第18話「聖女脱走」
聖女セフィリアは、久しぶりに一人でエルンの街をさまよっていた。
剣姫アナストレアや魔女マヤといると、見ているばかりでいつまでもケインと会って話せないからだ。
あてどなく歩いているように見えて、セフィリアの足取りは軽い。
ケインはセフィリアの運命の人なのだ。
求めて歩き出せば、必ずケインの下にたどり着けると信じていた。
はたして運命なのか、はたまた偶然なのか、セフィリアの耳は聞き覚えのあるケインの声を聞き分ける。
セフィリアが覗きこんだ先が、ちょうどケインの行きつけの酒場『バッカス』だった。
「なあケイン、ここだけの話なんだけどよ」
「なんだいマスター、急に改まって」
「お前さん、実は王国政府の秘密エージェントって噂は本当か?」
深刻そうな顔でマスターが言うので、ケインはブッとビールを噴き出してしまう。
「何なんですかその話は、『双頭の毒蛇団』をやったのは俺じゃないって冒険者ギルドの公式発表が出たでしょ!」
あんまりにも情報が錯綜して凄い騒ぎになってしまったので、ギルドが気を利かせて否定して回ってくれたのだ。
一連の事件は、王都から上級巡察官とかいう聞きなれない役職の役人が来て、犯罪者の処分を行った結果だと街の参事会から公示されている。
冒険者ケインが成敗したという立て札を立てたのは誰か、未だに謎だ。
まったく、質の悪いイタズラにも程がある。
「いやあ、なんか『双頭の毒蛇団』が壊滅した後よお。あいつらの悪事が全て明るみに出て、裏で繋がりのあった街の参事会議員がみんな投獄されたって話を聞いて、まんざら噂だけでもないんじゃないかと」
「勘弁してくださいよ。そんなわけないでしょ」
「ハハハ、だよなあ。よく考えりゃあ、秘密エージェントがこの街で薬草狩りを二十年もやってるわけないもんな」
「そうですよ。俺はただのしがない冒険者ですよ」
「でもよ、
「そこは、結果オーライなんですかねえ」
ミスリル装備を隠す必要もなくなったのは助かるのだが。
その噂のおかげで、いろんな冒険者パーティーから加入依頼がケインに殺到して困ったりもしている。
ちょっと前なら格上のパーティーに入れてもらえるなんてありがたい話だったのだが、明らかに要求されている能力が高すぎるので無理があるのだ。
みんな薬草狩りのDランク冒険者に何を期待しているんだと、ケインは苦笑する。
「最近はますます景気がいいみたいだし、なによりじゃねえか」
マスターが言ってるのは、ケインの身に着けている白銀に輝くミスリルの剣と鎧のことだろう。
「この武器と防具は、ただの預かり物ですから。
「そうか、まあそんなこともあるさ。あんまりケインに金持ちになられても困るぜ。お前さんが、もっといい店に行っちまってここに来なくなると、俺も寂しいからよ」
「バッカスの酒と飯は最高だから、金があってもなくても俺は来ますよ」
「かー、嬉しいことを言ってくれるねえ。大したもんじゃないが、このオムレツは俺のおごりにしといてやるよ」
ソバージュ草とひき肉がたっぷり入った、オムレツを出してくれるマスター。
見るからにオンボロな酒場『バッカス』は、お世辞にも高級店とは言えないが、こう見えても酒と料理だけはきちんと美味いものが出る。
しかも、泥だらけの冒険者が出入りしても、マスターは細かいことを言わない。
客が持ち寄った肉や魚を、さっとその場で調理してくれるのも、冒険者には嬉しいサービスだった。
「ありがとうマスター」
「いいってことよ。ただ、本当に金がないときは勘弁してくれよ。ツケ払いはなしが、この店のルールだからな」
酒場『バッカス』は、冒険者が集まる店だからツケはきかない。
冒険者は、いつ死ぬかわからない稼業だからだ。
「マスターの作るオムレツは、いつも美味いな」
