第4話 変化とフラミンゴ
次の日の朝、床に敷いた布団からルディ、ビリー、カインに蹴落とされていたジャックは、起き抜けに背中の痛みを訴えた。
陽光が照らし、まだ温まりきっていない地面はひんやりと冷気を放っていた。
貝殻旅館の裏手で、男四人はビビアン・オーデルに連れられ薪割りをさせられていた。その理由はマリアが約束した“宿代を負けてくれる代価”だ。
カイン達は丸太の上に薪を置いて次々と割っていった。巻貝の裏手にある煙突からモクモクと煙を上げている暖炉のためだ。
薪割りをしていると、マリアが両手を組んで上に伸びをしながら現れた。カインは伸びをするマリアの胸の膨らみに勝手に向かっていく目を外して言った。
「みんなはどうした?」
「まだ寝てるよ。私も手伝うよ」
「ふん、当たり前だろ。お前のせいなんだからな」
「ハイハイ、分かってますー」
マリアが加わった薪割りの様子を丸太の一つに座って見ているジャックは、同じように座って眺めているビビアン・オーデルに言った。
「なあ、婆さん」
「ビビアン・オーデルだ。ビビさんかオーデルさんとお呼び」
「なあ、ビビ婆さん」
「……なんだい? クソガキ」
「あんた、一人でここの宿やってるのか?」
「ああ、そうさ。#もう__・__#アタイだけさね」
「……#もう__・__#?」
ビビアンはジャックを横目で見て、足下の砂を両足で挟んで山を作りながら言った。
「アタイには、娘と旦那がいた。何年も前さね」
「娘は……奇妙なチカラを持って産まれたんだ」
ビビアンは次は空を仰ぎ見て言った。
「当時の十字軍は粗野でならず者の集まりだった。そんな時に産まれたあの子が、後々どんな扱いを受けるかなんて火を見るより明らかだったよ」
ビビアンはしゃがむと、足下に作った砂山に砂をかけていった。
「あんた、神父なんだってね。それなら知ってるだろう? 娘は当時の大規模な魔女狩りで捕まり死んだのさ」
ビビアンはすっかり大きくなった砂山を踏み潰しながら言った。
ジャックは黙って聞いていた。五十年ほど前にあった魔女狩りの事は学んでいる。絶大な権力をもった十字軍には誰も逆らえなかった。当時は“疑わしきは罰せよ”。それだけが十字軍の戒律で方針だった。人々は疑心暗鬼になる中、自分が疑われない為には他人を突き落とすことに没頭する人間が山ほどいた。魔女として処刑された女の中には、おそらく魔女ですらない者が#山ほど__・__#いたであろうことは白日の元には晒されてはいない。
……らしい。ジャックは教皇庁で見た歴史の本の話しを思い出す。一方通行な言い分の歴史書を。
「さあ、話しは終わりだよ」
ビビアンは丸太から立ち上がると年とともに丸くなったであろう背中を向けて去っていった。
その作業は夕暮れ時まで続いた。薪はビビアンが一生を費やしても使い切れないほどの量になり、それらを薪棚にしまい込み、リースの作ったスープと砕いたクルミのパンをビビアンが差し入れてくれた。大人数での貧乏旅行で削れるのは食費、それが分かっているリースは深々と頭を下げ、丁寧にお礼を言った。
***
次の日の朝、陽気な天気と、食いしん坊なアンバーの腹の虫の音で全員が目を覚ました。全員が揃って酒場『#酔龍__よいりゅう__#』へと向かった。
暖かく香ばしい店内に入ると元気な声がかかった。
「はいはーい! いらっしゃいませー! 何名様ですかー?」
「十人だよ。どこか空いてるかい?」
と、ジャックが聞くとツインテールでメイド服を着た女の子はどこか空虚な瞳で言った。
「こちらへどうぞ~!」
促されるようにジャック達はその後に続いて行った。
店内には冒険者なのか剣士のような鎧を着込んだ男や、町民の家族連れ、漁師の一団、これからトラキアの町を巡回するであろう腹を満たしに来た兵士の姿も見える。
ジャックはトントンと床板を踏んで材質を調べる。ヒノキ材か、恐らく壁もヒノキ材。「いい材料使ってるな」と独りごちた。
八人掛けの大テーブルの一つにぎゅうぎゅうと全員が肩と尻をくっつけながら腰掛ける。前髪を眉上で揃えた女の子が黒髪ツインテールを揺らして一人で料理を運んでいる。
ジャックが手を上げて女の子を呼ぶと、元気な声が返ってきた。「はいはーい! 今行きますねー!」
まだうら若い女の子が来るとジャックは鼻の下を伸ばし、顔を近づけてコソコソと耳打ち、「一番安くて栄養のあるものをくれ」と言った。
女の子は黒い大きな瞳を瞬き、眉をピクリと動かして張り付いたような笑顔を崩さず応じた。
「それならば、トマトスープがオススメですよぉ」
「ああ、それを十人分頼むよ」
メイドが「承知しましたー! すぐにお持ちしますねー!」と去っていくと腹ぺこアンバーが食いついてきた。
「えぇー! トマトスープだけ?」
「そうだよ。路銀も節約しなきゃならんのだ。我慢してくれよ」
アンバーは頬っぺをリスのように膨らませ手を合わせて拝むように言った。
