第五幕


 第五幕



 今日もまた朝陽が昇るのとほぼ同時にペンネに叩き起こされ、彼女に童貞呼ばわりされながら池の水を汲み、かまどの火とダッチオーブンでもって煮沸消毒を終えた。そして愛用の釣竿ロッドと疑似餌、それに折り畳みバケツを手にしながら岩礁へと赴くと、食料となる魚を求めて釣魚ちょうぎょに勤しむ。

「今日は何を釣るんだ?」

 キャスティング、つまり疑似餌と一繋がりになった釣り針を海中に投じてからルアーアクションを繰り返していると、一緒に岩礁に足を運んだペンネがそう言って俺に問い掛けた。

「別に、今からこれを釣ろうって魚は決めてないよ。カサゴでもハタでもメバルでも、食べられる根魚なら何だっていいさ」

「ふうん、そうなんだ」

 俺の返答にそう言って納得したペンネは、磯だまりに集まった小さな魚や蟹や貝などを採って磯遊びに興じつつ、俺の顔をジッと凝視する。

「なあ童貞、あんた、随分と髭が伸びてるぞ?」

「ああ、うん、もう随分と長い間剃ってないからな」

 そう言った俺の言葉通り、このエルディンガー島に漂着してからこっち一度も髭を剃っていないので、俺の頬や鼻の下や顎周りは無精髭が伸び放題であった。出来れば今すぐにでも全て剃り落としてしまいたいところだが、ここには鏡もシェービングクリームも剃刀も無いし、どうせペンネ以外には誰も見ていないのだから放置しているのである。

「あんたってば、童顔だから全然髭が似合ってないな」

 ペンネはそう言って笑うが、自分が生まれつき童顔で髭が似合っていない事くらいこの俺自身が一番理解している事なのだから、反論の余地も無い。

「ペンネ、あんまり沖の方に行くなよ。波にさらわれて危ないぞ」

「うん、分かってる」

 やがてそう言ったペンネは磯遊びに飽きたのか、釣魚ちょうぎょに勤しむ俺を他所に、真っ白い夏物のワンピースの裾を捲り上げながら浅瀬で何かを探している。

「あ、あった!」

 するとペンネはそう言いながら、浅瀬で拾い上げた何かを俺の元へと持って来た。

「なあ童貞、これ、食べられるか?」

 そう言ったペンネが手にしているのは大きな食用の二枚貝、それも漁港でも滅多に見かけないほど立派に育ったハマグリであって、手に取ってみればずっしりと重く身が詰まっていて如何にも美味そうである。

「ああ、食べられるよ。そのまま焼いて食ってもいいし、潮汁に入れれば美味い出汁が出る筈だ」

「そうか! だったら、もっと採って来てやるからな!」

 にこにこと嬉しそうに微笑みながらそう言ったペンネは浅瀬へと取って返し、足元の砂を足の指でもって穿ほじくり返しつつ、食べられる貝の類を熱心に探している様子であった。そして彼女が最初のハマグリを発見してから小一時間ばかりも経過すると、再び俺の元へと歩み寄ったペンネは、見事に採取してみせた獲物の数々を自慢げに見せびらかす。

「どうだ童貞、これだけ採って来てやったぞ!」

 自慢げにそう言った彼女の手には、数個のハマグリにサザエ、それにムール貝とも呼ばれるムラサキイガイが見て取れた。

「お? ペンネ、凄いじゃないか! これは今夜はご馳走だな!」

 俺がそう言って手放しで称賛すれば、ペンネはやはり嬉しそうに、そしてもっと褒め称えてくれとばかりに得意満面の笑顔をこちらに向ける。

「それじゃあペンネが貝も採って来てくれたし、今日はもうこれで、食料が確保出来たって事にするか」

 そう言った俺は本日の釣魚ちょうぎょを終えて竿を上げ、俺が釣り上げた魚とペンネが採って来てくれた貝が放り込まれた折り畳みバケツを手にすると、ドームテントが設営された砂浜の方角へと足を向けた。そしてペンネと共にドームテントの元へと帰還したかと思えば、さっそく晩飯の準備に取り掛かる。

