第35話「戦う決心」
エルンの街にモンスターが襲来するという会議を聞きながら、ケインはずっと小声でアルテナと話していた。
聖女の誓約のおかげなのだろうか。
ケインにはアルテナの姿が見えるし、触れることができなくてもその存在を感じられる。
これまでケインに見えなかっただけで、アルテナの魂はずっと側で見守ってくれていたのだ。
「街を救うためには、悪神というのを倒さなきゃいけないんだね」
「そうよ。私は、きっとそのためにここにいる」
「アルテナが、悪神を倒すとどうなっちゃうんだろう」
「私は、おそらく神としての力を使い果たしてしまう。もうこうして現世に姿を現すことはできなくなる」
「そっか……」
こうして再び会えて話すこともできたのに、アルテナは再び見えなくなってしまうのか。
驚きはしなかった。
ここまでくれば、ケインにも話は見える。
そんなことになるんじゃないかという気はしていた。
残酷な運命かもしれない。
けれど、ケインはそう思わなかった。
二十年前の心残りを果たして、再びアルテナの声を聞いて姿を見られたことに深く感謝していた。
「ごめんなさい、ケイン。神様って人の思いに応える存在なの。だから、ケインに決断してもらわなきゃならない」
「アルテナが謝ることはないよ」
ただケインは、もう少しだけアルテナと話していたいだけだ。
会議が終わって参事会館の立派な建物から出て、ケインは街を歩いていく。
ウォルター議長が言っていたように、街から避難しようと住人たちが集まって荷馬車に荷物を積んだりなんだりで大騒ぎしていた。
そして、そこから離れて老人たちが街の広場の片隅に集まっていた。
ケインは、そこに頑固そうな老人であるロナルド会議員の姿を見つけて声をかけた。
「ロナルドさん、逃げるんじゃなかったんですか」
「ケイン、お前さんはさっさと逃げるといい。ワシらは、街に残ることに決めた」
「街に残るって! みんな逃げるんですよ。モンスターがここに来たら殺されちゃいますよ!」
「ケイン、あのなあ。見たらわかると思うが、街の馬車が足りんのじゃよ」
「ああ……」
足腰の弱った年寄りや小さな子供は、自分の足では逃げられない。
そして、それらすべてを救うための馬車が足りない。
ロナルド老が強硬に街からの撤退に反対していたのは、そのためなのだ。
「ワシはもう七十の爺じゃよ。こいつらもそうじゃ。ワシら先のない年寄りは、今さら王都なんかに逃げても辛い思いをするだけでついていけんさ。それなら、自分たちが産まれた街でこのまま死にたいと思っての」
街の大地主であり、教会に昔から援助してくれた
集まった老人たちも、ロナルド老と考えを同じくして街に残ることを決めたのだ。
「ロナルドさん……」
「ケイン。お前さんはまだ若いんだから、未来があるじゃろ。ワシら年寄りのことは、どうか気にせんで逃げてくれ」
ケインは、ロナルド老に深い恩がある。
ロナルドは、長年教会に多額の援助をして支えてくれたが、それだけではない。
街の人たちからは偏屈ジジイと陰口を叩かれてもいるロナルド老だが、ケインやアルテナが子供だった頃、時折こっそりと教会を訪れては、いつもお菓子をくれた優しいオジサンだったのだ。
ロナルド老は、親もいないケインたちに気を配って、ずっと見守ってくれていた。
その時の温かい記憶があるから、ケインはここまで曲がらずに生きてこれた。
ケインは、傍らに寄り添うアルテナに呼びかける。
「アルテナ!」
「なあにケイン」
「たとえ神としての力を使い果たしても、アルテナはなくならないよな」
「うん、そのときはきっと、普通の死者として天に召されると思う」
「じゃあ、永遠の別れじゃない。あと少し、そうだな十年か二十年ぐらい、先に行って待っててくれるか」
「それって……」
「俺も、そのうちアルテナのところにいくから」
ケインの言葉を察したアルテナは、顔を手で覆った。
きっと二十年前の若い頃なら、ケインはアルテナを放さなかっただろう。
だけどケインも、三十五歳だ。
ロナルド老には若いと言われたが、人生もすでに曲がり角を過ぎている。
きっと始まりよりも、終わりのほうが近い。
アルテナに再び出会えるまで、二十年ずっと忘れずに待てた。
だったら、あと二十年ぐらい待てないわけがない。
「……あんまり早く来たら、承知しないからね」
「ああ、わかった」
突然独り言をいい始めたケインを、ロナルド老はキョトンとした顔で見ている。
ロナルド老には、神であるアルテナの姿は見えないのだ。
だが、アルテナにとってもロナルド老は恩人だった。
その老いたシワだらけの頬にアルテナが触れた瞬間、ロナルド老も懐かしく温かいものを感じて顔を上げた。
アルテナを中心に、輝きが広がっていく。
ロナルド老の身を犠牲にしようとした善意もまた、善神アルテナに力を与えたのだ。
「ケイン、これは一体どうしたことじゃ……」
アルテナの放つ神々しい光は、ケインの身体へと流れ込んだ。
「ロナルドさん、安心してください。俺たちが、エルンの街を救いますよ」
ケインがそう言った瞬間、後ろから声が上がった。
街の広場から上がった輝きに何ごとかと集まってきた人だかりをかき分けて、Aランクパーティー『流星を追う者たち』のリーダー、アベルがやってきたのだ。
「ケインさんよく言った! 俺も逃げるなんか性に合わねえ、一緒に街を救うぜ!」
