第33話 アンバーの葛藤と追いかけっこ
アンバーは貝殻旅館の上階にとってある部屋にいた。
誰もいないベッドに横たわり天井を睨みつけている。
カインがマリアの肩に親しげに手をかける光景が何度も過ぎる。その度に抑えきれない怒りに飲まれそうになる。
「もうっ! なによっ! 私だって! ……私だってさ」
やるせない気持ちを押し殺すように声が先細っていく。耐えきれずアンバーは枕を投げた。ボスンと枕が扉に当たって萎れる。
「誰かいるのかい?」
思いがけず扉の向こうからかかる声にアンバーは驚き、頭をもたげて耳を澄ました。
「誰か、いるのかい?」
気のせいではなかった。やはり誰かいる。
「だ、誰?」
「アタイさね。この旅館のオーナー、ビビアン・オーデルさ」
「どうかしたの?」
「この周りに見慣れない化け物が……モンスターが溢れかえっているんだ。絶対にそこから出てくるんじゃないよ。静かに隠れているんだ。アタイがなんとか追い払ってやるから」
ドスドスと重い足音を立てて階段を降りていき遠ざかっていく。
〈追い払う? ビビアンさんがモンスターを? ビビアンさんに“チカラ”や、なにか特別な戦闘能力があるとは到底思えない〉
階下から貝殻旅館の入口にある木扉が乱暴に叩かれる音が聴こえ、アンバーは思わず飛び上がった。ふと、アンバーはビビアン・オーデルがモンスターに襲われ、殺されてしまう事を想像してしまう。
〈そんなのダメ! 怪我しちゃう! それに私には……私にも戦うチカラがあるんだ。隠れてるだけなんて出来ないよ!〉
アンバーは矢筒を肩にかけ、弓を取り、木扉を開けて今まさに駆け降りようとしている階段で足を止めた。部屋へと戻るとルディの忘れ物である火打ち指輪を乱暴に引っ掴んで首にかける。よく物を無くすルディが無くさないように二つを一組にしてリースが紐で編んでネックレスにしてくれたものだ。
再び駆け下りた先で怒声が轟く。
「誰だい!? 答えな!」
ビビアンは包丁を片手に木扉を掴んだ。
「開けちゃダメ!」
なんの根拠もないが、アンバーの脳裏では嫌な予感が後を経たない。弓を取り矢をつがえる。
ビビアンが開けた扉の向こうには誰もいなかった。影すら見えない。ビビアンが身構えていた手を下ろし、外に顔を出して伺った。やはり誰もいない。
安心したようにビビアンがアンバーの方に向き直った瞬間、木扉を閉めようとしたビビアンの腕を湿った布が引っ付かみ、ビビアンがしゃがれた悲鳴をあげた。
ビビアンが外へ向かって引っ張られていく。思わず後を追うようにアンバーが入口から飛び出すと、フワフワと浮かぶ薄汚れた白い布が夜空にボウッと浮かび上がっている。その下でビビアンが逆さまに空中に浮いていた。
「なに……あれ?」
アンバーは歯を食いしばり弓を構えて布の中心を射抜いた。
ボシュッと音を立て布が翻るとビビアンが地面に叩きつけられた。
「アイタタタ……」
「ご、ごめんなさい」
「いや、いいんだ助かったよ」
ビビアンは腰を摩りながら起き上がって空中に浮かぶ布を眺めた。
「それより、あれはいったいなんなんだい?」
多分……。
アンバーの脳裏を嫌な予感が掠める。
「ゴースト……なんだと思う」
言ったそばから風に舞う洗濯物のように翻り続ける布が形を変え、アンバー目掛けて襲いかかった。
〈今避けたらビビアンさんが!〉
アンバーは弓を引き絞り射った。
矢が布を貫き明後日の方角へと飛んでいく。
『ヒヒヒヒヒヒヒヒヒ』
不気味な笑い声は風のない夜空からバタバタと暴れる布とは別にそこら中から聴こえた。
「ビビアンさん! お願い! 立って!」
アンバーはビビアンの痛めた腰を庇うように立たせ、旅館の中へと押し込むように言った。
「ここから絶対に出ないで!」
アンバーはそう告げると乱暴に玄関を閉めて再度、布を射った。
「さあ! かかって来なさい!」
立て続けにアンバーの矢が布を貫く。
布は狂ったように震えるとアンバーに向かって突進した。
〈実態のないゴーストには弓じゃ効果がないんだ〉
教会の本にはこう書いてあった。人が死んだ時に汚れた魂のまま漂わないように綺麗な布で包み、信仰や祈りで浄化されて荼毘に伏される。だが、貧しくそんな弔いなどなされない魂もあるのだ。
〈これが汚れた魂の末路なのだろう。祈りを唱えられずに漂い続ける存在。それなら、祈りを唱えられる人間に頼むか、あの布を荼毘に伏すか……だ〉
とにかく今はここから離れることが先決だった。ビビアンさんや街の人が襲われるのは避けねば。
トトンと小気味よく踵を打ったアンバーはチカラを使い一瞬で布から距離をとった。
ゴーストはアンバーが先程までいた場所をウロウロと見失ったかのように見回している。
アンバーがその横っ面らしき場所を射った。
布を貫通する。ようやっと気付いたゴーストは、アンバーに狙いを定めた。
ダメ押しにアンバーは呆れたようにため息をひとつ。
「あんたってばウスノロねぇ。早くこっち来なよ」
ゴーストはさらに怒ったかのように打ち震えた。
さっきより速い速度で布が滑空する。
「そう来なくっちゃ!」
タタタンとアンバーが助走をつけるとアンバーは風のような速度で走っていった。その後をゴーストが追っていく。
後に残されたビビアンはまん丸目玉をさらに丸くして、誰もいなくなったその場所を窓から見下ろしていた。
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