第32話 タイムリミット

 無数の腐った腕が外界からの異物を逃すまいと口を塞ぐ。腐り続けるこの空間の天井も床も、血を流すかのようにボトボトと滴り落ちてくる。


 ジャックは走りながら、足元の肉床を蹴り、身体を捻って立ち塞がる腕に突っ込んでいった。



「父さん!」


 カインはアルノルトの巨大な口に一人突っ込んでいったジャックに呼びかけた。


 カインは折れている左足を庇いながら、拳銃を撃った。一発ごとに銃の反動が折れた足に響く。


 カインに向かって腐った赤黒い手が伸ばされる。目前にまで迫った腕をゼロ距離で撃つと、空中に散って消えていった。顔をしかめながらもカインは拳銃を撃った。地面を這うような赤黒い手は弾丸に貫かれると、地面で腐食ガスを噴き出しながら消えていった。


 アルノルトの腐り落ちる身体から落ちた肉片は、まるで意志をもったかのように腕を生やしては生者を求めて襲いかかってきていた。


 カインの撃った弾丸が腐った肉の身体を突き破り、勢いをなくして地面に落ちた。


 ビリーは短槍を振り回して迫ってくる腕を切り落とし、大地を滑って来るような腐った肉片を槍で貫いた。


 マリアは一人、一番前で迫る腕を切り落としていく。剣を横薙ぎに斬り払い、腐肉が二つ一変に消えていく。


 ルディは離れたところにいる腐肉を燃やし続けている。


 アンバーの放った矢が腐肉を貫くが、ゼリーの体の中に取り込まれ、埒があかないとナイフを振り回している。


 ニーナは使い過ぎたチカラのせいで熱に浮かされながら、ミカエルを抱えて、石を拾っては投げつけていた。


 傍にはシスターを包む”血の呪い”が、黒い球体の繭となって転がり、みんなに守られていた。



 シャオが猟銃を抱えて丘の上から走って逃げてくると、その後ろからゾンビがヨロヨロと追いかけてくる。


「こ、ここら辺一帯がゾンビとあの腐ったゼリーに囲まれてますよ!」


「分かってる! 父さんが出てきたらみんなは逃げるんだ!」


 シャオは猟銃でゾンビの頭を撃って言った。


「父さんは何やってるんです? 私、逃げるのに必死で……」


「父さんは一人であの中に突っ込んでいった」


 カインは腐り果て、ほとんど骨だけになっているアルノルトを指さして言った。


 アルノルトは頭蓋に続き、背中の肉がドロドロと溶けてほとんど腐り落ちてしまっている。両腕も腐り落ちて地面に横たわり、腐ったガスを噴き出して塵と消えていく。支えを失った頭蓋は、地面を舐めるように上顎を地面に突き立てたままだ。顔を上げる力すらもうないようだ。


 アルノルトの身体から腐り落ちた肉が、どんどんと腐肉ゼリーになって群がっている。まだ肉が残っている胸から下の部分は肋骨が外殻となり、紫色のオーラが薄い膜を張って守っていた。


 カインが先程指さしたのはその腹の中だ。


 腹からククリが突き出し、腐れた血が噴き出す。ククリが腹の中に引っ込んだかと思えば、血に塗れた手が腹を突き破る。紫色のオーラがバキバキと音を立てて割れていく。割れた部分に足と手を引っ掛けてこじ開けながら、血塗れのジャックが這い出してきた。


