第76話『彼女の過去』
ベッドの上で隣同士、肩が少し触れるぐらいの距離で座る雄一と澄乃。澄乃がぽつぽつと過去を語るのを、雄一は黙って聞いていた。
澄乃の父親――白取勝、享年四十歳。生前は、とても勇敢な消防士だったそうだ。
自らの仕事に誇りを持ち、危険な現場に臆せず立ち向かい、そして同僚からの信頼も厚い。まさに消防士の鏡と言えるほどの人物であり、澄乃にとっても自慢の父親だったとのことだ。
けれど、あくまで彼も一人の人間。どれだけ優秀な消防士であったとしても、ほんの些細なきっかけで運命は大きく変わる。
事の発端は約四年半前、澄乃が小学校を卒業した直後に遡る。大型ホテルでの大規模火災、その現場に向かった勝は持ち前の経験と技量で多くの人命を救い……最期は自らの命と引き換えにその責務を全うした。
澄乃から手渡されたスマホ――そこに表示されていた当時の記事には、同じ現場で肩を並べた同僚のインタビューが掲載されていた。
『私たちの担当エリア、そこにいた最後の要救助者を運び出す最中のことでした。恐らく、火災の熱で脆くなっていたのでしょう。私の頭上にあった鉄骨がいきなり落ちてきたんです。救助者を背負っていた私は咄嗟のことで動けず……そんな私を、白取が身を挺して庇ってくれました。彼の行動がなければ私も、救助者も、生きて帰ることはできなかったでしょう。白取は自分の身を犠牲にしてでも、私たちのことを救ってくれたんです』
同僚が語った白取勝という人物は、まさに――本物の
(そういうことか……)
一通り記事を読み終えた雄一は目を細めた。
この火災事故は雄一も覚えている。当時あまりニュースなどに興味を示さなかったが、そんな自分でも覚えているぐらい印象に残る火災だった。
テレビ画面には至る所から炎を吹き出す建物が映っていて、自分があの現場にいることを想像すると、今でも背筋がぞっとする。
いつか澄乃が口にした『ヒーローが苦手だ』という言葉は、つまるところ、この出来事が原因だったのだろう。
自らの犠牲を顧みず、他者のためにその命を使い尽くしたヒーロー。周囲の目にはきっと、とても素晴らしい存在として映ることだろう。だがしかし、それはあくまで安全圏からの感想だ。実際にそのヒーローと関わりを持つ者たち――例えば、遺された“家族”はどう思うだろうか。
誇らしい?
それとも、鼻が高い?
たぶん一番思うことは……無事に帰ってきて欲しかった、ではないだろうか。
責任を果たせなくてもいい。失敗を犯しても構わない。ただ……無事に帰ってきてくれさえすれば、それで良かったのに。
雄一にそういった経験はない。けれど、澄乃の瞳に宿る悲しみの色を見れば、その気持ちは痛いほど伝わってきた。
「本当はその日ね……お父さん、非番だったんだ」
「え?」
どう声をかければいいか迷っていると、澄乃は唐突に言葉を漏らした。
「久しぶりに取れた長いお休みで……私とお母さんも一緒の三人で、卒業旅行に行くはずだったの」
当時の澄乃は小学校を卒業した直後。それを記念しての旅行ということだろう。
「でも大きな火災だったから、非番のお父さんにも呼び出しがあって……旅行は中止。私、本当に楽しみだったから、思いっきり泣いちゃったの。いつもなら、いってらっしゃいって言うのに、ずーっと泣きわめいてばかりで……」
少しずつ、澄乃の声に震えが混ざり始める。
「結局泣いてばかりの私をお母さんが引き止めて、お父さんは仕事に行った。お父さん、最後まで『ごめん』って謝ってくれたんだけど……それなのに、私……」
やがてその震えは大きくなり、抑えきれない悲しみが澄乃から溢れ出す。雄一が感じ取れるのは漏れ出た一端でしかない。ならその根源を抱える澄乃は、一体どれほどの悲しみを抱えているのか。
胸が締め付けられて、思わずその先の言葉を止めようと手を伸ばしかけて、けど止めた。
教えてくれと願ったのは、他ならぬ雄一自身なのだから。
そして澄乃は。
「――大っ嫌い。そう、言っちゃったんだ」
本当に小さな囁きを口にした。
明確な拒絶の言葉。当時の澄乃が、自分の父親に対して向けた言葉。それをなぞっただけのはずなのに、まるでそれは、
「それが、私がお父さんにかけた最期の言葉。そしてこれが私の――
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