですよね? 中級魔法の」
「そのようですね。初級魔法では、いくら何でも人は殺せないでしょうから」
経過報告のために呼び出された社長室で、二人は事件について話していた。確認するナナハネと、それに応じるレンリ。そこへ、乱雑なデスクで遅い夕食を摂っていたスカーレットが割って入った。
「そうかしら? その気になれば、初級魔法でも十分殺人は可能だと思うけど?」
「スカーレット社長?」
「あんたは黙っててください。普通の人間にはまず不可能なんですよ。魔法は連続で打ち続けられるものじゃありませんし、我々には治癒機構と言う物が備わっているんですから」
「んん、そんなものかしら?」
彼女の実力をよく知る二人は顔を見合わせ、クリーム色のスープの最後の一口を口元へ行儀よく運ぶ社長に、呆れの眼差しを送った。
「でも、中級物質魔法って、自警団とか病院で働く治癒師さんとか、選ばれた職業の人しか使えないはずじゃないんですか?」
「その点を、魔法教会側も不名誉に思ってるみたいね」
「まあ、どう見ても奴等の管理不足ですからね」
ラディー・バイクスのような人間は、人畜無害な顔をして、力を持たぬ市民に紛れ、暮らしている。
「はぐれ魔法師……でしたっけ? 本当なら買えないはずの、中級以上の魔法を持ってる人たち」
「最近急に増えたわよね。この手の話」
「ですね」
「魔法教会の管理体制に不備があるとしか思えませんね。そのせいで僕等に厄介事が回ってくるんですから、迷惑もいいところですよ。子供の相手だけならともかく、まあそれも嫌なんですけど、こんな探偵の真似事のようなことをさせられるのは、金輪際ごめんですからね」
「た、確かに」
大きく嘆息するレンリに、ナナハネは苦笑交じりの相槌を返した。
「それにしても。はあ……」
空気の抜けるようなため息とともに、彼はがっくりと肩を落とした。
「まさか、アカデミーの中で妖精たちを飼育しているなんて。ややこしいんですよー……! それならそうと最初に言ってくれれば、あそこまで疑わずに済んだものをー……!」
バイクスと犯罪組織との繋がりを示す証拠を探すと言う大義名分を得たレンリが、渋るリジンに旧校舎の案内を要請したのが本日の夕方のことであった。
苦々しい顔のリジンに続いて旧校舎に足を踏み入れたレンリを待っていたもの。それは、色とりどりの体毛や羽根が特徴的な種族、妖精の群れであった。思いがけない事態に呆気に取られていると、行き場のない妖精たちをこの校舎内に住まわせているのだと、決まり悪そうに言うのだった。
妖精は、この世界において最も古くから存在しているとされており、人間の祖先に当たると考えられている生物だ。
今では人の生活に溶け込み、ペットとして迎え入れられたり労力として重宝されたりしている。妖精園と言って、彼等の生態を研究する目的で作られ、日々の生活の様子を一般に公開している施設も人気だ。
その一方で、手に負えなくなって捨てられるなどして街を彷徨った結果、自警団に捕獲されたり、亡骸となって発見されたりする者も多い。リジンのしていたことは、完全なる善意による行いであったわけだ。
「元々旧校舎は使われてなかったわけだし、取り壊すまでの間なら住ませてあげてもいいって、学長様も言ってくれたんでしょ? よかったですね。妖精を好きな人に悪い人はいませんから」
「いや、そんなものは迷信でしょう」
分かりやすく不機嫌な同僚を眺めて、ナナハネは小さく肩を竦めるのだった。
と、時折ティーカップを口に運びながら会話に参加していたスカーレットが、不意に二人へと向き直った。
「ナナハネちゃん、レンリくん。今回は本当にお疲れ様でした。二人とも、よく頑張ってくれたわ。ありがとう」
この社長、人の話はあまり聞かないが、労いの言葉だけは決して忘れない。
「えへへ、ありがとうございますー。でも、私はそんなに働いてませんよー。頑張ったのはレンリさんです。ねっ? レンリさん?」
「たっ、確かに、結構面倒ではありましたけど……」
