第6話 星の盟約


 母さまのお腹がふっくらと大きくなっている。

 もうすぐ生まれるんだよと母さまが教えてくれた。

 少し前から父さまがラルヴァ狩りに復帰していて、今日は私と母さまの二人っきりだ。


「アリス、ユンナーのところへ行ってきてくれないかしら?」


 母さまの顔を見ると、いつもより青白い。

 体調が悪いのかもしれない。


「いいけど…… 母さまは大丈夫? 一人になっても良いの?」

「少しぐらい大丈夫よ。ユンナーからウレナっていう薬を貰ってきて欲しいのよ」

「うん。直ぐに行って帰ってくるから。だから、母さまは椅子に座ってて」

「悪いわね。お願い」


 私は家を出て、ユンナーが住む北の林に向かった。




 北の林には家が一軒しかなくて、ユンナーが住んでいるだけ。


 私はユンナーの家のドアをノックした。


「開いてるのじゃ」


 幼い女の子のような声が返ってくる。


「お邪魔しまーす」


 私はドアを開けて入った。


「アリスか。どうしたのじゃ?」


 心配そうに私を見つめる緑の瞳。

 サラッとした緑の髪に少し尖った耳、もっちりとした白い肌、潤った唇。

 そして、まるで妹のように私を見上げる仕草。


 ユンナーが可愛くて、いつもは抱き締めてしまう私だけど、今は母さまが心配。

 ユンナーに抱き着きたい気持ちを堪えて、母さまに頼まれた薬のことを聞く。


「ウレナって薬ある? 母さまが欲しいって」

「ウレナか。ちょっと待つのじゃ」


 薬が保管されている奥の部屋へ入っていく。


 ユンナーはとても可愛い女の子だけど、私よりもずっと歳上。エストー村一番の年長者で、薬剤師と産婆をしてくれている。

 しかも、私の母さまの師匠で精霊のお話が聞けるらしい。

 確か…… 歳は三百六十七歳。

 私の約四十五倍は生きている、スゴい。

 ユンナーは人族ではなくて、ハーフエルフ。

 ハーフエルフはエルフと人族の間に生まれた子のことを言うんだって。

 だから、長生きでずっと美しい。

 ユンナーの場合は私より子どもみたいで、すごく可愛い。


「あったぞ、これがウレナじゃ」


 私はユンナーからウレナの入った紙袋を受け取った。


「アリス、マーガレットは眠れないとか言っておったか?」

「分からないけど、今日は顔色が悪かったよ」

「そうか。マーガレットに何かあったら必ず儂を呼ぶのじゃ」

「分かった、ありがとう!」


 私はユンナーに手を振って、家へと戻った。





 ドアを開けて家に入るが、椅子に座っていた母さまの姿はない。


「あれ? どこに行ったんだろう?」


 ガタン!!


 上から大きな音がした。


 階段から母さまを呼ぶ。


「母さま、ただいま。お薬貰ってきたよ」


 だけど、返事はない。


 私は嫌な感じがした。

 階段を恐る恐る上がる。


 私の部屋、母さまたちの部屋を空けるが、母さまはいなかった。

 残るはクラウス兄さまの部屋。


 私は兄さまの部屋を空けた。


「母さま!!」


 兄さまの部屋で母さまが倒れていた。

 私は直ぐに駆け寄って、母さまの肩を叩く。


「母さま! 母さま! 母さま!」


 返事はなかった。


 よく見ると、スカートの裾が濡れていて。


「キャァ!!」


 お尻の方から血が沢山出ていた。

 どんどん母さまの顔色も青白くなっていく。


 どうしよう?

 ユンナーを呼びに行く?

 でも、その間に母さまが……

 私、どうしたらいいの?


 私はパニックになっていた。

 どうしたらいいのか分からなくて、どんどん涙が溢れてくる。


 また私は大切な人を失うの?


