第127話「一難去って」
ケイン王国首都、ケインヴィル。
できたばかりの小さな街の広場で、たくさんの獣人やドワーフたちが見守る中、一人の青いツンツン頭が偉業を成し遂げようとしていた。
「……九千、九百、九十九、一万!」
流星の英雄(自称)アベル。
丸一日かけて、ついに一万回の腕立て伏せ、達成!
ずっと腕立て伏せをしていたアベルのもとには段々と人が集まり。
最後は大きな人だかりになった。
みんなは、成し遂げたアベルに盛大な拍手を送る。
「もう、バカなことをするんだから」
そう毒づきながらも、ボーイッシュな感じの水色髪のボブショートの女盗賊キサラが、ぐったりしているアベルを介抱して回復ポーションを飲ませてやる。
全く世話が焼ける男だ。
「だって、これを毎日やって神速の剣姫がSランクになったって……」
「そんなわけないでしょ。あの人は元から強いに決まってるじゃない」
キサラは、暴れまわる剣姫アナストレアを思い出して言う。
とても同じ人間とは思えない。
「いや、基礎は大事だろ。案外とこういうところにあの神速の秘密があったりするんじゃないか。この訓練をやってるうちに、いつの間にか動きが速くなっていくとか」
「何の修行なのよ」
「ともかく、俺はやるぞ。次はスクワット一万回だ!」
アベルがそう宣言すると、周りからワッと歓声があがる。
獣人たちでも千回もできずにヘタった特訓を、この若者はどこまでやりきれるのか、みんなが賭けを始めている。
「もうやめなさいって、訓練でいちいちヘタってたら高いポーションが無駄になるでしょ!」
回復ポーションを使わなければいいだけなのだが、なんだかんだで気のいい娘であるキサラは、アベルが死にそうに疲れていたら、つい使ってしまうのだ。
そんな凸凹コンビの二人を、瓶底メガネの魔術師クルツが「やれやれ」と苦笑しつつ見守っている。
いつもの、Aランクパーティー『流星を追う者たち』であったのだが。
「た、大変だ!」
そんな平穏を打ち破る騒ぎが起った。
「どうした!」
見張りの獣人が血相を変えて駆け込んでくるのを見て、アベルたちはすぐに冒険者の顔になる。
「なんか物騒な連中が街に攻め込んできた!」
「攻め込んできた?」
ヘザー廃地は、人里離れた僻地である。
モンスターならともかく、こんな場所を攻めてくる盗賊なんかがいるわけがないと思ったのだが……。
「本当だ、なんだこいつら」
「な、言っただろう!」
アベルたちが
後方に大型の馬車が多数、前方には金属の鎧を着込んでいる兵が少なくとも千人は見える。
物々しい装備で、陣形を組んでいる。
あれでは野盗どころか、軍隊だ。
「アベルどうするの?」
キサラはわりと落ち着いている。
これまでの経験で、これぐらいの事態には慣れっこになってる。
「この街の危機を解決すれば、早くもケインさんに借りを返すことができるってもんじゃないか」
わざわざ、ここまで付いてきた甲斐があったとアベルは思う。
アベルは流星剣を引き抜いて、兵士千人ぐらいなら俺一人で相手してやるぞという意気込みを見せた。
しかし、それに魔術師クルツが待ったをかける。
「リーダー、盛り上がってるところ悪いんですが、あれはフランベルジュ傭兵団です。いくら僕たちでも相手が悪いですよ」
刀身が波打つ長剣フランベルジュを使う剣士が多くいるため、その名で呼ばれている。
フランベルジュの特殊な刃で切られると焼けるような苦痛に
対人戦では無類の強さを誇っており、大陸でも一、二を争う精鋭ばかりが集う傭兵団だった。
「フランベルジュ傭兵団というと、片目のブラウンが団長のところか」
傭兵であるため冒険者ランクは付いてないが、Sランクに迫る実力を持つと噂される片目の名剣士ブラウン・タークがいる。
アベルが一度、戦ってみたいと思っていた相手だ。
「アベル、バカなこと考えないでよ。私たちがプロの傭兵団とまともに戦えるわけ無いでしょ」
「そうですよ。個人戦ならともかく、集団戦では勝ち目がありません」
「敵の団長を俺が倒せば……」
「きゃー!」
アベルがそう言いかけた途端、バーン! と大きな音がなって物見櫓が傾いた。
「な、なんだ!」
でっかい岩が命中して、物見櫓の柱を一本倒したのだ。