「今日は、カサゴと貝の潮汁にしよう」

 釣竿ロッドを置いた俺はそう言って、起こしたばかりのかまどの火に掛けたダッチオーブンに、煮沸消毒してした池の水とカサゴもどきの切り身と全ての貝類を一緒くたに放り込んだ。そして適量の塩でもって味付けしながら切り身と貝にしっかり火が通るまで煮込めば、カサゴもどきとハマグリとサザエ、それにムール貝の潮汁の完成である。

「いただきます」

「うん、いただきます」

 やがて習慣的にそう言った俺とペンネの二人は、今日もまた西の水平線へと沈み行く夕陽をぼんやりと眺めつつも、出来上がったばかりのカサゴもどきと貝類の潮汁をさっそく食べ始めた。

「美味しい!」

「うん、美味い!」

 塩のみのシンプルな味付けながらも、今日の潮汁はカサゴもどきと一緒に放り込んだ貝類の出汁が効いていて、普段からこしらえている根魚やヤシガニのそれと比べても格段に美味い。

「貝を入れただけで、こんなに味が変わるもんなんだな」

「どうだ童貞、美味しいだろう? 貝を採って来てやったあたしに、感謝しろよ?」

「ああ、感謝するさ。なにせ、こんなに美味いんだからな。ありがとう、ペンネ」

 そう言った俺はカサゴもどきの切り身にハマグリ、それにサザエとムール貝を殻から剥がしながらむしゃむしゃと食み続ける。

「ふう」

 そうこうしている内に、やがてダッチオーブンの中のカサゴもどきと貝類の潮汁をすっかり平らげ終えてしまった俺は一息つくと、椅子代わりにしているクーラーボックスの傍らに置いてあった昨日採って来たヤシの実を手に取った。そしてもう一方の手にはバークリバー社製のブラボー1.5を握り、その刃先をヤシの実に突き立てたところで、不意にアロハシャツとハーフパンツの下の下腹部に違和感を覚える。

「?」

 突然俺の下っ腹が、ぐるぐると大きな音を立てながら天地がひっくり返るかのような感覚に襲われたかと思うと、かつて無いほどの猛烈な便意を覚え始めたのだ。

「ん? どうした、童貞?」

「何だか分からんが、糞がしたい」

 居ても立ってもいられなくなった俺はそう言って立ち上がり、その場にペンネを残したままドームテントから離れた砂浜の一角まで移動すると、砂を掻き出して小さな穴を掘ってからその穴にまたがる。そして穴の中に向かってぶりぶりと大便をひり出し始めたのだが、次から次へと止め処無く大便がひり出されるばかりで、いつまで経っても腹の痛みが治まってくれる気配は無い。

「うっ!」

 すると今度は胃から腸に掛けての腹部全体に猛烈な痛みが走り、それと同時に、やはりかつて無いほどの耐え難い吐き気を覚え始めたのだ。そこで俺は下半身剥き出しで大便をひり出したまま、その場にひざまずき、砂浜に掘られた穴に向かって盛大に嘔吐する。

「げえええぇぇぇ……」

 しかしながら幾ら吐いても吐いても胃腸の痛みは治まらず、ついさっき食べたばかりの潮汁を全て吐き戻してしまったばかりか、がんがんと激しい頭痛によって頭が割れてしまいそうでもあった。

「ねえ童貞、どうしたの? 大丈夫?」

 異常に気付いたペンネがそう言いながらこちらの様子を窺うが、俺は彼女に心配を掛けさせまいと、努めて平静を装う。

「ああ、大丈夫だ。ちょっと気分が悪くなっただけだから、問題無い」

 俺はそう言って強がってみせるが、その間も肛門からは水っぽい大便が絶え間無くひり出されるし口からは胃液が溢れ出るばかりで、とてもじゃないが大丈夫とは言い難い有様であった。

