第42話『スリルを求めて』
「あー、怖かったー!」
ジェットコースターの退場口から出たところで、澄乃は両手を広げて大きく伸びをする。言葉の割にはちっともそんな雰囲気はなく、整った顔立ちは満面の笑みで生き生きと輝いていた。
「楽しんでるようで何より。最初はどうなることかとヒヤヒヤしたぞ」
後ろを歩く雄一が苦笑混じりにそう告げる。
ついさっき、三十分程度の待ち時間を経てマシンに乗り込んだ二人。運良く最前列を割り当てられたこともあり、雄一のテンションは中々に昂ぶっていた。
アトラクションの花形ともいえるジェットコースター。何よりたまらないのは、マシンが徐々に最高到達点に昇っていく最初の時間だ。ゆっくりと、だが着実に高さを増していき、それに比例して縮小していく眼下の景色。キリキリと鳴る機械の動作音が高揚と恐怖を煽り、じきに到来する高速落下への期待が否応なしに高まる。
雄一は上からパーク内の建物を眺めつつ、自分と同じ絶叫系が大好物だと豪語した澄乃もきっと似たような反応をしているだろうなーと思って目を向けると――
「あ、あわわわわ……! 高い、高いよ英河くん……っ!?」
前だけに視線をがっちり固定して、目を白黒させている澄乃がいた。
有り体に言えば、めっちゃ慌てていた。
青ざめている――とまでは言わないけれど、やや血の気が引いた表情で、身体を固定させる安全バーを力いっぱい握り締めている。バーに押されて形を変える、豊満かつ柔らかそうな膨らみに雄一の意識が一瞬向きそうになるが、それよりも澄乃の精神状態の方が気掛かりだ。
「白取、絶叫系好きなんだよな……?」
「す、好き、だけど……好きと得意は、べ、別物というか……最初のこの時間だけは、いいいいつまでも慣れなくてぇ……!」
「えぇ……」
雄一の口から気の抜けた呟きが漏れた。言い分は分からなくないが、よりにもよって今になって告白しなくてもと思ってしまう。
「大丈夫、なのか?」
訊いたところで今さら止める手立てなど無いのだが、一応声だけはかけてみる。
「だ、だいじょぶ……! 怖いのは最初だけだから……一度下りちゃえば、もう、楽しめるから……!」
「そうか、それじゃあ覚悟を決めて楽しむしかないな。ほら、もうじき頂上だぞ? 五、四、三――」
「まままま待って、カウントやめてぇ……! それされると余計に――あ、あ、あああああああああああああああああ――!?」
慈悲など無い。
最高地点に辿り着いたマシンは重力の誘いを受け、レールに沿ってぐらりと前に傾いていく。一人の少女の心の準備なんて、万物共通の無慈悲な物理法則は当然待ってくれない。
結局そこから先ずっと、雄一の隣からはお手本のような悲鳴が響き渡るのであった。ジェットコースターの製作者が聴いたらさぞ満足するであろう、とてもとても良い悲鳴だった。
脳内で展開された短い回想が終わりを迎え、雄一はやれやれとため息を吐く。別の意味で心臓に悪い時間だった。
まあ、本人の言った通り、澄乃の悲鳴に恐怖が混じっていたのは最初だけで、中盤ぐらいからは結構ノリノリできゃーきゃー言っていたのだけれど。
「あ、あはは、あのスリルがたまらないというか……。お見苦しいところをお見せしました……」
「いえいえ、こちらはこちらで良いものを拝見させて頂きました。面白かったぞー、慌てふためく白取」
「むー……わざとカウントしてきたくせに……」
澄乃を真似て敬語を使った返答をすると、分かりやすく頬を膨らませた彼女が「ていっ」と脇腹を突っついてくる。腹筋に力を入れてそれを受け止めると、澄乃は「わー」と感嘆の吐息を零した。
「やっぱりすごい。なんかこう……しっかり筋肉がついてるって感じがする」
「そりゃ一応鍛えてますから。――って、あんまり突っつくな。くすぐったい」
「イヤでーす。さっきの仕返しだもん」
可愛らしい声音でそんなことを言われたら、甘んじて受け入れるしかない。ひとしきり弄り倒して満足した後、乗車中は脱いでいた帽子を被り直した澄乃はスマホを手に取った。
「次はどうしようか。英河くんは乗りたいのある?」
「んー……次も絶叫系が良いかな」
「……言っておくけど、もうあんなに慌てないからね?」
「…………」
「いやそんな『えー』みたいな顔されても」
「はは、冗談冗談。でも絶叫系が良いってのはホントだ。他にも結構スリリングなのあるみたいだし」
「はーい。えっと、なら次は……向こうのフリーフォール行ってみようか」
「了解」
そうして澄乃先導の下、絶叫系を中心とした様々なアトラクションを堪能していく。四つ目を乗り終わったところで一旦小休止。叫んで酷使した喉を潤すために自販機で購入した缶ジュースを飲みながら、二人で今後の予定を話し合う。
そんなことをしていると。
「うぇぇええええええええん!」
どこからか子供の泣き声が聴こえてくる。いつぞやのリュウキのような迷子かと思って雄一が目を走らせると、すぐに音の発生源は見つかった。
少し離れた先から近付いてくる一組の夫婦。父親の方に抱きかかえられた男の子は遠目から見ても泣きじゃくっていて、父親が丹念にその頭を撫でてあやしている。
そのまますれ違って離れていく家族の背中を見送りながら、澄乃は困惑気味に首を捻った。
「どうしたんだろう、あんなに泣いて……」
「さあ……」
見たところ怪我をしているわけではないし、もちろん迷子でもない。ひょっとしてあの家族がやって来た方向に答えがあるのかと思って歩いてみると、すぐに見当は付いた。
「たぶんアレだな」
「アレだね」
二人の視線の先に佇むのは、座礁してボロボロになった船をモチーフにした建物。すぐ近くに建てられた看板にはキャプテンハットを被ったやけにリアルタッチの骸骨が描かれていて、赤い血文字が余計におどろおどろしさを際立てている。さっきの子供が泣いていたのは十中八九あの看板が原因だろう。
看板に書かれたアトラクション名は『幽霊船からの脱出』。まさしくそれは、お化け屋敷と呼ばれるアトラクションだった。
アプリの方に詳しい説明が載っている。
呪われた海域とやらに迷い込んで、数多の怨念に憑りつかれてしまった巨大船。唯一生き残った“プレイヤー”はゾンビと化した乗客や怨念の魔の手を掻い潜りつつ、船からの脱出を目指すというストーリーらしい。
一通りの内容に目を通したところで、澄乃が「お化け屋敷かぁ……」と眉根を寄せて呟いた。
「さすがに怖い系は苦手か?」
「うーん、どうだろ……? 昔ホラー映画見て泣いちゃった覚えはあるけど、それからずっと見てないから、今がどうかは分かんないかな」
「まあ、無理しない方がいいんじゃないか? アプリの口コミを見た感じ、大人でも結構怖いみたいだし」
「……そう言われると入ってみたくなる気が。怖いもの見たさというか」
「おいおい。最初のジェットコースターみたいになっても知らないぞ?」
「む……もうあんなに慌てたりしないもん。むしろ英河くんの方が怖がったりして」
「……ほう、中々面白いことを言うじゃあないか。なら次遊ぶのはアレで決まりだな。どっちがより平静を保てるか勝負といこうか」
「望むところ……! この前の間違い探しのリベンジだよ!」
売り言葉に買い言葉。
そんなこんなで火花を散らし始めた雄一と澄乃は、待ち受けるかのように君臨する幽霊船へと足を進めた。
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