第46話 襲撃
その晩は、妙に寝付きが悪かった。浅い眠りで何度も目を覚ましかけ、意識が完全に浮上したのは、夜明け前のまだ真っ暗な内のことだった。
起き上がったアルウィンは、辺りを見回した。傍らではブランシェが眠っている。その向こうには、シェラとワンダ。明かりは消え、みな寝息を立てている。
アルウィンたちは正規の従軍者ではないから、自治領から来た援軍の人々と同じく、戦線になりにくい陣の西側の端のテントを充てがわれていた。見張り台が近くにあり、その下には物資を保管した倉庫や武器庫、医療班のテントなども集まっている。そのお陰で夜でも時々は人の通る気配がするのだが、目を覚まさせたものは、人の足音では無かったと思う。
何かが気になっていた。
アルウィンは、妹を起こさないよう、そっとテントを抜け出した。外が明るいのは、月が出たせいか。
寝静まった静けさが包み込み、冷たい荒野の空気が首筋を撫でる。医療班のテントも、怪我人の治療を終えて、今は束の間の休息の中にある。
全ては正常で、安定しているように思える。だが彼には、妙な予感が消えなかった。違和感がある…一体何に?
後ろでごそごそと音がして、ブランシェが顔を出す。
「兄様、どうかしました?」
「いや、ちょっと――」
ブランシェはまだ、半分眠りの中にいる。
「お花摘みですか? それなら、門番さんに言えば出してもらえますよ…」
陣の西側の入り口は、夜間は木を渡して閉ざされている。陣地の中にトイレはないから、用を足したい時は外に出てどこかの岩陰で処理してくるように、という意味だ。
門の側には臨時で作られた見張り台があり、寝ずの見張りをしている兵がいる。明かりは煌々と焚かれ、人影が…
はっとして、彼は見張り台の上をよく見た。
「――まさか」
気づいた瞬間、アルウィンは見張り台のほうに向かって飛び出していた。
「え、どうしたんです?!」
ブランェが慌てて追いかけようとする。その時にはもう、アルウィンは見張り台に駆け上っていた。灯りに照らし出されているのは、ただの人形だった。本物の見張りの姿は、どこにも見当たらない。
「敵襲だ!」
彼は、鐘を打ち鳴らして叫んだ。
「西の見張りが人形にすり替えられた。既に敵が入り込んでいる可能性がある! 皆、起きろ!」
違和感を感じたのは、見張り台のすぐ側のテントにずっといたにも関わらず、ただの一度も見張りが交代する物音を聞かなかったためだった。それと、浅い眠りの中、妙に足音を忍ばせた集団が、枕元を移動していく気配があったから。
深い眠りの中にあった兵たちが次々と飛び起きて、テントを跳ね上げて外に出てくる。厳重警戒の王のテントのあたりも、にわかに騒がしくなった。
シェラとワンダも起きだしてきた。
「何なの一体?」
「もう…朝?」
「嵌められたわ。悪くすれば、敵はもうそこまで来てる。すぐに戦いの準備を――」
「東南方向、敵主力部隊が進軍中!」
別の見張り台から、緊迫した声が響き渡る。
「近い。あと半時間もしないうちに、ここに到着する! 雪崩込んでくるぞ!全員、武装を急げ!」
ブランシェは、自分の武具を取りにテントに駆け戻っていく。まだうとうとしていたワンダは、着替えるからとテントを追い出されるる
「なんだ?朝メシ食ってないのに、もう戦いなるのか」
「そうみたいね…」
シェラは、浮かない顔をしている。
「……。」
アルウィンは、見張り台の上から王の幕舎に目をやった。軍の指揮官はシドレク王だ。どうするかは、王が決める。
夜明けの最初の光が届くより遥か以前、まだ東の空がようやく白みかけてきたばかりだというのに、敵の軍勢は薄闇の中に姿を現した。
昨日の傭兵による突撃は、おそらく様子見だったのだ。王国軍の数がどの程度かを計るため。そして、今ならばまだ王国軍を数で圧倒できると知ったローエンは、先手を打って一気に決着をつける道を選んだのだ。
彼らは、夜明け前に月が出ることを知っていて、月明かりとともに進軍して来た。そして、完全な闇の中よりは、明け方のほうが視界も開けている。なにより、人間が最も深い眠りについているのは夜中より明け方のほうなのだ。
計算されつくた巧妙な罠。東方騎士団の団長アレクシス・ローエンは名門の出であるのみならず、策謀に長け、息子さえも諜報に使うほどの冷徹な人物だ。彼はオウミたちに利用されていたのではない。彼のほうが、オウミたちを利用としてたのかもしれない、とさえ、アルウィンは思った。
