第131話「魔の谷の特訓」
ケインは初めて魔の谷に足を踏み入れたが、テトラの話に聞いていたよりも過酷な環境であった。
見渡す限り岩、岩、岩。
断崖絶壁を下らなければならない場所もあり、木が一本も生えていない荒涼とした光景に圧倒される。
雪が残っている場所もあるのに、空気は砂漠のように乾燥している。
瘴気が吹き溜まりとなって溜まっている魔の谷は、とても普通の生き物が住めるような環境にはなく。
凶暴な魔獣がお互いに肉を喰らい生き血を啜る、弱肉強食の世界となっているのだ。
日暮れには、安全地帯である谷の外のキャンプに帰るとはいえ、この一週間、ケインたちはいつ終わるとも知らない、
これが、Aランクのテトラやアベル、Sランクのアナストレアたち一流の冒険者たちが戦っている戦場かとケインは感慨深く思った。
ケインだって、若い頃はこういう冒険に憧れた。
自身の冒険者としての才能に見切りをつけてから、まさか二十年も経ってこんな激しい戦いに身を置くことになるとは、人生はわからないものである。
「ウォオオオ!」
突然、尋常の獣ではない強烈な殺気を伴った叫び声に、身を貫かれる。
いけないとわかっていても恐ろしさに身が震えて、ケインの動きが止まってしまう。
「王様、危ない!」
「クッ、ありがとう!」
死角になっていた岩陰から、ビーストウルフが次々と飛び出してきたのだ。
ケインたちが来るのを待ち伏せしていた。
「王様、大丈夫ですか、キャン!」
「リグル、危ない!」
ビーストウルフに飛びかかられて、リグルがケインを守りきれずに倒されてしまった。
こうなると、今度は立場が逆転だ。
ケインは助けようと、必死にリグルに覆いかぶさるビーストウルフに斬りつける。
ひるんだビーストウルフは、後ろから飛んできた仲間の援護の矢に貫かれて討ち取られる。
だが、凶暴な魔獣の群れは、全くひるまずに襲いかかってくる。
「ここは俺に任せてください王様。ぐおぉおおおー!」
一際身体の大きな
豪槍が、一気にビーストウルフを二匹も巻き込んで斬り飛ばした。
この勢いには、さすがのビーストウルフも
「ワッサンありがとう!」
「フハハハハ、おまかせあれ。うわぁ!」
豪槍の腕を見せたまでは良かったが、ワッサンは勢い余って足を滑らせて尻もちを突いてしまった。
力はあるが、どうもおっちょこちょいだ。
「みんな、ワッサンを守るんだ!」
ケインの声に勇気づけられた獣人たちが、槍を構えてワッと飛び込んでいく。
巧みな連携を見せる獣人の戦士団に、ビーストウルフは次第に討ち取られて数を減らしていき、徐々に追い散らされていく。
「さあ! 王様も、攻撃を!」
そんな声に促されて、ケインも神剣を振るう。
我ながら、愚直で何の才能も感じさせない振り下ろしである。
ただ、様々な戦闘を間近で見てきたことで、恐れだけはなくなった。
澄んだ心でケインは、神剣を真っ直ぐに振るう。
そうして、ケインもビーストウルフを一匹討ち取ることに成功した。
死に際の「きゃん!」という甲高い声に、ケインは「すまない」と思わずつぶやいてしまう。
襲ってきた魔獣とはいえ、命ある生き物を殺すのは忍びない。
やはりケインは、山で薬草を摘んでいるほうが性に合っているのだろう。
だけど、こうしてケインが剣を振るっているのは、お世辞にも戦闘に向いているとも思えない自分にも、何か役割があるのではないかと思うからだ。
流されるようにここまで来てしまったが、何故か不思議とそういう気持ちになっている。
ビーストウルフを倒した
善神アルテナが、ケインを導いてくれるのだ。
二十年間、ゴブリン相手に逃げ回りつつ一人で薬草を摘んでいただけの自分が、格上の獣人たちと協力してCクラスの魔獣を相手に戦っているなんて、ちょっと前だったら信じられなかったなとケインは苦笑する。
「王様、お怪我はありませんか。みっともないところを見せてしまってすみません」
先程助けてくれた犬獣人のリグルが、茶色い尻尾を振りながらやってくる。
一緒に戦う仲間と、ケインはこの一週間ですっかり親しくなっていた。
「いや、とんでもない。さっきは助かったよリグル。俺こそ、足手まといになってごめんね」
「ちゃんとわかってます。私たちが気後れをしないように、わざとできない振りをなさってくださってるんですよね」
いやいや、どんな勘違いだと、ケインは面食らう。
まとめ役の熊獣人のワッサンも、笑いながら槍を振り上げて言う。
「王様は、鬼……じゃない、アナストレア将軍と違って出来損ないの俺たちを優しく導いてくださる。おかげで、こうして俺たちも立派に役目を果たすことができるというものです」
