第15話 ぶつかる想いと重なる心

 ——【三国合同魔剣士交流大会】


 本来出場予定であった、エイジ・オルガの代わりにエリィが選ばれたと聞かされたのは、試合が始まる2日前のことだった。


 非常に重要な内容であるため、僕たちは王城で最も馴染みのある "謁見の間" ではなく、国王の私的な部屋に呼ばれたのである。


 座り心地の良い高品質なふかふかの赤いソファに腰掛けながら、僕とエリィ……そして国王とリンダス公爵は向かい合うように座り、その場でことの全てが告げられた。


 テーブルに置かれたティーカップには、メイドが淹れた極上の紅茶が湯気を立たせており、良い香りが部屋中に広がっていた。


 だが重たい空気の中、誰も紅茶を口にすることはなかった。


「すまない……エリシア。私たちは正直反対したんだが、他の貴族たちは全員エリシアの参加に賛同してね……」


 国王は自分の不甲斐なさに落ち込むかのように、表情を暗くしていた。


 どうやら、エイジとの模擬戦でエリィが圧勝した事実が知れ渡り、他の貴族たちに支持されることになってしまったらしい。


 国王とリンダス公爵は反対する代わりに、別の案を出すよう求められたが、エリィ以上にレベルの高い魔剣士はこの国におらず、決定を覆すことができなかったとのことだ。


 事実を聞かされたエリィは、急なことで青ざめた表情になってしまっていた。


「あの、ちなみにその三国合同の大会ってどこで開催されるんですか?」


 僕は固まっているエリィの代わりに、知らないことを聞いておこうと、国王に質問した。


「毎年『ヴァーミリオン王国』『サリエラ法国』『ガルディア帝国』のいわゆる……【魔法大国】と呼ばれる三国で順番に開催しているんだ。今年は——『サリエラ法国』で開催される」


 国王のその言葉に、エリィは青ざめた表情から更に引き攣った表情に代わり、体が大きくビクッと反応する。


「『サリエラ法国』……それって……お母様の……?」


 エリィのその一言は、ボソッと消えてしまいそうな声だった。


 この明らかにおかしな様子に、さすがの僕も違和感を覚えた。


 ここまで深刻な様子で……『お母様』というフレーズが出るということは……。


「まさか……以前話されていた、王妃様が誘拐された可能性のある国って……?」


「そうなのだよ。それが今大会の開催国である『サリエラ法国』なのだ……」


 国王は静かにそう返事した。


(まじか……。王妃に危害を加えた可能性の高い国に、エリィが受動的に行くことになるなんて……何かあまりにも出来すぎじゃないだろうか? ……まるで——)


 そう。まるで——何者かが裏で糸を引いているような、そんな奇妙な感覚を覚えたのである。


「これは何かきな臭い気がします……。エリィに危険が及ぶんじゃ?」


「私もリンダスもそう思ったから、反対したんだ……。だが今回の国際大会に関しては、もはやエリシア以外には任せられん。悪いが出場して欲しい」


 だがエリィは返事をせず、ただうつむくだけだった。


「王女が他国に行くんです。エリィに危険がないように護衛は十分に付けて行くんですよね?」


 僕自身も段々と不安に駆られていき、細かい所まで質問が増えてしまう。

 

(護衛がしっかりと付くなら、心配することもないが……)


「残念だが、護衛は最小限に決まっておる。磐石にしていけば戦争を仕掛けに行くと思われかねん……」


「そんな……規定の人数って、ちなみに何人ですか?」


「……2人なのだ」


(……2人?! そんなの何かあれば、みすみす殺されに行くようなものじゃないか……)


 こんな危険な状態で、エリィを出場させるわけにはいかなかった。


「大会には、僕が代わりに出場します!」


 気付いた時には後先考えず、そう言い切ってしまっていた。


 国王はその言葉を聞いて、嬉しくも切なそうな表情で話した。


「君がエリシアを想って庇ってくれていること、嬉しく思うよ。でも今回だけは魔剣の扱えない君にどうすることもできない。それに娘だからと特別扱いをしてしまうと、貴族たちへの示しが付かなくなってしまうのだよ……」


(貴族たちへの示し? そんなものクソ喰らえだろ!!)


