第45話 開戦
大急ぎで要塞跡の入り口に戻ってみると、外はもう暗がりに包まれていた。
物陰に隠れていたディーが待ちかねていたようにアルウィンのもとへ駆け寄ってくる。
「無事だったんだな…、心配したぞ。」
「遅くなってごめん。」
「何人もここから出てきたんだ。揃いの剣を提げた奴ら」
はっとして、ウィラーフが訊ねる。
「もしかして、剣に青い房飾りを付けていた連中か」
「そうそう。一人、偉そうな奴が何か指示してた」
「そいつらは逆賊だ。どっちへ行った。」
「…東の方だ。」
と、ディーは要塞跡から続く、荒野の果てを指差した。遠目に、地平線の彼方に光がいくつか、明滅している。
「野営の明かり―…」
アルウィンが呟いた。苦々しい声だ。
「もう、あんな近くまで」
だからローエンは追ってこなかったのだ。急いで退却したのは、アストゥールの軍が到着する前に撤退し、自陣の軍と合流するためだった。
「こちらの陣営も、そろそろ”死の海”に到着している頃合いです。設営が完了しているかもしれません。行ってみましょう」
「そうだな」
「事態は把握した。オレは、いったんセノラに戻る」
馬に飛び乗りながら、ディーが言う。
「長にこのことを伝える。まだセノラに人が残っているはずなんだ。上手くすれば、援軍くらいは出せるかもしれない」
「ありがとう、助かるよ。でも、無理はしなくていい」
「無理なものか。」
馬上の少年は、白い歯を見せてニッと笑った。
「この荒野はハザルの庭、誰もオレたちを捕まえることなんて出来ないさ。よそ者の好きになどさせてたまるか。待っててくれ」
そう言い残して、彼は勢いよく馬を駆った。馬のまま谷を越えていくのか、それとも何処かで砂ラバに乗り換えるのかは分からないが、彼ならば心配はいらないだろう。
「アルウィン様、私たちも」
「ああ」
めいめい、自分の馬に飛び乗って、四人は、”海”の底に当たる場所を目指して、坂道を駆け下って行った。
谷底に着いたとき、アストゥールの軍旗を掲げた陣営が設営されているのが見えた。どうやら、王都から行軍してきた兵たちは無事に、荒野の入り口までは辿り着いたようだ。
ウィラーフを先頭に、陣営に近づいていくと、設営の指揮をとっていた騎士と兵士数名がさっと振り返り、警戒の色を見せた。
「待て、我々は敵ではない」
ウィラーフは腰に下げた剣と、金の房飾りを掲げた。
「近衛騎士のレスロンドだ。先行での調査を頼まれていた。シドレク様はどちらにいらっしゃる?」
「レスロンド殿…はい、伺っております。お戻りをお待ちしておりました、こちらへ」
案内する騎士の剣には、赤い房飾りが下がっている。
西方騎士団だ。
「もう到着したのか。早いな」
「西方は広いですからね。まだ、我々、中央に近い者だけですよ。」
騎士は答える。
「団長のユエン殿は移動中です。近い者から順次、到着予定です」
松明の灯りと、仮の兵舎となるテントが並ぶ奥に、ひときわ大きな天幕が張られていた。王のための宿舎、ではない。会議室代わりなのだ。
入り口は開いていて、中でシドレクがデイフレヴンや何人かの騎士たちと地図を広げて相談中だった。
「失礼します」
アルウィンたちが入っていくと、シドレクはぱっと顔を上げ、笑顔とまではいかなかったが、口の端を上げてほっとした表情になった。
「戻ったか。どうだった」
「はい。――詩の謎は解けました。お見せしたいものがあります。五百年前の遺産については、いずれ…この戦いが終わったら」
「ほう?」
シドレクは、指先で軽く机を叩いた。
「お前がそんな顔をするほどのものか」
「…一緒に見に行って下さい。今、言えるのはそれだけです。少なくとも、”エリュシオン”については、誰かの手に渡るようなものではないと分かりました。それより、イルネスでローエンと東方騎士に出くわしました」
「何?」
「要塞跡の地下にあったものは、鉱石の採掘場ではなく、兵器の格納庫だったんです。破壊された巨大な金属製の兵器を、ローエンは『竜』と呼んでいました。エスタードの創り上げた叡智の結晶だ、とも。まだ使えそうな、小型のものを選んで持ち出していました。」
