第4話元のハーモニカ  

小さな3,4歳ぐらいの女の子が、広い公園のほぼ中央のベンチで大泣きになっていた。

「お母さん・・・どこ?」

「怖いよ、どこ?」

少しぬかるんだ道でも歩いたのか、靴下まで泥がついている。

周囲には。大人や子供が数人いるけれど、誰も女の子に声をかける様子はない。


「はぐれたのかな」

「可哀想に」

と、元は思うけれど、近づくことはしない。

「いらぬおせっかいをして、誘拐犯にされても困る」


それでも、誰にも声をかけられず、泣き続ける女の子が不憫になった。

「近づくことができないまでも」

ジャケットのポケットに、ハーモニカが入っていたことを思い出した。

「少し吹いて、泣き止めばそれでよし」

「泣き止まなければ、そのまま、いなくなればいい」


「きらきら星変奏曲でいいか」

元は、小さな女の子のベンチから、少し離れてハーモニカを吹きはじめた。


小さな女の子は、最初のフレーズで泣き止んだ。

元は、ホッとするけれど、ハーモニカを途中で止めると、また泣き出すかもしれない、と思った。

ただ、そのまま吹き続けていると、周囲に人が集まって来てしまった。

泣いていた女の子が歌う声も聞こえ、他にも口ずさむ人がいるので、元は、ますますハーモニカを止めづらい。


それでも、元はハーモニカを止めるべきと思った。

「あまり人が増えて、不審者扱いされても困る」

「下手をすると、頑固な警察官を呼ばれて事情聴取だ」

「きらきら星変奏曲でブタ箱に入る?」

「シャレにならない」


元は、きらきら星変奏曲を、ワンコーラスだけ吹いて、止めた。

ベンチから立ち上がると、集まった人たちから、拍手も出るけれど、少し頭を下げるだけ。

そのまま逃げるように歩き出す。


歩き出し、向かった方向から、血相を変えた若い女性が走って来た。

「なつみ!あーーーそこ?」

「もーーー!探したのよ!」

「心配かけないでよ!」


元は、そのまますれ違う。

「おそらく母か」

「でも、俺には関係ない」

「ただ、ハーモニカを吹いただけ」

「泣き止んだのは、あの娘の勝手」



泣いていた女の子の大きな声が、背中越しに聞こえて来る。

「あのね、あのお兄ちゃんがね、ハーモニカを吹いてくれたの!」

「すっごく上手で、なつみは、楽しくて、うれしくて歌を歌ったの」

「公園を出て、ママを探そうと思ったけど、歌ってたから探せなかったの」


母親の声も聞こえて来た。

「え?さっき、すれ違った子?」

「お礼しないと」

「あの子のハーモニカで動かなかったんだよね」


元は足を速めた。

「礼を言われるために吹いたんじゃない」

「どこに行こうと俺の勝手」

後ろを振り返ることはしないで、そのまま公園を抜けた。


少し歩くと、吉祥寺駅が目に入った。

「どこに行くか」

「東京行きか八王子行きか」

「井の頭線で渋谷か・・・下北沢もやかましい」


元は、結局、井の頭線に乗った。

明大前で京王線に乗り換えた。

「たまには帰るか」

降りたのは、千歳烏山。

途中の酒屋でコニャックを一瓶買っている。

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