第12話 止まらない理由

「お、お構いなく……」


 血の気が引く。

 何で、こんなことになっているんだ。


「こっちが構うんだよ。ほら、何飲むよ?」

「本当に、いらないですって!」


 私は捕まれそうにった先輩の手を、振り払う。でも、本当はそんなことをするつもりではなかった。

 これは、私のじゃない。

 そう思ったら、振り払っていた。


「あ……っ」


 なんてことをしているのだ。

 こんなことを、したいんじゃない。流石にこれは、謝らなきゃ。後悔の気持ちで顔を上げる。先輩は気にしてないかも、しれないけど。

 でもそこには、悲しそうな先輩の顔があった。


「……俺、何かした?」


 振り払われた手を見て、小さな声が先輩から聞こえる。


「え……?」

「最初は小説忙しいのかなくらいしか思わなかったけど、今日あれだけ逃げられたら嫌でもわかるだろ。今まで、避けてたんだろ? 俺のこと」

「それは……」


 その通りなのだが、理由なんて……。


「俺、何か嫌われること、伊鶴にした?」

「嫌うなんて、そんな……っ!」


 自分の言葉に、はっと口を手で覆う。

 嫌っていない。嫌うはずがない。この言葉に、何を続けさせる気でいるのだ。

 私は、諦めなきゃいけなんだ。

 先輩が好きで、好きでどうしようもない気持ちを。ずっと好きでいたい気持ちを。嫌いになんて、なれないこの気持ちをっ!

 砕けて、散って、なかったことにしなきゃいけないのにっ!

 何で、何でっ!?

 何で、諦めてくれないんだっ!

 お似合いだっだろ!? 見てわかっただろ!? 私に居場所なんてないことぐらいっ、その馬鹿な頭でわかったはずだっ!

 自分にもいい顔して、気にしないフリを必死にして、仕方がないって納得させて、これで何で……、何で終わってくれないんだ!

 おかしいだろ! 何で……。


「……嫌ってないなら、何で避けたの?」

「……っ」


 頭ではわかっているのに、言えない。

 口に出せない。

 先輩に彼女がいるから。

 たったそれだけなのに。その言葉だけがどうしても言えない。

 諦めるから。もう好きでいるのを止めるから。どんな言い訳を重ねても、この言葉を言ってしまえば、終わりがくるから。

 嘘がつけなくなる。

 自分にも、周りにも。

 本当は、終わってほしくない。

 好きでいたい。諦めれない。隣に置いて、好きになって、もっと私を見て!

 私はずっと物分かりのいい、いい子のフリをしてるだけ!

 まだ何も納得できないに、決まっているでしょっ!

 私は、まだどうしようもなく先輩が好きなのにっ!


「伊鶴、何でまた逃げようとするの?」


 気が付けば、走り出そうとしていた。逃げ出そうとしていた。

 それを先輩が私の腕掴んで逃がさない。


「離してっ!」

「離さない」

「離してっ! お願いだからっ!」

「絶対離さないっ!」


 振り解けない。掴まれた腕がこんなにも熱い。

 さっきは簡単に払いのけられたのに。何で、今はびくともしないの?

 何で……。


「な、何で……? 何で、そんなに私に構うんですかっ! 別に約束なんてないし、私がいなくても相馬先輩は困らないでしょ!? 私を探す理由なんて、どこにもないのにっ! 何で、何で探すんですかっ! 追いかけるんですかっ! 何で離さないんですかっ! 先輩には関係ないっ!」

「関係あるだろっ!」


 先輩が私の腕を力強く引く。


「俺は理由を最初に言ったっ! 伊鶴が会いに来ないから、会いに来たって。次は伊鶴の番だと思うけど?」


 まっすぐな先輩のその瞳に、今にも泣きそうな可愛くない女が映る。

 先輩に似合わない、相応しくない、可愛げもないでかいだけの女が、一人。


「何で逃げんの? 理由くらい言ってよ。納得できる理由を聞かなきゃ離せない」


 現実を、突きつけられている気がした。

 醜さを、責められている気がした。

 ああ、やっぱり私じゃダメなんだ。

 もう、逃げられない。

 もう、終わりなんだ。夢を見る時間が、終わったんだ。

 終わらせる時間が来たんだ。

 私は、口を開く。


「……先輩に、彼女がいるから……っ」

 

 ああ。これは呪いの言葉。

 遂に、言ってしまった。口に出してしまった。

 全てが、終わってしまう。この後起きることなんて、わかっている。先輩は、ああ、そうか。知ってたのかと手を離されて、ごめんなって曖昧に笑われて、それで、終わってしまうのだ。

 ああ、私の恋心はこれで……。


「はぁ?」


 目を閉じて、涙が流れようとした瞬間、先輩の間抜けな声が聞こえてくる。

 あれ? 何か、想像と違うぞ?