 そう心の中で思ったのが、顔に出ていたのか、リンダス公爵が補足するために、割って入ってきた。


「兄上が心配しているのは、内乱——つまり、貴族たちの叛逆はんぎゃくによって王国で戦争が起こってしまうことなのだよ」


 国内で戦争が起こる可能性など、僕は微塵にも考えていなかった。どうやらこの国の貴族制度は思っている以上に複雑らしい。


(……クソッ。ここまで来ると、もはや打つ手がないじゃないか……)


 自分でも血の気が引いて行くのを感じながら、必死に回らない頭をフル回転させ続けたが、妙案が思い浮かぶことはなかった。


 もはやエリィの出場を取りやめる事は絶望的だった。


 ——ならせめて……。


「——国王様……せめてエリィの護衛の1人に僕を付けさせてください!」


 ソファに座りながらであったが、僕は必死に頭を下げてそう叫んだ。


 ——僕の力があれば、エリィのことを護れる!

 ——どんなことがあっても、必ず護ってみせる!


 これが、僕の考えた精一杯の答えだった。


「アルト君。本当にありがとう! 君がエリシアの側にいてくれるなら、私は何よりも心強いよ」


 国王は大きく頷き、僕の護衛としての同行を認めてくれた。


「もう1人は、私の側近から "クレア" を付けることにする。非常に優秀で信頼できる者だよ。どうかね、エリシア?」


 未だに返事をすることもなく、黙り込んでいたエリィだったが、護衛の話を聞くと静かに首を縦に振った。


「……分かり、ました。私が、出ます。ヴァーミリオン王国の代表として、王女として……」


 渇き切った喉から絞り出されたかのような細々としたその声は、決してエリィの本心から出されたものではなかった。


 それでも、国王とリンダス公爵は互いに見合い安堵した表情を見せた事に、僕は少し苛立ちを覚えた。



 ***



 エリィの返答により【三国合同魔剣士交流大会】に出場が確定したことで、国王たちとの話し合いは終わってしまった。


 僕とエリィは会話をすることもなく、学園寮の部屋に戻ってきた。


 扉を開くと、いつの間にか空は黒雲に覆われていたようで、薄暗い部屋の中で虚しさを助長するかのように雨音が響いていた。


 そして部屋に入り扉を閉めると同時に、エリィはその場にストンと座り込んでしまった。


「エ、エリィ?!」


 僕は素早く側に寄り、エリィの肩に手を触れた。


 その肩は小刻みに震えており、エリィの表情を確認すると両眼いっぱいに涙を浮かべていた。


 更に瞳には深く陰が宿り、彼女が暗澹あんたんとした気持ちであることは明白だった。


「う……うぅぅぅ……」


 自分の感情を押し殺し、部屋に戻るまで我慢していたらしく……ポタッ……ポタッ……っと床に涙が零れ落ちる。


 急な国際大会の出場や、きな臭い展開であることに違いはないが、僕の中ではエリィがここまで悲しみを露わにしていることに理解が追い付いていなかった。


(正直なところ、形は違ったにせよ早い段階で王妃様を探す機会ができて、ラッキーかもって考えたくらいだったのに……)


 だが、どうやらエリィはそのように考えてはいないようだった。


「エリィ、大丈夫……だよ?」


 そう話して、僕は安心感を与えるためにエリィの頭をゆっくりと撫でた。


(何が大丈夫……なんだよ……)


 エリィの心境を理解することはできない。なので、曖昧な声掛けしか出来ないことに歯痒さを感じてしまった。


 やがて、エリィはゆっくりと口を開き始めた。


「私……本当は怖かったの。ずっとこの国から出ることも……お母様を探しに行こうとしていたことも……お母様がいなくなったことも……ずっとずっと、怖かったの」


 いつもの凛とした王女の姿は影も形もなく、そこには本音を曝け出す "ただの少女" エリィの姿があった。


 エリィはまるで、自分に言い聞かせるかのように、続けて呟いた。


「私はずっとずっとずーっと……我慢してた。頑張らなきゃって……王女なんだからって……。本当は怖くても無理してでも突き進まなきゃダメなんだって……。いつも優しく接してくれたお母様を見つけ出すまでは、どんなことも我慢して我慢して我慢して我慢して我慢し続けて突き進むんだって……」