「げえええぇぇぇ……」

「童貞ってば、全然大丈夫じゃないじゃない!」

 尚も繰り返し吐き戻し続ける俺の身を案じるペンネはおろおろと狼狽し、その眼には大粒の涙が浮いていて、少しでも気を抜けば今にも泣き出してしまいそうである。

「大丈夫……大丈夫だから……」

 意識が朦朧としながらもそう言った俺は海水でもって汚れた肛門を洗い、少しだけ症状が和らいだ瞬間を見計らって、ふらふらと覚束無い足取りでもってドームテントの元へと取って返した。そしてかまどの上に置かれたダッチオーブンを一瞥すると、一体自分の身に何が起こっているのかを理解する。

「貝毒か……」

 激しい頭痛と眩暈に襲われながらそう言った俺の言葉通り、俺の突然の体調不良の原因はペンネが採って来てくれたムラサキイガイ、要はムール貝に含まれた下痢性貝毒か麻痺性貝毒である事が推測された。つまり分かり易く有り体に言ってしまえば、今現在の俺を苛むこの症状の正体は重度の食中毒である。

「ねえ、童貞ってば、一体どうしちゃったの? 本当に大丈夫? 顔が真っ青だし汗びっしょりだし、立ってられないの?」

「ああ、うん、たぶんこの下痢と嘔吐の原因は、さっき食べたムール貝に含まれていた貝毒による食中毒だ。だから大人の俺はともかくとしても、ペンネ、子供のお前は大丈夫なのか?」

「あたしは大丈夫だけど、だけど大道が、大道があたしが採って来た貝のせいでこんな事に……」

 自分が採って来たムール貝が元凶だと言う事実を知らされ、責任を痛感しているらしいペンネはそう言いながらぽろぽろと大粒の涙を零れ落とし、その場にひざまずいたまま泣き崩れてしまった。すると砂浜に横になった俺は意識を混濁させつつも、そんな彼女を決して責めたりはしない。

「そんなに気に病むな、ペンネ。どんな毒性を持ち合わせているかもしれない天然の貝類をさして警戒もしないまま口にした俺も迂闊だったし、お前が無事だっただけでも、不幸中の幸いってもんだ。それにただの食中毒なら、このまま一日か二日くらいジッとしていれば治る筈だからな」

 そう言って俺が強がってみせれば、かまどを囲む流木の一つに腰掛けた一人の老人がそんな俺の言葉を補足する。

「ほっほっほ、確かにその通りであろうて。おそらく大道を苦しめているのはオカダ酸かディノフィシストキシンを主成分とする下痢性貝毒であろうから、致命的な毒ではない筈であるからな。しっかり水分を摂って日陰で休み続ければ、そのうち毒が分解されて寛解する筈であろう」

 ぷかぷかとパイプ煙草を吹かしながらそう言ったのは、西洋のお伽噺に出て来る魔法使いか賢者の様なローブとエナン帽に身を包んだ白髪の老人、つまりこのエルディンガー島で俺やペンネと一緒に暮らすタリアータ・ディ・マンツォその人であった。

「ねえタリアータ、休む以外に、治す方法は無いの? このままじゃ、大道が死んじゃったりしない?」

 ペンネがそう言ってひどく不安げに尋ねれば、賢者タリアータは俺と秋生のキャンプ用具一式を指差しながら答える。

「そうよのう、確かその中に、救急箱が放り込まれていた筈であろう。それを取り出してみるが良い」

 そう言った賢者タリアータの言葉に従い、ペンネはキャンプ用具一式の中から小さな救急箱を取り出した。安っぽいプラスチック製のその救急箱の中には、簡単な外傷の治療が行える消毒薬や包帯や絆創膏、それに各種の胃薬や総合感冒薬などが無造作に放り込まれている。

