第32話 最後の詩片
翌日――
町はまだ後始末で忙しく、あちこちに自警団が走り回っている。結局、賊のほとんどは取り逃がしてしまった。首謀者の老人の姿も消えていた。
被害が大きかったのは、広場に面した領主館と完全に壊されてしまった二つの城門だけ。特に市のたつ広場は、城門の瓦礫と燃え落ちた領主館の残骸が散らばって、しばらく使えそうにはない。
雪が降りはじめ、本格的に冬が始まる。
けれど、町の奥にあるユミナの館のあたりはいつもと変わらず静かそのものだった。
そして館の中で療養しているシドレクは、朝一番に、現在のこの町の実質の代表者にして館の女主人、ユミナの訪問を受けていた。
「城門の大破と元・領主館の全焼、それに伴う類焼三件。及び、一部損傷家屋十五件、負傷者二十五人。幸い町の者に死者は出ませんでしたが、少なくはない損害です」
早口に報告書を読み上げ、彼女は、キッとして王を睨みつけた。
「元・領主館はあなた方に召し上げられて町の持ち物ではありませんから除外するとしても、他については賠償していただく必要がありますね」
「兄様とその勇敢なお仲間たちの怪我を計算に入れそこねていますわよ、母様。」
横からブランシェが囁く。
「失礼。それもありました。とにかく! 今回のこと、原因は中央にあることは明白です。よって私は、これらに対する賠償を求める旨、議会に提出させていただきますからね」
「ああ、迷惑をかけたのは事実だ。全額、国の負担で構わない。」
「ま! 軽くおっしゃいますこと」
シドレク王は、にこりと笑う。
「まぁ、これでもアストゥールの国王だし、このくらいはな。それと我々の治療費と滞在費も経費で落とすから、あとで請求を回してくれ。」
「でしたら、こちらに王自らのご署名をいただけますかしら? 口約束ではいけませんから。」
即座に目の前に契約書とペンが差し出される。さすがは商人、といったところか。
署名を受け取ると、ユミナは念入りにそれを確かめ、満足気にうなづいた。
「よろしい。契約は成立いたしましたわ。では!」
優雅にスカートを翻す。
「踏み倒されては困りますから、あなた方の身は責任をもって警護させていただきますわ。ご安心くださいませ」
このアストゥールの国王は、隠しきれない笑みを浮かべて女主人が意気揚々と去って行くのを見送っていた。
部屋の扉が閉まったあと、彼はニヤニヤしながら傍らの騎士に言った。
「いやあ、噂どおりだ。なかなか凄い女傑ではないか、アルウィンのご母堂は。」
「クローナのユミナ・リンディスといえば、元は名の知られた女騎士ですからね。もちろん剣の腕だけではなく、商売人からの信望も厚いやり手だそうです」
と、傍らに控えるデイフレヴンが言う。
「りんご食べますか。剥けましたけど」
「お、一切れ」
「ずいぶんと和んでいらっしゃいますこと」
二人に尖った口調で言葉を投げつけるのは、腕組みをし、部屋の隅から威嚇するような目で見つめているブランシェだ。今日は乗馬服で腰に剣を下げている。
「ここが敵地のただ中なのをお忘れなきよう。私は、あなたたちがこの町にしたことを許すつもりはありません」
「ふむ…」
シドレクは、りんごを口に放りこみ、曖昧に一声唸った。それがさらに火をつけたのか。ブランシェは怒鳴った。
「あなたは、私の父上を殺したんですよ!」
「…王も、ご子息を亡くされた」
静かに、デイフレヴンが言う。
「それは代わりにはなりません!」
「もちろん。親しい誰かの死は、別の誰の死をもってしても、代わりに出来るものではない。仇を討っても、その死に報いたと自分を納得させることは出来まい?」
「私は、そんなことは言ってません!」
「すまなかったな。」
シドレクは、ふいに真面目な顔で言った。
「――本当に、すまなかった。」
「……っ」
ブランシェは、叩きつけるようにしてドアを開き、ばたばたと駆け出して行く。王はため息をつき、手元に視線をやった。
「昔の私なら、あのような子供も斬り捨てていたのだろうか。」
「いえ…それは」
「戦場に響き渡る勝利の歓声、胸の高鳴る凱旋のラッパ…敵を倒す喜び、誇り。お前とともに幾多の戦場に出ただろうな。正義の戦いなどと、あの頃は信じていた。今まで倒してきた”敵”の家族は、今でもあのように私を恨んでいるのだろうな。」
「……。」
デイフレヴンに、しばしの間。