 ……エリィは息継ぎをして、更に語り続けた。


「……でも、今日の話を聞いてダメだったの。国外で試合がある事は事前に知ってたし、それが『サリエラ法国』って聞いた途端に怖くなってダメになったの……。こんなんじゃ私はお母様を見つけ出せない……。この3年間そのためだけに必死で頑張って頑張って頑張り続けて、強くなってきたはずなのに……」


「エリィはちゃんと頑張ってきていたじゃないか……。僕と会ってからの短い期間でも、それは感じていたよ?」


「そんなのアルトには分からないわよ。私の感じている恐怖も、不安も、アルトに分かるわけないっ!!!」


 僕自身、これまでエリィには好かれている方だと思っていた。


 なので、そんなエリィがここまで自分の気持ちを露わにして、僕に牙を向けてくることは完全に予想外だった。


 逆に言ってしまえば、それ程までに強く、深く、濃く、思い悩み苦しみ続けていたということになる。


 その事実に相方パートナーとして気付いてあげれなかったことが、非常に悔やまれた。


(何でもっと寄り添って、一緒に苦しみを共有してやれなかったんだろう……)


 僕の内側で後悔という闇が広がっていくのを感じた。


 ——でも、だからこそ……ここでエリィの心を折らせる訳にはいかない。


「確かに……僕には分からないよ。この3年間、エリィがどれだけの苦しみを感じていたのかなんて。でも、これから先は一緒に悲しんで、一緒に笑って、一緒に喜んで……全部一緒にできるんだよ?」


「そんな言葉、どうやって信じればいいのよ!」


「『隣に立って戦うのも、心の支えになり合えるのも私しかいない……』この言葉を覚えてる?」


「それって……私の……」


 反応を示したエリィの瞳の影が、少しだけ明るくなったように感じた。


 そう、その言葉は魔剣の模擬戦勝利後に、エリィが実際に語っていた言葉だった。


「そうだよ。君が心から僕のことを想って話してくれた言葉だ……。僕たちは相方パートナーなんだろ? 何があってもこれだけは変わらない。なら、どんなことも一緒に共有できるだろ?」


「そんな事言ってても、結局はお母様みたいにいなくなっちゃうかもしれない……。私を大切にしてくれた人は、みんないなくなっちゃうから……」


(あと一押し……何かインパクトのある言葉が……。想いが伝われば……!)