「そこに、正露丸が見て取れるであろう」

「これ?」

 そう言ったペンネが手に取ったのは、大阪府に本拠地を置く製薬会社の大幸薬品株式会社が製造する、ラッパのマークでお馴染みの正露丸の小瓶であった。

「それを飲めば、少しは治りが早くなるかもしれんぞ?」

 賢者タリアータがぷかぷかとパイプ煙草を吹かしながらそう言えば、ペンネはステンレス製のマグカップに煮沸消毒してした池の水を汲み、俺に向かって数粒の正露丸と共にそれを差し出す。

「大道、これ、飲んで!」

 鬼気迫る形相とでも表現すべきか、とにかく必死な表情でもってそう言ったペンネに促されながら、食中毒に苦しむ俺は池の水と共に正露丸をごくりと飲み下した。正露丸特有のあの凄まじい匂いも、絶え間無い吐き気に襲われてしまっている今は、さして気にならない。

「どう、大道? 楽になった?」

 涙眼になったペンネはそう言って問い掛けるものの、いくら正露丸を飲んだからと言ってそんなにすぐに効果が表れる筈も無いのだが、俺は彼女を安心させるために咄嗟に嘘を吐く。

「ああ、うん、だいぶ楽になったよ。このまま横になって寝ていれば、きっとすぐに治る筈さ」

「良かった……」

 ペンネはそう言ってホッと胸を撫で下ろすものの、そんな彼女の気休めにも等しい言葉とは裏腹に、俺の容態は決して楽観視出来るようなものではなかった。何故なら今現在はある程度鎮静化しているとは言え、それでも絶え間無い便意と猛烈な吐き気に襲われ続けている上に、頭が割れるような頭痛と意識の混濁を伴っているのだからどれだけ贔屓目に見ても安堵出来よう筈も無い。それにもし仮に賢者タリアータの見立てが見当外れであって、これが下痢性貝毒ではなく致死性の麻痺性貝毒であった場合は命を落としかねないのだから、尚更である。

「とにかくこれで、わしらは手を尽くした筈であろう。後は大道の自然治癒力を信じ、運を天に任せながら、貝毒が分解されるその時を待ち続ける以外に取り得る手段もあるまい」

 鍔が広くて天辺がとんがったとんがり帽子、つまりエナン帽を被った賢者タリアータの半ば無責任とも言える言葉も、今は甘んじて聞き入れる以外に取り得る手段も無い。そこで下痢便と吐瀉物でもって寝床を汚したくない俺はドームテントにも寝袋シュラフにも潜り込まず、タオルケットに包まって砂浜に寝転んだまま、我が身を蝕む食中毒の諸々の症状に耐え忍び続けるばかりであった。

「大道……」

 まるで今生の別れを惜しむかのような口調でもってそう言って、俺の名を呼ぶペンネの声が聞こえたような気がしたが、果たしてそれが意識が混濁した俺の耳にだけ届いた幻聴なのか否かは定かではない。


   ●


 何かひどく気掛かりな、自分が伝説の武具を携えた勇者となって従者と共に魔王を倒しに行くような荒唐無稽な夢を見ていた俺は、アホウドリだかネッタイチョウだかの海鳥の鳴き声に安眠を妨げられるような格好でもって眼を覚ました。

「……」

 眼を覚ましてみればそこはドームテントの寝袋シュラフの中ではなく屋外の砂浜の砂の上だったので、俺は寝惚けまなこをごしごしと擦りながら、昨夜の出来事をぼんやりと回想する。

「ああ、そうか。確か俺はムール貝を食って食中毒にかかって、寝込んでたんだっけ」

 独り言つようにそう言った俺はようやく状況を理解すると、包まっていたタオルケットを跳ね除けながら砂の上で半身を起こした。そして東の水平線から昇る朝陽の眩しさに眼を背けつつも、ぐるりと周囲を見渡せば、砂浜で眠りに就いていた俺の隣ですうすうと可愛らしい寝息を立てるペンネの寝姿が眼に留まる。

「ほっほっほ、ペンネはのう、おぬしの事が心配で心配で夜通し寝ないで看病しておったからのう。だから今はそっとしておいてやるが良いぞ、大道よ」

 かまどを囲む流木の一つに腰掛けたまま、ぷかぷかとパイプ煙草を吹かしながらそう言った賢者タリアータの言葉を鵜呑みにするならば、ペンネは俺の看病をしている内にいつしか眠りこけてしまったと言う事らしい。