「ハハッ、こんなの混ぜて焼くだけなんだから、誰が作っても一緒だよ」
談笑を続けるケインとマスター。
じっと窓の外から眺めていた聖女セフィリアは、ついに「えいっ!」と勇気を出して入店する。
今日も冒険者で賑わっている店内に、白いローブを着た美少女がふらりと入ってくるのを見かけて、マスターが声をかける。
「おや、どうしたいお嬢ちゃん?」
「あ、えと……」
相変わらず人と話すのが苦手なセフィリアは、何と言っていいのかもわからない。
「おや、君はこの前の聖女の子じゃないか」
「ケイン様!」
「えっと、よかったらこれ食べるかい?」
突然現れた聖女をどうしたらいいかもわからなかったケインは、オムレツを小皿に分けて差し出す。
丁寧にフォークとナイフを使って、しばらく無言でオムレツを食べているセフィリア。
この前の告白騒ぎがあったので、ちょっとびっくりしたケインであったが、オムレツを一心不乱に食べているセフィリアを優しく見つめる。
そうしてケインも嬉しそうに、ビールをゆっくりと飲む。
「美味しい」
本当に美味しそうにつぶやくセフィリア。
生まれてこの方ずっと修道院にこもっていて、この一年はSランクパーティーにいた彼女は、こんな庶民的な料理を食べたことがなかったのだ。
「それはよかった。こんなものでよければ、いつでもご馳走するよ」
「おいおい、こんなもので悪かったな」
マスターが笑ってツッコミを入れる。
もちろん冗談だから、ケインも笑って「悪い悪い、マスターの料理は最高だよ」と謝る。
「ケイン様に、これをお返し、しようと……」
セフィリアが差し出したのは、白金貨が六枚。
「このお金は?」
「『双頭の毒蛇団』から、取り返した、です」
口下手なセフィリアは、人見知りの子供のように言いよどんでしまうことが多い。
だが、こうもわかりやすく示されればケインだってわかる。
あいつらに取られたお金を、セフィリアはケインに返してくれる。
そういうことは……。
「そうか、聖女様たちが『双頭の毒蛇団』を倒してくれたんだね」
セフィリアは、コクンと頷く。
シスターシルヴィアの言う通りだった。
聖女は、ちゃんと教会を救ってくれたのだ。
「だったら、このお金はこの街の教会のために使ってあげてくれないかな。『双頭の毒蛇団』がいなくなったと言っても、孤児院の経営が苦しいことに違いはないから」
「でも……」
ケインの貧しい暮らし向きも、聖女は知っている。
「あーそうだね。このままお金で渡さないでね。何かの物資に変えて渡さないと、シルヴィアさんは俺にお金を返そうとしちゃうから」
その言葉に胸打たれて、聖女セフィリアは澄んだ紺碧の瞳から涙をこぼした。
「ケイン様、あなたの善意、謙虚、献身、この上なく尊く思います。あなたこそが、聖女の誓約に相応しい相手です」
たどたどしかった口調がハッキリとしたものに変わっていた。
聖女の慈愛に満ちた表情になったセフィリアは、ケインをぎゅっと抱きしめた。
「おいおいお安くねえな。うちは冒険者の酒場だが、連れ込み宿まではやってねえぞ」
抱きしめられて困惑するケインに、マスターはおやじくさい冗談を言う。
一言多いのが、マスターの悪いところだ。
「ちょっと待ちなさいセフィリア!」
「誓約はさせへんで!」
ようやく脱走した聖女を見つけた赤髪の剣姫アナストレアと紫髪の魔女マヤが、店にドタバタと走りこんでくるとケインを囲む。
みんな飛び抜けてお嬢様っぽい、キラキラした美少女揃いだ。
「こりゃ、ケインにモテ期ってやつがきたのか?」
冒険者の起こす荒事には慣れているマスターも、これには眼を丸くした。
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