「阻止できなかったこと、申し訳ございません」
後ろから、ウィラーフが口を挟む。
「お前たちが無事だったなら、それで良い。ふむ。五百年前の兵器――か」
シドレクは、顎に手を遣った。
「サウディードからの調査報告書の中にあったと思います。」
と、デイフレヴン。
「クロン鉱石を利用した破壊兵器が持ち出されたなら、危険です。この戦場のどこで使われても致命的になる」
「そうだな。十分に警戒して当たらねばならん」
「ローエン側も”死の海”の縁までは到着しているようですね。戦力はどうなっていますか」
「今、斥候を送ってはいるが、おそらく今は、数の上では互角だろうな」
そう言って、シドレクは手にした定規で机の上に広げた簡易な地図を指した。敵陣の現在位置に印がつけられている。
「東方騎士団以外にも、旧エスタード領の領主たちが私兵団を率いて来ている。片やこちらは、半壊した宮廷騎士団に北方騎士団の三分の一、西方騎士団の一部」
「北方騎士団の領地は東方とも他国とも接している。これ以上の戦力をこちらに向ければ、王都の背後が危なくなる。まだ本調子ではないエルダーとメルロンドは、王都でギノヴェーア様の警護にあたってもらっている。増援を頼めるとすれば、残りは西方騎士団のみだ」
それを聞いて、ウィラーフは、唇を軽く噛んだ。
「やはり、宮廷騎士と近衛騎士を最初に潰されたのが痛いですね」
「ま、それだけこちらに慢心があった、ということだ。己の足元も見えぬとは、私も衰えたものだ」
「御冗談を。弱気になっている場合ではありませんよ。少なくとも、東方騎士団の全てが裏切ったわけではないですし、東方の自治領は全て、王国議会で造反しないことを宣誓しています。王国を支持してくれた者たちのためにも、我々は勝ち残らなければなりません」
「……。」
アルウィンは、黙ったまま地図を見つめていた。軍人でも指揮官でもない以上、戦略に口出し出来る部分は無い。
今のところ、戦力は互角。兵站という意味なら、東方の本拠地から遠く離れている東方騎士団のほうが不利だが、後がないのは王国側だ。王都リーデンハイゼルは、ここから僅か二日ほどの距離にある。籠城戦に向いた要塞のような都市ではあるが、逆に言えば、一度追い込まれたらもう、容易には逃げられないのだ。
会話は白熱し、今後の作戦を練るためということで、ウィラーフはそのまま王のもとに留まることになった。
アルウィンたちは、兵舎を借りて先に休もうと引き上げる。
「兄様!」
そこへ、目ざとく兄を見つけたブランシェが駆け寄ってくる。
「来てたんだ」
「それはそうですよ。私たち、今だけは、王様の護衛ですからね」
彼女は、意地の悪い顔で言う。「今だけは、ね」
ブランシェの後ろには、クローナからついてきた十人ほどの自警団の若者たちが、宮廷騎士団の若い騎士たちと何やら楽しげに盛り上がっている。同年代で、似たような家系の者たちが多いのだろう。話も、気も合うはずだ。
アルウィンの視線に気づいて、ブランシェが苦笑する。
「あんなに敵同士だの仇だの言ってたくせに、たったの数日でこれです。会ったこともないうちは簡単に憎んでしまえるのに、実際に話してみれば、なんだ、こんなものか、って。結局、みんな同じなんですよね。
「ブランシェ――」
「あっ、だからって私は、父様が殺された恨みは忘れたりしませんけどね? それと、兄様のことも!」
少女は、人差し指を兄の胸に押し当てた。
「やめようかと思ったけど、やっぱり一言、言っておきます。この戦いが終わったら、私、売ったぶんの恩の代金はきっちり王様から回収しますからね! クローナが自治領に戻ることはないにしても、没収された領主家の財産の一部くらいは返して貰わないと! 領主館だって、使いもしないで没収だけするの酷くないですか? 町の一等地なのに。もう燃えちゃったけど、あそこ、返してもらいます。」
