08 答え合わせ

 ◆15




「一体何なんですか? 授業を差し置いてもやらなければいけない職員会議とは」

「今度は何が起きたんですか? また誘拐未遂事件ですか?」


 午後一番の職員室には、10名ほどの教員が招集されていた。

 退屈そうに、あるいは心配そうに、はたまた緊張した面持ちで疎らな席につく教員たち。その中には、テイキッド・リジン、ラディー・バイクス、そして、オルカ・フラットリーの姿もある。


 部屋の中央に仁王立ちして彼等を順繰りに確認しているのは、恰幅の良い初老の男で、カルパドールアカデミー初等部の学長だ。彼は、大きく咳払いをすると、隣に立つ猫背の男に視線を送った。


「本日は、彼の方から非常に重大が話があるそうです。過労で休職中のシャルロッテ・オーウェン先生の代理として、魔法教会よりいらしていただいている、レンリ・クライブ先生です」


 そこまで言うと、学長はそそくさと用意された上等な椅子に腰を下ろしてしまった。後に残されたのは、至って平凡な容姿の小柄な青年だけである。

 突然の部外者の登場に、職員たちは懐疑の眼差しを一斉に彼へと向ける。なるだけそれらを意識しないよう努め、レンリは大きく息を吸い込んだ。


「半月前のことです。当アカデミーで魔法基礎の授業を担当していたシャルロッテ・オーウェン先生が、突然過労で倒れ、休職願いを出しました。このことは、皆様ご存知ですね」


 彼の言葉に反応する者はない。室内は、奇妙な静寂で満ちていた。この事実を公表するためだけに、今更教員が招集されるはずもない。皆、話の趣旨を図りかねていた。


「オーウェン先生の自宅の周辺で聞き込みをしたところ、興味深いことが分かりました。オーウェン先生の家に、二人の人間が出入りしていたと言うんです。一人は男性で、一人は女性。これだけでは、誰のことだか全く分かりませんが」

「あんた、一体何の話をしてるんだ」


 リジンが苛立たしげに声を上げる。レンリはそれを聞き流すと、窓際の席で成り行きを静観している一人の男へと顔を向けた。


「バイクス先生。あなたは、オーウェン先生の自宅の場所をご存知でしたよね?」

「そ、そうですけど、それが何か?」

「今回、オーウェン先生の自宅には?」

「何度か訪ねました。でも、それは臥せっている彼女が心配だったからです」

「ええ、そうでしょうとも」


 びくびくと弁明する男に適当な相槌を返しながら、レンリは次の人物へと質問の対象を移した。


「フラットリー先生。あなたは、オーウェン先生の代わりにアカデミーと魔法教会に連絡を入れましたね?」

「入れましたよ。それが何?」

「あなたはオーウェン先生から直接連絡を頼まれましたか?」

「いいえ。あの子が急に無断欠勤した日。あたしは学長に頼まれて、仕事帰りに様子を見にあの子の家に行ったの。そしたら、玄関の扉に紙が挟まってるのが見えて。アカデミーに出す休職願いと、魔法教会に出す長期休暇届け? それと手紙」

「手紙には何と?」

「少し疲れました。しばらくそっとしてください。力及ばず、本当にごめんなさい。そんなようなことが」

「なるほど」

「あの子から直接事情を聞こうと思って何回も扉を叩いたけど、返事は返ってこなかったの。だから、あたしがその書類をあの子の代わりに出したの。ちょっと疲れてるだけなら、すぐ戻ってくるだろうって思ったし」


 不意に、彼女の声が険を帯びた。


「それなのに、何回家に行ったって、あの子は全然返事もしないのよ。あたしに何の相談もなく無断欠勤した上に、ミミアにかけても家に行っても音沙汰なし。あたしにはもうお手上げ」