「誰か助けて……」


 私の目が眩んだ。

 突然、ぴかっとした光が部屋中を包む。

 やがて、光が消えていく。

 元の部屋に戻った。


「え? なに!?」

「助けてって呼んだでしょ? だから、姿を現したんだよ、アリス」


 私の名前を呼ぶ人がいる。

 でも、誰もいない。

 私は思わず部屋中を見渡した。


「あー、なるほど。今のアリスには見えないんだね。ちょっと待ってて」


 すると、母さまのお腹の上の空間が歪んで、小さな人の姿が見えてきた。


「アリス、僕が見えるかな?」

「見えた……」


 姿を現したのは、私の手の平ぐらいの青髪の女の子。

 羽を生やしていて、クリッとした目が印象的な可愛らしい顔をしている。


「あなたは誰?」

「僕はラフネ。アリスが困ってるみたいだから助けに来たんだ」


 助けに…… 母さまの姿を見る。

 とても辛そう。

 母さまを助けられるなら、私は何でもする。


「母さまを助けれるの?」

「もちろん。簡単だよ、アリスが僕と契約を結んでくれたらね」

「契約?」

「約束みたいなものだよ。僕と約束を結んだら、アリスのお母さんを助けてあげる」

「本当に!?」

「もちろん! 妖精は約束を破らないよ」

「じゃあ、お願い!! 母さまを助けて! 私は何でもするから!」


 もう二度と大切な人を失いたくない。

 ラフネの言う約束がどんなものでも構わない。

 それで母さまを救えるなら。


「本当にいいの? 僕との約束は一生だよ?」

「いい!! 母さまは助かるんでしょ!?」

「助けてあげるよ。見てて」


 ラフネが母さまに手を翳すと、母さまの体が柔らかい光に包まれる。


『レクティオー』


 母さまの体から流れている血が止まった。床に付いた血の跡も消える。

 母さまが血を流していたなんて嘘のようだ。


「母さまは治ったの?」

「治ったよ。顔色が戻ってるでしょ?」


 母さまの顔色は血色の良い顔色に戻っていた。


「ありがとう、ラフネ」

「いいよいいよ。お礼なんて。だって、今からアリスは僕と星の盟約を結ぶから」

「星の盟約?」

「そ、星の盟約。人間と妖精が結ぶ契約だよ」

「何を契約するの?」

「えっとね、僕にアリスの人生を最後まで見せて。その代わりアリスに特別な力をあげるよ」

「それが契約? それってラフネに何か良いことなの?」

「良いことだよ。僕は人間がどう生きてどう死ぬかを見るのが、最高の楽しみなんだ。人間の人生が見たいんだよ」

「私には分からないけど……」

「分からなくていいんだよ。僕たち妖精は人間から見たら変わってる存在だからね」

「特別な力って何をくれるの?」

「それは言えないかな。特別なのに言ったらつまらないでしょ? やっぱりやめておく? もちろんやめたら、マーガレットは元に戻すけど」


 ラフネは悪意を持って言っているようには見えない。ずっと優しそうに笑みを浮かべている。


 でも、特別な力ってなんだろう?

 内容が秘密だなんて、とっても怖い。

 契約を結ばなかったら、母さまが……

 私は決めた。


「私契約を結ぶ!」

「いいんだね? 後悔しない?」

「後悔しない! 母さまを救うためなら、私は何でもする!」

「分かったよ。じゃあ、僕とアリスで星の盟約を結ぼう。今から盟約の呪文を唱えるからじっとしていて」


 ラフネが私の頭に手を置いて、私の知らない言葉で呪文を唱える。

 唱え終わると、ラフネは私の頭から手を離した。


 私は自分の体を触るが、何も変化はない。新しい力も特別感じるわけでもない。

 本当に何か変わったんだろうか?


「ラフネ、私は何か変わったの?」

「変わったけど、まだ感じることはできないと思うよ。アリスにきっかけを与えただけだから。もう少ししたら、自分の力に気付くと思うよ」

「そうなんだ」

「それと、僕のことは内緒だよ。無理に伝えようとしたら苦しくなっちゃうから、気をつけてね」


 じゃあ、父さまや母さまたちにも伝えれないってこと?

 ちょっと怖い……


「分かった、気を付ける」


 ラフネがまた私の頭に手を置く。


「どうしたの?」

「残念だけど、今日の記憶は封印するね。今のアリスには僕との接触は負担が多すぎるんだ。安心して。与えた力はそのままだし、マーガレットはちゃんと治したから」

「ちょっと待――」


 ラフネの手が光ると、私は気を失った。



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