「え? 待って。誰に彼女がいるの?」

「え? 相馬先輩です、けど……?」


 え? 何の質問? 何だ? コレは。


「俺に彼女が? いつ? 誰が? どこの蟹江と付き合ってんの?」

「え……? 蟹江じゃなくて、佐藤ですけど……? 一週間前くらいに、付き合い始めたとお聞きしました、けど?」

「何それ。知らないんだけど、俺」


 んん?

 んんー?

 どういうこと? 先輩がシラを切っているということ? え? 何のために? そんな必要何もなくない?

 まさか、優しさ? 優しさで、シラを切り通してるの?

 流石にそれは、ちょっとヤダ。そこに同情されても、困る。それくらいなら、スッパリと切って欲しい。


「あの、一年のめちゃくちゃ可愛い佐藤って女の子で」

「一年は伊鶴くらいしか認識ないよ? 伊鶴の友達?」

「あ、いえ、全く知らないですけど、その、髪が長くて、小さくて、可愛くて、その、えっと……、佐藤手鞠さんって仰る方で……」


 ストーカーの如く調べてしまったのがバレてしまうが、もうそんな事を言っている場合じゃない。できるだけ、早く認めてくれ。そこまで同情されるのは居た堪れなさすぎる。


「聞いたことない名前だな」


 流石に、嘘では?

 流石に、それは嘘すぎでは?


「あの、でも、私も見たんですっ!」

「幽霊を?」

「違くて! その佐藤さんと先輩が仲睦まじく腕を組んで歩いてる姿を!」

 

 現場は抑えているのだ。流石に、これ以上シラを切ることはできないだろう。


「一週間くらい前の一年側の昇降口近くの渡り廊下で二人仲良く、歩いてたじゃないですかっ!」

「え、本当に誰……? 女子?」

「可愛い女の子ですって!」

「ちょっと待ってよ。一週間前? 渡り廊下で? 仲良く?」

「ちょっと、軽口言い合ってました。お、重いとか、言ったり……」


 そんな姿が、ちょっと羨ましいと、思ったり。

 先輩はうーんと考えると、あっと口を開く。


「重い? あー……、あーっ! わかった! 佐藤妹の事か!」

「佐藤、妹? いや、確かに佐藤さんですけど……」

「アレのことね。うん。あったね、そんなこと」

「彼女さんのこと、佐藤妹って呼んでるんですか……?」


 それはそれで、どうなんだろ?


「彼女じゃないって。何でそんなことになってんのか知らないけど、あいつは俺のこと世界で一番嫌ってる奴だよ」

「え、でも家に行くとか……、言ってましたよ!」


 どうみても世界で一番嫌いな相手にかける言葉ではなかったと思う。


「彼女じゃなきゃ、あんな会話しませんよ!」

「あれは……、あー。説明するのがややこしいな、これ。取り敢えず落ち着いて欲しいんだけど、その噂誰から聞いたわけ?」

「知らない三年の先輩達が話し出たのを聞いて、それで、その帰りに先輩と佐藤さんの二人がイチャイチャしてるのを見て、その、あの、私、二人の邪魔してたのかなって、思って……。先輩優しいから、私が手伝いはじめると断れないんじゃないかなって……」


 それで、あれで。アワアワと自分がいかに愚かだったかを話すと、先輩の長いため息が聞こえてきた。


「……はー。良かった」

「相馬先輩?」


 先輩がくたりとしゃがみ込む。


「マジで、伊鶴に嫌われたのかと思った……。急に来なくなるし、逃げられるし、絶対に嫌われることしたのかと思った」

「……嫌って、ないです。でも、彼女がいる人と水族館は、行きたくなかったから……」

「本当にいないし、アレは彼女じゃない。なんなら、今から呼び出して説明させるけど?」

「えっ、それは、流石にっ!」


 そんな事はさせられないに決まってる。


「じゃ、俺が彼女いないってこと信じてくれる?」

「……」

「信じてくれてないじゃんっ! 嫌ってるじゃんっ!」

「嫌いでも、信じてないわけでもないですけどっ! ないですけど……、家に行くとか、待ってるとか、まだ無視できない謎が残ってるんですもんっ!」


 彼女彼氏じゃない関係で家行くとか、あり得ないでしょ!


