第23話『始まりの日③』
結局、雄一はその半分ヒーローに全てをぶちまけてしまった。
家族で事故に遭ったこと、両親が未だに目覚めてくれないこと、妹を支えなければいけないこと――もう限界が近いこと。
今にして思えば、なんて傍迷惑な子供だったろう。休憩中に突然現れたかと思えば、いきなり泣き出して、そして彼には本来関係ない重い話を涙ながらに語り出す。
戸惑うのが当たり前だし、対処に困って面倒だと思われても仕方がなかった。
事実、彼も最初は戸惑っていたはずだ。すぐさま雄一の側には駆け寄ってきたけれど、オロオロするだけで何か気の利いた言葉をかけてくれるわけでもなかった。
ただ雄一が自分の境遇を語る内に、涙の理由が子供の夢を壊されたことに起因するものではなく、両親が目覚めないことから始まる恐怖や不安によるものだということを理解してくれた。いつしか彼は、じっと雄一のことを見守って話を聞いてくれていたのだ。
ひとしきり話を終えた後、彼は少しだけ落ち付いた雄一に手を差し伸べて、近くに敷いてあったレジャーシートに一緒に腰を下ろした。
木陰で陽の光が差し込まないけれど風の通りは悪いようで、その場所には夏特有の蒸し暑い空気が満ちていた。爽快感の欠片も無いはずのその空気感が、雄一には逆に落ち着けたのを覚えている。
雄一が涙でぐしゃぐしゃになった顔を服で拭っていると――ぽん、と頭に手が置かれた。
自分より一回りも年上の、大きくて頼りがいのある手。少し手汗で滲んでいたようだったけど不快ではなく、むしろ確かな熱を感じて安心したぐらいだった。妹に与え続けて、いつしか自分の心から消え失せてしまった人の温もり――それを久しぶりに感じられたことが嬉しかった。
不思議に思って雄一が見上げると、彼はとても誇らしいもの見るような笑みで、こう言ってくれた。
「――よく頑張った」
あの時の彼の姿を思い返して、それをなぞるように“今”の雄一は呟いた。彼が自分にかけてくれた言葉は、五年以上もの歳月が経った今でも一言一句忘れていない。
「偉いぞ、一人で頑張って。お兄さんな、そういうのすごくカッコいいと思う」
木々の合間から差し込んできた陽光が、上からそっと雄一を照らす。まるで、あの時の彼が与えてくれた温もりを再現するかのように。
「せっかくここまで来たんだから……もう少し、あとちょっとだけ頑張ってみないか? もちろん、お兄さんも一緒に頑張るから」
当時の自分の想いを確かめるように、雄一は一つ一つの言葉を噛み締めていく。
彼が言ってくれた言葉は、本当に嬉しかった。
一人でずっと抱えていたものを理解してくれて、そしてその頑張りを認めてくれたことが嬉しかった。
誰にも曝け出せず、自分の心の奥底に閉じ込めておくしかできなかったものを受け止めてくれたことが、嬉しかった。
一人ぼっちの雄一の戦いを認め、称えてくれた彼の言葉が、雄一の心に確かな光を差してくれたのだ。
「ねえ、それってもしかして……?」
何かに気付いたらしい澄乃が口を開く。彼女が言わんとしていることを察した雄一は、バツの悪そうな笑みを浮かべた。
「――やっぱバレた? そう、この間リュウキに言った台詞の元ネタ。あれ、実はほとんどパクリなんだよなあ」
オリエンテーションの買い出しに行った日に出会った迷子の男の子。その子を励ます時に口にした言葉は、実のところただの受け売りだったわけだ。
「とにかく俺は、その人が言ってくれた言葉に勇気を貰って、もう少しだけ頑張ってみようと思えたんだ」
だらしなくスーツを着崩した中途半端なヒーロー。でもあの時の雄一にとっては、自分に光を差してくれた彼が本物のヒーローのように見えた。
病院の裏手での邂逅の後、「お兄さんも一緒に頑張るから」という宣言通り、彼は何かと雄一たちのことを気にかけてくれるようになった。翌日以降もちょくちょく病院に顔を出すようになり、雄一にとっては良き話し相手、妹にとっては良き遊び相手として振舞ってくれた。
そして三人で両親の回復を祈り続けて――数日後、ようやくその願いが実を結んだ。
意識が戻って雄一と妹の名前を呼ぶ両親の声がひどく懐かしいもののように感じたのを覚えている。事故が起きた日から数えて二週間程度だったけれど、まるで何年もの間離れ離れになっていたような気分だった。
気付いたら妹が何度目になるかも分からない涙を流していて、でもそれが今までとは違う意味を持ったことは分かっていたから、雄一も一緒になって泣き出した。そしたらまさかの彼も加わってきて、両親のいる病室には泣き声の三重奏が流れる羽目になってしまった。
最後にやんわりと病院の人に注意されてしまったのも良い思い出だ。