 すると、すぐさま腐り落ちた肉の塊が、意志を持っているかのように這いずり周り、触手のような腕を生やしてはジャックへと伸ばす。


 ジャックはククリを振ってそれを縦に真っ二つにした。


 ジャックは辺りを見回す。空が白み始め、先程とはうってかわって明るくなっているのに気がついた。もう時間が無い。


 アルノルトの巨大な骨がしゅうしゅうと煙を吹き出し、溶け消えていこうとしている。


 このまま朝日が登れば吸血鬼であるアルノルトは陽に焼かれて死に絶えるだろう。だが、同時にシスターを失う。



 ジャックは腐った肉の塊共に囲まれている子供たちを見つけると、同時にククリを振り回して駆け抜ける。


 邪魔だ! ジャックは吠えた。


 ジャックが踏み蹴った地面が高い砂煙を上げる。


 腐肉ゼリーの海を蹴散らしながら、一陣の風となって子供たちの元へと駆けつけた。


 肩で荒い息をあげ、牙を剥き出し、全身の毛を逆立てた血塗れのその姿は、子供たちには少し怖かった。それでも……。


「ハア、ハア、ぶ、無事か? お前たち」


 ジャックはククリを地面に突き刺して息を整えようと片膝をついた。息を飲んで、絞り出すように言った。


「誰も怪我はないか?」


 カインは地面に座って、後退してきてくれたマリアの治療を受けていた。なんとか足首が元の向きに戻り、歩けるようにまで回復した。足を引きずりながら言った。


「マリア、もういいよ、ありがとう。これぐらい平気だし、みんなも大丈夫だよ!」


 ジャックは辺りを見回した。ゆっくりとだが確実に迫り来る腐った肉の塊は、半透明でゼリーのようにも見える。それが無数にいる。


 カイン達は円陣を組み、ゼリーの群れを牽制しながら戦っていた。もはや全員が疲労困憊で、このまま戦い続ければ、みんな動けなくなってしまうだろう。死が待つだけ。


 どうすれば、どうすればいいんだ。


 ジャックは迷いを見せている。


 子供たちもジャックの決定を待った。


「お前たちはにげ……」


「逃げないよ。父さん」


 カインは遮るように言った。


「意地を張ってる場合じゃないんだカイン」


 ジャックはカインの方に顔を向けて言った。


「お前たちはもう戦えない。ここで逃げなければ誰かが死ぬ事になるんだぞ」


「逃げない」


 ジャックはカインの胸ぐらを掴みかかって凄んだ。


「時間がないんだ! わがままばかり言うんじゃない!」


 あまり怒ったことの無いジャックの怒りに、子供たちは驚きすくんだ。しかも今は狼男の姿のため、余計に怖かったみたいだ。血塗れの狼男。その剣幕を真っ直ぐ見つめてカインは言った。


「僕たちは逃げないよ。父さん」


「くそ、なんて頑固なんだ」


 ジャックはカインの胸ぐらを離した。


「あはは、父さんに似たんだよ」


 カインはジャックの金色の目を見て言った。


「父さん、僕たちは家族に捨てられてここにいるんだ。もう失いたくないよ。シスターも助ける。可能性があるならなんだってやるよ」


「私達だって大好きなシスターを助けたいんだよ。父さん」


 マリアは続いて言った。


「俺は……お前たちを失いたくないんだ」


 ジャックは顔を伏せて言った。


「私たちだって!」


 マリアは革鎧の胸元に手を当てて言ったが、ジャックは首を振って言った。


「だけど、どうしようもないんだ。アルノルトの腹の中には心臓があった。アレを潰せば終わる。だが、水晶並に硬すぎてどうしようもない、破壊出来ないんだ」


「何をしてもダメだったんだ」


「お前たちも、もうチカラを使う余裕なんてないんだろう?」


 みんなは押し黙ってしまった。


 マリアは悔しそうに俯いた。カインもビリーも拳を震わせて悔しがっている。人一倍負けず嫌いなニーナは地面を叩いて悔しがっている。アンバーもシャオも弾丸も矢ももう少ない。


 沈黙が続く。


 後方のゾンビ達がすぐそこまで来ている。歩みは遅いが、数が多く、囲まれたら逃げるのは困難になる。最悪、不可能になる。


「時間切れだ」


 ジャックは歯を食いしばって言った。


「……道を切り開く。みんなはついてくるんだ」


 押し黙っていたルディが口を開いた。


「……待ってよ。父さん」


「時間切れだと言っているだろう!」


 ジャックは焦りから思わず強い口調になった。


 ルディは大声に驚きながらも、歩み寄りながら腰のポーチを外してジャックに差し出した。


「叱られるのは分かってる。後でいくらでも反省もするから……だから、これを使って。父さん」


 ジャックは驚愕してルディのポーチとルディとを交互に見つめた。

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