「……あー。そうなるよなー。じゃ、説明させてくれる? 長くなるけど」

「説明、ですか?」

「余り、伊鶴には知られたくなかったけど……。相馬君の家と佐藤君の家は近くで、親同士も仲がいいから家族ぐるみで小さい頃から遊んでたんだ。なんていうか、幼馴染って奴?」

「幼馴染……」


 それって、やっぱり……。


「物語に出てくる幼馴染じゃないから。佐藤妹は俺の妹と仲が良くて、俺は佐藤兄の方と仲が良かったんだよ。遊びも、仲良くする相手も性別で分かれてて、ほぼほぼ接触はしてないし、今では立派に仲も悪い」

「そこは、立派じゃなくても」

「事実だもん。佐藤兄は、おれより一つ上で優しい奴だった。学年は違っても仲良くしてたし、俺の友達とも佐藤兄は仲良かったんだよ。で、中等部に入学した時に周りと一緒に佐藤兄から文芸部に入らないかと誘われたんだ。俺は、本は読むけど文芸を作る側には特に興味がなかった。けど、周りの友達がこぞって入るとなると流石に無視はできない。どうせ入りたい部活なんてないし、本読んでれば適当にやり過ごせるだろうと、俺も文芸部に入ったんだ」

「先輩、文芸部だったんですね」


 意外だ。


「似合わないだろ?」

「そこまでは……」

「いいよ。俺もそう思うし、実際向いてなかったし。文芸部に入って色々書かされて、正直うんざりしてた。周りも佐藤兄も創作意欲が高くて、俺以外の全員が楽しそうだった。でも、毎日気の乗らない文字を少し書くだけで部室にある漫画読めるならいいかなって。そんな気持ちでいたんだよ。でもさ、ある日何かに載せるからこのお題で書けみたいな宿題が出たわけよ。いい話から載せるって。で、皆んな佐藤兄が一番に載るなって思ってた。俺も思ってた。佐藤兄は文芸を書くために産まれてきたような奴なんだよ。文章の強弱もうまいし、まとめ方も綺麗だし、話の作りも申し分なく楽しい」

「天才じゃないですか」

「そ、天才なの。だから、誰もが佐藤兄が一番だと思って疑わなかったわけ。でも、本当にしょうもないことなんだけど、一番に載ったのは俺がつまらなそうに書いたやつだったんだ」

「……自慢話ですか?」


 え、突然の自慢話? 佐藤妹さんとの関係を疑っているのに?


「誤解が酷いな。今突然自慢話しようと思うほど神経図太くないって。それに、自慢じゃないだろ。俺には文芸なんて合わなかったんだから」

「でも、一番取ったんですよね? それって、すごく合ってるのでは?」

「すごく合ってない。だって、俺は楽しくないし、続ける気持ちが何一つ湧いてこなかった。合ってないんだよ、畏まった文章とか。読むのはいいけど、書くのは疲れる。その程度の好きなの、俺にとって文芸って。だから、困った。一番になって、真剣に書いてたやつ皆んなに褒められて、俺みたいに適当にやってる奴がそんなもんされるべきじゃないのは俺が一番わかってる。その居心地の悪さが嫌だった。

 特に佐藤兄は俺に小説を書くべきだ、それを仕事にするべきだと強く勧めてきた。俺の文章は素晴らしくて、話はレベルが高くて、表現が独特で味わい深い、だそうだ。これを本にして出さないのは勿体無いと佐藤兄は俺に言うわけよ。でも、俺は別に一般文芸小説を書きたいわけじゃないし、小説家になりたいわけでもない。毎回断ってたよ。

 でも、時間が経つにつれ佐藤兄の言葉が重くなってきた。書きたくないもんを、期待される。価値のないものに価値をつけられると、人間、やった! と喜ぶ気持ちよりも、そんなことをされたら訳もわからず萎縮するだろ? それと一緒。片手間で書いたものが褒められるたびに、萎縮する。かと言って真剣に書けるほどのやる気もない。余程鈍感でお気楽なおめでたい奴以外は、それが耐えれなくなる。俺も、耐えれなかった。

 だから、生徒会長になって、それを機に文芸部を辞めた。委員会の日でもないのに仕事をしてるのは、その言い訳。生徒会が忙しいからって理由で辞めてるから、その言い訳に動いてた」

「だから、先輩一人で仕事されてたんですね」

「逃げたんだよ。部活も人も好きだったのに、居心地が悪いと逃げたんだ。だから、伊鶴のことは本当に尊敬する。逃げ出さない強さは俺にはなかったから」

「先輩……」


 私とは真逆だが、第三者という何かの評価が怖い気持ちは、嫌ほどわかる。

 たとえ、それが褒められることでも。先輩の中には人々を欺けているという罪悪感もあったのかもしれない。


「で、それが佐藤妹さんとどう関係が?」


 でも、話の結論には至ってなくない?