それに、気がかりはもう一つある。
見張り台の上の見張りの姿が消えているということ。――門が閉ざされたままなのにも関わらず。ということは、この陣の中のどこかに、裏切り者がほかにもいたことになる。
フラーナルと同じで、東方騎士団の息のかかった、志を同じくする騎士が他にも紛れこんでいたのかもしれない。
或いは、同盟領からの援軍の中に、偽物が紛れ込んでいた可能性もある。いずれにしろ、それを見落としたのは痛恨の失策だった。
近衛騎士の中から四人もの裏切り者を出し、これ以上の不祥事は明らかにしたくないという気持ちが働いていたからなのか。議員たちの中にも、買収されて真っ先にエスタード側の要求に屈した者はいたはず。追求しようと思えば、いくらでも出来た。そうしなかったのは、敵を叩く前に味方で内輪もめをしたくなかったからでもあるが、味方には甘いというシドレク王の性格上の弱点を突かれた格好でもある。
今さら気づいても、もう遅い。もっと以前に、王に警告することが出来ていたら…。
アルウィンは、自分の不甲斐なさを思って両手をきつく握りしめた。何日も陣の中を歩き回っていたのだ。最初から疑いを持ってよく見ていたら、気づけたこともあったかもしれないのに。
シドレク王は、迎撃のため全軍出撃の指示を出そうとしている。
「怪我人と非戦闘員を守ることを考えろ。幸い、この陣は隘路の奥にあり、そう簡単には攻め落とせない。宮廷騎士団は前方、私とともに行く。西方騎士団も一緒だ。ロットガルド、お前の騎士団は小隊に分けて敵の側面、背面に回り込めないか試みてくれ。本陣が攻撃されることだけは防ぐようにな。もしもすり抜けようとする奴がいたら優先して叩け」
「了解しました」
「クローナの自警団はこの陣を守るのを手伝ってくれ。また伏兵に襲われないとも限らない。」
「承知です」
ブランシェも、戦闘員の一部として立派に加わっている。
彼女は、隣で重苦しい表情をしているデイフルヴンをじろりと見やった。
「少しくらい敵を取り逃がしてくれてもいいんですよ? ここにいて、攻撃にただ怯えているだけなんて、うんざりですからね」
ロットガルドは苦笑する。
「余計な気は回さんでもいい。味方を守るのは大変だぞ。君の兄さんもここにいるんだろう?」
「その気になれば、兄は十分に強いですよ。兄のことは心配していません。それよりあなた方のほうですよ。二倍の敵を相手に、一騎も取り逃さず倒せると思っているんですか」
「はは、たしかにな。違いない。」
男は、勇ましい少女の肩をぽんと叩く。
「ま、やれるだけは防いでみせるさ。死なない程度にな。」
「ええ、そちらも。」
王をはじめとする宮廷騎士団は、先頭を切って戦場に出ている。馬の嘶き、武具や馬具のこすれる金属音。吹き始めた風に乗って、戦の音がすぐ近くに聞こえる。
アルウィンは、見張り台の上に立ったまま、それを聞いていた。彼に出来ることは、ここで戦況を見ていることだけだ。
ウィラーフは王とともに出陣し、ブランシェは自警団とともに陣の周囲を警戒している。シェラは救護班の手伝い。ワンダはアルウィンに言われて、見張り台の人形の匂いを追っていた。
だが予想が正しければ、それを生身の人間と置き換えた者は、もうこの陣には居ないだろう。東方騎士団の本隊を手引きして、そこに紛れているはずだ。
嫌な胸騒ぎは収まらなかった。かつてクローナが攻め落とされようとしていた時、死を覚悟して出立する父の背を見送った時に似た、胸をしめつけられるような痛み。
彼は、手にしたファンダウルスの柄を握り締めた。シドレク王の側にはデイフレヴンとウィラーフがいる。心配はいらないはずだ。そう、心配することなど、何も…。
戦闘が始まって何時間か経ち、日が高く昇った頃だった。
何の前触れもなく、視界に突然、夕焼けの色をした閃光が走った。
地面が突き上げられるような衝撃とともに、凄まじい轟音が辺り一帯に響き渡る。西の方角だ。
「何だ?!」
「見ろ! あれは…」
陣に残っていた人々が驚き、口々に叫びながら空を指差している。黒々と天高く立ち上ってゆく煙。見張り台の上にいたアルウィンのもとには、焦げ臭いような、独特の臭気を含む風が押し寄せてきている。
(これは、クロン鉱石の――まさか! あの時の?)