 僕はここで、本当の意味で人生初めての言葉を口にするしかないと思った。こんな形で伝えることになるとは思わなかったが、僕にはこれ以上の選択肢は考えつかなかった。


「いなくはならないよ。僕はずっとエリィの側にいる!」


「口約束なんて……何だって言えるわよ! 本当にいなくならないなんて———」


 エリィが喋り終わる前に、僕はエリィの腕を引っ張り、向き合うような形で両手を背中に回してギュッと抱きしめた。


「あ、あぁ……」


「ちゃんと温もりも感じる。僕はここにいるし、これからもエリィの側に居続ける。だって僕は——エリィのことが大好きだから!」


「あぁ……アルト……ォ」


 恥ずかしさをこらえ、懸命に想いが伝わるように言葉にしたその『告白』は、エリィの心の陰を取り払うと同時に、瞳の光を戻した。


「ごめん……ごめんなさい……アルト。私……あなたに酷いこと言っちゃった……。うぇぇぇんんん……————」


 悩んでいたとは言え、僕に向けて辛辣に当たってしまったことを後悔したエリィはせきを切ったように、僕の腕の中で涙を流し続けた。


 その姿は、これまでの苦しみや悩みの全てを流しているかのようにも見えたのだった。



 ***



「もう……大丈夫……。心配かけてごめんね」


 数十分とも思える程、長い時間泣き続けたエリィは目を真っ赤に腫らしていたが、表情はいつもの明るさに戻っていた。


 ただ、かなりの泣きっぷりに恥ずかしさを感じたのか、しばらくの間、真っ直ぐ顔を合わせようとしてくれなかった。


 あれだけの苦しみを背負っていたので、本当にもう大丈夫なのかと不安になった僕は、抱きしめたまま優しく頭を撫でてみた。


「えへへ……アルトの手、温かいし気持ちいい」


 顔をほんのりと赤らめて照れながらそう話すエリィの姿を見て、僕もようやく安心できた。


「……で、返事は?」


 返事が欲しくて言ったわけではなかったが、人生初めての告白だったので、気付いた時にはついつい口から出てしまっていた。


「も、もももちろん決まってるわよ! ……でもその前にお父様を説得しなきゃ。婚約って形になるからきっと簡単には許可を貰えないと思うし、説得するの頑張るね!」


 エリィは照れ隠しをするかのように、慌てて僕から離れてから、そう返事をしてくれた。


『婚約』という言葉にますます赤くなるエリィを愛おしく思いながら、僕は先日国王と話したことを伝えることにした。


「いや……実は、国王からはお墨付きをもらってるんだ。エリィと婚約してもいいって……」


『婚約』と言葉にしてみると、確かに恥ずかしい。


 顔が火照り、僕もエリィに負けないくらい赤くなっていくのを感じた。


「えっ?! アルト、もしかしてお父様に婚約のこと……先に話してくれてたの?」


(……本当は国王の方から言い出してくれたんだけど、ここは男の見栄として僕から言い出したことにしておこう)


 僕は静かに頷いて返事をした。


「そっか……アルトは私のことずっとそう思っててくれてたなんて……」


 エリィは本当に幸せそうな表情でそう話すと、両手を広げて再びハグを求めてきた。


 僕は応えるように、優しくエリィを包み込む。


「んっ……」


 そう呟くエリィを見ると、目を閉じて無防備な状態を晒していた。


(……これって?! えっと?! つまり、これはキスしてもいいってことか?! ……て、そのまま口付けするだけ? 舌入れるの?! 分からんんんんん!!)


 人生初のキスにどう対応すればいいのか、戸惑いすぎて、暫くの間フリーズしたかのように固まってしまった。


(よし、とりあえず軽く口付けにしよう。よし、いく、いくぞ………!)


 目を閉じてゆっくりとエリィの艶のある柔らかそうな唇へと顔を近付ける。


 ——ちゅーーっ……ん?!


 唇とは違う感触を感じ、僕は慌てて目を開けた。


 その正体はエリィの人差し指だった。

 ……彼女は右手の人差し指上に立てて、僕の唇に押し当てていたのだった。


(やばっ……時間かけすぎたかぁぁぁぁぁ……もしかしてもうキスさせてもらえないやつじゃ……?!)


 僕が不安そうにしているのを悟ったかのように、エリィはクスッと微笑みながら静かに話した。


「やっぱり、その……キスは大会で優勝したらにしようかなって! 頑張って優勝してみせるから、その時はちゃんとしてよね? 約束だからね!」


 少し残念な気持ちではあったが、エリィが前向きな気持ちで大会に臨めるのならと良いと思い、約束を交わした。


「エリィ……なんか話が流れちゃったから、もう一度改めて伝えるよ」


「う、うん?」


(ここまで来たら、エリィの返事をちゃんと聞きたい……!)


 そんな気持ちで、僕は大切な言葉を口にした。


「僕と結婚を前提に——」


(いや、結婚を前提に付き合うだけなら……またいつか不安にさせてしまうかもしれない)


 僕はこの先もきっと、エリィのことを好きであり続けるだろう。


 彼女が見せる笑顔も、表情も、その心や仕草の全てを愛おしく感じているのだから。


 エリィへのこの気持ちが変わることはない。


 何故かは説明できないが、そのことには絶対的な自信があった。


 ——ならいっその事……。


「……アルト?」


 言葉を途中で止めてしまったせいか、気付くとエリィは少し不安そうな表情で見つめてきていた。


 僕は不安を拭うように、笑顔を作り、そして心を込めて言葉を贈った。


「エリィ、僕と結婚しよう!」


 エリィは『結婚』の言葉の意味を一瞬理解できなかったらしく、2秒ほど固まってしまっていた。


 沈黙の最中、気付けば雨音は静かになっており、雲の隙間から窓辺に差し込む夕陽の輝きが、茜色に僕たちを照らしていた。


 やがて徐々に理解できたらしく、エリィの瞳が潤んだかと思うと一筋の涙が頬を伝った。


 それはこれまでエリィの流した涙のどれにも当てはまらない、嬉しさと幸せの涙。


 ……夕陽の光に反射し、それはトパーズの雫のように美しかった。


「……はい!」


 エリィは頬を染め、顔を耳まで真っ赤にさせながらも、笑顔でそう返事をした。


 ——その幸せな時間を、じっくりと噛みしめるかのように。






 ———————————————————————


 次回、第16話 『サリエラ法国』(仮) へ続く。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る