「そうか……ペンネの奴……」

 俺が彼女を起こさないように小声でもってそう言って、ペンネの寝顔を眺めながらそっと立ち上がれば、そんな俺に賢者タリアータは改めて尋ねる。

「ところで大道よ、おぬし、今の体調の方はどんな具合であるのかな? 一見した感じだと、だいぶ良くなったように見受けられるが?」

「ああ、そうだな。未だちょっとばかり腹が痛いし気持ち悪くて吐きそうだけど、頭痛と眩暈の方は随分と良くなったよ。取り敢えずこのままもう一日休んでいれば、ほぼ治るんじゃないかな」

「ほっほっほ、そうかそうか、それならよろしい。きっとペンネの奴も、おぬしの元気な姿を見たら喜ぶに決まっておるからのう」

 そう言って笑う賢者タリアータを他所に、俺はタオルケットを手にしたまま、海の方角へと足を向けた。

「おや大道、どこに行く気であろうか?」

「ああ、洗濯だよ。汚れた服を着たままじゃ、気持ち悪いからな」

 そう言って賢者タリアータの素朴な疑問に答えた俺は波打ち際でアロハシャツとハーフパンツを脱ぎ捨て、その下に履いていたボクサーパンツも脱いで全裸になると、それらを海水でもってばしゃばしゃと洗い始める。なにせシャツもパンツもタオルケットも、昨夜から今朝に掛けて垂れ流した下痢便や吐瀉物によってすっかり汚れ果ててしまっていたのだから、この機会に入念に洗って乾かしておかなければ気持ち悪くて仕方が無い。

「よし、こんなもんか」

 やがて汚物にまみれた衣服から粗方の汚れを落とし終えた全裸の俺はそう言うと、濡れたシャツとパンツとタオルケットを手にしたまま砂浜へと引き返し、それらをダッチオーブンに溜められた真水でもってすすぎ始めた。海水で洗っただけだと後で乾いた時に塩が浮くし、べたべたとした不快な感触が残るので、真水でのすすぎは必須事項である。

「……大道?」

 すると俺が洗濯物をすすいでいると、不意にさっきまで俺の隣ですうすうと寝息を立てていたペンネがそう言って、俺の名を口にしながら眼を覚ましてしまった。

「ちょちょちょちょっと! ととと大道ってば、なんて格好してんの! この馬鹿! 変態! 童貞!」

 眼を覚ましたペンネが開口一番、ややもすればどもりながらそう言って俺を罵倒したのも、至極当然の帰結と言う他無い。何故ならシャツもパンツも脱ぎ捨てたまま洗濯物をすすいでいる俺は一糸纏わぬすっぽんぽんの全裸であり、当然の事ながら乳首も陰毛も男性器もモロ出しであって、歳頃の幼女であるペンネにとっては眼のやり場に困るような姿そのものだったからである。

「もう! 早く服を着てってば!」

 俺の裸を見ないように顔を背けながら、そう言って怒りを露にするペンネに急かされつつも、俺は取り敢えず唯一の下着であるボクサーパンツを履いてその場を取り繕った。よく絞って水気を切ってはいるものの、未だ乾いていないボクサーパンツの生地が内腿や股間にぴったりと張り付き、まるで湿った舌でもって舐め回されているかのような感触がなんとも言えず心地悪い。

「着た? 服着た? もう大丈夫?」

「ああ、もうこっちを向いても大丈夫だよ」

 しっとりと濡れたボクサーパンツを履いた俺がそう言えば、ペンネは背けていた顔をおそるおそるこちらに向け、俺が全裸でない事を確認するとホッと安堵する。

「大道ってば、何考えてんの? あたしみたいな小さな女の子の前で裸になるなんて、信じらんない!」

「そんな事言われたってちょうど汚れた服を洗ってたところだし、そもそもお前は寝てたんだから、ちょっとくらい裸になってたって仕方が無いじゃないか」

 半裸の俺はそう言って釈明するが、疑り深いペンネはそうそう簡単には納得しない。

「まさか大道ってば、あたしが寝てるのをいい事に、裸になって何か変な事してなかったでしょうね? ねえタリアータ、あなた、大道が何をしてたか見てたでしょ? 変な事してなかった?」