ローエンがイルネス要塞から持ち出していた、幾つかの兵器が即座に思い浮かんだ。
彼は見張り台を飛び降りると、近くにいたクローナの自警団に向かって叫んだ。
「こっちの見張り台を頼む!」
それだけ言い残して、東の入り口に向かって駆け出した。爆心地に近い東側からは、吹き飛ばされた戦場の一部がかすかに見えていた。折れた旗、転がったままぴくりとも動かない人、足が折れて立ち上がろうともがいている馬。
人々は、唖然として立ち尽くしている。
ぞっとするような光景だった。
炎が一瞬にして地面を舐め尽くし、谷間を死の世界に変えた。爆風に吹き飛ばされていたアストゥールの戦旗の切れ端が、ひらひらと空から舞い降りてくる。
「――損害は」
アルウィンは、自分が戦闘員でないのも忘れて見張り台の上に向かって叫んだ。
「損害は、どのくらいだ。一体、どこに攻撃された?! シドレク様と宮廷騎士団は!」
「分かり…ません」
見張り台の上の兵士は、青ざめた顔でがくがくと震えている。
「まさに、その…王のいらした辺りで爆発が。押しているのはこちらだったのです…それが、突然、敵軍が引き始めたかと思ったら…」
「……。」
最悪の事態だ。
煙のたなびく戦場から、傷ついた兵たちがろめきながら逃げてくる。人も馬も血まみれで、混乱を来している。
「とにかく、怪我人の収容を。動ける者は、救援に出てくれ!」
戦場は、目と鼻の先だ。せめてまだ息のある者だけでも収容しなければ。
「ブランシェ、支援を頼む! 追撃が来るようなら手を貸してくれ」
「はい!」
「見張りは伏兵に最大限の警戒を。西だけじゃない。昨日のように別の方向から来る可能性もある」
「分かりました」
「ワンダ、おれと来てくれ」
「おーう!」
アルウィンは馬を引き、ワンダとともに戦場へ向けて走った。馬は、自分が移動するためではなく怪我人を乗せて運ぶためだ。
ひどい光景だった。
肉の焦げたような、嫌な匂いが辺りに漂っている。爆心地の近くは、焼け焦げて原型を留めていない。吹き飛ばされて壁や地面に叩きつけられ、既に息絶えている者も多い。辛うじて息をしていても、一目で助かりそうにないことが分かる者もいる。味方だけではない。敵側の、おそらく傭兵と思しき人々も倒れている。
この中のどこかに、シドレク王や近衛騎士たちもいるかもしれない。そう思うと、心が折れてしまいそうになる。けれどアルウィンは、尚も進み続けた。
「シドレク様! どちらですか。ウィラーフ! デイフレヴン!」
声を張り上げて叫ぶが、返事はない。
残り時間は、あとどれくらいだろう。振り返って、彼は爆心地の向こうに見えている、旧エスタード帝国の旗に視線を向けた。青とオレンジの地に剣を染め抜いた戦旗が、こちらの様子を伺っている。王国軍が狙い通り大打撃を受けたと確信すれば、すぐにでも敵の本隊からの追撃が来る。その前に撤退しなければ。
と、その時、辺りの匂いを懸命に嗅いでいたワンダが、ぴくんと尻尾を立てた。
「あっちだ!」
獣人が駆け出した。アルウィンも、急いで後を追う。
ほどなくして、爆心地から離れた岩陰に、折り重なるようにして倒れているシドレクとデイフレヴンの姿を見つけた。
駆け寄ったアルウィンが、二人を揺り動かす。
「――シドレク様! デイフレヴン! しっかりして下さい」
「アル…ウィン…
王を庇うようにして伏せていた大男が、土と血にまみれた顔をゆるゆると上げようとする。
「手を…貸してくれ。王を…」
ようやくのことで、デイフレヴンが言った。声は枯れ、汗が滝のように流れ落ちている。ひどい火傷だ。
「至近距離でやられた。奴ら、最初からシドレク様を狙って…」