「うん、そのくらいなら…」
「それと兄様の身柄も」
「え?」
「人質の件ですよ。いつまで人質のままでいるおつもりなんですか。信用してくれたのなら、もう、そんなの必要ないでしょう?」
「――……。」
アルウィンのぽかん、とした顔に気づいて、ブランシェは、信じられない、という顔をした。
「嘘でしょ…まさか、忘れてた、なんて仰らないでしょうね…」
「え、いや。忘れてはないよ、確かにそうだな。人質だったっけ。」
「兄様…」
アルウィンは、慌てて手を振った。
「いや、だって、王宮での仕事にはお給料もちゃんと出てたし、寄宿舎の部屋も貰っていたから。」
「そんなの、働いたんだから当然でしょう? それとこれとは別です!」
「う、うん…。」
「そういうところ、ちゃんとしておいたほうがいいわよね」
後ろでシェラもくすくす笑っている。
「でも、解放されたとしてもアルウィン、リーデンハイゼルに残るんでしょ?」
「うん、まあ…クビにされない限りは」
「ええー」
ブランシェが不満そうな声を上げる。
「何でですかー? あの呑気な王様のどこが気に入ったんですか―。」
「アルウィンと王様、なかよしなんだぞ」
ワンダがにこにこしながら言う。
「……。」
ブランシェは不機嫌に腕を組む。
「ブランシェ…。」
「わかりました。兄様は自分で決めたことは絶対曲げないの知ってますから。納得はいきませんが、お力にはなります。出来る限り」
「ごめん。…ありがとう」
「だから、無茶はしないでください。」
微笑んで、少女は兄の首に手を回し、それから、すぐに仲間たちのほうへ向かって去っていった。
「強い子ね、ブランシェは」
「…うん。自慢の、妹だよ」
王都のほうから、街道から、続々と到着し続ける兵と物資。王国議会が終わった後、自領に戻った自治領の代表者たちが開戦を周知したのに違いない。人を出せる地域は兵力として、または労働力としての人を、人の出せない地域は食料や医薬品などが輸送されてくる。今はまだ近隣の自治領だけだが、もう何日かすれば、さらに多くが届くだろう。
今更のように、これから始まる戦闘の規模の大きさを予想して、ぞっとする。”統一戦争”が終わって以来、絶えて見ることのなかった、五百年ぶりの大きな戦になる。
これは紛れもなく、王国を二分する戦いなのだ。
アルウィンの心は沈んでいた。
外交や交渉で戦いを未然に防ぐことが、彼の役目だ。今回は、それが出来なかった。避けられない戦いだったとしても、これから多くの人が傷つき、死んでいくのだと思うと、気分は晴れなかった。
翌日から、戦闘は始まった。
まだ互いの陣は遠く、前線を形成するほどの距離ではない。斥候同士の小競り合い。或いは、小規模な戦闘が散発的に荒野のあちこちで繰り広げられている。
戦闘に参加することの出来ないアルウィンは、地方の自治領からやってきた人々がやりとりに苦労しているのを見ては通訳として助けに入り、ワンダは、癒やし要員として皆に撫で回されている。
他に出来ることのないシェラは、宮廷騎士団づきの医師、アーキュリーを手伝うことにした。医療班はまだ本格的に忙しくはなっていないが、双方の主力がぶつかる時がくれば、大忙しになるだろう。
ブランシェとクローナの自警団たちはというと、今のところ役目もなく、少し暇そうにしていた。とはいえ、勝手に斥候に出るわけにもいかない。他の騎士や兵士たちも似たようなもので、出陣の合図を待ちながら待機していた。
妙に静かだとは、アルウィンも思っていた。
だが、その静けさは、唐突に破られた。
「敵襲! 敵襲――!」
突然のけたたましい鐘の音が、見張り塔から鳴り響く。
「北方、伏兵です! 真っ直ぐにこちらに向かってきます」
「北? リーデンハイゼルの方角じゃないか」
まさかの方向だ。そちらには、馬の進行を防ぐ障害物も、歩兵の進軍を止めるための塹壕も準備出来ていない。虚を突かれた兵たちが、慌てて飛び隊列を組んで出していく。