元サーカス団員で、かつて天上のひまわりと呼ばれていたナナハネ。完璧な容姿に超人的なポテンシャルを兼ね備え、鋼鉄の白百合の異名を持つスカーレット。二つの花に好意的な眼差しで見つめられ、素直になれないレンリは、ただ俯いて口ごもるのだった。
◆18
隣室に住む恋人を訪ねると言って、ナナハネが意気揚々と部屋を飛び出して行くと、社長室にはレンリとスカーレットだけが残された。この部屋には、大抵セレンと言う社長秘書がいるのだが、今日は私用があると言って1日休みを取っているのだった。
「もう少し休憩したいからミルクティーを作るけど、レンリくんもどう?」
「ああ、それでしたら僕が」
簡素な椅子からとっさに腰を浮かせたレンリを手で制し、スカーレットが空になったティーカップを手に席を立った。
「そんなこと言わないで。お茶を淹れるのって、結構気分転換になるんだから。それが誰かのためなら、猶更ね」
「言うようになりましたね。2年前までお茶の淹れ方すら知らなかったお嬢様が」
「ふふふ。レンリくん。人って言うのはね、成長するものなのよ」
長い髪をかき上げながらそう言うと、茶目っ気のある笑顔を残して、部屋の隅に造り付けられた簡易的なキッチンへと向かう。鼻歌を歌いながら二人分の飲み物を用意する彼女の華奢な背中を、レンリは何ともなしに眺めていた。
シャルロッテ・オーウェンが急遽退職することになった旨が生徒たちに伝えられたのは、バイクスが連行されて3日が経った本日朝のことであった。ショッキングな事件の概要は伏せての連絡となったが、どのクラスも号泣の嵐に包まれたと言う。
ついでのように告げられた、レンリの臨時講師退任の連絡が、どれだけの生徒の耳に届いていたかは分からないまま、彼は本日付でカルパドールアカデミーへの派遣の任を解かれたのだった。明日、明後日の休日を挟んで、その翌日からは新しい魔法基礎の講師が着任するのだと言う。
だから、教室を去り際に、数名の生徒が飛びついてきた時は、柄にもなく感傷的になってしまった。存外に嫌われているばかりでもなかったらしい。いずれは教師の仕事に戻るのも悪くないかもしれない。面倒な任務を押し付けられなければの話ではあるが。
「レンリくん、お待たせ」
頭上から降ってきた声で我に返った。相当物思いに耽っていたらしい。デスクに散らばっていた物が適当に端に寄せられ、目の前には湯気を立てるカップがぽつんと置かれていた。
「すみません。片付けもせず」
「いいのいいの」
スカーレットが向かいのソファーに腰を落ち着けるのを待って、優しい茶色の満たされたカップに口をつける。想像通り、眩暈がするほどの甘さが口内に広がる。
実のところ、生粋の甘党である彼女の淹れる飲み物は、甘い物を好まないレンリの口にはあまり合わないのだった。
「どう? お口に合うかしら?」
「はい。疲れた体にこの甘さがちょうどいいです」
「そう。よかったわ」
しかし、世辞などとは無縁なはずのレンリが、本心からそんなことを言ってしまう程度には、彼女の作る紅茶の味にすっかり絆されているのだった。
「それで、レンリくん」
「今は誰もいませんよ」
この言葉は、二人の間でのみ通用する合言葉のような物だ。パブリックからプライベートへ。そして、社長から恋人への。
「レンリ、何か考え事?」
「あの、スカーレットさん。実は僕、この間、アカデミーで……」
「アカデミー?」
泣き濡れたオルカの顔が思い出され、レンリは思わずカップの液面に目を落とした。今更ながら、気恥ずかしさが込み上げる。
人並に恋愛もしてきたし、言い寄られたこともないわけではない。だが、あのような形で女に迫られたことは、彼にとっては初めての経験であった。
このことを話せば、スカーレットはどんな反応を見せるだろう。少しは焼き餅を焼くだろうか。不用心だと怒るだろうか。あるいは聞き流すだろうか。
時には嫉妬の一つもしてほしいものだが、きっと彼女はそのような小事には拘らないだろう。些細な行動や異性との接近、人間関係、健康状態。そう言った物にいちいち神経をすり減らしている自分とは違って。