シドレク王は青ざめたまま、固く瞳を閉ざしている。こちらも、一目見ただけで浅くない傷だと判る。額から流れ立す血が、身体を染めている。アルウィンは自分の上着の裾を切り裂いて傷口を固く縛り上げながら、辺りに視線を巡らせた。
「ウィラーフは?」
「裏切った近衛騎士を追って、…離れていた。」
ふたりとも重症だが、馬では一人しか運べない。
アルウィンは、ワンダと二人でシドレクの身体を馬に引っ張り上げると、デイフレヴンのほうはワンダが半ばひきずるようにして担いだ。陣のほうから、気づいたブランシェたちも駆けつけてくる。背後からは、突撃再会の合図。
間一髪だ。
傷ついた二人をなんとか陣に運び入れるとのとほぼ同時に、見張りが、「敵軍が接近!」と叫んだ。
「北方騎士団、ロットガルド殿の隊がこちらに向かっています。交戦開始!」
見張り台から、状況が次々と告げられる。
「敵本隊は本陣正面、伏兵はありません」
「宮廷騎士団、残数わずか。北方騎士団と合流しています。西方騎士団とともに、谷の入り口で防戦一方です」
形勢はすでに不利だった。
指揮をとるべきシドレクも、代理が務まるデイフレヴンも、ともに身動きが取れない。そして、残る近衛騎士のウィラーフも、いまだ生死不明だ。
彼のことが心配なはずのシェラは何もいわず、ただ奥歯をきつく噛みしめたまま、目の前の怪我人の手当てに集中しようとしている。
ここからどうすべきか。自分に何が出来るのか。
アルウィンは、腰の剣に手を遣った。残る味方は、北方騎士団の団長であり、元近衛騎士のロットガルドのもとで纏められ、敵が本陣になだれ込んでくるのを懸命に防いでいる。敵も味方も、一点に集中している。
ならば、そこに隙はあるはずだ。
「――兄様!」
馬に手をかけようとした時、ブランシェの声が飛んできた。
振り返ると、強い眼差しをした少女が、じっとこちらを見つめている。
「ここを頼む。おれは、ウィラーフを探す。これ以上、味方を失うわけにはいかない」
「お一人では危険すぎます!」
「だいじょうぶ、ワンダついていくぞ」
ワンダが、にかっと笑って尻尾を振る。
「ですが、…」
言いかけた少女は、兄の眼差しを見て、諦めたようにため息をつく。一度決めたことは、曲げない。それは、よく分かっていることなのだ。
「…分かりました。お気をつけて」
馬に飛び乗ったアルウィンは、ブランシェに見送られ、陣を駆け出した。ワンダは馬の後ろにしがみついたいる。彼が目指していたのは、戦闘の激しい東ではなく、西側の門から続く谷の端を迂回する道だった。高台へ登れば全体の戦況が見えるかもしれない、と思ったのだ。
「アルウィン!」
と、そこへ谷の下の方から呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、谷の下に数十人ほどのハザル人の一団がいる。見覚えのあるギスァとサイディも一緒だ。
ハザル人たちは馬を器用に駆って、谷を駆け上がってくる。
「ディー、戻って来られたのか」
「ああ。遅くなったが援軍を連れて来た。戦況は? どうなってる。少し前に物凄い火柱が見えたが、何だったんだ?」
アルウィンは、滲みそうになった涙を拭った。一人でも味方が欲しいこんな時、駆けつけてくれる仲間がいることが心強かったのだ。
「イルネス要塞から持ち出された兵器を使われた。…シドレク様が狙われたんだ。」
「王様が?」
ディーの顔色が変わった。
「それで。無事なのか」
「いや。重症だ。側に居たデイフレヴンも、今は動けない。…ウィラーフの行方がわからないんだ。それで、探しに行くところだった」
ハザルの男たちにどよめきが走る。だが、それはディーが押さえた。
「まだ負けてはいない。立て直せる。――そうだな?」
