第13話 推しと炎上

 あのデートの後、俺らはなるたんのマンション前で別れた。


 俺は帰宅してから、あのなるたんの言葉で困っていた。


「ネタだとしてもなあ」


 彼女の炎上作りに付き合うのはいい。彼女の為に何かできるのは嬉しい。ただ、あんまり酷いネタ作りで、俺の人生を巻き込まれるのはどうなんだろうか。


 もしいつかバレてしまった時、下手したらファンに殺されるし、俺だってパパラッチに追われるし、職場で何あるか分かんねえし、怖くて外に出られなくなる。



 彼女の為って、俺はそれでいいのか。



 俺の幸せは、なるたんの炎上に巻き込まれるほど、何処にあるかわからなくなっていた。



 大事になる前に、俺は身を引くべきではないのだろうか。



 俺は遠くで、彼女を推しているだけで十分幸せだったじゃないか。



 そう、ずっと心の中で自問自答を繰り返してあのデートから過ごしていた。



 しかし、次の日。もう、俺は手遅れであることを知った。



 朝起きると、俺のツリッツァーアカウントは大いに荒れていた。DMは、何千件を超える勢いで、殺意のあるメッセージが飛び交っていた。スマートフォンのメッセージには、浩平から〝裏切者!やっぱり熱愛してたんだな。許せん!〟と連絡が入っていた。ネットニュースを見ると、恐ろしいことに、昨日のデートのことは週刊誌にでかでかと載り、とんでもなく大きな記事になっていた。デカ文字で〝なるたん、結婚宣言!〟と書かれ、俺たちが大きく映っている。

 一般人の俺はモザイクにされているのだが、記事には〝結婚のお相手は有名なるファンのあの人か!〟と、俺だと分かる詳細がつらつらと書かれてしまっている。


 もう、なるファンはこの記事を見て、俺だとわかってしまっただろう。俺は逃げ場も、行き場も、対処法もなくなった。



 怖い、怖すぎる。



 ファンの中で有名な目立つ俺。さすがに全国にバレてしまって、もう、悪い意味で有名になっている。



 このままではまずい。



 ヒーローとして、持ち上げられた、少し前までのあの頃の空気は全て消え去り、俺は全てを敵に回している気がする。

 スマートフォンを開いて見れば矢のような言葉たちが俺を攻撃し、休んではくれない。


 しかし、それよりもなるたんが心配だ。


 恋愛禁止ではないが、さすがにこんなのファンが許さないのではないか。


 俺は点けたくなど無かったが、恐る恐る今日初めてののテレビを点けた。


 すると、衝撃的な言葉をキャスターが読んでいた。



「事実に間違いありません、と主張をされているそうです」



 点けて、落ち着く余裕もなく現れたのはなるたんのコメントだった。



「事務所は、彼女の意思に任せますとのことです」



 まてまてまて、報道に対してのそのコメントはなんだ!事実って、何故否定しないんだ!これじゃあ、俺の手の打ちようがないじゃないか。救済策はないのか?作ってくれているよな?

 俺は急いでなるたんに連絡のメッセージを入れるが、返事は来ないし既読が付くこともない。



 待っても待っても連絡は来ない。



 病室でマネージャーから名刺を貰ったことを思い出し、俺は探して電話をかけてみたりもしたが、繋がることはなかった。



「何のための、名刺っ」



 こうして待っている間にも、炎は納まることはなく何日も何日も燃え広がり、鎮火なんかできないまま、燃え放題の状態になってしまった。


 俺は怖くて、外になんか出られなかった。会社にも行けず、買い出しにも行けず、家にある非常食用カップ麺や、炊いた米にふりかけをかけるだけで過ごすだの、我慢して生活する。だって外の世界が怖いから。荒れたファンが脅迫文を俺に送ったりして来たんだぜ。住所の特定とか怖くねえか?浩平にも、言ってねえのによ。

 もう俺には、全てが敵に見えてしまっていた。スマートフォン自体も敵である。もう何もかもが俺を攻撃し、あまりの過激な批判は心を闇に落としていった。


 そして、なるたんは気が付けば、一カ月の謹慎となっていた。ニュースでは、これはやりすぎですね、と議論されている。こんなことで話し合ってないで、もっと大事なことを議論してくれよ、それくらい平和なのか?平和ボケしてるのか?一日中、このニュースをやるほど、平和すぎて狂ったか?いや、平和じゃねーよ。こんなの、平和な世界がやる事じゃねえ。

 てか、なるたん、返事くれよ!なんだよ事実って!嘘つけ!ネタなんだろ!俺と本当に結婚してくれるわけなんかないってわかってんだよ。頼むから助けてくれねえと、俺はこれからどう生きればいいんだああああああ。

 敵も味方も正解も不正解も、平和も安全も、幸せも、人生も俺には今わからねえ。ファンからすれば羨ましい事態か……いや、少し前の俺は羨ましかったかもしれないが、一般人の俺に耐えられるような話ではなかった。


 気が付けば、返信のないまま三週間。引きこもって、三週間。会社の電話にでないまま三週間。もう俺は病んでいる。食料も尽きてきた。もしかしたら、二度と連絡はないのかもしれない。俺はただの炎上の為の道具だったのだろうか。そうだ、喜んでいたけれど、会えても、デートできても、それは夢だったんだ。何を期待して、ワクワクしていたんだ俺は。最初から、全部夢だったのに、はしゃいじゃって、バカだな俺。



 こんなに辛いなら、遠くて近い、昔のままのファンでよかったのに。



 でも、それでも、幸せだった。



 推しにあんな風に、近寄れることなんてないからさ。



 そうだ、素敵な思い出だと思えばいい。

 