リーダーのアベルの言葉に、「付き合ってあげるわ」と女盗賊のキサラや、「しょうがないですねえ」瓶底メガネの魔法使いクルツも頷く。
エルンの街最強の冒険者パーティーが動いたのだ、「俺たちも街を守る!」と続々と声を上げて続く冒険者たちが現れた。
Cランクパーティー『熊殺しの戦士団』のリーダーである巨漢のランドルも、ケインの肩を叩いて「及ばずながら、ケインさんに力を貸しましょう」と笑った。
「ちょっと待って、なに私のいないところで話を進めているのよ!」
人垣をかき分けて現れたのは、Sランクパーティー『高所に咲く薔薇乙女団』の三人だった。
剣姫は、バサッとローブを脱ぎ捨てる。
「おい、あの王家の剣! 神速の剣姫だぞ」「まじかよ!?」
あれが噂の神速の剣姫アナストレアなのかと、みんなざわつく。
普段はローブで身を隠してあんまり表に姿を現さないのは、このように目立ってしまうからなのだが、今はもう気にする必要はない。
「ケインは、街を救いたいのね?」
いきなり呼び捨て? そんなに親しかったっけとか、ケインはびっくりしているのだが、みんなの中心にケインがいるこの劇的な状況に激しく興奮している剣姫アナストレアはもう止まらない。
ケインがまとう善神アルテナの力は、みんなの街を守りたいという善意を受けてますます輝きを増している。
「ああ、もちろんだ」
ケインは、街の人々を救いたい。
そのために、アナストレアの力もいる。
「では、街を救う英雄ケインの
キラキラした鎧を身に着けた剣姫アナストレアは、神剣をケインに捧げて、まるで騎士が主の貴族の前に
ケインがあたふたしている間に、「戦士ケインは、あの神速の剣姫を
驚いたのはマヤだった。
「アナ姫、何をいきなり盛り上がっとるんや。まず王国軍がモンスターを蹴散らしてとか、段取りとかあるやろ」
「段取りなんか関係ないわ。モンスター五千ぐらい蹴散らせばいいでしょ!」
剣姫なら本当に蹴散らせてしまえるから質が悪い。
「モンスター五千をやった後に悪神との決闘なんて無理やろ。力の温存を考えろや!」
いつもならば剣姫のわがままも聞けるのだが、悪神だけはシャレになっていない。
そこに……。
ずっと沈黙を守っていた聖女セフィリアもまた、進みいでてケインの手を握りしめて
「善者ケイン様。私も、あなたと共に、悪神と立ち向かいます!」
剣姫に続き、ケインは聖女まで従えたのだ。
周りに集まる冒険者たちは、ヒートアップする。
「聖女様が言ってる善者って何のこと、勇者じゃないの?」
女盗賊のキサラが魔術師のクルツに聞く。
クルツは、歴史書を背中から出して調べて首をかしげる。
「うーん、どの歴史書にも載ってませんが……」
Aランクの剣士、流星の英雄アベルは叫ぶ。
「キサラ! クルツ! 言葉の意味なんざどうだっていい。これを見て、何も感じねぇのかよ! 俺の英雄の血は叫んでるぞ、今の輝いているケインさんがいれば、絶対に負ける気がしねえってな。うぉおおおおお!」
不思議な温かい光、その中心で行われた歴史的な一幕に、冒険者たちはこの上なく高揚した。
剣姫アナストレアが言うとおりだった。
敵のモンスターが五千だとか、悪神がやってきてるとか、もう関係ない!
街を守るために英雄たちが集い、悪の軍勢と立ち向かう。
子供の頃に憧れたのは、これだ!
こういう伝説的な戦いに参加したくて、みんな冒険者になったのだと思い出したのだ。
「どうよマヤ、これで突撃に決まったわね!」
「いや、だからちょっと待てや」
そこに、剣姫が突撃するのにおあつらえ向きの軍馬がなだれ込んできた。
冒険者ギルドの長、ゲオルグが引っ張ってきた冒険者ギルドが使っている軍馬だ。
いい馬ね、これを借りるわと、剣姫は一頭の白馬にまたがり、神剣を掲げて宣言する。
「戦士ケインの名のもとに、これより悪神率いるモンスターを倒すわ! この街を絶対に悪の手に渡すな! 剣姫アナストレア・アルミリオンに続け!」
白馬に乗って突撃してしまった剣姫アナストレア。
「あーなんで毎回こうなるんや、うちの作戦が無茶苦茶やないか! しゃーない、セフィリアいくで」
「はい!」
結局は、剣姫を放っておけないマヤは、セフィリアを軍馬に乗せて一緒に馬で剣姫を追いかける。
みんな剣姫に続けと、思い思いの手段で戦場に向かって走り出した。
そんな英雄たちの姿を見送りながら、ギルドマスターのゲオルグを手伝って、軍馬を引いてきた受付嬢のエレナは尋ねる。
「よろしかったんですか、ギルドマスター。ウォルター議長からは、避難経路を守れとの要請でしたが?」
「フッ、街を守れるならば議長も文句は言うまい。ではエレナ嬢、後は頼んだ」
ゲオルグも、現役時代に使っていた大剣を背負って黒馬に飛び乗って行ってしまう。
まったく、引退したんじゃなかったんですかとエレナは苦笑すると、ケインの下に来た。
「エレナさん」
「事情はわかりませんが、本当に大丈夫なんですか?」
ケインが少しでも無理をしているようなら、絶対に止めようとエレナは瞳を凝らす。
「ええ、大丈夫です。きっと街を救えると思います」
エレナの碧い瞳に映る、光り輝くケイン。
その声には、勝利の確信が満ちていた。
「そうですか……では、気をつけて行ってらっしゃい。夕方には帰ってらしてくださいね」
エレナは、いつものようにそう口にすると、微笑んでケインを見送ったのだった。
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