もちろん意識が戻っても怪我の完治にはまだ時間がかかりそうだったので、両親は継続して入院生活。その頃には事情を知った親戚が、遠方で老人ホーム住まいの祖父母の代わりにしばらく面倒を見てくれることとなり、少しずつ雄一は日常に戻るようになった。
両親が晴れて退院できるようになった日も、彼は顔を出してくれた。
何度も頭を下げる両親に笑顔で答え、最後に「それじゃあ元気で」と言って去っていく彼の背中に、雄一はちぎれるぐらいに手を振った。その時の光景は今でも雄一の脳裏に焼き付いてる。
「その人は今はどこに?」
「分からん」
「え」
「それがさー……『ヒーローは颯爽と去るもの』とか言って、振り返ってみれば名前ぐらいしか教えてもらってなかったんだよ」
両親や妹のことでいっぱいいっぱいだったとは言え、もう少し何か訊いておけば良かったと激しく後悔している。特に両親なんかは、ほとんどお礼ができなかったことを大層悔やんでいた。慣れない入院生活で大変だったから仕方ないと思うけれど。
「ちょっと長くなったけど、俺の話はそんな感じだ。あの人みたいに誰かを助けられるようになりたくて、ヒーロー目指すようになりましたってこと」
「じゃあ、ヒーローショーをやってるのはその人の影響なんだ」
「ああ。安直な考えだけど、とりあえずは似たような活動をやってみようかと思ってな」
雄一が『特撮連』の活動に参加するようになったのは高一の春からだ。中三の時に大学の文化祭で目にして、それから興味を持ってコンタクトを取り、新入生が入る春の時期に合わせて正式に外部メンバーとして加入させてもらった形だ。
「けど加入したまでは良かったんだけど、しばらくしてから問題が起きてな」
「……メンバーの人たちとのトラブルとか?」
「いや全然。むしろメンバーの人たちは皆良い人。俺の方の問題でな……夏ぐらいに親の転勤が決まったんだよ」
急遽決まった父親の転勤。それに伴って家族で話し合った結果引っ越しすることになったのだが、雄一は最後まで悩んでいた。というのも『特撮連』での活動が想像以上に充実していて、それを手放したくないという気持ちが強かったのだ。
結局ダメ元で「自分だけこっちに残れないか」と打ち明けてみれば、多少は迷うような素振りがあったものの、意外にもまさかのOKサインが貰えた。
「じゃあ、英河くんはその時から一人暮らしを始めたんだね」
「ああ。それこそぼちぼち一年になるか」
最初は四苦八苦しながら生活していたが、今は安定している。『特撮連』での活動は問題なく続けられているし、両親からはバイトしなくても困らないぐらいの生活費を貰えている。もちろん散財はできないぐらいに調整されているが、十分恵まれている方だろう。
自分の意志を尊重してくれた両親には本当に頭が上がらない。
「――やっぱりすごいね、英河くんは」
澄乃がポツリと呟く。
その言葉には雄一への尊敬と同時に、どこか自分の不甲斐無さを嘆くような響きが含まれているように思えた。
「ちゃんと目標があって、そのために動いて、大変な一人暮らしだって続けてる……私なんかとは全然違うや」
(……まただ)
時折顔を出す、澄乃の自嘲癖。何に起因することかは未だに分からないが、さすがにそろそろ異議を唱えたくなってくる。
「私なんかってことはないだろ? 俺からしてみれば白取の方がすごいと思うぞ。成績優秀、品行方正、皆から慕われてて人気者なんだから」
一年の時の学年末テスト――廊下に貼り出された成績上位者の名前の一番右には、澄乃の名前が書かれていた。中の上程度の雄一にとっては、学年首席なんて夢のまた夢の話。どれだけの努力の下にそれが成り立っているかは想像もつかない。
おまけにそれを鼻にかけることもなく、クラスメイトに教えを請われた際には快く答えている光景だって目にしたことがある。
改めて思うけれど、それだけ優秀で人当りの良い人間が何をどうしたら自分を卑下するようになるのかさっぱりだ。こう言ってはなんだが、もう少し不遜になってもいいぐらいだと思う。
「つーか一人暮らしですごい言うんだったら、白取だって同じだろ?」
澄乃が住んでいるのは単身者向けのマンションだし、一人暮らしだというのは本人から聞いている。高校生で一人暮らしを続けていることを褒めるのならば、それは澄乃にも言えることだ。
なのに澄乃は、雄一の言葉に力無く首を振る。
「すごくないよ。だって私は――逃げてきただけだから」
静かに、けれどはっきりと口にした言葉が雄一の耳朶を叩いた。
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