 来週は会社へ行かないと。



 こんなことしてたら、俺、本当に死んでしまうぞ。



 諦めろ俺、これは自分でやってしまったことだろ。巻き込まれたんじゃない、俺がなるたんの為にやったことだろ。あの日、マンションに張り込んだからだし、これは自分で行動したことなんだ。



 だから、ちゃんと自分で動け。何とかしろ俺。



 俺は、気持ちを切り替えて、無き食材の買い出しに出かけることにした。冷蔵庫も、非常食も底をつきていたからだ。まず食い物を何とかしなければ、生活が始まらない。



 プルプルと震える手で、扉を開ける。



 でも、外へ踏み出すと、俺にたかる人なんかいなくて、普通だった。ただただ普通の日常。俺はスーパーに向かって歩けば歩くほど、楽になっていった。外に出て、俺の被害妄想が酷すぎていたことが分かった。でも、メディアの言葉やSNSで、それくらい、俺は苦しんだ。誰かに何かされるよりも、言葉だけの攻撃は、俺の世界を簡単に壊してくれるらしい。言葉は刃物。現実よりも刺さるのだ。


 俺はスーパーに着いて、総菜を探していた。ちょうど夜八時。半額シールが並び、俺の空腹を安く満たしてくれる品々がたくさん出迎えてくれた。



「ああ、おかずたちよ!」



 久々のまともな食料を目の前に、俺はひとり感動している。




「先輩、生きていたんですね」


「ウウウワツツツ」



 声をした方を振り向くと、後輩の雨宮がいた。できれば、今、一番会いたくないお方かもしれない。



 彼女は容赦なく言葉を投げる。



「あのニュースのせいで、会社来ないんですか?熱愛報道のファンの男性、批判殺到って大変なことになっていたから……まさか、本当のことだったなんて……」



 雨宮の顔はいつもの自信に満ちた女の顔ではなく、心から心配している元気のない顔だった。



 俺は冷静に考えながら、口を開く。



「あれは嘘だよ、俺は結婚なんかできねえし、もう、なるたんと連絡とってねえんだよ」

「え?どういうことですか?」

「俺も、もうわからねえ。でも、これは俺が勝手に始めたことだ……自分で解決しなきゃ……」


「めちゃくちゃ元気ないじゃないですか!ちゃんと食べていますか?というか、自分のしたことって、相手が無責任ですよ、ひどい!騙されたんじゃないですか!?」


「そんなことないと信じたい……」



 俺は家でブルーに考えていた悪循環の思考が雨宮の前で止まらなかった。




 そんな俺に、雨宮は優しく刺さる言葉を投げる。





「あの、先輩。私は先輩の事好きなんです。だから、本気で会社にも来ない先輩を心配していました……だから、その……先輩。真剣に……」




「真剣に考えてくれないと、私心配なんです!私は先輩困らせないし、幸せにできますから!二次元はいい加減辞めてください!」





 こんなスーパーのど真ん中で、雨宮は涙を浮かべて俺に叫ぶ。雨宮は俺の事を沢山考えてきてくれたのだろう。俺はこうなるまで、それに気が付くことが出来なかったようだ。申し訳ない。推しは二次元だったんだ。それを雨宮は心配して、ずっと俺に訴えてくれていたんだ。いつかこんな辛い想いをする時が来ると知って。





 俺は雨宮に初めて感謝した。





「雨宮、ありが」





 と……と言いかけた時、あの声は突然現れた。





「ねえ!私の旦那で遊ぶのやめて頂戴!これは、私の旦那よ!」





 目の前にずいっと、その場の空気を切り裂くように飛んで現れたのは、ずっと俺が返事を待っているあの人だった。



「え、そんな!ほ、本物!ば、ばかな!」




 雨宮は驚き、口で手をふさぐ。雨宮が唖然としている間に、なるたんは俺の腕を強引に引っ張り、外へと連れだしてしまった。




「ちょっ、ドドドどういうことだよ、てかスーパーだぞここ、なに意味わかんないことしてんだか」

「うるさいわね、行くわよ」





 なるたんは俺を掴んだまま、急ぎ足でずかずかと進む。そして、到着したのは、なるたんのマンション。部屋へ押し込まれると、なるたんは急に……。




「この度は、申し訳ございませんでした」




 土下座をして俺に謝った。




「ちょっと待ってくれ、何故土下座をするんだ。というか、お前謹慎中に大丈夫なのか!?もう、俺はいいから、芸能界で生きられるように、今は大人しく……」

「だってあんたに迷惑かけたじゃない!」

「迷惑って……」

「私のせいで!」




 長い暫くの沈黙の後、俺は口を開く。




「辛かったよ。知らねえ奴らにああだこうだ、好き勝手言われて脅迫までされて。俺は心が折れるところだった」

「ごめんなさい」



「いや、もうだいぶ折れた。折れてんだよ。でも、残念ながら謝っても解決はしねえ。過去をどうしたって解決しねえ」

「うん」



 俺は、ここでちゃんと伝えねばいけない。



「だから……俺は元に戻ろうと思う。なるたんに出会う前の俺に」



 そう、おれは元に戻ることにする。



 だって、叶わない夢の幻想に巻き込まれて、実は炎の中でしたなんて、もう辛くて苦しくて耐えられない。




 長い沈黙が流れた。なるたんにとって、ファンの俺が今、どう見えているのかはわからない。ただ、謝ってくれたのだから、俺の辛さはきっと知っている。俺以上になるたんも辛いのかもしれない。自分で炎上を作ったくせにだけれど。




 すると、なるたんは口を開き、土下座の体勢で俺に叫ぶ。




「ねえ、最後に、最後にだけお願いがあるの。どうしても、これで最後でいいから。お願い!!!!」


「私に責任を取らせてほしいの!!!」







「だから、どうか、最後に最後のお願いを聞いて!」

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