第4話 想いは届かない(ラウル視点)

 朝靄あさもやたなびく騎士団の鍛錬場で、俺は一人剣を振るっていた。昨日の興奮が冷めなくて、目が覚めてしまったのだ。家にいても落ち着かないから、適当に体を動かしている。

 夜もあまり寝ていないが、不思議なことに力が漲っているし、体は軽い。このまま、魔物討伐に行けそうなくらいだ。

 しばらくすると、同僚がやってきた。


「よう、ラウル! ご機嫌だな!」


「……分かるか?」


「そりゃあ、そんだけ顔が緩んでいたらな」


「えっ」


 慌てて右手で口を隠す。全く自覚していなかったが、顔に出ていたらしい。意識して引き締めるが、すぐに戻ってしまうから、困ったものだ。

 でも、それは仕方のない事だろう。


(……昨日は、特別な日だったから)


 指輪を渡せるだけで、十分だった。

 それなのに、眩暈めまいを起こしてよろける彼女を抱きしめて、その上、お姫様抱っこまでできるなんて夢のようだった。

 しかも、俺の腕の中で恥じらうアリス殿が、とんでもなく可愛すぎる。あの人は俺をころす気か。ダメだ、キミを残してしぬわけにはいかない。

 だから、思わせぶりな事を言って俺の心をき乱すのはやめてくれ。君の何気ない一言で、妄想が暴走して心臓がもたない。


(仕方ないか。彼女は何も知らないのだから)


 俺の腕の中で戸惑っていたのは、そんな機会がなかったからだろう。彼女は純真無垢で初心うぶなのだ。  

 それがまた、俺の優越感を満たしてくれた。少しでも長く一緒にいたくて、牛の歩みで部屋まで行ったけれど、おかしくなかっただろうか。

 昨日は廊下で失礼したが、今度は彼女の部屋に、入れてもらえるだろうか。


「そういえば、指輪は渡せたのか?」


 幸せに浸っていると、マルセルが聞いてきた。邪魔をしないでもらいたいが、彼には恩があるので無碍にできない。


「ああ。世話になったな」


 彼女への『謝罪』の気持ちと、心からの『愛』、そして、『手に触れる理由』(これ大事)が欲しくて、指輪を用意した。

 どうせなら、つけていて付加価値のある物にしたくて、魔法を施してもらおうと思い立った。

 マルセルに当てがあるというので、魔法使いへの仲介を頼んだが、まさか国一番の使い手を紹介してくれるとは思わなかった。嬉しくなって、あれもこれもとお願いしてしまったが、欲張りすぎただろうか。


「どんな魔法をかけてもらったんだ?」


「絶対防御、身体強化、運気上昇、男除け、救難信号、所在地特定くらいかな」


「……最後のはどうやって分かるんだ?」


 引き気味のマルセルに、俺は首から下げた鎖を引っ張り出して、ペンダントを見せる。


「指輪は、これと繋がっているんだ。ペンダントを握って念ずれば指輪と同調できるから、彼女がどこにいるか俺には分かる。

 それよりも最大のポイントは、彼女の最新の肖像画が、はめ込まれていることだ」


 もったいないが見せてやった。


「いろんな意味ですげえな。ちなみに、その機能は彼女に……」


「伝えるわけがない」


 俺にも、一般的な常識や感覚はある。これは、ダメなやつだ。


「だよな。婚約者の域を超えてストーカーだ」


「何を言う。彼女は美しく魅力的だ。これくらいは必要だろう。敗者たちが完全に諦めたとは思えないしな」

  

 軽いトラブルくらいなら指輪の効力で回避できるし、危険なことが起きたら指輪が反応して、俺が駆けつけられる。

 マルセルが、眉間みけんしわを寄せる。


「……だったら、優しくすればいいのに」


 痛いところを突かれた。


「それを言ってくれるな。彼女を前にすると、自分が自分でいられなくなる」


 俺は彼女に、気の利いた言葉一つかけられない。むしろ、嫌ってくれと言わんばかりに、酷い言葉があふれ出す。

 だから、なるべく口を開かないようにしている。「会話がここまで弾まないとは、逆に面白いな」と言ったのも、「テンポの良い会話でなくていい。他の人ならそうは思わないだろうが、君は特別だから、沈黙さえも心地よい」と言いたかったのだ。


(伝わっただろうか。……いや、無理だな)


 「もともと期待などしていない」も同じだ。「君が側にいてくれるだけで、他には何もいらない」と、喉元までは出かかっていたのに、違う単語にすり替えられた。なぜだ。

 毎度の事だが、かなり落ち込むし、アリス殿にも申し訳ない。


(手紙なら、素直な気持ちが書けるだろうか。今度、試してみよう)


 こんな俺だから、妹君に来てもらいたかったのだ。

 アリス殿に話したいことが自動的に歪曲わいきょくされてしまうのなら、別人に向かって話せばいいのではないかと試してみたが、大当たりだった。

 こんな方法しかなくてすまないが、彼女のために用意した話題を、間接的にでも聞いてもらいたい。


(芝居や本の話を、楽しんでもらえただろうか。会話の途中でアリス殿を見ると、また冷たい言葉を発してしまいそうで、怖くて彼女が見られない。アリス殿の反応が分からないのが、辛いところだ)


 アリス殿の趣味や、食べ物の好みも把握しているから、早く二人で出かけたいのだが、俺の口をどうにかしない限り、楽しいデートはできそうにない。


(なぜ、こんなことになったのだろう)


 積年の想いがこじれたとか、不器用という言葉では説明がつかない。一度、病院に行ったほうがいいのだろうか。

 でも、昨日は一つだけ、思ったように言葉が出た。こんな事は、婚約してから初めてだ。


「そのままでいい」


 これには、二つの意味が込められている。

 一つ目は、「無理せずとも、君の好きなようにしてくれ」という、動作に関する気持ち。

 もう一つは、「そのままの君でいてくれ」という、アリス殿を愛おしむ想いを込めた。

 まさか、言えるとは思わなかった。かすかな変化が、たまらなく嬉しい。これからは、俺の心をそのまま届けることができるだろうか。


(……ん? なんだ?)


 突然、胸が騒ついた。彼女の指輪を通して、救難信号が送られてきたようだ。


(何かあったんだ!)


 それほど深刻な事態ではなさそうだが、彼女に何かあったら大変だ。


(しかし、この時間なら、まだ家にいるはずでは)


 自宅で危険な目に遭うとは思えないが、念のため、居場所を探ることにした。 

 ペンダントを手のひらで包み、意識を集中する。


(何だ、この動きは)


 コマネズミのように素早く移動した後、降下していくのが読み取れた。貴族令嬢らしからぬ、アクロバティックな動作だ。明らかにおかしい。


「アリス殿の無事を確かめてくる。家族が急病だと、隊長に伝えてくれ!」


「ああ、任せろ。だが、そろそろバレるぞ」


 アリス殿に会うために、家族を何人か病気にしている。疑われる前に、違う言い訳を考えるべきだな。 

 急いで騎士団の制服を着用し、馬を走らせる。

 どこへ向かうべきか迷ったが、何が起こったのか原因を知っておかないと、大事な場面で対応を誤るかもしれない。

 まずは、家の者に話を聞こうと、ギルツ家に向かった。

 

(見えた!)


 目視できる距離まで近付いた時、彼女の家から「ドーン」という爆音がとどろいた。

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