「なるほど。彼女に何かが起きたかもしれないとは考えなかったんですね」

「は? ちょっ、それってどういう意味?」


 声を上げる者、瞠目する者、身を強張らせる者。静かな空気に、不穏のさざ波が広がる。


「僕の知り合いに、人の所持品に残された魔力痕を感じ取れる人がいるんです。フットワークの軽い人なので、少し協力していただきました。知らない方もいらっしゃると思いますので説明しましょう」


 数秒間の沈黙。レンリは脳内で今一度筋書きを確認した。教師たちが固唾を飲み、次の言葉を待っているのが分かる。


「魔力痕と言うのは、我々の手から物質へと伝わり、物質表面に残る魔力の残滓のことです。例えば、僕が触れたデスク、椅子の背もたれ、杖、ペン、照明のスイッチ。これらには、僕の魔力痕がしばらくは残るわけです。つまり、魔力痕を見れば、その物に誰が触れたかを特定することができるんです」


 授業をしているような錯覚に陥りながら、整然と並んだデスクの間を縫って歩く。緊張を沈め、心の平静を保つための動作。脳内をさらに活性化させるための儀式。

 散らばった記憶の断片を一つずつ拾い集めれば、朧げな事件の輪郭が姿を現し始める。やがてそれは、巨大な一つの真実へと変貌を遂げるのだ。


「その知り合いに、オーウェン先生の自宅の物を調べていただきました。食器類、シャワー、ドア、テーブル。確かに、至るところから魔力痕が検出されたそうです。ですが、それは、オーウェン先生の物ではありませんでした」


 どこからともなく声が漏れ聞こえた。空気の動かない職員室内。彼等は、皆一様に結論を求めている。

 その期待に応じるべく、レンリはある人物の前で足を止めた。


「その魔力痕は、オーウェン先生と同じ炎属性。お分かりですよね? それはあなたの物だったんですよ。ラディー・バイクス先生」


「えっ……!?」

「どういうこった」


 室内に激震が走る。当のバイクスは、レンリの追及の眼差しに怯えるように肩を震わせると、大仰に項垂れた。


「あっ、あの、ちょっと、待ってくださいよ。魔力痕? オーウェン先生の家にあった物なら、それは彼女の魔力痕でしょう。炎属性ならなおのことそうだ」

「いいえ、それは違います。オーウェン先生のデスクにあったノートの魔力痕も見てもらったんです。違う人物の物だと言うことはすぐに分かったそうですよ。何より……」


 一呼吸置き、レンリは決定的な事実を告げる。


「彼女はもう、亡くなっています」


 会場にいる全員が息を飲む気配がする。正確に言えば、犯人以外の全員だ。

 その犯人も、別の理由で驚愕していることだろう。彼女の遺体が発見されるはずはないのに、なぜ死んでいることが分かったのかと。


「最初におかしいと思ったのは、僕がオーウェン先生の授業について話した時です。こんな公の場でお話ししてしまうことをお許しいただきたいのですが、あなたは、オーウェン先生に片思いをしているとおっしゃいました。それなのに、僕が彼女の授業が好評だったと言った時、少しも前向きな反応を示しませんでした」

「そっ、それは……!」

「それどころか、無理矢理笑ったあなたが、とても焦っているように見えたんです。この人は何かを知っている。そう思いました」

「そっ、それだけの理由で……」


「僕も今回初めて知ったのですが、所持品に残された魔力痕を見れば、その人が生きているかどうかが分かるんですよ。比べることで、同じ人の物なのかを知ることもできるそうです」

「ちっ、違う!」

「まずは、バイクス先生。あなたの所持品の魔力痕を、僕の知り合いに診てもらいたいのですが。それから、家の中も調べさせていただけますか? 恐らくそこに何かしらの証拠が残っているはずですから」