 そう言ったペンネの疑問に、俺ら二人の遣り取りを傍観していた賢者タリアータがぷかぷかとパイプ煙草を吹かしながら返答する。

「ほっほっほ、ペンネも大道も、二人とも安心するが良い。大道はただただ洗濯をしていただけに過ぎぬし、たとえ裸になっていたとは言え、何も変な事はしてはおらなんだからな」

 賢者タリアータがそう言って俺の潔白を証明してくれれば、ペンネもようやく納得したらしく、疑念の眼差しをこちらに向けるのを止めてくれた。そしてそんな彼女ははっと我に返ると、今度はすすぎ終えたタオルケットを絞っている俺に問い掛ける。

「ねえ大道、あんた、身体の具合はどうなの? もう寝てなくても大丈夫?」

「ああ、そうだな。たぶん、もう大丈夫だと思うよ。未だちょっと下っ腹が痛くて胸がむかむかするけれど、立ってられないほどのひどい頭痛と眩暈はほぼほぼ治まったし、もうこれで食中毒の症状の峠は越えたんじゃないかな?」

「良かった……」

 すると俺の返答を耳にしたペンネはそう言って胸を撫で下ろし、改めてホッと安堵してみせた。

「ん? なんだペンネ、そんなに俺の事を心配していてくれたのか?」

「はあ? あんた、何言ってんの? あんたみたいな童貞の事なんて、これっぽっちだって心配してた訳が無いじゃない!」

「そうは言っても、昨日は一晩中、俺の事を看病していてくれたんだろ? だったらお前は、俺の事が心配だったって事じゃないのか? まあ何にせよ、お前が看病していてくれたおかげで助かったよ。ありがとな、ペンネ」

 俺がそう言って礼の言葉を口にすれば、ペンネは褐色の肌に覆われた顔を真っ赤に紅潮させる。

「べ、べべべべ別に、あんたのために看病してやった訳じゃないんだからね! あんたに死なれたら魚を採って来てくれる人が居なくなっちゃうし、こんな小さな島で眼の前に死体が転がってたら邪魔だから、仕方無く看病してやってただけなんだからね! 勘違いしないでくれる?」

 ペンネはそう言って強がってみせるが、理由の如何を問わず、彼女が俺の事を心配して看病してくれていた事は疑う余地が無い。

「うんうん、分かってるよ。お前は仕方無く、俺を看病していてくれたんだよな」

 そう言って俺が笑えば、ペンネは益々意固地になって自分の真意を否定する。

「ホントに、ホントに違うんだから! あたしは大道の事なんて、何とも思ってないんだからね! ただちょっと、死なれたら困るなって思ってただけなんだから! もう、知らない!」

 頑なに意地を張りながらそう言ったペンネはぷいとそっぽを向き、頬を膨らませて唇を尖らせると、すっかりへそを曲げてしまった。しかしながら如何にも幼い女の子らしい、実に分かり易い仕草でもってねている彼女の姿も、大人の俺からすれば何とも言えず可愛らしい。

「とにかくありがとうよ、ペンネ」

 俺がそう言って重ねて礼の言葉を口にすれば、ペンネは益々頬を赤らめながらねるばかりである。

「知らない! 知らない! 知らない! 大道なんて、童貞をこじらせて死んじゃえばよかったんだから!」

 そう言ってへそを曲げるペンネの様子を窺いながら、すっかり体調も回復した俺ははははと声を上げて笑った。かまどを挟んだ向かいの席では、流木の一つに腰掛けた賢者タリアータもまた愉快そうに微笑んでいる。

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