「むーっ! あ、じゃあさ! あとパンだけ! お願い!」
ジャックは折れて給仕の女の子に「パンもつけてくれ」と付け加えて言った。
ツインテール娘が大きなトレイの上にスープが入った皿を器用に並べて積んでくると、テーブルに次々と並べていった。マリアが親しげに話しかけた。
「すごいね! こんなに持ってどうしてこぼれないの?」
「慣れていますから」
とニッコリ答えると、給仕は漁師の一団に呼ばれてそちらへと滑るように向かっていった。
テーブルに並んだトマトスープは中央に添えられた香草がちっちゃな葉を広げて浮き、芳醇な旨みを含んだ香りを立ち登らせていた。運ばれてきたばかりの中央に置かれた焼きたての大きなパンは三つ並んでほのかな香ばしさを醸し出している。
カインとジャック、マリアが慣れた手つきでみんなにパンをちぎって回していく。
並び終わるのを見届けると、腕のないジャック以外の全員が感謝の祈りを唱えようと手を組んだ。ふと、ジャックが隣のシスターを見ると、目を瞑り眉根を寄せ、ピクピクと形のいい眉毛を弾ませている。
「どうした? リース」
ジャックの祈りではない声音に気付くと子供たちが一斉にリースを見た。
リースはトマトスープの赤い色を見て、血液への妄想で鼻息も荒く興奮しているようだった。目や顔の皮膚が黒い血管の筋を浮かべて血走らせている。
テーブルの端を掴んでいる手に恐ろしいほどの握力が加わり、ミシミシと音を立ててテーブルの端が潰されていく。
「リース……落ち着け。おい、リース!」
ジャックが肩をぶつけて小声で訴えると、リースはたった今気がついたと言わんばかりにビクッと身体を震わせてジャックを見た。
「え? どうかしましたか?」
リースはキョトンとして言った。ジャックは黒く血走った筋が引いていくその顔を見て「いや、なんでもないよ。暖かいうちに食べよう。とっても美味そうだ」と言ってみんなに目配せをした。
トマトスープは今度から禁止だなとジャックは心に決めた。
***
外に出ると女たちで円陣を作りながら楽しそうに言った。
「私たち服を買いに行こうと思うのですが、男性陣はどうしますか?」
ジャックとカインは食料や旅に必要な物を買いに行くと告げ、ルディとビリーは町を見て回りたいと主張した。
各々の用事が済んだら、暗くなる前に貝殻旅館で待ち合わせようと話しをした。
カインはリースと相談してメドベキアでの謝礼金を含めた路銀を分け合った。
リースはミカエルの手を引いて町を歩き、服屋さんを探した。ミカエルは小さな足でトコトコと歩いた。時おり、自分の影を大喜びで追いかけようとするのをリースが手を引いて止めてやる。アンバーとマリアはその後ろで、買い物に心躍らせてキャッキャと嬉しそうに話しをしている。
ニーナとシャオが前方から走ってくると、かわいい店があったと口を揃えて弾みながら言った。
六人は建物の並ぶ通りを歩いていく。その中でも一際異様なピンク色の店が自己主張していた。
ピンク色の中に白い花びらの模様があしらわれている店先には、看板に流れるような文字で『フラミンゴ』と書かれていた。
店のピンクの木扉を開けると、扉に付けられているベルがチリンチリンと小気味のいい音で鳴る。
シャオとニーナが手を繋いでピョンピョン跳ねながらかわいいかわいいと連呼しながら店内を見て回っている。
その奥から青い髭剃り跡のピッチリした服を来た男がしゃなりしゃなり歩いてやって来た。
「あぁら、可愛らしい子達だこと」
リースは船に乗ってマロネ諸島へ渡るための、防寒着を買いに来たと説明した。
「そおぉなのぉ! じゃあ、かわいくドレスアップしましょうねぇ」
男はリースのロングスカートの後ろに隠れているミカエルに赤い口紅をつけた口で「こんにちわ」と挨拶をした。
ミカエルはリースのスカートの後ろから眉根を寄せた頭を半分出して「こんちゃ」と言った。
「アタシはアダム、アダム・サンドラーよ。よろしくねミカエルちゃん」
アダムは絹を摘むような手つきで言った。
「ミカエルちゃんにはとびっきりかわいい服を見繕ってあげるわね」
アダムは化粧っ気の濃ゆい長いまつ毛でウインクを飛ばした。
アダムは店の奥に引っ込むと、兎耳のフードのついた服を持ってやって来た。
ニーナとシャオは声を揃えて「かわいい! 着てみなよ!」とミカエルを促した。
他に店内に客は見当たらない様子なので、リースはミカエルの服を脱がせてやり、代わりに白いジャンプスーツを着せてやった。
仕上げにフードを被せると、兎耳のミカエルの完成だ。
みんなが揃ってかわいいを連呼した。
ミカエルは嬉しくなってピョンピョン跳ねて喜びを全身で表現した。
「お次はこっちのお姉ちゃん達ね」
そう言いアダムはユラっと陽炎のように立ち上がった。目がギラリと光り、ニーナとシャオはビクッと身体を震わせた。
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