 バイクスに反論の隙を与えず、レンリは次々に畳みかける。固唾を飲み、成り行きを見守っている職員たち。彼等はまだ半信半疑と言う顔をしている。

 しばし俯いていたバイクスの口から、ついに真実の断片が零れ落ちた。


「あいつが……悪いんだ……!」


 時が、空気が、凍り付いた。


「僕の周りをやたらと嗅ぎ回ってきたと思ったら、悪いことはやめろとか、足を洗えとか。まあ最初は鬱陶しいぐらいで済んでたんだけどさ。あの組織から抜けろ、抜けないなら魔法教会に相談するしかないとか、偉そうに脅してきたんだよ。だから……」


 バイクスの相貌で悪意が膨張し、そして弾けた。


「燃やしてやったんですよ! 炎魔法で、灰になるまでね!!」


 聞いている教員の多くは、彼が一体何を言っているのか理解できなかった。ただ、大人しいはずの同僚の男が凶悪な本性を隠し持った殺人犯であると言う、その一点だけは、皆正しく理解した。

 驚愕、動揺、嫌悪。さまざまな感情を含んだ瞳が、一斉に彼へと向けられる。


「はは。ははは!」


 バイクスの口角がこれでもかと上がり、相貌が歪に歪む。見た者を戦慄させる暴力的な笑みが、そこにはあった。

 レンリは、この顔をよく知っている。行き過ぎた悪意に心を預けてしまった者のみが宿す相貌であった。


「僕には、ワンラインの後ろ盾がついてる。だから捕まらないはずだった。そう、思ってたのに」


 溜めていた鬱憤を全て発散するように、バイクスは俄かに声を張り上げた。


「奴等、自分でどうにかしろって言うんだ! 僕が捕まったって構いやしない! 組織には何の痛手もない! 代わりならいくらでもいるって! どうしていいか分からなくなった。どうにかしないと。僕は考えて考えて、夜も寝ずに考えて、それで」


 そこまで言って、無害そうな顔に悪魔じみた笑みを浮かべた。


「過労で心を病んで姿を晦ましたことにすればいい。そう思ったんだよ。ははははは!」


「あんた……そんなくだらない理由であの子を……? それで、よくもあたしにあんな台詞が言えたわね。あんたが何したか知らないけど……ふざけんじゃないわよ」


 失望と憎悪に溢れた、オルカの低く重い声。その目に光る雫は、悲運な同僚への哀悼の念からくるものか、非道な悪魔にひと時でも心を寄せてしまった自分への、自責の念からくるものか。


「てめえ……よくも、シャルロッテを……!」


 今にも自分に杖を向けてきそうなリジンを意に介さず、バイクスは見せつけるように鼻を鳴らす。


「まさか、魔力痕だけでそいつが生きてるかどうかが分かるなんてね。そう言う情報は僕には回ってこないんですよねー。知ってたらこんなヘマしなかったよ」

「てんめえ!!」


「リジン先生!!」

「いかん!」


 青色の杖を構えるリジンを、周囲の教師が数人掛かりで宥める。がしかし、彼の杖が輝くのが早かった。


「ハイド!」


 放たれたのは、水の初級物質魔法。威力は大したことはないが、炎が主属性のバイクスに当たれば外傷は免れない。

 しかし、バイクスを狙ったはずの水流が、彼に届くことはなかった。


「アース・シールド!」


 阻んだのは、深緑しんりょくのベール。バイクスを囲むように現れたそれは、リジンの杖から放たれた水流を全て大気中に霧散させた。


「なっ……!!」


 目の前で起こるであろう惨劇を予測していた職員たち。自身の身に降りかかるであろう不幸に慄いていたバイクス。彼等は皆、例外なく我が目を疑った。

 それは、自分たちの知っている魔法、即ち、共有魔法ではなかったのである。


 彼等の視線の先には、深緑しんりょく色の杖を構えたレンリ・クライブが立っていた。

 レンリは固有魔法の使用者である。それが意味することは、ただ一つ。


「正式な自己紹介をしていませんでした。遅ればせながら、失礼致します。僕は、魔法教会公認魔法師、第708号。レンリ・クライブです」


 レンリが羽織っていた上着を脱いだ。その下から白銀に輝くバッジが現れ、彼の言動が事実であることを観衆に告げる。

 先刻までとは別種の衝撃が、教員たちの間を駆け抜けた。方々から言葉にならないどよめきが上がる。


「公認魔法師?」

「嘘、あんたが……?」

「リジン先生。こんな愚かな人のために、あなたが罪を犯すことはありません」


 そう言ったレンリの声は叱るようで、諭すようで。真剣な眼差しを向けられたリジンは、複雑な感情をその鋭利な相貌に宿したまま、構えていた杖を床に取り落とした。


「あっ、あんた……」

「公認魔法師だって……!? 魔法教会が動いていたって言うのか。過労で倒れた教師一人のために? 馬鹿な! そんな馬鹿なことはあり得ない!」


「とある犯罪組織の協力者を暴き出すこと。それが、今回の僕の本当の任務でした」

「くっ……。なっ、何のことだ……」

「あれほどペラペラ喋っておいて、今更知らないなんて言いませんよね? ここにいる職員全員が、先ほどのあなたの自白の証人ですからね」

「知らない! ほ、本当に……知らないんだよー!!」


「プラズマ・カーテン!」


 半ば狂乱になったバイクスが杖を振り上げようとしたその時、鮮やかな声が周囲の空気を震わせた。

 次の瞬間、レンリに向けられていた杖がバイクスの手から離れ、所持者諸共地に伏した。プラズマ・カーテン。脅威や犯罪者を抑える目的で使用を許された、一定時間相手をマヒ状態にする固有魔法だ。


「レンリさん。みなさん。大丈夫ですか?」


 心配そうな声とともに後方の扉から飛び込んできたのは、黄金色の杖を掲げたナナハネであった。パステルイエローのワンピースを靡かせながら小走りでレンリの傍にやってくると、周囲の教員を見回しながら軽く一礼した。


「ナナハネ・ハートリーです。魔法教会公認魔法師、第710号です。まだ新人ですけど」


 彼女の左胸には、レンリの物と同じバッジが確かに存在していた。


「教会の公認魔法師が二人? 嘘だろう……」


 顔を上げることさえ叶わず、地面に転がるバイクスの頭上で、ナナハネは数枚の紙片をレンリへと手渡した。可憐な小花が鏤められた便箋で、いかにも手紙と言う風情だが、細かな皺が無数に刻まれている。


「とりあえず間に合ったみたいで良かったです。」

「見つかりましたか?」

「あんまり時間がなかったので、持ってこられたのはこれだけなんですけど……役に立ちますか?」

「ええ十分です。バイクス先生」


 差し出された紙片を受け取りたくとも、バイクスの体は指一本すら自由にならない。レンリは、やおら腰を屈めると、彼の目線の先に便箋の一枚を広げた。


「よく見てください。僕が求めていた物とは違いましたが、これはシャルロッテ・オーウェン先生の自宅から見つかった物です」


 バイクスの瞳が見開かれる。

 そこには、バイクスに対する思いが、オーウェンの葛藤が、覚悟が、冗長な文章で記されていた。それは、彼に充てられた手紙であった。


「シャル……」

「他の物も同じような内容です。何度も書き直したんですね。あなたの心にちょっとでも届くようにって。あなたが自分の罪と向き合ってくれるようにって……」


 ナナハネの言葉は、染み入るようにバイクスの胸を揺さぶった。


「みなさん、お疲れ様でした。間もなく魔法教会の者が後始末にくるでしょう。それまではこの部屋を出ないでください」

「僕は……! 僕は……!!」


 レンリの呼びかけを合図として、張り詰めていた空気が解けた。魔法教会との橋渡しをナナハネに任せ、悲嘆にくれるバイクスたちの声に見送られ、レンリは一足先にこの部屋を後にした。

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