「それでも、あなたに救われた者たちも多いのです、シドレク様。だからこそ、人々はあなたを”英雄”王と呼んだ。あなたはずっと、弱き者のために戦い、不正を犯す者たちを罰してきたではありませんか。」
「だが、その結果、この王国は今、分裂しようとしている。」
シドレク、窓の外に目をやった。
「――私は、自分に酔っていただけなのかもしれん。人々を救うという大望に取り憑かれ、それを成すには剣を振るうことしかないと思っていた。それでは不十分だったのかもしれない。正義を声高に叫び剣を振るう前に、目をそらさずに、打ち倒そうとする者の本当の姿を見るべきだったのだ。」
明け方に降りだした雪はその後も絶え間なく降り積もり、町を白銀に染めている。壊れた門も、焼けた館も、戦いの跡も、すべては静寂の中。
「それを教えてくれたのは、アルウィンだったな…。」
――五年前、初めてアルウィンが目の前に現れた時、彼は言った。
「目の前のものがすべてです、王。」
わずか十歳の、それも歳の割に小柄に見えた。寒さの中、馬を駆って来た少年の頬は紅潮し、髪にはまだ、凍った雪が張り付いていた。
たった一人、従者もなく、剣一本を携えて敵陣を訪れたその少年は、王の前に連れてこられると膝をつき、クローナの新しい当主だと名乗って、自ら剣を差し出した。その剣は確かに前日、戦場で見かけたクローナ家の当主のものだった。
戦いを終わらせるために必要だと思うなら、自分の命を取ればいい。ただし、その代わりに町にはこれ以上手を出さないで欲しい。
そう言った少年は、あまりにも幼く見え、申し出は、あまりにも唐突すぎた。
子供を殺すなど出来ない、と戸惑いながら答えるシドレクに、彼は答えた。
「それでも、王国の敵とみなされた者なのです。王が欲しいのは、反逆者の命のはず。それならば、残りは私一人です。目の前のものがすべてです」
大国アストゥールの王を前にして、そんなことを言った者は過去に誰一人いなかった。へりくだっていながら、その口調は対等なものに対するように聞こえた。
恐れることなく玉座を見上げたその瞳は、今も変わらない。
思い出しながら、王は口元に笑みを浮かべていた。
「あの時、私はあの少年を恐れた。たった十歳たらずの子供に、このシドレクが気圧されたのだ。」
「あなたが考えていることは分かっていますよ、王。でも、今はまだいけません」
デイフレヴンは、無表情で器用にりんごを剥き続けている。
「彼を表立って取り立てることは、議会が納得しないでしょう。今までだって、表舞台に出て来ないからこそ、ですからね」
「なに。これからさ。納得させる方法はいくらもある」
大きなベッドにごろりと寝そべる。
「――ああ、引退したら自由に大陸じゅうを遍歴してみたいな。こう、人助けの旅…みたいな」
「悪者を倒すときは王家の印をちらつかせるご隠居、ですか。面白そうですね」
「お前も来てくれるか?」
手を止め、デイフレヴンは呆れ顔で王を見やった。
「いまさらそんなことを聞きますか。何十年ご一緒してきたと思ってるんです? あなたが行くところなら、世界の果てでもお伴させていただきますよ。」
「なら、心配はいらないな。」
笑って、シドレクは目を閉じた。
「少し眠ることにしよう。あとは頼んだ」
「はい。」
暖炉で薪がはぜ、火が揺らめく。そしてまた、部屋は静寂の中に落ちていく。
ドアをノックする音に気づいて、アルウィンは顔を上げた。
「どうぞ」
「お邪魔します」
入ってきたのは、シェラだ。手にお茶とお茶菓子の乗った盆を手にしている。
「みんな何だか忙しそうだから、私も何か手伝おうと思って…。」
「ああ、そのへんに置いといて」
アルウィンは、ベッドで本を読んでいる。怪我は、火傷と打ち身と、そう深くはない切り傷が幾つか。あれだけの大立ち回りを演じたわりに軽傷だったのは幸いだったが、大事を取ってしばらくは安静にするようにと、母と妹に固く言いつけられているのだ。傍らのソファでは、ふかふかのクッションに顔をうずめたワンダが大鼾をかいている。
シェラは、それを見てくすっと笑った。
「ワンダも、頑張ったものね。」
言いながら、ワンダの脇の、開いている場所に腰をおろす。
「アルウィンのお母さん、王様のことを守ってくださるみたいよ。良かった」
「知ってる。母上の声はここまで聞こえてたからね」
苦笑しながら、アルウィンはお茶に手を伸ばす。
「あの性格だし、母上のことは心配してない。ブランシェは――まだ少し時間がかかるかもしれないけど」