「投石機です! あんな物まで相手にできませんよ! ともかくダンジョンまで逃げましょう。あそこなら安全です!」
敵は投石機まで持ち出して、まるで攻城戦の構えだ。
逃げるアベルたちの後ろからも、ブンブンと恐ろしい唸りを上げて、
攻城兵器なんかを使われては、小さな街などひとたまりもないが、ケインヴィルには魔王軍の残党が住んでいたダンジョンがあった。
街の住人も、みんなダンジョンまで避難していた。
「おい、流星の英雄とやら、どうするんじゃ!」
ドワーフの代表、ドロッペンが逃げ込んできたアベルに尋ねる。
本来なら彼らが街を守らなければならないところだが、今は街を守る獣人兵士たちが訓練に出払って、ほとんど非戦闘員しかいない。
軍隊なんか相手にしたことがないので、戦闘経験が豊富そうなアベルの意見を聞きたかったのだ。
「俺に任せてくれ、必ず血路を開いてみせる!」
そういうアベルに、今回ばかりは洒落にならないので魔術師のクルツがツッコミを入れる。
「相手は攻城兵器まで持ってるんですよ! 傭兵団相手にまともに戦うのは無謀です。そうだ、ダンジョンの入り口を塞いでしまいましょうよ。ドワーフさんたちなら、他の出口を掘れますよね?」
ドロッペンが応えようとするまえに、ドーン! と激しい音がなって、バラバラと天井から
相手は投石機で大きな岩をぶつけてきているのだ。
このままだと、どちらにしろ入り口が潰されそうだ。
外から、傭兵団の声が聞こえる。
「おーい、すでに勝負は付いてる。逃げ隠れしてないで、さっさと降参しろー!」
「なんだと! 流星の英雄アベルを舐めるなよ!」
アベルが挑発に乗って、名乗りを上げて飛び出してしまう。
しかたなく、キサラもクルツもついていく。
「流星の英雄だと。あのAランクのか?」
投石機でダンジョンの入り口を攻めさせていた片目のブラウンが、手を降って攻撃を止めさせて前に出る。
千人はいる傭兵団の前に、アベルも大胆不敵に姿を現した。
「そうだ。お前が片目のブラウンだな。凄腕の傭兵に名前を知られているとは、光栄だ」
「職業柄、有望そうな剣士は記憶するようにしててな」
片目のブラウンの名の通り、短い茶髪で右目に黒い眼帯を付けていた。
ニヒルな笑みがよく似合う四十絡みの渋い男だ。
「名高いフランベルジュ傭兵団が、なんでこんな小さな街を襲う」
「傭兵団が野盗の真似ごとをやるなんざ、よくあることだろ」
確かにそのとおりだが、攻城兵器まで使った野盗なんてあるわけがない。
「略奪したいなら、街のもんは持ってけ!」
命には換えられないと後ろからドロッペンが叫ぶ。
「そうはいかねえんだよなあ。こっちは、街を徹底的に破壊しろって言われてるんでね」
「言われているだと、誰に頼まれた?」
そういうアベルに、ブラウンはからかうように笑いかける。
「おっと、こいつは口が滑った。秘密の任務を知られたとあっちゃ殺さなきゃならんが、仲間になるなら話は別だ。お前らなら、うちの傭兵団で歓迎するぜ」
わざとこんなことを言って、アベルの気を引いて誘っているのだ。
熟練の傭兵団長は、見た目よりもずっと狡猾である。
「そっちにも何か事情があるようだが、こっちにも義理があるんだ」
アベルは、すでに抜剣していた流星剣を突きつけた。
「ほう、それは残念だ。ではあとは、お互い剣士らしく剣で語ろうか」
それに応えるように、揺らめく炎を連想させるフランベルジュの刃を、ブラウンはキラリと光らせる。
先に動いたのはアベルだった。
「流星の英雄の名にかけて、俺はこの街を守る!」
流星剣は、世界一の名工バルカンの手入れを受けて鋭さを増している。
だが、片目のブラウンもさるものだった。
猛然と打ちかかってくるアベルの勢いを、のたうつ蛇のような刃で巧みに殺す。
「若いのにやるなあ。剣に使われてる、だけではなさそうだ」
ブラウンの熟練の剣技を持ってしても、完全に勢いを殺し切ることができずフランベルジュの刃が少し傷ついてしまった。
さすがは流星剣。
こちらとて
アベルは、すでに剣を振り抜いてしまっている。
無防備と思われた右半身への渾身の一撃だったが――
「させるか!」
「ほう、速いな!」