「もちろんだ。手を貸してくれるか?」
ディーは力強く頷いた。出来るかどうか、ではない。やらねば終わる。
「何をすればいい?」
「味方が苦戦している。敵はいまが攻め時と思っていて、背後を突かれることは考えていない。君たちハザルなら、抜け道からでも敵軍の背後に出て撹乱出来るはずだ。時間稼ぎだけでいい。頼めるか」
「分かった。やってみよう」
その程度では戦況は覆らず、大した損害も与えられないだろう。だが、旧エスタード勢力側は、数の上では有利なのだ。余裕があるうちは、無理はせずに退くはずだ。
せめて、あと半日。
今日だけでも敵を退かせることが出来れば、奇襲でばらばらになってしまった味方を呼び戻し、状況を整理して作戦を立て直すことは出来るはずだ。
ハザル人の一団が駆け去ってゆくのを見送ったあと、アルウィンは、崖の上から戦場を見下ろした。ウィラーフが戦っていた場所は、どこなのだろう? 裏切った近衛騎士を追っていったと、デイフレヴンは言っていた。それなら、兵器を使うために退却する東方騎士団の流れに巻き込まれた可能性はある。
彼は、混戦状態になっている戦場を見下ろした。白い房飾りの一団が見える。その中心にいる大柄な男は、騎士団長のロットガルド。
「ワンダ。あそこまで一気に駆け下りる。しっかり捕まっててくれ」
「わかったぞ」
「行くぞ」
馬に拍車を当て、彼は、崖に向かって馬を跳躍させた。馬術など得意ではないのに、崖を駆け下りるなど無茶だとは思いながら。
斜めになった地面を、土埃を上げてじぐざぐに駆け下りていく。
「あうううー」
後ろでワンダが悲鳴を上げている。馬も、アルウィンも必死だ。
なんとか地面に飛び降りた時、目の前は、敵味方が切り結ぶ戦場となっていた。
「北方騎士団長!」
アルウィンは、叫びながらロットガルドのもとへ駆けつける。
「王が負傷しました。ハザル人の援軍がこれから敵を背後から撹乱します。今のうちに味方を集めて、退却の準備を。」
「何、シドレク様が? …分かった、だが王は…」
「デイフレヴンがついています」
アルウィンは、不安を抱かせないよう、敢えて怪我の容態は伏せて伝えた。
「ウィラーフを探しているんです。どこかで見かけていませんか」
「あいつなら、さっき向こうの盆地のほうで新参の近衛騎士の騎士の誰かと戦ってるのが見えたな。それ以降見てないが…」
ということは、裏切った二人のうち、メルヴェイルか、ウィンドミルのどちらか。メルヴェイルなら辛うじて勝利したかもしれない。だが、腕の立つウィンドミルのほうだったとしたら、勝敗は定かではない。
「分かりました。行ってみます」
「おい、この先は危険だ! お前は――」
アルウィンは、馬を駆けさせながら振り返って微笑んだ。ロットガルドは思わず口をつぐみ、続く言葉を飲み込んだ。
ほどなくして戦場に、敵側の、一時退却を告げるラッパの音が鳴り響いた。
「援軍で撹乱する、と言っていたな。ハザル人だと? …この状局でよくもまあ、そんな手回しを」
「団長!」
白い房飾りをつけた騎士が駆け寄ってくる。
「東方騎士団の連中が退却しています。どうしますか」
「味方の援軍が時間稼ぎをしてくれている。長くはもたんぞ。今のすきに負傷者の回収、分断された味方を集合させろ。こちらも撤退だ! 急げ」
「はっ」
司令が次々と伝言されていく。
味方が退却に向けて動き出すのを見守りながら、ロットガルドは、さっき少年が消えていった方角にちらと視線をやった。間もなく夕刻に差し掛かる。彼には、無事に戻って来られる勝算があるのだろうか。
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