「彼女にとっては、戦争のせいでお父さんも、お兄さんも、同時にいなくなっちゃったんだものね。」
お互いにとって不幸な戦いだった。それが誰かの仕組んだことだったにせよ、悲運によるものだったにせよ、誰も止めようとしなかったのなら、それは”必然”だ。
「そうだ、シェラ。」
「なに?」
「これ、読めるかな」
アルウィンはベッドの傍らに置いてあった何かの破片のようなものを差し出した。革紐の先に、穴の開いた金属板がぶら下げられている。紐は途中でちぎれていた。
「神聖文字らしきものが書かれてるんだ。おれが戦っていたあたりに落ちていたらしいんだけど…もしかしたら、オウミが落としていったものかしれない」
「…えーと」
シェラは、板の表面を指でなぞり、文字を読み上げた。
// エリュシオン
// 大地を繋ぎし黄金の樹
// その枝で編まれた王の証
// 民は集い、歓喜する
// たとえ大樹が倒れても
// その根までも枯れぬ限り
「…”エリュシオン”。詩のタイトル… これは…」
「始まりの一片、か。」
アスタラに伝えられた、七つの詩片のうち冒頭部分にして最後の一つ。
これで、「建国詩」の破片のすべてが揃ったことになる。
「あのオウミって人はどうなったの? 捕まった?」
「いや。」
アルウィンは、首を振る。
「逃げたらしい。これでおあいこだ。向こうもすべての詩を見つけた。”黄金の樹”の紋章がこの先もう必要ないのなら、先に詩の謎を解いて”エリシュシオン”の元にたどり着くかもしれない」
「でも、これ以上の手がかりはないわ。サウディードからの連絡を待つ? それとも、いちかばちか、”イルネス”に行ってみる?」
「……。」
指を組み合わせ、アルウィンは、しばし天井を見上げた。
「その件は、もう少し考えてみる。――それより、ウィラーフはどうしてる?」
「まだ起き上がれないみたい。」
死の淵から奇跡的に生還して、館に担ぎ込まれてから、まだ一日しか経っていない。アルウィン自身もしばらくの休養が必要だったため、炎に包まれる領主の館を脱出して以来、ウィラーフには一度も会っていなかった。
「あたし、悪いことしちゃった。」
シェラは、俯いて呟いた。
「え?」
「騎士には死に時がある、って前に言ってたの。だけど今回はアルウィンの援護にも行けなかったし、王様を守って死にかけたわけでもないし。あたしなんか庇って死にかけちゃったからなのか、”死にそこねた”とか何とか、機嫌悪いみたいで」
アルウィンは、まじまじとシェラを見つめた。
「…シェラ、騎士の”死に時”って、何か知ってる?」
「主を守って戦って死ぬことじゃないの?」
きょとんとした顔のシェラに、彼は、笑いを噛み殺しながら言った。
「騎士には名誉ある”死に時”が二つあるんだ。一つはもちろん仕える主人のため」
「うん」
「もう一つは、想い寄せる女性のため。ウィラーフらしい遠まわしな言い方だけど、彼がシェラを守るためなら死んでもいいって思ったんなら、そういうことなんじゃないかな?」
「……。」
みるみるシェラの顔色が変わっていく。「え? え? 何…それ…」
勢いよく立ち上がるなり、彼女は呟いた。
「そんなの、言ってくれなきゃ一生気づかないわよ!」
スカートを翻し、慌てて部屋を飛び出していく。
ばたばたと遠ざかる足音と、勢い良くドアが閉まった音で、ワンダが目を覚ました。ふぁーっと大きくあくび。
「いい匂いするぞ。」
「シェラがお菓子を置いていった。食べていいよ」
「おお!オヤツだ。やったーっ」
ソファから飛び降りて盆にとびつくワンダのしっぽには、火事で焦げて固まってしまった一塊の毛がある。それを見て、にやにやしていたアルウィンの表情が、すっと引き締まった。
――負傷者二十五人。
ユミナの読み上げたその数は、アルウィンの耳にこびりついていた。
自分たちを除いて、それだけの人が怪我をした。かつての戦争の戦死者の数と比べるべくもないが、被害を出してしまったことはやはり手痛かった。
避けられなかった争いではあった。
だが、もっとけが人を少なく出来たのかもしれない。
戦いが起こるたび、無関係な人まで巻き込まれる。オウミたちが王国を解体するためにどれだけの協力者を得たかは分からないが、少なくとも、東方騎士団が画策している反乱は、それが表沙汰になれば大きな衝突にならざるを得ない。戦いはまだ終っていない。これからだ。