先程の一万回も繰り返した腕立て伏せのおかげで、アベルの腕は考えるよりも速く剣を引き戻していた。
大きくバックジャンプして距離を取ってから、ブラウンは再び大振りに剣を振るうが、その鋭い斬撃もすべてアベルに受け流される。
アベルの流星剣のほうが短いが、その分だけ小回りがきく。
からみつくようなブラウンの長剣を振り払うと、さらに速いスピードで鋭く打ち込んでいく。
大振りの剣を振るうブラウンは、そのスピードに反応できていない。
これで一撃当てられる、と思ったそのとき――
「クッ!」
アベルの顔が苦痛にゆがむ。
「ハハッ、一騎打ちとは言わなかったぞ!」
絶妙のタイミングで、後方に控えていた傭兵たちがクロスボウの矢を放ったのだ。
その一本が、アベルの肩先に当たってしまった。
もちろん偶然撃ってしまったわけではなく、最初から仕組まれた攻撃である。
挑発に乗りやすい騎士や名のある冒険者は、一騎打ちと見せかけたこの手に引っかかりやすいのだ。
「疾風よ、矢を吹きとばせ!」
次々とクロスボウの矢が飛んでくるが、魔術師クルツが慌てて風魔法で敵の放つ矢をそらせる。
「あんたたち卑怯よ!」
下がろうとするアベルを守ろうと、キサラが投げたナイフも簡単に弾かれてしまう。
その程度では、片目のブラウンの剣は止められない。
「悪いなぁ嬢ちゃん、傭兵ってのはよー!」
完全に体勢の崩れたアベルに向けて、致命傷となる一打を与えるために長剣を振り上げたブラウンは勝利を確信してニヤッと笑う。
彼が与えられた仕事は、ヘザー廃地にできた新しい街の
Aランクの冒険者パーティーが出てきたときは少しヒヤッとさせられたが、こうなれば好都合だ。
最強の剣士が倒されれば、敵の士気はそこで潰える。
あとは、この機会を逃さず全員殺すのみ。
ドワーフにダンジョンに逃げ込まれるより、こっちのほうがありがたかったぐらいだ。
傭兵ってのは卑怯なもんなんだよーと、叫んで必殺の剣を振り下ろそうとしたブラウンだったが、その身体は急に硬直した。
直後、周りから傭兵団の悲鳴が上がる。
「アベルくん!」
「なっ」
硬直したまま、ブラウンは驚愕する。
振り上げている分厚いフランベルジュの刃が、突然割り込んできた黒髪の男が振るった剣によって簡単に折られた。
なんだこいつは、と言葉にする前に、その輝く剣がブラウンの喉元に突きつけられる。
「頼むから、降伏してくれ」
バカを言うなと、ブラウンは思った。
勝利は目前だったのだ。
しかも、ブラウンに剣を突きつけている男の動きは、ほとんど素人だった。
身体の硬直は、一瞬のことでもう解けかけている。
熟練の傭兵、片目のブラウンの武器がフランベルジュだけなわけがない。
この素人剣士がブラウンの喉を掻き切るよりも、腰に忍ばせている短剣で男の胸を突くほうが速いだろう。
だが、周りから聞こえた声でブラウンの考えは変わった。
「神速の剣姫アナストレアよ。死にたくないものは武器を捨てなさい!」
いま、剣姫と言ったか?
続けて味方の情けない悲鳴があがる。
「助けてぇ!」
「こ、殺さないで!」
百戦錬磨のフランベルジュ傭兵団が、あんな悲鳴を上げる可能性は一つしか考えられない。
傭兵の不文律の一つに、剣姫にだけは逆らうなというものがある。
「こ、降参する」
剣姫が出るなんて聞いてないぜ……と思いながら、ブラウンは仕方なく折れた剣を落として両手を上げた。
本当に相手が剣姫なら、今生きているのが不思議なぐらいだ。
首を回して、その姿を確認する余裕もない。
即座に降伏しなければ命はない。
そのままゆっくりしゃがんだブラウンには目もくれず、眼の前の男は怪我をしたアベルの介抱を始めた。
「さすがケインさん! 今の技は威圧ってやつですか? 俺にもビンビンに感じましたよ!」
「アベルくん、そんなこと言ってる場合じゃないよ、怪我をしてるじゃないか。すぐに治療しないと……」
すでに降伏させたとはいえ、敵の傭兵団の目の前で薬草を取りだして、のんきに怪我の治療を始めるとは呆れるほどに豪胆な男だ。
これが、標的だったこの街の主ケインという男かと、ブラウンは興味深げに見るのだった。
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