第143話「邪竜帝王」
「来たわねケイン!」
自分でも倒せないほどの強敵を前にして、ケインと共に剣士として戦う。
ずっと求め続けてきたアナ姫の望みが、今この瞬間に叶ったのだ。
これもまた、善神アルテナの奇跡かもしれない。
アナ姫は幸福の絶頂で、頭の天辺のアホ毛がビンビンに立っていた。
「ジークフリートくんを殺す必要はないよ。俺が、呪いだけを断ち切ってみせる!」
アルテナの加護を受けたケインには、自分のなすべきことがわかっていた。
「じゃあ、私があいつの身体を剥き出しにするから、ケインは止めをお願い!」
「わかった!」
中空を高らかに舞う剣姫は、まるで踊るように神剣を振るって、必死に守ろうとする敵の防御を斬り崩す。
盛大な血しぶきが上がる中、瘴気の化物が取り込んだ
「ケイン、今よ!」
ケインは、両手に握る
その
それでも、ケインは信じ切っていた。
アルテナの善なる力が、道を誤ってしまった若者を邪悪から救い得ると。
それは、今も一心に祈りを捧げている聖女セフィリアですら到達できないほどに、澄みきった純粋な善意。
信じ切ることが、
だからこそ、この神剣はケインにしか使えない武器なのだ。
――ギィイイイイイイイイイイイ!
断末魔の叫びと共に、ジークフリートが身につけていた禍々しい呪具だけが、粉々に砕け散った。
あたりを覆っていた瘴気の闇も晴れ渡って、天から再び陽の光が差し込んだ。
発生していた周りの
「やったわね、ケイン!」
これで全てが終わった。
念願叶った喜びの絶頂で、アナ姫ですら油断してしまった、その瞬間。
「きゃぁああ!」
女の子の悲鳴が響き渡った。
すぐ近くで、ケインを見守ってサポートしていたノワを、ジークフリートが捕まえたのだ。
「まだだ、まだだぞ、ケイン……余の戦いは、終わらぬ……」
「もうやめろ、そんな身体で!」
ジークフリートは、もはや誰が見ても満身創痍だった。
それでもまだ、その怨念は力を求め続ける。
「邪神の力の一端を受けた余にもわかるぞ、ケイン。この子にも……また悪しき神の力があるのだろう。それをいただこうというのだ……」
ノワの身体に残った悪神の力を吸って、ジークフリートの身体が再び禍々しく膨張していく。
瘴気の闇に愛しき我が子が呑み込まれてしまうように見えて、ケインはノワを救おうと手を伸ばす。
「ノワ!」
「お父さん、大丈夫よ」
平気そうなノワの声に、ケインは驚く。
「大丈夫なのか?」
「うん。この人の器は、もう壊れてしまっているから……」
ノワの声は、むしろジークフリートへの哀れみに満ちていた。
膨張して巨大な悪鬼に変わろうとしていたその肉体は、途中でひび割れて先程と同じように崩れ落ちていく。
「な、なぜ力が抜けていく……」
崩れ落ちた巨体が消えて、ノワとジークフリートが姿を現した。
「お父さん!」
「ノワ!」
ケインは、ノワを抱きしめる。
ジークフリートは……と見れば、両膝を突いて絶叫していた。
これまでジークフリートを守り続けてきた神鎧
腰に差していた神剣
「あああ、我が神! 我が神! なぜ余を見捨てるのだ!」
粉々に砕けた神剣と神鎧の残骸を手で必死にかき集めて、泣き叫ぶジークフリート。
その破片も、やがて塵となって風に舞う。
ケインの懐にいるノワは、悲しげに言う。
「違うわ。軍神テイワズがあなたを見捨てたわけじゃない。あなたの器が持たなかったのよ」
元は悪神であったノワには、わかる。
ドラゴニアの皇太子ジークフリートには、神の力を宿す器としての高い資質があった。
しかし、それにも限界がある。
力を求め続けたジークフリートは、あまりに無理をしすぎた。
「あなたには、もう何の力もないわ」
何とか命だけは取り留めたものの、器が崩れたその身体にはもう常人以下の力しか無い。
全てを捨てて力を求め続けた皇太子にとって、これ以上の罰はないだろう。
ジークフリートは、声を枯らして泣き続けた。