アルウィンが考え込んでいた時、誰かが部屋に飛び込んできた。一瞬、シェラが戻ってきたかと思ったが、違った。
「兄様!」
ブランシェだ。外から戻ってきたまま、分厚いコートからは雪の溶けた水滴が滴り落ちている。
「町の外に――」
妹からの報告を聞いて、アルウィンは、ゆっくり寝ている場合ではないことを知った。
「すぐ支度する。馬を用意して」
「む、アルウィン、どっか行くのか?」
「ああ。でも、ワンダはここに居て。」
「護衛は? 自警団を集めるには、少し時間がかかります」
「その必要はないよ。
身支度を整え、ブランシェの用意した馬に飛び乗って、彼は二人だけで城門の外へと向かった。
幸い、城門が爆破されても頑丈な橋は無事だった。ヒビも入らず、湖の内側の町と外とを繋いでいる。
その橋の、湖を渡る手前に、一塊の人の群れが居た。北の山あいの地方で使わる大きなツノを持つ鹿たちや、毛深い小柄な馬に乗ったおびただしい数の人々。
幾つかの集団に別れ、互いに顔立ちはよく似ていたが、集団ごとの持つ雰囲気と持ち物が違っている。いずれも武器を帯び、若者と戦士だけで固めている。どう見ても友好的な集団とは思えない。
にも関わらず、彼らはそこから動かなかった。
攻撃が目的ならば、今に勝る好機はない。何しろクローナの町の城門は二つとも壊され、守り手の多くが負傷しているのだから。
アルウィンが駆けつけたのは、まさのその集団の元だった。遠巻きにした自警団の若者たちが心配そうに見守る中、彼はブランシェだけを伴い、橋を渡った。アルウィンは丸腰だが、ブランシェはコートの下に完全武装し、用心深く腰の剣に手をかけている。
話を聞いた時から、アルウィンには彼らが何者なのかの見当がついていた。この時期の訪問者で、北の山脈に由来する品を身に着けた集団など、他には考えられない。
「アスタラ十三氏族の人々とお見受けする。用向きは何だ?」
アルウィンは人の群れに向かって話しかけた。
「クローナの代表者としてここへ来た。そちらの代表者は誰だ。この来訪の理由は?」
集団の中から一人、馬に乗った男が歩を進めてくる。この寒いのに、上半身はほとんど裸で、肌は雪に焼けてほとんど真っ黒だ。男は、ひどく訛りのある中央語で尋ねた。
「確かめに来た。王は、生きているのか?」
「――ああ。」
互いの吐く息は白く、間には、積もったまま誰も踏み跡をつけていない雪原が広がっている。
「あなたがたは、”エサルの導き手”なのか」
「いかにも」
はっとして背後でブランシェが剣を抜きかけるのを、アルウィンが手で制する。言葉には続きがあった。
「我ら、十三の部族――アスタラに住むすべての者が”導き手”なり」
「…かつてエサルとともに北へやって来た部族だから、か。なるほど…。」
アルウィンは、懐からオウミの落し物を取り出した。
「これを返したい。もしも彼の仲間がまだいるのなら。――ヨルド族の人は来ているのか」
「ここだ」
別の声が、群れのほうから答えた。
「一人だけだ。他のヨルドの若者は、みな戦いに出ていった。」
前に進み出ていた男が、弓を背負った男を指差ス。
アルウィンは、その男のほうに向かって、革紐のついた銀板を投げ渡した。
男はそれにじっと視線を落とし、それから、アルウィンに目を向ける。
「あなたの名は何という」
「アルウィン・フォン・クローナ。」
「…今一度聞く。王は、生きているのか?」
アルウィンは、頷いて答えた。
「盾となる者も、剣なる者も、ともに。」
静かなざわめき。そしてそれが収まった時、群れは、静かに動き出す。
「オウミは王は死んだと言った。――エサルの血はもはや絶えたと。だが、それは誤りだった」
残っていた男が、声を張り上げた。
「時は過ぎ去れり。我らは誓いの成就されし時を待つのみ!」
馬の首を返しながら、男は、アルウィンに向かって言った。
「それが貴方の意志ならば、我らは再び従おう。五百年前の約束は果たされるだろう。さらばだ、王の末なる子らよ!」
降り続けている雪と距離のせいで、去りゆく者たちの表情は見えない。だが、きっと笑っていたのだろう。
強く吹きつける風が雪を巻き上げ、白く霞む景色の中に群れの姿と、その足あとをかき消してゆく。
アスタラの部族は、クローナを攻めることも王国と敵対することもなく、彼らのすみかへと帰っていったのだ。
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