そう思ってくれるのなら良いかとケインは笑いかけて、獣人たちの怪我を薬草で治療する。
そして、血抜きする前に死んだビーストウルフに静かに祈りを捧げる。
不思議に思ったリグルが聞く。
「王様は、何をお祈りされてるんですか」
「うん、せめて死んだ魔獣たちの冥福を祈ろうと思って」
ケインには、善神アルテナの加護がある。
祈っておけば、魔獣の魂も救われるかもしれない。
「冥福って、こいつらは凶暴な魔獣ですよ?」
「魔獣だって、元は普通の獣だそうだよ。この辺りの瘴気のせいでこうなってしまったそうだ」
「そうなんですか」
「だからせめて、魂が安らかであるようにと。狩りで生計を立てているクコ村の猟師さんたちも、こうしていたから。モンスターは人を襲うし、人が生活のために獣を狩るのも仕方がないけれど、せめて祈るぐらいはね」
人が生きていく上で殺生は仕方のないことだが、
冥福を祈り、せめて肉と毛皮は無駄なく使おうとケインは思う。
「王様は、本当にお優しいですね」
リグルは感心したようにうなずくと、ケインの隣で手を合わせた。
獣人たちも、一緒に祈りを捧げる。
「ああ! まさにケイン様は、慈悲深き善王だ!」
豪快なくせに意外と涙もろいワッサンは、どこでスイッチが入ってしまったのか感激して、急にワンワンと泣き始めた。
魔獣にすら憐れみをかける王だから、王国に虐げられた自分たち獣人も必ずや救ってくださるのだと盛んに話している。
やがて、Bクラス魔獣ビーストパンサーや、Aクラス魔獣ビーストボアーを狩ったグループも谷の入り口に戻ってくる。
こちらは不幸なことに優れた戦士と認識されて、アナ姫の厳しい指導を受けているグループなので、みんなボロボロである。
そうして、一番悲惨だったのは――
「テトラ!」
ドサッとその場に力尽きて倒れるテトラに、ケインは慌てて駆け寄る。
聖女セフィリアが早速治療にあたるが、なんと治療しきれなかった。
治療は済んだはずなのだが、いつまでも真っ青な顔で呻いているテトラに、形の良い金色の眉を顰めるセフィリア。
「……アナ、一体何をしたの?」
聖女でも癒せぬ、異次元レベルのダメージが蓄積している。
大したことはしてないわよーと、小首を傾げるアナ姫。
「ちょっと、神速の世界を体感させただけなんだけど」
どんな恐ろしい修行だったのか、常人には理解できない領域である。
とにかくとても気分が悪そうだったので、ケインは薬湯を煎じて飲ませることにした。
「あ、あるじ……我が死んだら、あるじの家の庭に、埋めてほしいのだ……」
「ダメだよ死んじゃ!」
なんとか薬湯を飲ませると、ケインに介抱されているテトラはようやく眠りについた。
治療が仕事のセフィリアはさすがに黙っていられなかったのか、マヤに一体何の訓練をやったのか聞くが。
「あれはホンマに異次元やったな。見てるだけのうちも、きしょくわるかったわ」
そう、口を濁すばかりである。
いつも寡黙なセフィリアが、珍しくケインの袖を掴んで言う。
「もうそろそろ……」
それだけで察したケインは、うなずくと提案した。
「アナストレアさん。このあたりで訓練は終わりにしよう。治療するセフィリアさんも限界みたいだから」
うーんと考え込んでいたアナ姫は、わかったと頷いた。
「ま、みんな一ランクづつは上がったみたいだからいいとしましょう。そこの駄虎も、目を覚ましたらSランクにはなってるはずだから」
だから、一体何の訓練をやったんだ。
そうアナ姫に言われても、いつものように「テトラだ!」と返す元気もなく、ケインのそばでこんこんと眠り続けている。
地獄の特訓がようやく終わったかと、みんな涙を流して喜んだ。
アナ姫は、「少し物足りないわね……」と恐ろしいことをつぶやいている。
そこに突然、馬が「ヒーホー! ヒーホー!」と高らかな
いや、馬というか翼の生えた白い
ケインのロバ、ヒーホーがペガサスモードになっているとは緊急事態である。
「ケインさん、ここにいた!」
ヒーホーに乗って慌ててやってきたのは、Aランクパーティー『流星を追う者たち』の盗賊キサラだった。
「どうしたんだいキサラさん」
「大変なのよ! ケインヴィルの街が
「なんだって!」
地獄の訓練が終わったと思ったら、今度はドラゴン!
みんなが慌てふためく中で「来たわね、最終関門!」と、アナ姫だけは静かにほくそ笑んでいる。
そんなアナ姫の様子に一人だけ気がついてるマヤは、「またかいな」とため息をつくのだった。
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