 私が今一番に聞きたい話じゃなくない!?


「……ああ、忘れてた。で、俺はその後会長になるし、佐藤兄は一つ年上だから高等部に入るしで疎遠になるって思ってたんだけど、今でもすごい小説家にならないかコールを送ってくるんだよ。突然家に来たり、メール来たり、事あるごとに、毎回。で、この前やんわりやめてくれと正面切って言ったら落ち込んだらしくて、今俺のところに佐藤兄命の佐藤妹が乗り込んで来て謝れと暴れまくっていたわけよ」

「……つまり、家に来いというのは?」

「佐藤兄の前で直接謝罪しろと」

「家で待てと言ったのは?」

「ウチに来ると目的忘れて妹と遊んで毎回帰るから、それで流れればなって。元々仲は悪かったけど、その一件からなにかとつっかかるわ、喧嘩売ってくるわで最悪だよ。ま、どれだけやられても謝らないけどな」

「……佐藤妹さんって、佐藤兄さんが好きなんですか?」

「多分世界一好きなんじゃない? 佐藤妹はヤバいぞ。佐藤兄が六年生の時に同じクラスの友達に虐められたと聞いたら、二年教室から椅子持ってきて振り回してたからな」

「あ、アグレッシブですね」

「そこで気を使うのはおかしい」


 あの美少女がそんな事をする様な顔は見えなかったけど……。


「だから、アイツは俺のことが世界で一番嫌いで、俺もアイツのことは世界で一番どうでもいい関係ってこと。何でそんな話になってるのかわかんないけど、理不尽にも程があるな。噂話って」


 そう言えば、これは噂話なのである。

 先輩に聞いたわけじゃない。


「ご、ごめんなさい。私……」


 今回はタイミングが悪かった。とても、悪かった。あの噂のあとに、お似合いの二人を見たものだから遂。

 今回も一人勝手に騒いで、落ち込んで。どこまで一人相撲が上手くなる気なんだ。私は。横綱になるつもりか?


「誤解も解けたし、いいよ。俺も、誤解してたし」

「誤解?」


 え? 私、何かしたっけ?


「……そう言えば、知ってる? 佐藤兄、結構有名人なんだよ」


 露骨に話題変えてきたな。この人。

 ま、いいか。どんな誤解か知らないけど、その誤解が解けたって言うのなら、問題ないのかな。


「知らないです。芸能人とかですか?」


 俳優とか、全く知らないしな。


「いや、作家」

「作家?」


 あれ? そういえば、佐藤ってどこにでもある苗字を今日見た様な……?


「佐藤龍夫って奴なんだけどさ」

「佐藤、龍夫!? 高校生作家の!?」

「え、知ってるじゃん」

「知ってますよ! 私、龍夫先生の大ファンですもんっ! 龍夫先生の作品はどれも仄暗いのに救いがあって、ただのボーイミーツガールじゃないんです! 特にSF調にまとめた……」

「めちゃくちゃ好きじゃん」

「大ファンって、言ったじゃないですか。龍夫先生は私の憧れなんですっ! 凄く作品が好きで、勝手に共感する部分もあって、私にとっては手の届かない人なんですど……」


 学生というだけで親近感も湧いてしまうし、歳が近いのにあれだけしっかりした作品を書いている事実は尊敬に値すると思うし。

 作家とかは目指してないけど、龍夫せんせいみたいになれるならちょっといいなって思うし。

 

「相馬先輩も作品読んでみたら……」

「ふーん、成程。そういうことね」

「ん?」


 何故か新刊を勧めようとすると、先輩がふっと笑う。

 え?


「何かありました?」

「いや、そろそろ折れようかと思ったけど、絶対に折れてやんねーって思っただけ」


 それは、龍夫先生への話だろうか?

 大人気ないな。この人。

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