「ジークフリートくん……」
ケインが気遣わしげに声をかける。
「善者ケイン、なぜ余を殺してくれなかった。今からでもいい、頼むから殺してくれ!」
せめて殺すのが慈悲だと、ジークフリートは叫ぶ。
「生きてさえいれば、まだやり直せるよ」
「貴様がそれを言うのか。全てを持つ貴様が、全てを失った余に……」
それは、あまりにも残酷ではないか。
気がつけば、ジークフリートにはなにも残っていない。
手に入れようとした剣姫アナストレアは、ケインのもとに走った。
ケインを殺そうと送り込んだ傭兵団も暗殺者たちも、全員が裏切ってケインのもとへと行ってしまった。
男としての魅力も、為政者としての人望もないことに、本当は気がついていたのだ。
だからこそ、ジークフリートは手段を選ばず、ただ力にすがった。
その結果がこれだ。
「もう余には何もない。父上は、なんとおっしゃるだろうな……」
また見捨てられる。
これだけの失態を犯したのだ、当然の結果だった。
「若、よかった! 生きておられたのですね!」
そのとき、人々の囲みをやぶって老将ホルストが飛び込んできた。
「
「どうか若の命だけはお助けください。この首に免じてどうか!」
ホルストは、ジークフリートに飛びつくように抱きつくと、その場に深々と土下座して命乞いをした。
それを見てケインは微笑んで、語りかける。
「まだ君を心配してくれる人はいるじゃないか。それでも、全てを失ったというのか」
「それは……」
そこに後から皇帝たちもやってきた。
「ジークフリート、この大罪人め! お前を
そう身勝手に叫ぶ老皇帝に、ケインが言う。
「皇帝ジークムント。ジークフリートくんを、そのまま皇太子として残してもらおう」
「なんだと、何を言って……」
やはり父親から見捨てられたかと顔を伏せていたジークフリートも、その言葉に驚いて顔をあげる。
「確かにジークフリートくんには罪がある。だがここまで追い詰めてしまったあなたこそ、父親としての責任を取るべきだ。このままジークフリートくんだけ罰して終わりにはさせないぞ」
聞いていたマヤは、それに賛同する。
「さすがケインさんや! 皇帝、これはアルテナ同盟と王国からの正式な要求やで。この状況で断れると思ってへんやろうな!」
「ぐぬぬ……」
ジークフリートに責任を取らせて、他の皇太子に変えても意味がないのだ。
それより、大罪を犯し神剣や神鎧も失ってただの人となってしまったジークフリートをそのまま皇太子として残すことのほうが、よほど帝国に痛手を与えられる。
無力な後継者をかかえて、これから帝国は長らく統治に支障をきたすことになるだろう。もう他国を侵略するような余裕もなくなる。
ケインにしか思いつかない妙案であった。
「善者ケイン、余に慈悲をかけたつもりか……」
そういうジークフリートに、ケインは頭を左右に振る。
「君は、立派な皇太子になりたかったんだろう。だったらなればいいじゃないかと言ってるんだ。そう望んでくれる人だってまだいる」
そう言うケインに、老将ホルストは再び頭を下げる。
「善者ケイン殿、やり直しのチャンスをいただいて感謝いたします。このホルストが若と共に罪を償い、今度こそ立派な皇太子にさせてみせます!」
「爺……しかし余は、軍神の加護を失った男なのだ。もう余に帝国を治める力はない」
不安そうにジークフリートが言うのに、ホルストは答える。
「何をおっしゃいますか。ケイン殿を御覧なさい。彼が力によって人心を治めているとお思いですか」
「そうか。余が負けたのは、力によってではないというのか……」
たくさんの人に囲まれるケインを、眩しそうに見上げるジークフリート。
全ての力を失い、誰よりも弱き皇帝となった彼が、力が全てであったドラゴニア帝国を変えることになるのはまだだいぶ先の話となる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます