第39話 王の帰還


 王宮内での陰謀事件が知れ渡り、東方騎士団を含む旧エスタード勢力との交戦が決まったと公表されるとともに、王都リーデンハイゼルは、にわかに騒がしくなっていた。

 一番にあおりを受けたのは、アルウィンだった。

 リーデンハイゼルには既に、王国議会に出席するために国中の自治領から代表者が集まっている。中には中央語を解さない部族もいて、そのため、通訳でもある彼は、連絡を回すのに必死なのだった。

 「本当に、この状況で予定通りに王国議会を開けるんでしょうか」

窓の外を心配そうに眺めやるウィラーフをよそに、ギノヴェーアは、優雅にお茶をすすっている。

 「この状況だからこそ、開く必要があるのです」

 「自治領の代表者にも、状況を説明しなくては。東方騎士団の影響の強い旧エスタード領に隣接する自治領から来ている者もいる」

 「そうですね。それは、アルウィンに任せていますが、議会では彼らに、エスタードへの出兵協力に応じないよう宣誓してもらう予定です。」

 「応じない可能性は?」

 「それなら、そもそも議会には出てこないでしょう。既に最初の企みが上手く行かなかったことは、ノックスにも伝わっているでしょうからね。」

ギノヴェーアの話では、近衛騎士として潜入していたフレイス・ローエンはシドレク王を取り逃がした後は、王国議会が始まる前に議員たちの過半数に支持の署名をさせ、議会の場でエスタードの独立を宣言するつもりで動いていたらしい。ある意味では”穏便な”クーデターだ。

 だが、その目論見は議員たちの抵抗によって上手く行かなかった。間もなくシドレクも帰還する。議会では、既に採択された徹底抗戦の宣誓も成される。

 ここから先、アストゥールのやるべきことは、来たるべき旧エスタード勢力との交戦準備だ。


 「それにしても、イルネス、とは…。」

ギノヴェーアは、静かにカップを下ろした。

 「地図にあったあの場所は、おそらく、今回の戦争でも戦場になる。」

 「…はい」

ウィラーフは、硬い表情で頷いた。

 イルネスの地の周囲には、”死の海”とまで呼ばれる毒霧の台地を含む、荒れ果てた広い土地が広がっている。中央と東方の中間に当たり、村も町も無く、戦場にするはおあつらえ向きの場所だ。

 「あそこは、伝承によれば”統一戦争”最終決戦の地。偶然にしては出来過ぎたお話だわ」

 「…”エサルの導き手”もおそらく、どこかに紛れ込むはずです。それに、敵は人間だけではない」

 「そうね。もしクロン鉱石による汚染が原因なら、下手をすれば命に関わるでしょう。気をつけなければね」

 「む」

テーブルの端で口いっぱいにお菓子をほおばっていたワンダが、ぴくりと耳をそばだてた。

 「アルウィンの声だ」

ぴょん、と椅子から飛び降り、窓に張り付く。

 「いた、あそこ」

大議場の入り口辺りに会議の準備にあたる人々が集まっており、アルウィンが指示を出しながら歩き回っている。

 本来の仕事に戻ってから着ている緋色の長衣は、人混みの中でもよく目立つ。ウィラーフの騎士団の制服のようなもので、それを着るだけで王宮の風景に自然に溶けこみ、一緒に旅をしていた頃とは別人になってしまったかのように見える。

 「何してるのかしら、あれ」

ワンダと一緒にお茶菓子にあずかっていたシェラが、窓の向こうに目を凝らす。

 「あそこにいるのは通訳たちだ。自治領の代表が集まる会議には必ず出席する。」

ウィラーフが説明する。

 「通訳って…”リゼル”とは違うのよね?」

 「ただの通訳は、”リゼル”と違って交渉権は持たない。複数の言語を使いこなせる必要もない。言ってみれば”リゼル”は、彼らの上位職だな」

どうやら、受け持ちの確認をしているらしい。通訳たちは、それぞれの担当する部族の代表者を訪れるようだ。

 「…アルウィンって、実は偉いの?」

 「官職としては、それなりに上位になる。”リゼル”は、王の代理で外交権を持つ。王自身が選ぶか、王の定めた認定者からの推薦が無ければ就けない。普段の職務も、議長であるギノヴェーア様の秘書だしな。」

 「彼は優秀な”リゼル”よ。」

と、ギノヴェーア。

 「現職の中で最も多くの言語を操れるわ。それに、人に好かれる魅力があるの」

 「そういえば、王女様ってアルウィンと親しそうですよね。」

 「ええ。それはもう」

高貴な女性は、不思議な妖しさをたたえた笑顔を向ける。

 「父もわたくしも、彼がとても気に入っているの。何故、なんて聞かないでね。あなたが彼を気に入ったのと同じ理由なのですから。」

 「……。」

理由。

 それを、はっきり意識したことはない。ただ、初めて会ったときに真っ先に惹かれたのは、不思議な黒っぽい瞳だった。ぱっと見は取り立てたところもない地味な外見の中で、その眼差しだけは強烈だった。無防備なほど他人を信じながら、その一方で年に似合わぬ老獪さも、強い意志も持っていた。


 指示を出し終えて一息ついているアルウィンのもとに、防衛大臣がやって来るのが見えた。呼び寄せて何か言いつけている。その様子を見ていると、ふと、シェラの胸に疑問が湧いてきた。そういえば誰も、アルウィンを警戒していないように見える。

 「…ねえ、ウィラーフ」

 「何だ」

 「もしかして、ここの人たちって、アルウィンがクローナ出身なのを知らないの?」

館も自治権も失ってはいるものの、アルウィンは今でも、五年前に王国と敵対したクローナ領主家の最後の当主、という扱いのはずだ。東方騎士団のローエンなど、アルウィンのことを「反逆者の息子」と呼んだのに。

 ウィラーフは、視線を遠くに向けてぽつと呟いた。

 「…多分、忘れてるんだろうな。王宮内では、肩書きと衣装が名前のようなものだ」

十歳から十五歳、成長ざかりの時期に五年も経てば、顔立ちも雰囲気も変わる。よほど親しくもない限り、五年ぶりに顔を見たとして、かつて裁いた子供だなどと、気づくはずもない。

 「クローナ侵攻に最初に賛成して、強固に指示していたのはあの防衛大臣だっていうのに。まったく、あの人は相変わらず…。」

ウィラーフの、そんな苦い表情にも慣れた。でも、最初の頃ほど辛そうではない。口調も、ずいぶん穏やかになったほうだ。


 アルウィンは、防衛大臣に怒鳴られて必死で何か言い返している。時間が足りません、と言っている声がシェラたちのところまで聞こえてくる。

 「ほんとに、大変な職業よね…。」

ここは、王都リーデンハイゼルの王宮の奥深く。目の前にいるのは王族の警備を担当する近衛騎士、後ろには国王の一人娘が優雅にお茶を楽しんでいる。

 彼らにはそれぞれに、職務や肩書が持つ別の顔がある。

 それは、友人として接した時に見せるものとはまた、別の一面なのだ。

 (あたしは、ここじゃ浮いた存在よね)

シェラは、胸のあたりに手を遣った。

 客人、という扱いだが、場違いなのは薄々と感じている。それに、自分の果たすべき役割が何なのかは、今でも迷っている。

 ”エリュシオン”という言葉の意味を知るためには、イルネスへ赴いて確かめなければならない。けれど、これから戦場になろうという場所なのに、そこまで着いていくことが出来るのか。

 それに、クローナの詩にあった、あの言葉。


 ”青き導き手”が、”エリュシオン”に至る道を開く。


 導き手はもしかしたらルグルブのことを指すのかもしれないと、シェラは、うっすら予感していた。

 だとしたら一体、自分はこの先、いつ、何をすべきなのだろう。




 王宮の外で大騒ぎが起きたのは、その日の午後のことだった。


 その日の午後、アルウィンは、会議の出席予定者の名簿を手に町に出ていた。

 防衛大臣から「会議の出席者全員の名前と出自を確認してくるように」と言いつけられたからだ。なりすましで別人が紛れ込まないかを恐れたためだが、自治領から来る代表者たちはまず言葉が通じないことも多い。それに、三年に一度の集会では、前回と代表者が異なっていることもある。

 時間が足りないと抗議したにも関わらず、大臣は今日の夕方までに全て確認をとれと言って来たのだ。

 そんなわけでアルウィンは、仕方なく、通訳たちに仕事を分担して王宮を出たのだった。

 参加する自治領の代表者たちは、原則としてみな町中に宿をとっているが、一部こだわりのある部族は自前のテントを町の外に張っている。

 それにしても、最初から無茶過ぎた。まだ到着していない者や、到着はしたものの町に入れないと知ってどこかへ行ってしまった者もいて、まだ出席名簿すら埋まらない状態なのだ。それに、いくら多言語を操るアルウィンでも限界というものがある。

 途方に暮れながら広場を駆けまわっていたとき、城門のほうで大きな声が上がった。


 「王だ! シドレク様がお戻りになった!」


見張り塔の上で歓声が沸き起こり、声を聞きつけた人々が我先にと駆け出してくる。アルウィンは、人の波に押し出されるようにして城門前に来ていた。

 間もなく、つづれ折りの坂を駆け上がってきた馬が姿を見せる。先頭はシドレク王その人。隣には、デイフレヴンがぴったりと馬をつけている。だが、後ろに付き従うのは北方騎士団では無かった。白い、揃いのスカーフを巻いた若い騎士たち――

 「クローナの…自警団?」

シドレクと目があった。

 王は、広場の中程まで進んでアルウィンの前で馬を止める。

 「報せは受け取っている。どうやら人質の解放は巧く行ったようだな」

シドレク王は、にやりと笑った。「よくやった。」

 シドレクのすぐ後ろにいた小柄な騎士が、兜を脱いで微笑む。

 「兄様、ご無事で何よりです」

 「ブランシェまで。これは、一体――」

 その時、王宮のほうから宮廷騎士たちを連れた防衛大臣が猛烈な勢いで馬を駆ってくるのが見えた。報せを聞きつけて、大急ぎでやってきたらしい。

 「王、よくご無事で…!」

息を切らせながらシドレクの前で馬を飛び降りると、大臣は、感極まる顔で地面に膝を折った。

 「なんだ、監禁されていたわりにはちっとも痩せておらんな。」

 「ご冗談を。おおデイフレヴン、お主もいたのか。よく王をお守りした。む、後ろは…?」

ブランシェが顔を逸らすのが見えた。シドレクは笑顔で答える。

 「この者たちは、クローナの元騎士団…今は自警団、だが。」

 「クローナ?!」

防衛大臣の顔が。見る間に真っ赤になっていく。

 「北方騎士団はあとから来る。人数が多くては行軍が遅くなるからな。彼らに護衛してもらって、先に帰ってきたというわけだ。」

 「クローナを信用したと仰るのですか! 奴らが王国に反逆したのは、僅か五年前ですぞ!」

 「だが、お前はそこのアルウィンと、近衛騎士のウィラーフに助けてもらったのだろう? 二人ともクローナの出身だがな」

 「な、…」

 「さて。私は先に王宮へ行かせてもらう。お前の話は答えより質問が多くて面倒だ。状況はギノヴェーアに聞くとしよう」

言うなり、王はデイフレヴンとブランシェたちクローナの騎士を連れて駆け去ってしまった。後には、呆然とした防衛長官とお伴の騎士たちが残されている。

 「…クローナ出身の、アルウィン、だと…?」

振り返った防衛大臣は、まるで亡霊でも見たような顔つきになっている。

 「そうですが、何か。」

アルウィンは、ため息をついた。

 「やっぱり忘れていらしたんですね。ところで、さっき頼まれた名簿のほうですが、とりあえず半分は埋めましたが、やはり時間が――」

 「もういい!」

男は、唾を飛ばしながら馬に飛び乗った。

 「お前たち、王を追いかけるぞ!」

駆け去っていく馬たちを見送りながら、アルウィンは、もう一つため息をついた、

 「せめて、この無茶な仕事をどうすればいいのかくらい、指示してから行って下さいよ…。」




 ギノヴェーアのもとで待機していたシェラたちのもとに王の帰還の知らせが届いたのも、それからすぐ後のことだった。出迎えのため城門に向かうより早く、王のほうがギノヴェーアのもとにやって来た。ブランシェたちも一緒だ。

 「おかえりなさいませ、お父様。無事で何よりです。デイフレヴンもご苦労さま」

 「ああ、ただいま。お前も元気そうだな」

 「かたじけないお言葉です」

王は手袋を脱ぎながら、後ろにつき従う白いスカーフを巻いた騎士たちを紹介する。

 「クローナの自警団だ。ここまで私たちを送り届けてくれた。こちらが、この小騎士団の騎士団長、アルウィンの妹君でブランシェ」

 「あらあら、妹さん。噂には聞いていたけれど、本当にそっくりね」

 「はじめまして、王女様。お目にかかれて光栄です」

言葉に刺々しさは残るものの、ブランシェは一応礼は失さない程度に挨拶をする。

 「北方騎士団はどうなりました?」

 「街道を南下中だ。あと半日もすれば到着するだろう。そちらは会議の準備を始めているようだが」

 「ええ。明日の開催ですわ。ちょうどよい時にお戻りになられました」

ギノヴェーアは王に椅子を勧め、自らは侍女にお茶の準備をさせるため席を立つ。

 シドレクは、ソファに腰をおろしながらウィラーフのほう顔を向けた、

 「その浮かない顔からして、宮廷騎士団の被害は想定より大きかったようだな。」

 「――ええ。ほぼ半壊と言っても差し支えありません。近衛騎士のほうは、すぐに戦えそうなのは私とデイフレヴンを除けば二名だけです」

 「そうか。」

 「レスターとウィンドミルを逃しました。申し訳ありません」

そう言って、ウィラーフは頭を下げる。

 「よい。近衛騎士五人が相手ではな。…そうか、戦力が足りない…」

王はちらとブランシェたちのほうに意味ありげな視線を向ける。

 「困ったものだ、さてどうしたものか…」

ブランシェは、じろりとシドレクを睨んだ。

 「何ですか、その遠回しな思わせぶりは、国王なんだから、命令したらどうです? ”手を貸せ”と」

 「善意から手を貸してくれたりはしないのか」

 「私たちは、もう騎士団ではありません。”クローナの町の”自警団です。本来ならここまでお伴することだって職務の範囲外です。騎士団は、あなたが解体しろと命じたんですからね」

王は声を上げて笑う。

 「ははは、その言い方、アルウィンにそっくりだ。兄妹揃って、このシドレクを恐れない」

 「笑い事じゃありません! お金で雇おうっていうのもお断りですよ。傭兵じゃあるまいし――」

 「分かった分かった。では、こうしよう。協力してくれたら、クローナを自治領に戻し、自衛のための騎士団の創設も認める。これでどうだ?」

 「――!」

ウィラーフも、思わず反応する。戻ってきたギノヴェーアが耳を傾けた。

 「何か楽しそうなお話をしていらっしゃるわね。クローナ自治領の復活、ですって?」

 「まあ、自治領になるからには、議会に代表者を出席させる義務が生じるが、そのくらい我慢してもらえるだろう?」

 「待ってください。そんな――いきなり、どうして」

ブランシェは混乱している。

 「一度取り上げたものを、そんなに簡単に戻してしまうんですか、あなたは」

ウィラーフも、納得できないという表情だ。

 ギノヴェーアが、そのウィラーフと王の間に割って入る。

 「開戦は議会で決められたこと。わたくしたち個人が決めたことではありませんよ。五年前は、クローナも意地になって王国側の要求を突っぱねていましたから。自治領扱いにも関わらず王国へはほとんど納税がなく、自前の戦力を持ち、王国議会に代表者も送らない。これではアストゥールからの離反を疑われても仕方のない状況でした。

 ですが今回、あなたとアルウィンは、父やわたくし、議会の人々を体を張って救い出してくれました。しかもクローナの元騎士団がこの有事に率先して王の味方をするというのなら、クローナはもはや敵ではないと議会に納得させることが出来ます。少なくとも、あなたがたの恩には何らかの形で報いなくてはならない。ならば、その礼金は出来る限り釣り上げておいたほうが交渉の得ですよ。」

 「今なら議会が、クローナを正式に自治領として認めるはずだ、と?」

 「アルウィンのためでもある」

シドレクは、ふいに真面目な顔になって言う。

 「この間、クローナに行ってわかった。多大な犠牲を払った末に一方的な降伏と見られる行動を取ったことで、あそこの人々は、アルウィンがクローナを王国に売り渡したように思っているのだろう?」

 「…それは」

ブランシェの表情が曇る。まさに、そうなのだ。あの僅かな滞在のうちに、町の人々の感情をシドレクに読み取られていた。

 「ならば、故郷を守ろうとした彼の名誉を挽回するためにも、ここで目立つ協力をして貰いたい。少なくとも、議会に喧伝出来るくらいには」

 「そのために、わざわざ私たちを連れて凱旋したんですか」

 「さあ?」

王は肩をすくめ、手袋をテーブルの上に置く。

 「…分かりました。クローナの自警団は、アストゥールの王に協力します。出来る範囲で」

小さな声で言ってから、ブランシェはふいに口調を変える。

 「本当にひどい人ですね、あなたは。自分の思い通りのことを言わせるために、どんな手でも使うんですから。」

 「ま、それが”王”というものだ。」

折よく、侍女が人数分のお茶と茶菓子を運んできて、会話はそこで打ち切りとなった。


 三年に一度、全ての自治領の代表者が集まる会議の開催を翌日に控え、王宮の中は遅れていた準備の最後の仕上げに大忙しだ。

 町は眠らない。戻ってきたばかりのシドレク王もまた、ギノヴェーアやデイフレヴンとの密談、議会の主要な人々との打ち合わせ、騎士団の見舞いなどあちこち飛び回っていた。

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