そんなことを考えていたレンリの耳に、予想外の返答が届いた。
「ふふっ。私もよ」
「……はい?」
「私もアカデミーでは散々道に迷ったわ。何度生徒や職員に助けられたことか」
「はい? あの、あなた、アカデミーには通っていないでしょう」
スカーレットの素性を知る数少ない人間は、皆同じように首を捻ったことだろう。アカデミーのない時代に生まれ、その上幽閉同然の状態で育った彼女が、アカデミーに通っているはずがない。
しかし、そんな常識さえ通用しないのが、眼前で微笑む女である。
「卒業したわよ。カルパドールアカデミー。えーっと確か、この会社を始める前だから……18年くらい前だったかしら? 高等部の方だけどね。あっ、これ、みんなにはないしょよ」
「あのー、アカデミーには年齢制限があるはずなんですが? いくらあなたが若く見えると言っても、流石に16歳は無理がありますよ」
「そんなことないわよ。だって私、3年間、一度も怪しまれなかったもの。ほら、私って、この通り地味だし」
「ですから、あんたのどこが地味だって言うんですか」
「え? どこがと言うのは考えたことがなかったけど。うーん……」
引き出しから手鏡を出し、尤もらしい顔でそれを覗き込む。
鮮やかな長い髪、白く眩しい肌、煌びやかなサファイアの瞳、女にしては高めの身長と、すらりと長く伸びる白い足。
決定的なのは、身に纏う表現し難い存在感。遠くからでも見間違いようのない特徴をこれほど多く持ち合わせておきながら、自らを目立たないと称するスカーレットは、レンリにはひどく不可解で、滑稽だ。
アカデミーの校舎内で、一人胸を張って歩く彼女の姿を想像する。間違いなく、浮いていたことだろう。
「懐かしいわ。あの時の制服、まだ取ってあるの。今とはデザインが全然違うのよ。今度見てみる?」
「あなたに着ていただけるのであれば」
「いいわね。私も久々にちょっと着てみたいわ。それじゃあ、次の休みの日にでも」
スカーレットと出会って3年、深い関係になってからもう時期1年半。未だに彼女の話に驚かされることは多い。そんな時、決まってレンリはこう言った。
「僕にはあなたのことがよく分かりません」
「そう? あと490年一緒にいれば、私のこと、きっと何でも分かるようになるわ」
「普通の人間は100年も生きられませんからね」
「魂になっても傍にいてくれればいいわ」
どうやらこれは、彼女なりのジョークのつもりらしい。知らず、レンリの口元には柔らかな笑みが湛えられていた。気がつけば、いつもスカーレットのペースに乗せられている。
結局、オルカについて話すタイミングを完全に逸してしまったわけだが、こんなところさえも彼女の魅力の一つに見えてしまうのだから、恋愛感情とは便利な物だった。
「ところで、スカーレットさん。この後、お時間はありますか?」
「時間? 今日中に片付けておきたい仕事がいくつかあるんだけど。何かあるの?」
「アカデミーの売店で、珍しい物を買ってきたんです。文房具なら、いくつあっても困らないかと思いまして」
「あら、それは気になるわね。それじゃあ、遅くても9時には時間を作るようにするわ。体が空いたら呼びに行くから、あなたの部屋で待っててくれる?」
「忘れないでくださいね」
「ええ、もちろん。10時でいいのよね?」
「あなた、たった今9時と言っていませんでした?」
「あら、そうだった?」
「まあ、あなたとゆっくりできるのなら、どちらでもいいです」
「ふふっ、そうね」
久々に甘い夜を過ごせそうだと、レンリの期待は否が応でも高まった。任務による疲労など、この時ばかりはどこかへと霧散してしまう。
このあと、スカーレットが仕事に没頭するあまり大切な約束を忘れ、レンリが怒りと落胆からやけ酒を煽ることになるのだが、それはまた別の話である。
第一章 「魔法基礎は専門外です」 完
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