シドレク王も、近衛騎士たちを連れてすぐさま出陣しようとしている。
「敵の数は。一体、何者だ」
「傭兵です。二十名ほどの隊が二手に分かれて向かって来ています」
駆け寄った斥候が早口に告げる。
「傭兵、か。金で兵を雇うとは…」
「おそらく、ミグリア人の傭兵団が中心です。通常時は商人として王国内を行き来していますが、雇われれば荒ごとも引き受ける、という」
「なるほど。彼らならばどちらの陣営に雇われても損はなし、しがらみのない連中だな」
剣を帯び、出陣してゆくシドレクと近衛騎士二人の後ろ姿を、アルウィンは見守っていた。隣ではシェラが、食い入るようにウィラーフだけを見つめている。
それに気づいて、アルウィンは思わず微笑んでいた。
帰りたい場所の出来た今の彼ならきっと、それほど無茶なことは出来ないはずだ。心配は要らないだろう。
やがて荒野を吹く風が止み、血と死の匂いを運ばなくなった頃、出陣した兵たちが陣に戻ってきた。
王と共に、デイフレヴンとウィラーフの姿もある。
アストゥール陣営には、彼らを迎える兵士たちの活気ある声が響く。不意打ちに多少の犠牲は出てしまったが、相手もそれは同じ。それに、襲撃を退けたことで士気が上がったことは大きかった。戦場で一騎当千とばかりに戦う王と近衛騎士たちの姿を見て、一般の兵士たちや見習い騎士たちも勇気づけられている。
これが、”英雄王”と呼ばれたシドレクの力だった。彼が先頭に立てば、後に続く者たちの士気は大いに高められ、どんな戦いでも勝利することが出来る。
だが、最初の勝利の手応えに湧く人々とは裏腹に、医療班は怪我人の収容に忙しかった。
救護用のテントでは、宮廷騎士団づきの医師アーキュリーが、ほかの医術の心得のある人々に指示を出し、致命的な傷を負わされた者たちを救おうと懸命になっている。シェラも、クローナの自警団員たちも手伝いに回っている。西方騎士団の本隊はまだ到着していない。相手が傭兵まで雇っているとなれば、現状の戦力ではこちらが不利かもしれないのだ。
それを承知しているから、会議室の中で主だった騎士を集めてその日の報告を聞くシドレクの表情は、硬いままだった。
斥候の集めた情報から推測するに、東方騎士団はほぼ全軍を率いて戦場に出ている。つまり、傭兵も合わせると、数の上では敵側が上。それも、ほぼ二倍近い数だ。
逆に言えば、北方騎士団の管轄と接する他方はがら空きということで、背後から攻めるのは今なら簡単に出来るはずではあった。しかし、今から指示を飛ばしたところで、元々まとまりの薄い北方騎士団が、団長抜きで素早く攻勢に移れるかどうかは不確かだ。
士気や兵の練度では勝るにしても、二倍近い相手を前にいつまで優位を保てるかが問題だった。最初に、宮廷騎士団が約半数に減らされていたことが、何よりも響いていた。
「東方騎士団長、アレクシス・ローエンの姿は、いまだ戦場では目撃されていないようです」
赤い房飾りをつけた西方騎士団の騎士が報告する。
「後方に温存戦力を持っていて、そこにいるものと思われます」
「これまでは小規模な様子見の戦闘ばかりで、騎士はほとんどいなかったからな。傭兵など、いくら倒しても意味が無い。――西方騎士団の援軍は、どこまで来ている?」
「分かりません。連絡は途絶えたままです。予定では今日中には到着するはずだったのですが…」
「そういえば今日、メルヴェイルとウィンドミルを戦場で見かけたという情報がありました。ほんの一瞬だったそうですが」
と、デイフレヴン。
「あいつらが敵側なのは厄介ですね」
「東方騎士団で、あのくらいの使い手は数えるほどしかいない。逆に言えば、その点はマシだ」
ウィラーフが付け加える。
「それに、少なくともリーデンハイゼルで宮廷騎士団を襲って来た北方民族の集団は目的を達し、既に奴らとは袂を分かったと思われます。」
「暗い話題ばかりではない、ということだな。」
そう言って、北方騎士団を率いるロットガルドは自ら頷く。
「我が騎士団はまだ、十分に戦える。なに、もともと纏まりは薄いが、そのぶん小隊に分かれて戦うのは得意だからな。小回りは利く」
「その点は、頼りにしている。」
シドレクは、ひとつ息をついた。
「ひとまず、今日のところはこのくらいか。向こうの数が多いなら、陣はここから動かすことが出来ない。西方騎士団の本隊が到着するまで持ちこたえることが優先だ。これからも散発的な襲撃は予想される。ウィラーフ、伏兵に注意するよう斥候に支持を。ロットガルド、北に残した戦力に東方を攻めるよう指示を出せ。いったん解散だ」
「分かりました。」
騎士たちは一礼して、天幕を後にする。
その後、残ったデイフレヴンは、王とともに明日の布陣を決めるための討議に入った。彼らの夜はまだ、終わりそうになかった。
かがり火が焚かれ、陣の各方向に立てられた見張り台の上には見張り兵が立って周囲を見回している。
緊張した、厳重警戒の夜。だが、もうほとんどの兵たちは明日に備えて床についている。アルウィンも、野営用のテントに戻って休むつもりで歩いていた。
「あら、アルウィン」
そこへ、医療班のテントから出て来たシェラがばったりと出くわした。
「今日はもう終わり?」
「ああ。おれのほうはね。ウィラーフはまだ、仕事中だよ」
「そっか。」
シェラは残念そうだが、仕方ないという表情だ。
戦争中なのだ。暇な時間などあるはずもない。もう何日もまともに会話していないが、側にいて無事な姿を見ていられるだけでも、ましだと思うしかなかった。
「…シェラ」
「なに?」
「ずっと、言おうと思っていたんだ。彼を救ってくれて、ありがとうって。」
きょとん、とした顔になったシェラは、ウィラーフのことだと気づいて思わず赤くなる。
「救うって、そんな…大げさな。あたし、ただ必死で泳いでただけで…」
「ううん、クローナでのことだけじゃない。心のほうだ」
「え?」
「あの戦争が終わってから、ウィラーフはずっと…何も感じないみたいな表情をしてた。自分で自分を傷つけるようなことも平気でしてたし、笑わなくなっていた。それが、シェラと一緒に旅をするようになってからは少しずつ、怒ったり、拗ねたり、笑ったりするようになって。なんだか、心を取り戻していくみたいに見えた」
きっと、五年前の戦いで故郷に剣を向けたとき、彼の心は多分、一部が死んでしまっていたのだろう。それが、いつごろからか、以前はほとんど表情を変えることのなかったウィラーフが、ごく自然に笑みを取り戻していた。
「昔は…よく笑ったし、よく怒鳴られた。”そんな気弱で当主になれるか!”とかね。――なのに、王宮で再会したときは別人のようだったんだ。」
「あ。その話、前にウィラーフから聞いたわ。ずいぶん気にしてたみたいよ」
「やっぱり。気にしてないって、何度も言ったのに」
「あなたは気にしなさすぎなのよ。周りに心配ばかりかけて」
シェラは腰をかがめ、アルウィンの額をつつく。
「たまには弱いところも見せて、誰かを頼りなさいよ。ね?」
「…そうだな」
今はもう、ひとりではない。
たった一人でクローナを救うための戦いを挑んだあの日とは違う。
これまでの人生の中で背負った重荷を捨てることは容易ではない。だが一度乗り越えてしまえば、どんな辛い記憶もやがては単なる過去になる。
人は変わる。
一つ乗り越えるたび、一つ新しい出会いがあるたびに。
テントのほうに向かって歩き出す少年の後ろ姿を、シェラは、何か言いたげな表情でじっと見つめていた。
知っているが、言えないことがある。これから起きる”何か”のこと。――リーデンハイゼルで視た戦況の行方、これから来たるべき未来のことだ。運命は変えられない。遠視の力で視た出来事は、起こるべくして起こる。
ここからが運命の分岐点。誰が命を落とすのか、全員が生きて戻れるのか、これから為されることによって決まるその結末を知る者は、まだ、誰も居ない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます